翌日の土曜日。
普段であれば午前中からアニメやラノベを消費して夢想に耽るのだが、今日ばかりは予定があった。用件は勿論冬佳だ。
俺の新しい妹である冬佳。理想的な妹になってくれると言う話だが、実際のところかなり気が長い話になってくると思われる。冬佳に俺の理想を体現してもらうためには色々と教える必要があるからだ。逆説的に俺も冬佳の兄として理想的な存在になるかなり努力を積まなければならないが……今は考えないようにする。何を言われるかちょっと怖い。流石に変なことを言われる心配は無いと思うけども、人の性癖なんて他人から見たらどんな色をしているか分からんもんだからなぁ……。
「何、出掛けるの?」
朝食を食べ終えて2時間後の11時、リビングに行けばソファーでテレビを見ていた玲からそんな言葉を投げ掛けられた。因みに朝食は俺が作っているが食べるのは別々だ。俺が料理後すぐに食べて、リビングから出て行った後に玲が勝手に食べにくるシステムである。我ながら兄妹仲がどこまでも冷え切っている。これで明確に嫌われ始めたきっかけが無いと言うのだから驚きだ。
「まあな。野暮用でちょっと図書館」
「あっそ」
玲は視線をテレビから反らさぬまま興味無さげに相槌を打った。
自分から聞いておいてそれかよと思ったりもするがコイツはそういう生き物なのだ。気分屋我儘で毒舌家。このくらいでイライラしているようじゃ新四谷家では生きて行けない。
だがそのまま無視するのも腹の収まりが悪いので少しは言い返すこととする。
「お前ももう高一なんだから土曜から自堕落に過ごしてないで彼氏くらい作って青春楽しめよ」
「は? 余計なお世話なんだけど? 気持ち悪いから止めて、蕁麻疹が出そう」
何も言い返さず俺はリビングを出た。
その上で強く強く決意する。
俺の妹は今日から冬佳だ。玲じゃない。玲は血の繋がった他人だ。
そう念じながら俺は怒り撲滅運動に勤しむのであった。
目的地はファミレスだった。
神奈川県久木市には珍しいことに駅周辺にファミレスが存在しない。理由は遊泳可能な久木海岸の存在だ。夏になれば久木海岸は多くの海水浴客で賑わい、オフシーズンでも海岸に沿って整備された国道をドライブする運転客が多い。それらを回収するべくファミレスなどの大部分は海岸の沿線上に集まり、逆に駅前にはちょっとした飲食店や古くからの個人店が多めとなっている。
従って海へと歩くこと15分。
基本的には海岸など行く気力も起きない俺なので、たまには砂浜を踏みしめながら潮風でも感じようかなどと考えたりもしたが最終的には靴の中に砂が入り込んで嫌な思いをしたくないという理由で砂浜への立ち入りを止め、待ち合わせ場所としていた和風メインのチェーン店へと足を運ぶ。
店員に待ち合わせの旨を伝えて店内から覗けば四人席に冬佳がぽつんと座っていた。同時に冬佳も俺を発見したみたいで、冬佳は「こっちこっち!」と俺へ軽く手を振った。
「少し待ったか?」
「ううん、私も今来たところ……ってお兄ちゃんそれ恋人同士の会話じゃん!」
「俺何も言ってない」
俺は冬佳の対面に座る。早速冬佳は妹モードになっているようだ。
気にせず注文用のタッチパネル端末を目で探そうとするが、その前に冬佳が極めて不思議そうに声を上げる。
「というかお兄ちゃん、何でそこに座ったの?」
「え?」
「ここだよねお兄ちゃんの場所は」
そう言って冬佳はぽんぽんと自分の隣を叩いた。
……なるほど、そういう感じですか。はいはい。
「分かったよ」
「しっかりしてよねお兄ちゃん。お兄ちゃんには私の理想になってもらわなきゃ困るんだから」
