フロースヒルデの歌   作:ほいれんで・くー

12 / 50
12. 空戦

 なんということはない日のはずだった。

 

 その日も操縦士(パイロット)はポートダーウィンの基地から哨戒へ飛び立った。単機だった。ここ最近の敵機の活動は低調だったので、それで問題はないはずだった。敵はひどく痛めつけられていた……それに対して、友軍は優勢だった。一時期はそうではなかったが、ここ最近はずっと優勢だった。たぶん、これからもそれは揺るがない。操縦士はそう思っていたし、操縦士の同僚や上官もそう思っていた。

 

 半島の先に長く伸びた戦闘機用の飛行場から飛び立つと、操縦士(パイロット)はオーストラリア大陸を後にし、いつもの哨戒空域へ向けて機首を向けた。どんどん高度が上がっていく。南洋の海は濃いブルーだった。波はほとんど見えない。浅瀬はエメラルドのグリーンで、ヤシの木が生えている白い砂浜には波が打ち寄せている。空には雲一つなかった。太陽は凶暴に照り輝いていた。操縦士(パイロット)の祖国の太陽とはまるで別物だった。彼の祖国の太陽は、もっとぼんやりとしていて、力がなく、はっきりしなかった。

 

 機体はさらに高度を上げていった。今は高度七〇〇〇フィートだった。このあたりがこの機体でもっとも性能を発揮できる高度帯だった。操縦士(パイロット)は機関銃の発射ボタンを押して試射をした。二門の機関砲と四門の機関銃から弾丸は問題なく発射された。彼は魔法瓶へと手を伸ばして、中身を飲んだ。紅茶はよく冷えていた。

 

 操縦士は気を引き締めた。もし敵機と遭遇するなら——最近はほとんどこの辺りへは飛んでこないとはいえ——もし遭遇するなら、やはりこのあたりだ。基地を出てからもう四十分ほどになっていた。

 

 空電のため、無線機の調子は悪かった。どこかに嵐が近づいているのかもしれなかった。しかしそのようなことはいつものことだった。操縦士は何度も振り返り、下を見、また上を見た。彼が特に入念に見たのは太陽だった。太陽から敵機が降ってくる……古典的な戦法だが、いまだに有効だ。

 

 操縦士はできれば機体を横転させて見張りを徹底したかった。だが、それは避けた。機体を何度も横転させると、その分だけ何度も太陽光を反射することになる。鏡を使ってピカピカと光遊びをする子どものようなものだ。そして戦場で遊ぶ者はいつも死ぬことになる。

 

 何度周囲に視線をやったのか分からない。彼の首はそろそろ痛みを訴え始めていた。その時だった。ふと、彼は視界の端に何かがあるのを見つけた。

 

 それはコクピットの中にいた。

 

 黒い計器盤の上、光像式照準器の丸いガラスの右側に何かいる。ぱっと見た感じでは、小さな人影のようだった。それは間違いではなかった。それは人だった。いつからそこに現れたのか、それともその時になって突如として出現したのか、それは分からなかった。操縦士(パイロット)は驚き、息を呑んだ。しばらく、彼は哨戒飛行中であることも忘れて、それを見続けた。その小さな人は動かなかった。うずくまるような姿勢のまま、ずっとそこにいた。

 

 目の錯覚かと思い、操縦士(パイロット)は何度か目を(こす)った。そして次に、発動機(エンジン)からの排気煙が何かの不具合でコクピットに流れ込んでいるのかと思った。彼は風防を開放した。流れ込んだ排気煙で酸欠になっているのではないかと思ったからだったが、小さな人は消えなかった。彼は酸素マスクを装着した。酸素吸入は必要ではない高度だったが、それを試さずにはいられなかった。小さな人は照準器の近くにうずくまったままだった。

 

 改めて、操縦士はそれを観察してみた。見れば見るほどそれは小さな人だった。しっかりとした実体を有していて、決して光の乱反射による結果だとか、目の錯覚などではない。その服装は変わっていた。中世の農民のような恰好をしていて、シャツは白、上着は緑色、短ズボンは黒色だった。足には木靴を履いている。頭には尖った白い三角帽子を被っていた。顔は人間の若い男とそっくりだった。目を開いていて、無表情で空を眺めている。口は閉じていた。目は青色で、鼻は高く、眉は細い。短いくすんだ金髪が、風防ガラス越しに降り注ぐ太陽光によって鈍く輝いていた。

