フロースヒルデの歌   作:ほいれんで・くー

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16. 蛙

 その日も私は図書館に行った。午前だった。空は曇っていた。ここ数日の間、空はすっきりと晴れることがなかった。

 

 家を出てから車の往来の激しい大通りの横断歩道を渡り、こじんまりとして埃っぽい整骨院のある角を通って、鉄道の高架下へと私は進んでいった。高架下には小規模な駐車場があって、薄汚れたワゴン車が何台か止まっていた。高架下の向こうには小学校があった。私は高架下を足早に抜けた。抜けた先には小さな横断歩道があった。子どもが道をわたるための小さな横断歩道には、しっかりとした信号がついていた。私は信号が赤から青になるまで待った。

 

 信号を待っている間にもしきりに私の脳裏に去来していたのは、さきほど読んだ古典の一節だった。それはラトーナ女神とリュキアの農夫に関する話だった。ラトーナ女神はアポロとディアナの二柱の神の母である。ギリシャ神話での女神レートーが、ローマ神話では女神ラトーナになることを、それを読むまで私は知らなかった。

 

 まだ信号は青にならない。私は自分の頭の中で物語を再生してみた。まず、農夫が出現した。背後には茫漠とした空間が広がっている。灰色と青色だけで構成されている空間は、やがて確固とした形を纏い始めた。ほどなくして、荒地のように乾いた農地が出現した。それを背景にして、農夫は簡単な木製の椅子に座っている。農夫は中年で、肌は日焼けして赤くひび割れていて、手は節くれだっている。シャツを身に纏っている。シャツは汗で汚れている。顔はよく分からない。ギリシャ風の顔なのだが、どうにも中国の農夫のように見える。私は、直前まで読んでいた別の中国の古典が、私のイメージの中に侵入しているのを感じた。

 

 やがて、農夫は語り始めた。声がないのに、彼はしっかりと語っていた。

 

「これは肥沃(ひよく)田野(でんや)の広がるリュキアでの話だが……」

 

 突然、疑問が湧いてきた。リュキアとはどこだ? そこに田野はあるのか? 田とは米を作るところではないのか? 私はポケットに手を伸ばしかけた。スマートフォンで何もかもを調べることができる。リュキアの位置、田の役割……だが、私の手の動きを農夫が目で制してきた。目の力を感じた。私は手を引っ込めた。農民はさらに語り続けた。

 

「昔、農夫たちがラトーナ女神を軽んじたために、やはり罰を受けたという。罰を受けた者たちが卑しい身分であったからこの話は広く世間には知られていないが……」

 

 私は、誰かが物語る形式の話を好んでいた。それを読むのも好きだし、それ以上に書くのも好きだった。ただ、私は誰かが語る形式の話を書く時、いつも痛痒を感じていた。私が誰かに語らせる時、その語りはいつも理知的で、整然として脈絡があり、分かりやすく、無駄がなかった。それは私にとっては語りではなかった。私にとって語りとはもっと雑然としていて、無駄な情報が多く、分かりにくくて、それでいて聞いていて飽きないというものだった。私はそれを小説の上で再現することができていない。語りを書き始め、書き終え、自分で読んだ後、私はいつも苦々しい思いを覚えた。

 

 信号が青になった。農夫は忌々しそうな顔をして語りを中断した。私はまた歩き始めた。横断歩道の白い帯はかすれていた。

 

 ふと、何か平べったいものが目に映った。横断歩道の中ほどにそれはあった。それは蛙だった。蛙の死骸だった。車に轢かれて何倍もの大きさに引き潰された蛙の死骸は、ここ数日はずっと曇りであったのにも拘わらず、真っ黒に日焼けして乾燥しきっていた。

 

 死骸とはいえ蛙にここで遭遇するとは、多分に暗示的であるように私には思われた。農夫の語りは、まさに蛙に関係することだった。

 

 私は右の靴先で、ちょっとだけ蛙の黒い死骸を蹴ってみた。カサカサという乾いた音と共に、死骸はほんの少しだけその場を動いた。私は死骸を後にしてまた歩き始めた。歩きながら、私は本当に蛙の死骸が暗示的であるかを考えていた。見ようによってはこの世のすべてのものは暗示的である。この曇り空も、高架下のワゴン車も、蛙の死骸も……だがそれは、この世のすべてのことを奇跡と見なすのと同じくらい無意味だった。すべてのことが暗示として眼前に示されているのならば……それは暗示ではなかった。暗示という言葉すら必要ではなくなるはずだった。

 