冬佳のお小言を聞き流しながら俺は冬佳の隣に座り直す。すると冬佳は腰を上げて俺の上に座り直した。
「あの……冬佳?」
「えへへ……ここが私の定位置ってことで」
「それはダメだ。公の場では礼儀正しく、他の客に迷惑だろ?」
「……それもそっか。ごめんねお兄ちゃん」
謝罪を聞きながら冬佳を横に退かす。
しかし冬佳のお兄ちゃんという言葉、全然聞き慣れないな。年上かつ俺より高身長な冬佳からお兄ちゃんと言われると何だか非常にこそばゆい感情に全身を弄られるような錯覚に陥る。まあ事実としては俺は冬佳の兄貴じゃないから当然なのだが、これは今後何度も聞いていれば慣れてくる一過性のものなのだろうか。少し不安である。
俺がこれまで一緒に過ごしてきた冬佳の言動と、今の冬佳の言動との差異に違和感を拭えないでいると唐突に冬佳が口をぷくーと膨らませた。さながらお菓子を買い与えられなかった子供みたく不満そうに。
「お兄ちゃん!」
「な、なんだ?」
「悪いことしたら頭叩いてよ! お兄ちゃんとして叱るならそれくらい当然だよね!」
そ、そうなんすか……。
おう……。
言われるがまま俺はぽこんと叩いた。冬佳はテヘヘとばかりに満面の笑みを咲かせる。
叱られて叩かれて喜色を浮かべる冬佳に実は若干M気質なのかもしれないと考えて頭痛がした。
……なんだろう……歳上の親戚のそういう一面は今更ながら知りたくなかったな……。
早いところ俺は冬佳の兄貴であるという自覚に覚醒しなければ割と本気で距離を置いてしまうかもしれない。
まあそれはそれとしてだ。
「冬佳、頬を膨らませるのは幼稚だから止めろ。みっともないし年甲斐も無いぞ」
「え、ええー!」
気になって指摘すると心底驚いたように冬佳は声を張った。
「……どうした?」
「お兄ちゃん的にはこれが妹ポイントが高いのかと思ってたから」
なるほど。となると全然分かってないな。分かってない。そういうあざとい仕草で不満を表すのは妹として二流なんだ。宜しい、俺の考える妹が不服を訴える時の言動を教えてやろうじゃないか。
「冬佳、そういう時は今後は俺の服の端を摘まむと良い。そうすれば周囲にバレず俺だけに不満が伝わるだろ?」
「さ、流石お兄ちゃんだね、今度からそうするよ。契約は絶対。私は学習する生き物」
目を泳がせながら冬佳はまるで契約相手の性癖なら仕方ないなと言わんばかりに渋い笑みで親指を立てる。
何でちょっと引いてるんだよ。一応言っておくがお前も大概なこと言ってるからな?
兄妹?の語らいはこの辺にしておき、テーブルに置かれた注文用タッチパネル端末を操作する。
ここは俺が先導すべきだろう。冬佳は頼りがいの兄が良いとか言っていたし。
「冬佳は何にする?」
「あー自分で注文するからいいよ。先注文して」
「お、おう。そうか」
ここは違うのね。まだ俺は冬佳の理想とやらには大分遠いらしい。
何処か噛み合わない感覚にやり辛さを感じながら俺は焼き鯖定食に決めた。端末を渡すと冬佳はすぐに唐揚げ定食に決めたようで、そのまま注文ボタンを押下。ピロンと音が鳴って注文が確定した。
「それでお兄ちゃん、色々と決め事について話し合おうよ」
早々と冬佳がそう言う。俺も頷いた。
「ああ。特にこの関係性のことだよな」
「お互い家族にバレたらマズイからね。幸い通ってる学校が違くて良かったねお兄ちゃん」
「そりゃ俺は高校、冬佳は大学だからな」
「何言ってるのか分からないな?」
「いでっ!?」
割と本気で脇腹を小突かれた。痛む脇腹を擦りながら意図を問うように冬佳を見ると、不満を訴えるようなじっとりとした瞳に俺は反射的に謝りそうになった。
ここでそんな年上の威厳を出されると妹ゲージが下がっちゃうんですが冬佳さん?