 

 そこまで観察を続けてから、操縦士はふと、その小さな人の耳が通常と異なっていることに気が付いた。両の耳は長かった。それぞれが不自然なまでに水平に伸びていて、先端は肩の方まで伸びている。そして、背中には薄い(はね)のようなものが生えていた。昆虫のような薄くて半透明な白い翅だった。

 

 妖精だ。操縦士(パイロット)は半ば呆然としつつ思った。なぜか妖精が俺の機体の操縦席の中にいる。彼は無線機へと手を伸ばした。報告するというつもりではなかったけれども、彼は今すぐ誰かにこのことを告げたかった。だが、やはり無線機は通じなかった。ますます空電は強くなっていた。嵐が近づいているようだった。操縦士(パイロット)はまた機体の各部をチェックし始めた。排気漏れ、燃料漏れ、オイル漏れ、ラジエーターの不調……酸欠は? いずれも問題なかった。本国から届いたばかりの新品の機体は、完全に機能を発揮していた。

 

 あるいは、と操縦士はぼんやりと思った。本国から届いたばかりというのが問題なのかもしれない。この妖精は——さっきからうずくまったままで一向に動かないが、どう見ても妖精だ、間違いなく——何かの手違いで本国の工場か飛行場でこの機体に乗り込み、そのまま輸送船に乗せられて、海路をはるばるオーストラリアまで来てしまったのかもしれない。それまではこの機体の胴体かどこかの窪みで寝ていたが、飛行し始めてから目が覚めて、今ではこんなところでうずくまっているのかもしれない……

 

 そこまで考えてから操縦士は、自分がすでに妖精という非現実的な存在を受け入れつつあることに気づいて愕然とした。自分は、やはり異常な状態にある。彼は冷静にそう考えた。何が原因であるのかは分からないが、やはり今日の自分はどこか異常だ。妖精などこの世に存在するわけがない。しかし、それが現に目の前に見えている。

 

 哨戒飛行を打ち切って、基地に帰るべきか? 彼はちょっとだけそのことを考えた。だが、帰った後で上官になんという報告をする? 操縦席に妖精が出たので帰ってきました。飛行長が俺に訊く。ほほう、妖精ね。どこにいるのかね。俺は操縦席の中まで飛行長を案内する。ほら、ここに妖精がおります。照準器の近くにうずくまっております。飛行長が言う。少尉、君の冗談はあまり世間の関心を集めないだろうな。私には、なんの変哲もない操縦席しか見えないが。俺もそう言われて操縦席を見てみる。そこにはもう、何もいない……そして俺は飛行停止になって、病院送りになる。そうなったらもう、二度と飛ぶことはできない。

 

 最初は使命感と愛国心で入隊したのだった。操縦士になったのも、大学出身者であるからそれを活かせる任務はないかと考えたからであって、別に最初から空を飛びたかったわけではない。それでも、今では、操縦士(パイロット)は飛ぶことを愛していた。この広い南洋の大空を飛ぶことは、どんなに美しい詩を読むことよりも、どんなに心に響く古典を読むことよりも、彼にとっては快いことだった。彼は飛ぶことそれ自体が好きだった。

 

 だから、飛行停止になるようなことは避けたい。操縦士(パイロット)はこのまま任務を続行することにした。それに、いずれにしても任務は果たさねばならない。妖精はまだそこにいた。うずくまったままだった。彼は、もう何分間も自分が見張りを放棄していたことに気が付いた。もしその間に敵機に襲われていたら、自分は何も気づかずにやられていただろう。見張りに戻らねばならない。

 

 だが、そのためにはやはり、妖精についてもう少し確認をする必要があった。操縦士は小さな妖精に向かって、慎重に、白い飛行手袋を装着した右手を伸ばした。心臓の音が高鳴っているのを操縦士は自覚していた。手が伸びていく。指の先は少し震えている。妖精は動かない。ほんの数センチ先まで手が迫った。妖精はまだ動かない。指先がほんの数ミリのところに来た。

 

 なぜか、一瞬だけ、このまま放っておけという心の声がした。とんでもないことになるぞ。手に負えないことになる……少しだけ操縦士は躊躇した。それでも、彼の手は止まらなかった。

 

 操縦士は、指先で妖精を()いた。

 

