最後の学年別対抗リレーが終わり、体育祭は赤組の優勝で幕を閉じた。
俺はといえば熱気冷めやらぬ会場を後にして、玲の呼び出し通り冬佳と共に校舎裏へと赴いていた。
玲は既に待っていた。俺と同じく体操着姿で、壁に凭れ掛かるように立っている。右足首にはシップが痛々しく張られていた。
「足、大丈夫だったか」
「なんてことなかったから気にしないで。そんなことよりアンタと潤戸さんを呼び出したのは他でもない、アンタたちの関係性よ」
右足のことを話題に出すと鼻を鳴らして視線を空へと反らした。
それに冬佳がポツリと言う。
「私たちの関係かあ」
「そうですよ。潤戸さん、何で最近兄と一緒にいるんですか?」
「玲ちゃんはどうしてだと思う?」
「……。」
どこか玲を煽るような言い方をするな冬佳は。
そんな言い方をされれば玲は眉を潜めて不満そうに皴を作る。ああもう、空気が重いっての。
ここは一応俺の方からも弁明はしておかねばなるまい。
「玲、だから言ってるだろ。俺と冬佳はアルバイトで仲良くなって───」
「アンタは黙って」
睨まれた。
じゃあ何で俺を呼んだんだよ、と内心でぼやいてみるが玲の傍若無人っぷりは今日に始まった話じゃないので気にしないこととする。
玲から睨まれるのは俺の日常だが、今日は隣に冬佳がいるのであまり格好悪いところは見せたくないな。
俺は玲の言葉を無視して、間を取り持つようにやんわりと言葉を続けることにした。
「まあ何だ、友達だよ俺と冬佳は。な、冬佳?」
「違うけどねー」
「おい。何故合わせない」
笑みを浮かべながら冬佳は俺との友情を否定。
いや、友達ってのが建前だとはいえ即答は酷くないか?
「だって私は玲ちゃんに嘘つく理由ないし、もうこれ以上は隠してても無駄だと思うんだよね。こうして部分的にはバレちゃってる……というかお兄ちゃんのことを探って辿り着いた疑いって感じだし?」
「ふぅん、じゃあやっぱり友達違うんだ……あの、何ですかお兄ちゃんって? 潤戸さんのお兄さんは別にいますよね?」
「私、玲ちゃんのことあんまり好きじゃないんだよね」
「………………は?」
唐突な話題転換だった。
思わず横で聞いていた俺まで呆気にとられる。それは真っ向から話し合っていた玲も同じようだった。
何処か剣呑とした色を瞳に宿しながらも、ニコニコと笑みを保って冬佳はそう言い放つ。
「玲ちゃんってお兄ちゃんに甘えすぎだと思うんだ。甘えること自体は否定してないけどさ、同じお兄ちゃんを持つ妹としては。でもあまりにも甘えすぎじゃないかな。聞いたよ、よく暴言を飛ばしてるらしいじゃん。妹だからって何でもしていいと思ってラインを超える人、私嫌いなんだ」
「……関係無いでしょ、潤戸さんには」
「関係あるよ。滅茶苦茶関係ある」
玲から敬語が外れた。面と面を向って嫌いとか言われればそりゃそうなる。
玲の機嫌が悪化して、冬佳の笑みが深まるにつれて場の空気が冷えていく。きっと物理的には気のせいだろう。しかし肌で感じる温度は六月にして氷点下を下回っていた。
これから冬佳が何を言うつもりか、流石に俺だって分かる。
問題はどちらの味方になるのか。
いや、冷静に考えれば冬佳の方につくべきなんだけどな?
