脱ニート中の元職業軍人の俺が炎の銀兵士に詰め寄られている件 作:ライハイト
◇
生計を立てるのには何も荒事である必要性は全くないと感じたのは、皮肉にも軍人としての役目を放棄してからのことであった。
11号との共闘に一旦の区切りがついてしばらくを迎えた、新エリー都の一角の『六分街』。
猫の鳴き声すらも遠くに響き渡る澄んだ空には、硝煙による太陽の陰りも、光すら呑み込むホロウの影すらもない。
遠くに見据える空間を侵蝕する黒い洞穴の付近で居を構えるような物好きなど、それこそホロウレイダーのような後ろ暗いことに手を染める連中ぐらいで、住処に選んだこの場所はそんなものとは無縁と言えよう。
艱難辛苦の先に就いた修理工の仕事も上々。
最初は慣れないこともあったが、多くの助けがあってかつて姉の脛かじりでしかなかったかつてとは比べるべくもない。
だが、ここで問題が発生した。
仕事内容は満足のいくもの。
物騒なこととは程遠く、死にかけることなんてままあるホロウや敵地などを飲まず食わずで潜入したり何日も寝ないなんてこともあった以前と比べれば信じられないほど穏やかな日々を送っている。
だが、それだけの経験をしたにも関わらず人間とは愚かなもので。
緩やかな日常に身を置くからこその悩みが発生するものなのだと、俺は今身をもって実感していた。
「おい玄飛、現場から帰ってくる時で良いからついでに離れの倉庫から資材を取って来て欲しいんだが……おい、携帯なんて見てどうした、大丈夫か?」
「…………」
「治安官の姉ちゃん呼ぶぞ」
「…………一瞬で警察沙汰とか、大きく出たなエンゾウさん。意味不明なのは室内でもかけ続けてるそのグラサンだけにしてくれ」
「減給でいいな」
「ぴえん」
――――ある時は仕事中だったり。
「あいよクロ坊、いつもの『デタラメ』お待ちだ。伸びないうちに食えよ」
「…………」
「おいこら無職」
「…………大将、人の傷口に塩塗るどころかほじくり回すなんて正気の沙汰じゃないぞ。いいのかな? こっちには119を呼び出す用意がある」
「それで来るの消防車だぞ。お前さんに税金使って迷惑かけられる市政の身にもなれ」
「超キレッキレじゃん」
――――ある時は昼休み中だったり。
「…………」
「ちょっとニート! どうせ暇なんだろうし、この前みたいに偽札燃やしてブラック企業の事務所の前にばら撒く遊びを思いついたんだけど一枚噛む気はあるかしら?」
「うるせぇ、森に帰れファンキーピンク銭ゲバズラ。どいつもこいつも俺を無職だのニートだのって弄り回しやがって……今や俺は立派な社会人だ、無職相手にすら金を搾り取ろうとするお前と一緒にするなよニコ」
「人を食虫植物みたいな名前で呼ぶんじゃないわよ! つーかあの時は最後はノリノリになって爆笑してたでしょーが!!」
「その職場を紹介して仲介料までふんだくったのはキミだけどな」
――――最後の退勤中に至るまでそれは続いた。
「…………」
そして現在。
場所はエンゾウさんのところへ職に就くにあたり借り受けた部屋ではなく、今の俺の給与帯では到底住むことは叶わない広々としたワンルーム。
赤い革張りのソファーは使い込まれながらもしっかりと手入れがされており、革に亀裂が入ったり中のクッションが見えたりするような様相は見られない。
その背後には数えることすら烏滸がましいとすら言える各種の表彰状、優勝杯の数々。
その中には写真立てもあって、そこには俺と姉ちゃんが幼い姿で一緒に笑ってる写真も立てられている。
そんな部屋主の気質をこれでもかと醸し出すその場所で、未だに沈黙を続ける端末を見つめるさなか、メッセージアプリからの通知が暗転していた画面を明滅させた。