 その途端、妖精はその場で高く跳ね上がった。跳ね上がった妖精はすぐに着地すると、また照準器の(そば)に立ち、今度は操縦士から逃れるように照準器の向こう側へ行った。妖精は驚きの表情に顔を歪め、白っぽい皮膚を赤くしていた。瞬時にして耳の先まで真っ赤になっていった。目を見開き、口を盛んに動かし、腕を振り回して、妖精は何事かを操縦士に向かって訴えかけていた。おそらく、怒りの感情だろうと操縦士は思った。この表情と身振りは明らかにこちらに対する怒りの感情を示している。発動機の爆音のために、何を言っているのかはわからないが、とにかくこの妖精は怒りの言葉を叫んでいるのだろう。

 

 妖精は怒り狂っていた。妖精は、その身の周りにあるものを手当たり次第に殴りつけ始めた。殴られた部品が異様な音をたてた。

 

 このまま放っておくわけにはいかない。操縦士は妖精を捕らえることにした。彼は素早く手を伸ばした。だが、妖精は手から逃れた。小刻みに位置を変え、跳ねまわり、なんとしても捕まるまいとして動き続ける。操縦士は何度も捕まえようと試みたが、無駄だった。

 

 仕方がない。操縦士は操縦桿とフットバーを操作した。機体は見る間に横転した。天と地が逆さまになり、眼前には空よりも青い海原が一面に広がった。白い波頭がどこまでも続いていた。波頭は大きかった。嵐が近づいているなと操縦士はちらっと思ったが、今ではもっと別のことに意識を向けなければならなかった。彼は機体を何度か横転させた後、今度はそのまま背面飛行へと移った。

 

 突如として逆さまになった操縦席の中で、妖精は下へ落ちないように計器盤の突起物に掴まってぶら下がっていた。何やら喚き続けている。だが、こうなるともう妖精に逃れる手段はない。操縦士は、今度こそ易々と妖精を捕らえることができた。右手で捕まえられている妖精は、激しく身を揺さぶって暴れた。この期に及んでもまだ逃げようとしていることに苛立った操縦士は、筋肉にかなりの力を入れて妖精を締め上げた。ほんのしばらくの間、妖精はさらに暴れた。だが、次第に力を失って、最後には顔を蒼ざめさせてぐったりとして動かなくなった。操縦士は飛行服のポケットの中へ、乱雑な手つきで妖精を押し込むと、また操縦桿とフットバーを操作して機体を元に戻した。

 

 帰ってからじっくりと妖精を調べてみよう。操縦士はつけっぱなしだった酸素マスクを外すと、これまでの動きで多少乱れてしまった息を整えながらそう思った。随分と力を込めて締め上げてしまったが、おそらく死んではいないはずだ。妖精を掴んだ感触は、野ネズミを捕まえた時とよく似ていた。骨格が貧弱で、生温かく、しかし筋肉の弾力が感じられた。野ネズミがなかなか死なないように、妖精が死ぬこともあるまい……

 

 その瞬間、彼は自身の視界の端に何かが入り込んだのに気付いた。今度は操縦席の中ではない。ちゃんと空を飛んでいる。右下方の十四時の方向、距離六マイルほど、高度差二〇〇〇フィートくらいのところ……何かが飛んでいる。この時間帯、この空域を飛んでいる機体は、友軍の中では自分しかいない。操縦士はそのことをしっかりと確認した。それならば、あれは間違いなく敵機だろう。彼はしばらく目を凝らして敵機を観察した。どうやら戦闘機のようだった。

 

 戦闘機同士の空中戦は操縦士にとって久しぶりだった。これまでに彼は敵機を四機撃ち落としていた。三機が爆撃機で、一機は戦闘機だった。彼は燃料の残量を調べた。まだけっこう残っている。戦闘に支障はない。操縦士は、敵機がこちらに気づいていないことを願った。だが、敵機はすでにこちらを見つけているようだった。敵機は機首を上げて、こちらに向かってぐんぐん突き進んでいた。妖精のせいだ、と彼は思った。妖精を捕まえるために機体を何度も横転させたから、そのせいで光を反射してしまったに違いない。

 

 彼我(ひが)の距離六マイルは瞬く間に埋まっていった。操縦士(パイロット)は敵より上を取ろうとした。空中戦ではより高い方が絶対に有利であるからだが、敵もまた上を取ろうと機首をあげてそのままこちらへやってきた。旋回するなり、一度距離を取るなりしてゆっくりと高度を稼げば良いのに、なぜかそれをしない。操縦士は敵の動きを訝しんだ。どうやら敵は勝負を急いでいるようだ。若くて経験がないのか、それとも燃料がないのか……