さっきの怪我をして角が取れた弱弱しい玲が脳裏に浮かぶ。そんなものは状況が生んだ刹那の幻でしかないのに、玲を考えると不思議なことに一概に冬佳を選ぶべきとも思えなくなってくる。
冬佳は試すように目を細めて玲を見ると口を開く。
「玲ちゃんは私とお兄ちゃんが付き合ってると思ってるでしょ?」
「そうだけど……それよりもお兄ちゃんって呼び方をやめてくんない。貴方の兄は別人でしょ」
「へえーで、それがなに?」
「は?」
「確かにそうだけど玲ちゃんさ、お兄ちゃん要らないでしょ? 私貰うね」
玲は憎々しい目で冬佳を睨み、何故か悔しそうに唇を噛んでいる。俺は少し驚いた。ここまで憎悪感を露にするところは流石に見たことが無い。
「玲ちゃんには不用品かもしれないけど私には必要なんだ」
「何を言って───!」
「あ、違うか。良く考えたら許可を求める必要性は無いか」
激情を露にする玲を無視して、冬佳は玲のことを揶揄するように呟き、ひとり納得したみたいに頷いた。
「良い機会だから宣言してあげる。お兄ちゃんは私のものになったから」
「は、はあ!? なにいってんのか意味分からないんだけど!」
「光太は私のお兄ちゃんって意味ってだけど分からない?」
あくまで余裕綽々と、見下すように堂々と宣言する冬佳に、玲は理解出来ないと言いたげに青筋を立てては冬佳を睨み付ける。
予想通りというか、カミングアウトしてしまったか。
しかし、それに対する玲の反応が良く分からないな。
こんなにも怒る理由が玲にあっただろうか。
「さっきから聞いていればそのお兄ちゃんってなに!? 潤戸さん大学生なのに年下のこいつをお兄ちゃん呼びって羞恥心とかないわけ!?」
「ふーん。玲ちゃんはお兄ちゃんをこいつ呼びかあ、随分と嫌ってるんだね。じゃあ私が貰っちゃっても良くない?」
「話を逸さないで!」
「別に反らしてないよ? 私は別に恥ずかしくないし、こんな場所で喚いている玲ちゃんの方が恥ずかしいと私は思うな。で、要らないなら頂戴?」
「……っ!?」
言葉が途切れる。その表情は怒りから真っ赤だった。
玲は冬佳の言葉に返答しないままグラウンドへと大股で歩いて行ってしまう。
自分から呼んでおいてブチギレ離脱かよ。最近はここまで感情を表に出すところをあまり見てなかったけど、感情的に行動を起こすとこだけは変わらねえのな。
呆れて何も言えずにいれば冬佳が俺へと話しかける。
「お兄ちゃん。そろそろ行こう? もう夕暮れだしさ」
「お、おう」
「そこは迷子にならないように手でも繋ぐか、だよね?」
そう言って俺へ手を伸ばす冬佳の様子は全く普段と変わらなかった。年上の余裕か、或いは元来の気質か。
……あまり考えてこなかったが、現実に冬佳にも兄貴がいるわけで。
流石に玲みたいなじゃじゃ馬毒舌大魔王じゃないにせよ、冬佳は冬佳でその兄貴が理想的ではないと断じている。
「……冬佳はホントの兄貴をどう思ってるんだ」
つい頭の中で考えていたことが零れてしまった。
冬佳は気分を害するでもなく淡々と言う。
「今は、興味ないかな。あっちも同じだと思う」
普段は懐っこい顔で俺に笑いかける冬佳の相貌が、一瞬だけ氷塊に閉じ込められたかのように感情が抜けて見えた。
乾いた瞳だった。
そこに内心を読み取らせないよう抑揚を消したみたいな声音も合わさって───まるでそれが表情を殺しているように見えて、俺はどこか寂し気に感じた。
★───★
片付けを含めて体育祭の全てが終わると俺は一人で教室を後にした。
帰る寸前に小宮から「顔色良くないけど何かあった?」と心配されてしまったが、まったく俺としては自覚は無かった。問題無いと伝えたら小宮はエナメルバッグを持って部活着に着替えるために教室を出て行った。体育祭終わりだというのに自主練をするらしい。目標はインハイ出場と聞いてはいたがかなり本気みたいだ。
なんて、関係のないことを考えて思考を打ち消そうとして頭の中の鬱々とした考えを消し去ろうとしたが全然ダメだった。
さっきから玲と冬佳の顔が立ち代わりで浮かび上がる。
玲があんなにも憤慨している理由は全然分からないし、冬佳の実の兄貴の件もそうだ。興味ないってどういう意味なんだ?
駄目だ、こんがらがってきた。並列して二つのことを考えようとしているからか、思考が全然定まらない。
家に着くと俺は自室にブレザーとバックを投げ捨て、洗面所で顔を洗った。
多少はすっきりするかと思ったが全然だ。
タオルで水滴を拭き取って、今度はコーヒーでも飲んで心を落ち着けようかと考えてリビングへと向かう。
リビングには玲がいた。ダイニングテーブルの椅子に座ってスマホを弄っている。
先に帰ってるのは玄関に靴があるから知ってたけどまだ制服着てるし。
……何だか気まずい。あんなことがあった後だからだろう。
俺が無言でお湯を沸かしていると、コトリとスマホを置く音がテーブルから聞こえた。
「ねえ。話、あるんだけど」
だよなあ。
なんとなく言われると思った。普段はあまり姿を現さない玲が待ち構えるようにリビングに鎮座していたのがその証拠だ。
未だ心中では混乱が渦巻くが、兄貴としてそれを悟られるわけにはいかない。
普段と変わらない調子を意識して声色を取り繕う。
「どうした?」
「こっち来て座って。話はそれから」
「お前な……いまコーヒー作ってるからちょっと待って」
「じゃあ私の分も作って持ってきて。ミルクつけて。砂糖忘れたら殺す」
コイツ…………。作ってもらう立場の癖に何でそう唯我独尊なんだよ。
微妙にイラッとしたが俺はお湯をインスタントコーヒーの粉が入ったカップに注ぎ、玲の分はお望み通り子供仕様にしてテーブルへと持って行った。