ブラシスコントラクト   作:金木桂

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#15 プール

 

 日曜日、俺と冬佳は予定を合わせて第一公園の市民プールへとやってきた。

 ここのプールは市営なのだが、十年前に新しくしたばかりとあって人口10万人にも満たない市町村とは思えないくらいに綺麗な設備である。だからこそ子供連れの家族だけでなく、カップルの姿も見かけたりもする。

 

 冬佳も久木のローカルな施設は初めてのようで、清潔感のあるプールの外観を感心したように眺めた。

 

「へー、市営って聞いてたからオンボロなのを想像してたけど綺麗だねー」

「これで利用料200円なんだぜ、凄いだろ」

「久木凄いねお兄ちゃん! さぞ儲かってんだろうなぁ……私たちの税金で」

「おいこら冬佳、そういう話はしない」

 

 お互いアルバイトなんだから住民税引かれてないだろうが。あと久木市全然儲かってねえから、この前の市議会議員選挙でも赤字政策がどうとか言ってたし。横浜みたいな金満市町村じゃないっての。

 

 発券機で大人2枚を買うと、市内在住であることを証明するために窓口で高校の学生証を見せて中に入る。因みに市外の住民は500円である。

 冬佳は保険証を見せていた。大学の学生証じゃなくて保険証を取り出す辺り徹底してる。俺より年上に見られたくないんだろうなぁ……まあ身長差的に難しい気もするが。

 しかし大事なのは他人からの目じゃない。俺達自身の在り方、捉え方だ。冬佳もそんな気にしなくともいいのにな。

 

 敢えて指摘する程のことでもないなと考え、冬佳とは更衣室前で分かれた。

 更衣室内はそこまで広くなく、正方形のロッカーが4列に並んでいる。その中の一つを俺は開けて持ってきた水着を取り出した。中学時代に買った海パンである。

 

 服を脱いで水着に足を通してみる。

 お、まだ着れる。

 高校に入ってから体育で水泳の授業が無くなって新調しなくなったから仕方なく取り出した中学時代の水着、サイズが合うか心配だったんだよな。

 しかし履けたことを喜ぶべきか、中学から体格が変わってないことを嘆くべきか。

 ……今はプールに入れず引き返す可能性が消えたことを素直に喜ぶとしよう。

 

 ロッカーを閉めて、鍵付きゴムバンドを手首に通す。少しこの感覚も懐かしい。思えばプライベートで最後にプールに行ったのなんて何年ぶりだろう。もしかすると玲とまだ仲が良かった小学生の頃だったかもしれない。夏休みになるとこの市営プールに来ては一緒にバシャバシャ遊んで、ひとしきり疲れるとプールの前の売店でアイスキャンディーを一緒に食べたりもした。古き良き昭和の風情溢れる売店だったのだが、4年前に無くなってしまったのが少し残念だ。

 

 プールサイドに行けばまだ冬佳は来ていないようだった。女子の着替えは男と違って時間がかかるからな。

 

 6月下旬と言えど日曜日の市営プールは久木市民で賑わっていた。主だった客層は家族連れだったが、友達同士と見られる学生の集団もいて、一方カップルっぽい二人組は然程多くない。日曜の混雑だとか地元友人とばったり出会ってムードを壊されることとか、色々警戒すべきことがあるんだろう。知らんけど。

 

 ぼーっとプールを見ていると昔の記憶が蘇ってくる。玲はいつも決まってワンピース形状の水着を着ていて、こうしてプールを眺めながら待っている俺を見つけるとショルダータックルしてきたもんだった。そのままバランスを崩してプールに落ちたことも何度あったことか。今思えばおてんば娘過ぎるな俺の妹。唯我独尊になる片鱗が当時からあった訳だ。

 

 流石に高校生にもなってタックルで落とされた洒落にならないな。監視員の人にマークされてしまう。

 無意識にガード態勢を整えつつ待っていれば、女子更衣室から冬佳の姿が現れた。

 

「おにーちゃん、お待たせ。どうかな、似合ってるかな?」

 

 大きく手を降って笑顔撒き散らかす冬佳に俺は立ち眩みがした。

 ……ここに来る前から分かっていたことだが。

 何を着たとしても似合ってるとか似合ってないとか、そういう次元にないんだよな冬佳って。まるで着た服を全て正解にしてしまうような、どんな服も可憐に着こなす魅力を冬佳は持ち合わせている。

 

 その上で論評をすれば───もはや天使か何かだ。ラムネ色をしたセパレートタイプの水着に、そこから伸びる穢れのない真っ白で玉のような肌は初夏の透き通った湖畔の底から現れた妖精みたいで、天真爛漫と歯を見せて笑う様子は俺から現実感を奪う。