 

 このままでは、互いに正面を向き合って撃ち続けながら突き進む、対進攻撃の形になりそうだった。こちらがやや撃ちおろす姿勢で、相手はやや撃ちあげる姿勢になる。火力はほぼ同等で、こちらの方は敵よりも装甲があるが、対進攻撃ではあまり意味をなさないだろう。

 

 つまり、一対一のデスマッチだ。悪夢だった。もっと早い段階から気づけていれば良かったのだが。そうすれば色々とやりようはあったのに。操縦士(パイロット)(ほぞ)を噛んだ。空は憎らしいほどに晴れていた。

 

 操縦士は覚悟を決めた。こうなったからには、彼はもう人間ではなかった。彼は戦闘機の一部だった。

 

 どんどん距離は縮まっていった。もう三十秒もしないうちに互いに射程に入るだろうと思われた。敵機の黒く丸っこい機首と、緑色の翼の黄色い前縁とが、火を噴いたように光った。この距離から敵機はもう射撃を開始しているのだった。やはりまだ経験が浅いようだ。操縦士はそう思った。しかし、対進攻撃では技量の差はあまり関係がなくなる。度胸の差だけだ。操縦士はそのまま飛んでいった。この距離では敵の弾も、そして自分の弾もまだ当たらない。

 

 操縦士は機首をやや下げて、照準器の中に敵機の姿を収めた。どんどん敵が近づいている。距離がさらに縮まる。そろそろ二マイル。ここで機首を巡らせて逃げたら、逆に不利になる。それに、戦闘機の飛行士として敵を置いて逃げるわけにはいかない。一マイル半、一マイル……タイミングが重要だった。操縦士は、機関砲と機関銃のボタンに指をかけた。一五〇〇メートル、一四〇〇メートル……

 

 敵機は射撃をやめていた。この距離では弾が届かないことに気づいたようだった。やはり、多少の被弾は覚悟しなければならないようだった。もし落ちたら? 一瞬だけ、操縦士はそのことを考えた。彼は無線機にちょっとだけ手を伸ばそうとして、やめた。どうせ通じない。彼はもう一度深呼吸をすると、また機関砲と機関銃の発射ボタンに指を添えた。

 

 その時だった。

 

 操縦士は胸と背中、腰と臀部に同時に鋭い痛みを覚えた。何か鋭利なものに刺されたような感じだった。次の瞬間には、下着のシャツとパンツに液体が滲んで広がるのが感じられた。それは間違いなく血だった。操縦士は思わず機体の姿勢を崩しそうになった。だが、彼は必死になってそれに耐えた。敵機はどんどん距離を縮めていた。一三〇〇メートル、一二〇〇メートル……

 

 何かが突然、操縦士の視界の中へ飛び出してきた。それは妖精だった。白い帽子、緑のシャツ、黒いズボン、木靴……金髪、赤い顔。怒り狂った顔、振り回されている両手。手には刃物があった。小さなナイフだった。ナイフが南洋のぎらつく太陽の光を反射していた。ナイフは赤く染まっていた。操縦士の血だった。彼は、さっき捕まえた妖精が逃げ出して、隠し持っていたナイフで自分を刺したのだと思った。だが、そうではなかった。さっきの妖精は、まだ自分の飛行服の中にいた。その感触があった。

 

 それなら、この妖精はなんだ? そう思っている間に、妖精の数が増えた。二匹、三匹、五匹、七匹……どの妖精も怒りの表情を浮かべていて、手にはナイフを持っていた。ナイフにはどれも血が付着していた。操縦席の中には、今や多数の妖精がひしめいている。どの妖精も操縦士に対して強い敵意を抱いていた。仲間を救い出そうとしているのだろうか。操縦士はそう思った。それならば、ポケットの中の妖精を出してやれば良い。しかし、今はそのような動きすらできない。操縦桿から手を離せば、機体の姿勢が乱れる。姿勢が乱れれば弾が当たらなくなる。そして、敵機はすぐそこまで迫っている。距離は九〇〇メートル、八〇〇メートル……

 

 これから妖精たちが自分に対してすることが、なんとなく操縦士は予想できた。それでも不思議なことに、操縦士は恐怖を感じていなかった。ただ、面倒なことになったという気持ちだけがしていた。その気持ちは怒りにも似ていた。