表示された相手は、手に握られたランタンの灯を模したアイコン――すなわち11号である。
「――――ちょっと、誰からのメール?」
「はぅわ!!??」
端末を手に取って返信しようとした、その瞬間。
いつの間にやら仕事を終えて帰宅していた姉ちゃんが、いつもは束ねている黒髪を解きながらこちらの画面をのぞき込んでいるのを認識して、文字通り飛び上がった。
「な、何をしている!? ここは俺の部屋だぞ!!」
「気が動転してるわね。残念ながら権利も住所も私のものよ」
「そんな横暴を許されるとでも思うのか姉ちゃん!」
「横暴なのはあなたよクロ」
狩りを邪魔された猫が如く、ふしゃーと背後から端末を覗き込む我が姉に捲し立てる。
どうやら今日は妙なトラブルで徹夜で張り込むような事態にならなかったらしく、帰りを待っていた弟としては大変結構なことだと思いつつ、内容が内容なだけに心臓に悪い。
そして案の定、誤魔化された様子もなく姉ちゃんの疑いの眼差しが晴れることはなかった。
「それで? 結局誰からのメールだったの」
「ししし、仕事のメールに決まってるだろっ……!!!!」
「嘘よ、ちょっと見えたわ可愛い黒猫の写真」
「こ、これは俺が猫が好きだから……!」
「あなた動物全般から嫌われ気味じゃない。よく烏と猫の喧嘩に巻き込まれて戦争してたでしょ」
「ううう、うるさい!」
詰め寄られる姉の顔を間近に、背中では我ながら滑稽な有様に反して滑らかに端末のキーボードを叩いている。液晶画面からしか外界との伝達手段が無かった俺にとってこのようなテクなど児戯に等しい。自分で言ってて悲しくなってきたんだから間違いない。
「エンゾウさんから聞いたわよ。あなた仕事中まで端末持ち出してたみたいじゃない」
「……認めなくないものだな。自分自身の、若さゆえの過ちというものを」
「ネットミームで会話しようとするのはやめなさい。あなたこれまで仕事一筋だったんだから経験なんて少なくて当然でしょう。そんなに自分を卑下することないじゃない」
「通じてんじゃん……」
理解のある姉で何よりである。流石は敏腕婦警、人心掌握などお手のものらしい。
ただ、それだけの理解力があるのなら男特有のこのアンビバレンツな心にも理解を示して欲しいものだ。少年誌とは肉体年齢ではなく心の年齢をふるいにかけるものなのである。
……いや、いい年して思春期真っ盛りみたいな悩みしてる自分の方がみっともないってのは理解はしてるんだけども! してるんだけども!!
「それで、相手は男性? それとも女の子?」
「……女の子」
「不純異性交友は取り締まりますよ」
「決めつけ酷くない?」
「ただの冗談じゃない……飲む?」
「飲む」
そしてそれもいつの間にやら取り出したのか、仕事終わりの一杯と言わんばかりに大量に買い置きしてるトマトジュース缶の一つを受け取ると、躊躇った様子もなく隣に仕事着のまま姉ちゃんは座ってくる。
乾杯なんてする間柄でもない。
パコ、とお互いにそれぞれのタイミングでプルタブが開けられ、示し合わせたわけでもないのに同時に缶を傾けた。
「……姉ちゃんにはわかるまい。社会からフェードアウトした人間にとってな、女の子の連絡先ってのはそこにあるだけで劇薬なんだよ」
「私こそわかるわけないじゃない……私だってこの前仕事の関係でビデオ屋の店長さんと映画機材を借りに一緒にビデオを見たくらいなんだから」
「待て、それってリンちゃんだよな? アキラくんじゃないよな? んん?」
「アキラくんだけど……」
「クソが……!」
おのれ『パエトーン』! いっつも男女問わずに人の懐にするすると入り込みやがって! 変わり種のオフィスラブなんてあの兄貴なら涼しい顔してこなすに違いない!