 小学校の白い体育館を左手方向に見ながら、私は道の突き当りまで進んでいった。小学校からは給食の匂いがしていた。カレーの匂いだった。音楽室からはピアノと合唱の声が聞こえてきた。子どもたちの歌声は大きく、元気だった。だが、歌っているのが何年生の子どもたちなのかは、私には分からなかった。私には、子どもたちの歌声はいつも同じようにしか聞こえなかった。

 

 私の頭の中でまた、農夫が語り始めていた。

 

「足腰が衰え、長い旅に耐えられなくなった父の命令で、私はえり抜きの牛たちをリュキアから連れてくることになった。道案内の男が一人、私についてきた。男と一緒にリュキアの牧場を見て回っていると、とある池の……」

 

 いや、池だったかな。私は疑問に思った。農夫は呆れたような顔をして沈黙した。農夫が私を非難するようにじっと見ていた。だが、私は農夫のことを気にも留めない。私は考えた。池ではなく、湖だったかもしれない。しかし、この後の話の展開を考えると、それは沼のはずだ。ただし確証はない。なぜ私はラテン語の原文に当たらなかったのだろう? そう思いながら、私はさらに歩いていった。

 

 道の突き当りまで来た。ここには幼稚園があった。園庭に園児たちの姿は見当たらなかった。どこかへ散歩に行っているのかもしれなかった。私は道を左に曲がった。狭い道には大きな古い桜の木が植えられていた。ごつごつとした樹皮はどことなく年老いた海生の軟体動物を思わせた。桜の花が咲いていた。私は桜の花にあまり感興を催さなかった。だが、花の間には早くも緑の若葉が姿を見せ始めているのに気づくと、私はしばらく桜の木を見つめた。

 

 風が吹いていた。微風だった。私は肌寒さを感じた。肌寒さを感じたまま、私は道を進んでいった。角に来たらまっすぐ道を渡り、それから右に曲がる。そこは大型団地の入口だった。入口付近には「土捨て場」という看板が立てられている。看板を左方向に見ながら歩いていると、沈黙に耐えかねたように農夫が語り始めた。

 

「とある池の真ん中に祭壇があった。祭壇は(にえ)を焼いた灰で少し黒ずんでいて、周りには葦が繁っている。案内人は立ち止まって、『どうかお慈悲を!』と呟いた。私も同じように『どうかお慈悲を!』と呟いた。誰に対して慈悲を乞うているのか分からなかったが、そのように言うのが相応しいと思ったからだった。そして私は、案内人の男に対して、この祭壇が何のためのものであるのかを尋ねた。案内人の男は答えた」

 

 さて、と私は歩きながら思った。「どうかお慈悲を!」はラテン語で何と言ったかな。なぜかそれだけは私も覚えていた。「Faveas(ファウェアース) mihi(ミヒー)!」だ。動詞「faveo」の接続法能動相現在二人称単数。

 

 花壇には、咲いてから数日が経過したチューリップが微風に揺れていた。それにしても、と私は思った。農夫の語りはやはり整然とし過ぎている。無駄がない。余計なものがない。つまり、この語りはまったく語りらしくない。苦々しい思いと共に、私は団地の中を進んでいった。城塞のように巨大な建造物が四周から私を見下ろしていた。

 

 図書館は、そこから少し離れたところにあった。図書館は団地の居住棟の一階にあった。図書館の隣には住民用の小ホールと事務所があった。ガラス張りの入口には様々な貼り紙が貼られていた。朗読会の開催、ミニシアターの上映内容、絵本展、市民マラソン開催の告知、認知症予防セミナー……どれもA4版の小さなポスターだった。左側の壁には図書返却ポストが設置されていた。大きな青い電池回収ボックスが少し離れたところに二つ並んでいる。回収ボックスは風雨と日光に晒されて朽ちかけていた。貼り紙がしてあった。「今年度をもってボックスでの電池回収は終了します……」 私は入口を通って図書館の中に入った。そこはまだ、図書館の中ではなかった。そこはエントランスホールだった。

 

 ホールの中を歩きながら、また農夫が語りたいような顔をしているのに私は気が付いた。農夫はどこか恨めしそうな顔をしていた。私がたびたび語りを中断することに、農夫は不満を抱いているようだった。私は農夫が語るのに任せながら、ホールの左側に置かれている二次利用図書の棚を見ていた。

 

「案内の男は答えた。『この祭壇に祀られているのは、あのラトーナ女神なのです! 神々の王妃であるユノーによってこの世を追われたラトーナ女神は、デロスの浮島で、オリーブと棕櫚(しゅろ)の木によりかかって二人の御子を生みました。それでもユノーは迫害の手を緩めません。ラトーナ女神は、生まれたばかりの小さな二人の御子をその胸にしっかりと抱いたまま、デロスの浮島を離れました』」