 

 妖精たちは、操縦士が動かないことに気づくと、さらにその表情を歪ませ、目を獰猛に輝かせながら、歓声を上げて操縦士の顔面へと飛びついてきた。直後、一匹の妖精がナイフを彼の顔面に突き刺した。すぐに他の妖精も後に続いた。瞬く間に操縦士の顔面は血に(まみ)れた。敵機はまだ近づいてくる。七〇〇メートル、六〇〇メートル……妖精たちは突き刺したナイフを縦横に動かし始めた。顔の皮膚が裂けた。妖精たちは裂けた皮膚にさらに切れ込みを入れて、今度は皮膚を顔面から剥がし始めた。耐え難いほどの苦痛が操縦士を襲っていた。地団太を踏みたくなるほどに苦痛は著しかった。だが、彼はそれに耐えていた。敵機はもう五〇〇メートル、四〇〇メートル……

 

 剝がされた顔面の皮膚を、妖精たちが勝ち誇ったように掲げた。日光に透かされた皮膚は薄いピンク色をしていて、ところどころに脂肪の白い粒と筋肉の赤い筋が付着していた。血が(したた)っている。敵は三〇〇メートルのところにいた。妖精たちは皮膚を操縦席の下へ乱雑に投げ落とした。操縦士は自分の胸から膝上にかけて、血でびっしょりと濡れるのが分かった。

 

 敵機は二五〇メートルの距離だった。射撃までもう数秒もない。

 

 そこに、一匹の妖精が現れた。

 

 それは、先ほどまで操縦士の飛行服の中に捕らえられていた妖精だった。仲間の妖精たちがにやにやと笑いながらその肩を叩き、何かを耳元で囁いている。妖精は頷くと、喜色をその表情に漲らせ、仲間からノコギリのような刃のついたひときわ大きなナイフを受け取った。

 

 そして、妖精は操縦士の顔へ飛びついた。妖精たちもまた顔に飛びついた。彼らは操縦士の目の周りに手をかけ、力を入れてさらに無理やり目を見開かせた。そこへ、あの妖精がナイフを閃かせて、右目の中へ刃を突っ込んだ。しばらく刃が眼球の中で泳いだ。酷い苦痛だった。

 

 自分の視界が完全に半分無くなったのを操縦士が自覚した瞬間、妖精はズタズタになった右目の眼球を抉り出し、ナイフの先端に突き刺して、操縦士の左目に向かって見せつけた。操縦士の眼球の蒼い瞳はもう、何も映していなかった。妖精の顔は勝ち誇っていた。

 

 敵機は二〇〇メートルの距離にいた。敵機はもう射撃を開始していた。無数の赤い曳光弾が独特な軌跡を描いて機体の周りを飛び去っていく。まだだ、と操縦士は思った。まだあと五〇メートル! 妖精たちは左目の周りに移動した。右目を抉ったあの妖精は、ナイフから眼球を引き抜いて捨てると、邪悪な笑みを浮かべながら卑猥な動きで腰を二、三度振った。そして、今度は左目を抉り出そうと飛び移ってきた。妖精は先ほどの右目とまったく同じ動きをした。操縦士の視界は完全に閉ざされた。

 

 鈍い音を立てて、何発かの敵弾が機体のどこかを貫通した。操縦士は振動でそのことを感じた。操縦士は冷静に時間を数えていた。妖精たちはまだ左目をぐちゃぐちゃにしていた。苦痛は限度を超えていて、もはや何も感じなかった。また被弾音が響いた。それでも操縦士は何も恐怖を感じなかった。彼は何も考えていなかった。彼は完全に機体と同化していた。

 

 敵機から一〇〇メートル! そう判断して、操縦士は発射ボタンを押した。発砲音が響き、機体が振動して機関砲弾と機関銃弾が発射され始めた。彼は発射ボタンを押しっぱなしにした。

 

 次の瞬間、敵の機関砲弾が発動機と燃料タンクに直撃して爆発した。膨大な熱と炎が体を焼くのと同時に、操縦士(パイロット)は、自分に残された最後の眼球が眼窩から抉り出されるのを感じていた。

 

(「空戦」おわり)




今回は普通のホラー小説になっちまった……もっと字数を減らしたいです。次回はまた古典をモチーフにした話を書くと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。