我ながら何を言ってるんだと思わなくもないが、リンちゃんとアキラくんにはそういう『魔性』とすら言える人を惹きつける何かがある。
というか赤の他人でしかない俺にあそこまでの献身をしてくれるんだから、人によっちゃ惚れたはれたのくだりになるのは然るべき反応じゃなかろうか!?
「そういうクロはなんて返すつもりなの? ノックノックのやり取りとは言っても会話の延長線上でしかないんだから、そこまで緊張する必要もないじゃない」
「……三日ぶりなんだよ」
「え?」
「三日ぶりなんだよ……! その子が連絡返してきてくれたの……!」
「あぁ、そういう……」
姉ちゃんが何やら色々察したような目つきになって、それを誤魔化すように手元のトマトジュースの缶に口を当てている。が、こうは言ってはなんだが口火を切って藪をつついたのは姉ちゃんの自業自得。
となれば、ゲロるところまでゲロってしまうまでよ。
「11号……まぁあだ名みたいなもんなんだけどさ、その子はどうにも可愛いもの……とりわけ猫が好きらしくてな」
「そういう話題に?」
「いや送って来た写真でなんとなく」
「……なる、ほど……ちなみに相手はなんて?」
「いや――その返信すら写真だけで返ってきた」
「えぇ……?」
いよいよもって姉ちゃんの顔が困惑気味に顰められた。うん、そうだよね。普通そういう反応になるよね。
あの戦いの後、連絡自体はそこそこの頻度で来ていたのだ。
最初は良かったのだ。特になんの脈絡もなくどこかの路地で撮影したであろう猫が写り込んだ写真に反応すれば良いだけなのだから。
姉ちゃんの言った通り会話の延長線上でしかないソレとしてなんら不自然な点は見られない。
だが問題はここからだった。
「それでさ、言ったんだよ。猫が度々集会している溜まり場があるから時間があればそこを案内しようかって」
「……よく知っていたわね。あなた動物の類とはとことん相性悪いのに」
「よく獲物として追いかけ回された挙句狩場に誘導されるからな」
「不憫すぎる……」
「いっそ交換してくれ。もうなんか色々平和になるから」
「尋問を続けましょう」
「尋問て」
それで良いのか治安官。俺の平穏は遠のくばかりだぞ。
ちなみに姉弟の運命とも言うべきなのだろうか、姉ちゃんは基本的に毛むくじゃらの動物が苦手なのにそういった動物がすり寄ってきて、逆に俺としては積極的に触れ合いたいのに動物からは基本的に毛嫌いされる傾向にあったりする。
って、今はそんな世の中に争いがなくならない理由の凡例なんてのはどうでも良くて!
「それで、どうなったの」
「いやぁ、もうなんのスイッチ押したのかわからなくなったんだけどな……猫の百面相がこう、パラパラ漫画みたいに送られて来て……俺も何をトチ狂ったのか『草』って送ってた。もう終わりだよ俺」
「……相手はなんて?」
「『火』って」
「…………」
姉ちゃんが頭を抑え始めた。いいぞ、俺がこの三日間どんな苦しみと後悔を味わって最終的に宇宙を背負うに至ったか一欠けでも味わうと良い。
「……もう電話しなさい。それで済む話じゃない」
「いや、それがもうそれすら出てこないんだわ」
「えええぇ……?」
「それもこの三日間、ずぅっと」
当然電話なんて何度も試みた。
だがその前にまるでこちらの手を封じるかのごとく写真が送られ続けるもんだから、もう俺に電話するという手口は使えなくなった。
だって11号がこうする理由が皆目見当がつかないんだもの。チョロいやつは脆いのである。
「それでついに写真すら送られなくなった……もう何を切り出せばいいかわからぬ……! 改めて思うが年頃の女の子に『草』はないだろ俺っ! この焦り、この恐怖! 姉ちゃんにわかるかぁ!?」
「こっちも変なスイッチ押しちゃったわね……」
もう最終的にはブラウザで良く見られるロボット診断の画像検証みたいにトーク画面が様変わりしていたんだからこちらとしては堪ったもんじゃない。
「いいか姉ちゃん! こちとらコール・ミー・メイビーなんて女々しいこと言ってる場合じゃないんだ……! 端末と現実のヘビロテヘドバンヘッドバッドの三重苦でとっくにこっちの頭はおかしくなってるんだ……! わかるか!?」
「声が大きい」
「血が通ってないのか!?」
文字通り血反吐を吐く思いで吐露したコレがもはや返答にすらなってないってどういうことだ!