 

 もっと雑然とした、無駄の多い、リアリティのある話し方ができないものかねと私は思った。それに、やはり細部には違いがあるようだ。古代の詩人が語った内容はもっと豊かだったはずではないか。君の語りは、かなりの部分を削ぎ落しているようだが。私がそのように考えると、農夫はいかにも傷ついたというような顔をした。そして、さらに不満そうな色を深めて、しばらく沈黙した。私は二次利用書籍の棚を見ていた。そこには何もなかった。数ヶ月前の区報と、短歌の雑誌だけが棚にあった。私は棚の前を離れて、エントランスホールと図書館とを隔てているガラスの自動ドアの前へ行った。ドアが開き、私は一歩中へ進んだ。貸出デスクに座っている図書館員が挨拶をしてきた。挨拶を返しながら、私はさらに進んでいった。

 

 入ってすぐのところには、児童書のコーナーがあった。そこは一段分だけ床が高くなっていて、履物が脱げるようになっている。一面にピンク色の絨毯が敷かれていた。だが、時間が早いためか、子どもの姿は一人も見られなかった。棚は何列も並んでいた。いつも私は、この児童書のコーナーへ入ろうと思っては断念していた。このコーナーは誰に対しても開かれているが、ただこの私一人だけは決して受け入れないだろうと、私は思っていた。私は外からコーナーの中を覗いた。一冊の絵本が見えた。表紙には一匹の緑の蛙の絵が描かれていた。私は視線を外すと、コーナーを通り過ぎてそのまま奥へ向かった。

 

 コーナーのすぐ隣にはトイレがあった。濃い消毒液の匂いがした。トイレの前にはCDが収められた棚があった。その先には狭い通路があり、通路の先には書見台を備えた机が横に三つ並んでいる。私はただ足の赴くままにそこを通り抜けた。頭の中でまた農夫が語り始めていた。農夫の語り方はまったく変わらなかった。

 

「『さて、怪物キマイラの故郷であるリュキアに辿り着いた女神でしたが、おりしも、()えがたいほどの日光が田野を焼いていました。照りつける光と立ち込める暑熱に、女神は大変な喉の渇きを覚えました』」

 

 机の近くには浄水器が置かれていた。下に置かれたペダルはプラスチック製で、経年劣化で黄色く変色している。トイレの消毒液の匂いが薄く漂っていた。農夫が私に目配せをした。それ以上浄水器を見るなと言っているようだった。私も目を背けた。このままだと、農夫の語りに浄水器と消毒液が出現しそうだった。農夫はまた語った。

 

「『女神は、たまたま谷底に大きな池があるのを見つけました。そこでは農夫たちが、茂った柳の小枝や、藺草(いぐさ)や、(すげ)などを刈り集めています。ラトーナ女神はそこへ近づくと、地面に膝をつきました。冷たい水をすくって飲もうとしたのです』」

 

 私は、反射的に浄水器を見てしまった。農夫は怒ったような顔をした。彼は声を大きくして続きを語った。

 

「『しかし、農夫たちは集まって群れると、ラトーナ女神の近くに寄ってきて、女神に水を飲ませまいとします。農夫たちに対して、女神は言いました』」

 

 その時になって私はようやく、この語り特有の構造に気が付いた。

 

 この語りには重層的な構造がある。

 

 まず、私が農夫に語らせている。そして農夫は、案内人の男に語らせている。さらに案内人の男は今、ラトーナ女神に語らせようとしている。それぞれは、誰かに語らせることによって語っている……層を重ねるように。

 

 だが、どの語りも似たり寄ったりであるように私には思われた。どの語りも整然とし過ぎている。脈絡があり、聞き取ることが容易で、内容は整理されている。私はふと不安にも似た気持ちを覚えた。私は今後、語りのスタイルを変えることができるのだろうか? 心臓の鼓動が早くなっているのが感じられた。私は今後、ずっと同じようにしか語れないのではないか? しばらく立ち止まって、私は呼吸を整えた。幸い、すぐに心臓の動きは元に戻った。

 

 私は植物・園芸の棚を通り過ぎようとした。その隣は政治・経済の棚だった。少し行けば教育・学校の棚に行き着く。私は外国文学の棚に行きたかった。学習スペースにはちらほらと人がいた。学習スペースの周りには、文庫本が収められた可動式の棚と、全集や大判の図鑑、地図、資料集や美術書が収められた棚が並んでいた。

 

 農夫は語りたいような顔をしていた。私は農夫に向かって、次の語りは難しいぞと言った。ラトーナ女神は怒っている。女神は喉が渇いているだけではなく、胸に抱いている二人の我が子に乳を与えねばならない。そして、ここで水を飲まねば乳が出ない。そういう母親特有の必死さ、切迫感を伴った語りでなければ、この語りは本当のところを述べているとは言えないだろう。君にそれができるのか?