 その風貌は妹というより、俗に言ってギャルゲーに出てくる美少女ヒロインみたいな感じで───。

 

「ぬんっ!!」

「お兄ちゃん!?」

 

 不埒な考えを消し飛ばすために自分で自分の頬を殴る。

 加減せず殴ったから痛ぇ……だけど冷静になった。

 冬佳は妹。血はほぼ繋がってないし義理でも無いが妹だ。天使だの妖精だのギャルゲーヒロインだの考えた俺は今死んだ。

 

 冬佳は突然の俺の奇行に目をパチパチとさせては心配そうに近づいてくる。

 

「だ、大丈夫そ……?」

「ああ。頬がちょっとジンジンするだけだ」

「違うよお兄ちゃん、頬じゃなくて頭の方」

 

 心配そうというのは猛暑が見せた幻のようだった。再確認すると冬佳は手の掛かる弟でも見るかの如く呆れた目でジトリと俺を見ている。まだ冬佳の水着の衝撃が頭に残ってるのか理想の妹と冬佳を勝手に重ねてしまっていたようだ……脳内妹ならここで純度100%の心配をしてくれるんだけどな。幾ら理想を体現しようとしてくれる冬佳と言えど、庇えきれないほど俺の言動は目に余ったようだった。

 

「そっちも今は大丈夫」

「そう? ならいいけど……はぁ。お兄ちゃん今後はそういうの止めてよね。私のお兄ちゃんは公共の場で非常識な奇行に走らないんだから。妹として恥ずかしいったらありゃしない。妹ポイント減点ね」

「す、すまん……」

 

 ついでに溜息を吐かれながら割とガチ目に文句を言われた。

 これは反省だな……普段は妹として意識してても、異性としての魅力が強まるとどうしても親しい女性という枠組みで捉えてドギマギしそうになる。これを乗り越えるにはまだまだ俺の修行が足りなそうだ。

 

 プールに入る前にシャワーを浴びる。何の為にこんな事をするかと疑問に思ったこともあるが、どうも身体に付着した汚れをプールに持ち込まないようにするためらしい。

 

 完全にずぶ濡れになると俺と冬佳は早速流れるプールへ入るべく足先から浸して行く。

 ゆっくりと身体をプールの中に入れる。ひんやりとした水面から微かに塩素の香りがして、まるで小学生に戻った気分になる。

 

 俺が順々と手足をプールに下ろして水温に慣らそうとする間にも冬佳は先に全身をプールに入れ終えた。ニヤリと口元が歪む。なんか嫌な予感だ。

 

「えいっ」

 

 温度差に苦戦する俺に向けて冬佳は両手で掬った冷水をパシャリと投げかけた。

 冷たい……コノヤロー。

 まだ俺この水温に適応している最中なんだが!

 

「この、弱い者イジメの仕返しだ!」

「ちょ、足は止めてよ!」

「不意打ちには不意打ちだっての!」

 

 俺は唯一この冷たいプールに慣れた右足を上げて水面を叩くと水飛沫が上がる。水飛沫は冬佳に襲い掛かると顔面を優しく打った。

 

「汚いー! それが私に対する仕打ち!?」

「そっちが戦いの銅鑼を鳴らしたんだろうが!」

「ならこっちだって考えがあるんだから!」

 

 と言って今度は交互に腕を動かして俺へ水をぶっ掛ける。しかも丁度顔の高さに水飛沫が掛かるよう調整してきたらしく、思わず腕でガードする。目が開けん……!

 

「卑怯だぞ!! 俺はまだ戦闘地帯にすら降り立ってねえのに!」

「戦いの常套手段って知ってるかな? それはね、戦いの場に相手を下ろさない! つまり戦わずして勝つ! 今の私には諸葛孔明が憑依しているのだ!」

「なんじゃそりゃ! ああもう分かったぞ妹よ、そっちがその気なら俺は徹底的に戦う! 暴力暴力不服従だ!」

「それはマハトマ・ガンジーに対する冒涜だよお兄ちゃん!」

 

 目を瞑ったままバタ足で冬佳の方向へ水をバシャバシャし続ける。それは冬佳も同じで、一向に水掛け行為を止める気はないようだ。

 

 これは最早根競べだ。少なくとも俺はお前がその両手を止めるまではこの両足を止めない。そして冬佳も同じ気持ちのはず。つまりこれはチキンレース。どちらかが先に冷水に屈して自身の行動の無意味さを理解するか、勝負と行こうじゃないか俺の理想の妹よ!