「でも荒んでるのはわかったわ」
「こんだけ醜態晒してるしな」
「なら、やることは一つよ」
「ごめん否定はして?」
だがそれはそれとして、姉ちゃんの言う『ソレ』を前に佇まいを正す。
何ってこの人本当に凄いのだ。
学生時代にはいくつもの賞を誰よりも多く、広い分野で獲得していたにも関わらず、治安官として働いてからの方が獲得する賞の方が多いくらいなのだから。
そんな偉大な姉からもたらされる策とは――。
「――――というわけで連れてきました」
「いやなんで居酒屋!!?」
「一杯飲んでから言うのやめなさい」
からん、とグラスをテーブルに打ち付ける。飲まなきゃやってられるかこんなの!
場所は変わって気になりつつも行けなかったルミナスクエアの火鍋料理店。
四人がけのテーブルには三人。そして俺たち姉弟が向き合うのは一人の女性だった。
「ふぅーん……朱鳶ちゃんに呼ばれたから何事かと思ったけど、随分と面白いことになってるのね」
ボブに切り揃えられたクラゲカットとも言うべきなのか、独特ながらも様になっているその髪の隙間からはシリオンの象徴である動物的な耳が顔を覗かせている。形状からして鼠、だろうか。
服装も仕事着なのか私服なのかは不明だが、軍用と思わしきジャケットをベースにやたらパンクな着こなしをしている。
底を見せない蠱惑的な笑みを浮かべながら俺たちをテーブル越しに眺めているのだから、何というかやり辛い。
せめて蛇に睨まれた蛙にはなるまいと佇まいを正すも、それすら見抜いてるのか笑みを深めるばかり。
俺としては徹頭徹尾『生真面目』の一言を煮しめたような人物である姉がどうやって知り合ったのか気になるところだ。
「……姉ちゃん、この妙にそのー……アレな雰囲気を放つ女性はどなた?」
「彼女は私の同僚なの。名前はジェーン・ドゥ」
「偽名の代名詞みたいな名前だな……」
「色々あるのよ」
匿名っつったらコレみたいな伏字そのものな名前を出されて困惑を隠せない俺を前に、そのジェーンさんとやらは随分と楽し気だ。
既にこの時点で嫌な予感しかしないが、姉ちゃんの同僚ということならきっと善良な人間には違いないのだろう。
ただ、それにも関わらずなんとなく『こちら側』の人間としての気配が強いのは一体どういう訳なのだろうか。
「それにしても弟くんなら大丈夫なのね、朱鳶ちゃん。いつもだったらその間合いに入られたら投げちゃってるじゃない?」
「クロは己の意志で投げると決めているので」
「流石姉弟ね」
「ジェーンさん、それだと俺が定期的に投げられるのが確定している世界線に突入します」
「後で投げます」
「なんでぇ?」
ここから入れる保険は
しかしそんな様子がジェーンさんにはツボったのか、これまた一層楽しげにアルコールを口に含んでる。俺は相談をしに来た筈なのだが、このままだと普通の飲み会に成りかねない雰囲気だ。
「それで? ノックノックで聞いた限りじゃ女の子へのメールの返信に四苦八苦してるって話みたいだけど……好きなの? その子のこと」
「……………………気になっては、いる」
「なるほどねぇ」
……おい、何が成程なんだ。
なんなんだその『あーはいはい、わかってますわかってます』みたいな態度は。
「そうね、とりあえずそんな初々しくて、センチメンタルな玄飛ちゃんの携帯を貸してくれない?」
「含みがあるなぁ……」
「あ、ちなみにパスワードにロックをかけるような真似はしちゃいけないから」
「ぐぅ……」
「観念して渡しなさいクロ。この調子だとあなた私の部屋でずっと悶々としてるだけでしょう」
「……悶々と?」
「二度とその言い方するなよ姉ちゃん、このままだと通報まっしぐらだ……じゃあ、どうぞよろしく。だからその手錠しまって。事案じゃないから」