ともあれ、あくまで年下として扱えと言うことらしい。まあ契約だし合わせるか。
「……家族の前では普段通りがベターだよな。つまり兄妹じゃなくてただの従姉同士ってことで。勿論親族の集まりでも同上で」
俺はその目を振り切ってそう提案することにする。
「そうだねえ。流石に親戚一同の前で光太をお兄ちゃん呼ばわりしたらお母さんから何を言われることか」
「俺も玲からどんな罵詈雑言が飛んでくるか……うん、想像もしたくねえ。というか冬佳の兄貴は何も言わないのか?」
「言わないんじゃない? あの人もう私に無関心だし、私が大学進学してからは正月以外マトモに会ってないし。玲ちゃんは……まあ大丈夫そうだね」
「おうよ。俺と玲は80年代のソ連と米国の関係性だからな。しかし世間的に兄妹ってそういうもんか」
「そういうもんだよ。現実に夢は無いから今があるんでしょ」
淡々した口調とは裏腹に寂しい目をしながら冬佳は言う。
まあ家族と言えど異性同士な上に、冬佳の兄貴は社会人だ。一人暮らしをしてしまえば必然的に距離も開くのだろう。冬佳の口ぶり的には前から乾いた関係性っぽい気もするが。
それを思うと未来の俺と玲の関係性もきっとそうなる気がする。
今でさえ顔を付き合えば俺が一方的に罵倒されて、心の中で言い返す仲だ。
冬佳みたいに俺が進学とかして一人暮らしをすれば年一で帰省したタイミング以外で会うこともなくなるだろう。考えただけで清々する。
「友達同士にはどうする? 今は近くに住んでるからばったり会うこともあるだろうし……俺は別に妹として紹介して構わないけど」
「私もいいよ。訳ありの義兄妹って説明すればまあ何とかなるだろうし。思うんだけどお互い隠し通す相手は最低限、出来るだけ自然体で理想の兄妹を装うのが一番いいと思うんだ。だってそれが兄妹でしょ?」
「自然体で兄妹を装うか……」
「今は演じてるみたいなもんだけどさ、いずれは自然な感じで兄妹になれると思うんだ私達。なにせ一応お互いに本当の兄妹がいるのも大きいから勝手は分かってるし」
自然体という言葉に引っ掛かった俺に冬佳が付け加えるように口にする。
俺は少し安心した。正直言って、冬佳が隣に座っているという事実にドギマギする自分がいたからだ。でもそれは兄が妹に抱く感情ではない。
妹は兄に恋心を抱いて良いが、兄は妹に恋心を抱いてはいけない。
それが俺が思う兄妹関係の理想の一つでもあった。
今はまだ自分の気持ちに整理が付かなくとも、今の距離感を保っている内にいつかは本当の妹へ抱くような感情が芽生えると俺は思う。それこそ俺はリアル妹の玲が近くにいても一切動揺しない自信がある。冬佳に対してもそう思えるようになるのが理想だ。
とか考えていると冬佳は俺に身体を擦り付けるみたいにぴたりとくっ付いた。
半袖のワンピースから伸びた白い二の腕が俺の身体に当たって僅かに弾力を感じる。
クソ……なんかいい匂いもするし! 働け自制心!
「お兄ちゃん照れてるの? 妹に対して照れちゃってるの? やだなーこのくらいのボディータッチくらい慣れて貰わないと困るなー」
「ち、違うからな! 勘違いだ勘違い!」
「ふーん、ま、今は良いけどさ」
言外に今後は気を付けろと。
……気を付けてどうにかなるもんでもないんだがな。早いとこ適応しないとな、俺。
冬佳の顔を出来る限り見ないようにしていれば、冬佳が顎に指を当てて思い付いたように言った。
「因みに玲ちゃんにはどうするの? 隠し通す気?」
「さっきも言ったが、言えるわけないだろ、普通に。どんだけ悪態吐かれるか想像もつかないっての。今以上に関係悪化したら流石に生活に支障を障たすわ」
「そっか。そうだよね」
「ああ……でもどうしてそんなことを?」
「うーん、昔のお兄ちゃんは玲ちゃんと仲良かったし、それに……これはいっか。隠すなら隠すでオーケー、私もそうするね!」
何かを言いかけて言葉にするのを辞めた冬佳に疑問を感じつつ、結局それを追求するのも憚られたので俺は頷いてその言葉を流した。
──────そして、それから一カ月の月日が経過した。