 

「そこのカップル! 水際でバシャバシャはしゃがないでください!」

 

 プールサイドの高台に座るプールの監視員から叱責の声が飛んできて、俺と冬佳はピタリと動きを止めた。揃いも揃ってブリキみたく錆びついた動きで周囲を見渡す。監視員はともかく、子供からも指を差されて「ママー、すっごいはしゃいでるお兄ちゃんとお姉ちゃんいるー! 僕もやりたいー!」「こらこら見ないの、あれは周りが見えなくなったおバカなカップルがやることだから真似しちゃダメ」と言われ放題でめっちゃ恥ずかしい。てか俺と冬佳ってカップルに見えんのか、そっか……まあそりゃそうだよな。親族と言えど従姉、俺とは顔の造りが違うし髪色も金と黒だ。冬佳の金は染髪だが。

 

 正面で俺への水掛けを敢行していた冬佳は急速に白い頬を朱に染めて、水面へと俯いた。

 大々的に注意を受け、周囲から迷惑そうな視線を向けられれば、さしもの冬佳もしおらしくなるらしい。

 まあ……なんだ。

 これは完全に俺も悪いしな……。

 

「プール、入ろうぜ」

「……そだね」

 

 俯きながら蚊の無く様な声で冬佳は返事をした。

 

 気を取り直して二人でプカプカと流れることにする。

 俺と冬佳は横に並び、プールの水流に沿ってただただ流される。こうして頭を空っぽにして身体をただ水に身を任せるのも良いな。

 

「気持ちいいねお兄ちゃん、猛暑の中で冷水に浸かるのは」

「ああ。偶にはプールもいいもんだな」

「夏の間は毎週来たいかも。お兄ちゃん、来週も来よ?」

「冬佳、お前そろそろ大学の試験期間だとか言ってなかったか?」

「だいじょーぶだよお兄ちゃん。履修科目はシケタイと過去問、全部バッチリ入手してるからね」

「……大学生って楽なのか?」

 

 冬佳を見ていると、ついそんなことを考えてしまう。よく授業をサボって「今日暇だからゲーセン行こう」とか言い出すし。加えて試験対策の話を聞く限り大学生って相当楽そうに見える。半年分の授業の試験対策をそんな短期間で熟せるもんなのか?

 世の大学生への疑念を深めていると冬佳が俺の右腕を抓った。

 

「てかお兄ちゃん、大学って言葉出すの禁止。私は妹なんだよ」

「あー悪い」

「もうお兄ちゃんは仕方がないね」

 

 そう言う冬佳の口元は少し微笑んでいる。こういう、俺を窘める目をする時の冬佳は仄かに大人っぽい。幾ら妹だと思い込んでも冬佳は俺より2つ上の大学生という事実は覆らない。俺はそれを認識して受け入れてはいるものの、偶に表情に出るギャップには目を奪われてしまう。

 

「なにお兄ちゃん、じとじと見て」

「何でもねえ」

「まさか妹に見惚れたとか~? まあでも私ってばスタイル抜群だしお兄ちゃんと言えど劣情を催してもおかしくないよねって痛ぁ! 何すんの!」

「調子乗んな妹よ」

 

 俺は流されながら冬佳の額を狙ってデコピンを放つ。冬佳は目をぎゅっと閉じると両手で額を抑えた。

 

「これくらいの茶々で一々手を出すのは違うよ!」

「うるせえよ、揶揄う妹への制裁はこれくらい必要だろ」

「妹ポイント! 妹ポイント!」

 

 冬佳は連呼し始めた。多分妹ポイント減点だと言いたいのだろうが、聞こえなかったフリをする。

 

「全く……お兄ちゃんの妹への扱いがしんどい」

「自業自得だからなマジで。せめてTPOを弁えてくれ、ここプールだぞ」

「私の兄妹像にTPOなんて関係ないよ?」

「俺にはあんの。公序良俗とかそう言う観点が」

「えー」

 

 不満そうな声を上げると冬佳は息を吸ってぷくぷくと頬を大きくした。

 確かに俺は冬佳と契約を結んでいる。だから冬佳の理想の兄貴を目指す努力義務がある。でも公共の場で滅茶苦茶やってまで契約を貫く気は毛頭ないのだ。

 ……さっきバカ騒ぎしといて何ほざいてんだ、とか言われると返す言葉が無いのだが。

 

「───見つけた、バカ兄貴とクソ従姉」

 

 プールサイドから聞こえてきた声。

 聞きなれたその凛と高い、だが底冷えするような声に俺はギクリと背を震わせる。

 俺は振り向いた。振り向きたくないけど振り向いた。

 

「何やってんの。こんな場所で2人して」

「玲、なんでここに……?」

 

 向日葵柄のワンピース水着はスカート部分にふりふりが付いて幼さ抜群。

 しかしそれを着こなす俺の妹は、完全に俺達を見下すような目で、夏空の下、冷たい視線を向けてくるのだ。

 

 

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