もうどうとでもなれ、と半ばやけくそでジェーンさんにメッセージアプリを開いたまま端末を差し出す。あと姉ちゃんも俺への心配が逸って何を言い出すかわからんという恐怖もない交ぜに。
何度も言うがノックノックなんてのは会話の延長線上。物理的かそうじゃないかの違いでしかないのだ。そう思えば、まぁこうして考え過ぎてる現状もバカバカしいったらありゃしない。
要は会話の切り口さえ掴めればそれで良い。
…………少なくとも次の言葉を聞くまでは、確かにそう思っていた。
「……へぇ、この子が」
「……ジェーンさん?」
何やら先ほどとはまた違った含みがある言い方が気になったので恐る恐る知り合ったばかりのその名を呼んでみる。
はっきりと言語化は出来ない。
だがジェーンさんの目が、何やら探るような色合いに変化したのは見間違いとは思えなかった。
「……玄飛くんはこの子とどう知り合ったワケ?」
「……しいて言うなら……マッチング?」
「なにやら不純異性交遊の気配が」
「してないしてない。頼むから黙っててくれ姉ちゃん」
すかさず端末を取り出さんとする姉ちゃんの手を全力で制する。通報したところで治安官がこんな事案でどう出動してくるっていうだ。
だが俺達のそんな様子を見てなのか、ジェーンさんの少し毛色の変わった声音はしかし、その妙な雰囲気と共に鳴りを潜めてしまう。
なんだったのだろうか、本当に。
「ってそれより連絡だよジェーンさん。一体どんな策を弄してここから挽回を?」
「そうねぇ――まぁ、こういう場合はそれっぽい雰囲気を出して反応見るのが一番よね」
「はい?」
「それにキミを見てる限り経験が浅いと見たわ。そういうところはお姉ちゃんとおんなじなのね」
「はい??」
ジェーンさんが何やら不穏なことを口にし始めた。それこそさっきのどこか張り詰めたような雰囲気など微塵も感じさせず、むしろこちらの反応を今か今かと待ちわびてすらいるような、そんな火のついた花火を見るかのような視線を送ってる。
そして何よりも目を引くのは、手元で無数のクリック音を発している俺の端末だった。
「文面は調整するとして、内容としてはこうね――『久々に会いたいからデートしよう』」
「はい!!?」
「『話したいこともあるし』――よし、送信っと」
「待て待て待て!! 文面はともかくせめて内容はエアホッケー対決とか飲み比べで決めよう!? というかコレは流石にライン越えじゃないのか
「ジェーン、流石にそれは……」
「弟くんが真人間になるまたとないチャンスかもしれないわよ朱鳶ちゃん」
「後で激辛カップ麺奢ってあげるから観念しなさいクロ」
「俺の尊厳はカップ麺レベルか!?」
かくして。
店員さんに一同が怒られるまで居酒屋の一角における追いかけっこは続いた。
◇
『――――オボルス、集合せよ』
そこはとある軍のキャンプでの出来事だった。
女性らしいどこか柔らかい声音ありながら厳粛に、通信機器越しに発したような機械音声でありながら言葉より滲み出る人間としての『熱』の籠ったソレは、天幕の中にいる面子の全員に対し反応を促すには十分すぎる力を持っていた。
「隊長ー、今日は滅多にない非番なんだけどー?」
一人はセグウェイで舞うように招集に応じた妖精の如き少女。
湖面より出でる水精を思わせる清廉な水色の髪をたなびかせ、水面を表したようなシースルー素材のボディースーツを来た彼女は、口では不満を漏らしながらもこの状況そのものを見通し、楽しんでいるかのような底の見えなさを伺わせた。
与えられたコードネームは『シード』。
種を育む水の精霊のように、彼女は隊長へと嘯いた。
「……だいたい予想は着きますが……隊長が抱いてる懸念もなんとなく」
狙撃銃をその身で体現したような妙齢の女性だった。
腰まで届く金髪を腰で纏め上げ、すらりと伸びる女性ながら長身のソレは軍服越しでもその流麗さを損なわず、鍛え上げられていることを伺わせる。
だがそれでも目を惹くのはその顔を半分を覆うバイザーだろう。
銃身としての印象を刻みつけるその装備は、本人の感情を代弁するかのようにバイザーに取り付けられたランプを黄色に明滅させている。
与えられたコードネームは『トリガー』。
だが、この声を聞いたとある兵士はこう呼ぶことだろう――『カロン』、と。
「朝からずっとこんな調子なんですよトリガーさぁん……」
そして最後の一人。
人の身でありながら尻尾を携えた、このとりわけ特徴的な面子の中でなお異彩を放つ存在。
焔のゆらめきのような赤い髪を左右に結び上げ、鋭い巻角の間から伸びる尖った耳は、ともすれば翼を生やした竜を彷彿させる。
しかし軍人らしからぬ柔で弱々しくトリガーに縋る少女を萎縮させているのは何を隠そう、その尻尾であった。
『そのせっかくの非番に雁首揃えて招集に応じてるお前らも大概だがな……って、そんなことは今はどうでもいい』
具体的には少女の尾先にいる、竜の顎を模した銃身に宿るもう一人、あるいは一機。
彼女こそこの召集の発端であり、この部隊を統括する隊長である。
名をオルペウス。
もう一人の名を『鬼火』。
まさしく人機一体。
だが己を兵士と定義する彼女たちは下手な兵士よりも人間らしく、ただただ自身を取り巻く事態を重く受け止めていた。
『今日集まって貰ったのは他でもない、11号のことだ』
「11号さんが、どうかなさったのですか? もしや、また異動でありますか!?」
『いいや、それもそうだが本題は――』
「……っ! 隊長、11号が来ます!」
『ちぃ……お前たち、余計なことは言うなよ』
そう鬼火が声を潜めた直後、天幕の入り口より銀の頭が顔を覗かせる。
それはオボルス小隊が一人、11号。
「……少しばかり雰囲気が違う。出動ですか、隊長」
『……いや、今日は非番だ。シードとオルペウスにトリガーを交えて話すことがあってな』
「そうですか。では何かお困りであればいつでも召集を。たとえ火の中海の中でも駆けつけます」
『ああ……あぁ、それと』
敬礼を一つ行い、その場を後にする11号の背を鬼火が受け止める。
周囲はそれを固唾を飲んで見守る……シードがそんな空気も関係なしと言わんばかりに11号に挨拶をしようと声を上げる直前にトリガーに口元を塞がれていることに目を瞑れば、その表現に間違いはなかった。人はそれを絵面がうるさいと言う。
『また訓練の記録を更新したみたいだな……3日ぶりの休日だ、しっかり休息を取れよ』
「……えぇ、そうさせていただく予定です」
その言葉を最後に11号は天幕の中に設置された机に向かい、背負った装備を外して端末を取り出した。
あの、兵士の模範とすら言われる11号が。
あの、休日すら軍のためだとシミュレーションにつきっきりの彼女が。
あの、己の全てを燃やして軍に仕えて余裕があればトレーニングを始める筈の軍人が――何もせずに、席に着いたのだ。
『お前たち……アレを、どう見る』
「……やっぱり、そういうことですよね」
「どういうことー? 教えてオルペちゃーん」
「わ、私に聞かれても何が何やら……隊長が不機嫌な理由すら計りかねているのに」
反応は様々だが、鬼火は失ってる筈の呼吸という行為がこの胸中にある重い空気を吐き出したくなる衝動に駆られる。
ある意味期待通りで、あるいは予想通り。
トリガーのみが何やら理解してそうな反応を返してるだけ上々だと、鬼火は半ば強引に己を納得させた。
『こちらの招集に対して反応は示すがそれきり。あのクソ真面目で融通も利かない11号がだ』
「それ隊長が言う~?」
「し、しーっでありますよシード……!」
シードのあまりにも迂闊な発言にオルペウスは顔面蒼白になりながら口を塞ぎにかかる。
ただでさえ日がなピリピリしてる鬼火へ常にオイルが注がれているような現状なのだ。こっちに飛火したらたまらない、と本人に聞かれたらバチクソキレられるようなことを考えてのことだった。
だが11号の様子が違うという見解は皆んな一致しているのも事実。
無論、緊急出動の際などはこのような痴態は晒さない。軍内でも兵士の模範と称されるその姿勢は伊達ではない。
だからこそ、この現状は尋常ではないと感じた。
『それもあの任務以来だ。別件でかかり切りだったが故にその変化を見過ごした。それに――援軍は元退役軍人だったという噂もある』
あ、マズイなこれと考えたのは約二名。特に最後の一文に込められた熱は、さながら爆炎すら白むグラウンドゼロ。シードは花をどこから摘んできたのか花を食べている。
「え、えーっと……11号さんにだって友達の一人や二人――」
『いーーや絶っっ対に男だ!!!! 私にはわかる!!!!』
「さ、最大出力ぅぅぅぅ!?」
文字通り天を衝く火炎放射。その惨状を前に軍人らしからぬ泣き顔を披露するオルペウスをいったい誰が責めることが出来ようか。
少なくとも有機物を一瞬で炭へと変える火柱を前に「わー」なんて花火でも観覧してるかの如く能天気なシードに対して文句の一つくらいは許されるだろう。
天幕を燃やし貫くソレに「また備品発注か……」とトリガーが遠い目をしていることにも気づかず、鬼火は怒りのまま炎を吐き続ける。
「…………」
そして戦友たちが人目も憚らずこれだけバカ騒ぎをしているにも関わらず、またしても何も知らずに端末を眺めている11号。
その表情がどこか憂い気なものだから、なおのこと鬼火の激情を煽ぎ立てていた。
「き、聞こえますよ、隊長……! これって11号に聞かれるのは隊長としてもマズイのでは……」
『聞こえてるように見えるかアレがぁ!? どこの馬の骨か知らんがウチの貴重な戦力をああも骨抜きにするとは……! 草の根わけ出してでも見つけ出して灰にしてやる!』
「さ、流石に燃やすのはどうかと思うのでありますが……」
「荒ぶってるねぇ~隊長」
「シード……隊長も必死なんです。あまり揶揄ったら駄目ですよ」
「これが見たくてここに居たまである。いつ爆発するのかなぁって。相変わらず綺麗だったねー、鬼火ーム」
『聞こえてるぞ貴様ら!!!!』
ぜーぜーと肩で息をする鬼火。呼吸すら必要ない体になったというのにそんな仕草が出てしまうあたり彼女の苦労も伺い知れるというもの。
そして鬼火自身は知る由もない。
この濃い面子同士にして同志たち全員の面倒を見る彼女の様を総括して『ママ』と防衛軍の中で影ながら呼び慕われていることを。
『というわけだトリガー、何やら度々11号から相談を受けていたな。それらを一切合切、報告できる範囲で報告してみろ』
「……11号のプライバシーに関わるので、ほんの触りだけですが」
そして荒れに荒れ果てた隊長の姿を流石に気の毒に思ったトリガーは先日11号より受けていた相談内容――それを大分ぼかして伝えることを心に決める。
なお、とある男の尊厳やら人権やらはこの際考慮しないものとした。内心でそんな己を恥じつつ……まぁいっかの精神でトリガーは詳らかに現状を口にした。
「意中の男性……というには少し意味が違う気がします。そう言うには、彼女にはまだ色々自覚が足りていないように見えるので」
『ほう』
「一方で件の彼ですが……そもそもまだ出会って日数が経過してないというのもありますし、確証は持てませんが……少なくとも彼が11号に不埒な真似をすることはないというのが現状です」
『良い情報だ。続けろ』
なんだろうこれ、とトリガーは思い始めたがそこは狙撃手の精神でどうにか抑えつけた。鬼火のコレに一日中付き合わされたオルペウスを憐れんでのものではない。断じて。何なら何聞かされてるんだろうってなるのは間違いなく彼女なのには違いなかった。
「そもそも、鬼火隊長の懸念は11号が意識している男性も少なからず彼女を意識しているという点、でしょう?」
『なるほど……見えてきたな』
「まだ何も見えてこないのでありますが……」
『ホシを消滅させるのに何の遺恨もないということがな』
「仕留める気でありますか」
「ぷちっと行くなら任せてー」
『血の気が多いなシード。だが今は許そう。それでトリガー、他には情報はないのか』
「そう、ですね」
マズイ、と思い始めるのはトリガーだ。
名誉棄損ならともかくとして流石に命までは奪われないだろうと思っていたことが裏目に出てしまったようだった。
本人がいれば猛烈に抗議をしていただろうが生憎と本人はいない。
せめて被害を最小限に、トリガーは自身が調べた限りでの彼の身の回りの情報を話し始めた。
曰く、かつて無職であったと。
曰く、治安官である姉の脛をかじっていたヒモであったと。
曰く、平日の真昼間からゲーセンに入り浸る目撃情報があったと。
曰く、馬鹿舌であると。
曰く、曰く、曰く――。
言葉を重ねることしばらく。
鬼火は無言だった。
なんかもう、怖いとかそういう次元を通り越すレベルでなんも言わなかった。
あまりもの圧力にオルペウスは両目を涙で濡らしている。
その正反対の有様にシードは声を押し殺しながら笑っている。
もうどう足掻いても雲行きが怪しい方向にしか行かないと半ば諦めていたトリガーは、全ての責任を彼に投げつけることを心に決めた。
今頃メールについて四苦八苦してるであろう彼に対して。
『――典っ型っ的な社会不適合者じゃないか!! 社会の歯車から離脱まっしぐらじゃないか!!! そんな奴にウチの11号をやって堪るかぁ!!!!』
「お、鬼火隊長!! もういい加減落ち着くのであります!!!! テントが持ちません!!!!」
「いやぁー、案外密かに会っていくうちに駆け落ちエンドなんてオチかもよー?」
「なんで煽るのでありますかシード!」
本人そっちのけでぎゃいのぎゃいのと騒ぎ立てるオボルス小隊一同。
それを遠巻きから見守るトリガーは呆れれば良いのか、この平和な騒がしさを噛み締めれば良いのかわからずに微妙な顔をしていた。
「トリガー」
「……11号?」
「これを、見て欲しい」
そしてその喧噪の間を縫うように、いつの間にやら11号がこの騒ぎに極まった混沌としたタイムテーブルに顔を出していた。
大丈夫ですから、とトリガーが制する前に差し出された端末。
バイザーの『下側』の関係上、トリガーは画面に浮かぶ文字を認識することが出来ない。
問題はそれらの事情を熟知している筈の11号がそれすら忘れて端末の画面を突き出してること。
そしてある意味でトラブルの渦中にいる11号のそんな行動に、この広くない天幕で衆目を集めない筈もない。
だからがっつりと目に焼き付けていた。
端末画面に表示された――『久々に会いたいからデートしよう』という一文を。
「どうすれば、良いのかしら」
『…………』
「…………」
「…………」
「…………」
鬼火、トリガー、オルペウス、シード、視線のフリーパスは一巡し、案の定不時着する。
どうすれば良いかなんてわかる筈もない。
この場に居るのはそういう当たり前を体験する前に戦場へ身を投じ続けて来た推定平均年齢11歳の部隊。
とてもじゃないが、乙女の作法など教授できるわけなかったのだ。
第一章の余韻的なアレになるのかな?
もう一話くらいやったら「シルバーの復活」編をやる予定。
プロットを整理するための箸休め回的なものだと思ってもろて。
次回、尾行王×ストーキング