 

 私がそのように問いかけると、農夫はちょっとだけ意外そうな顔をした。そして、私を小馬鹿にしたような顔をして答えた。これから語ることは、私が語るのではない。私が語る案内人が語るのだ。さらに言えば、案内人が語るのではなく、案内人が語るラトーナ女神が語るのだ。だから、私に対してそのようなことを問いかけるのは無意味である。

 

 農夫はさらに言った。先ほどお前は考えていただろう、この語りは重層的であると。そのとおりだ。だが、確かに重層的ではあるが、各層は直接的に接している層に対してのみ影響を及ぼし得るのだ。だからお前は私にだけしか影響を及ぼせないし、私は案内人の男にだけしか影響を及ぼせない。

 

 それゆえ、この後のラトーナ女神の語りが上手くいくのかについて、私には何も分からないのだ。もちろん、お前にもな。

 

 農夫がそのように話し終えた時、私は外国文学の棚の近くにいた。そこには古びた椅子が何脚か置かれていた。椅子には誰も座っていなかった。私は、お気に入りのロシアの作家の本を一冊手に取ると、近くの椅子に腰かけた。椅子は軋んで音を立てた。私は本を開いてページを(めく)った。だが、私は文章を読んではいなかった。農夫はまた語り始めていた。それはやはり農夫が語っているのではなかった。農夫の中にいる案内人の男が、またその中にいるラトーナ女神に語らせているのだった。私からは決して見ることのできない、奥の奥の層にいる女神が語った。

 

「『どうして私に水を飲ませないのです! 水は日の光や大気と同様に、万人に共有物として自然から与えられています。私が谷を下りてこの池に来たのは、自然から与えられている恵みを受け取り、喉を潤すためでした。どうかお願いします。私が水を飲めますように。何も私はこの水で、私の手足や疲れた体を洗おうというのではありません。ただ、この()えがたいほどの喉の渇きを潤そうというだけなのです』」

 

 まあまあの語りだった。女神は切実なものを感じているが、なるべく自分の品位を落とさないように、それでいてしっかりと自らの意図を主張している。だが、私はまた何か不満のようなものを覚えた。私は女神の語りに直接的に関わってはいないけれども、それでも女神のその語りは私の語り方とそっくりだった。

 

 重層的な語りは……例えるなら、重なった皿だ。私はそう思った。上の皿に注がれた水が重ねられた下の皿へ(こぼ)れ、次第にその皿を満たし、またその下の皿へと零れていくように、語り方は層から層へと受け継がれていく……

 

 女神はなおも言葉を続けた。

 

「『こう言っている私の口中(こうちゅう)にはもう、水分というものがありません。喉はからからで、声も出ない有様です」

 

 女神はまた語りを続けた。

 

「一口の水が、今の私には甘露(ネクタル)ともなりましょう。水と同時に、私は命をも授かることになるのです。ですから、どうか私に水と命とをください! そして、この胸に抱いている二人の子どもたちのことをも考えてください!』」

 

 女神は語り終えた。私はロシア文学の本を閉じて、棚の前に行って元に戻した。右方向には検索用の端末があった。端末の前に行くと、私はちょっとだけマウスを動かした。セーブモードになっていた画面が途端に力を取り戻した。私は検索用のブラウザを開いて、ボックスに文字を入力しかけた。だが実のところ私は何も探そうとはしていなかった。私は端末から離れた。

 

 図書館から出ようと私は思った。図書館に入ってから、まだ十分も経過していなかった。

 

 棚の列を通り過ぎている間、農夫はまた語り始めた。正確には、今度は農夫の語る案内人の男がまた語り始めていた。

 

「『女神の言葉に心を動かされないものがいるでしょうか? けれども、この農夫たちは女神の願いを撥ねつけました。腕と鎌を振り回して威嚇をし、悪罵を加え、そればかりではなく、足と手で池の水をかき乱し、あちらこちらへと飛び跳ねて、水底に溜まっていた泥を掻き立てるのです。清らかだった水は、たちまち泥水に変わりました。女神は怒り心頭に発して叫びました。「それならお前たちは、永遠にこの池の中で跳ねまわっているが良い!」』」

 

 私は図書館から出た。曇り空に少しだけ切れ目ができていて、そこから青い空が覗いていた。図書館から出ると、私は右手方向へ進み始めた。図書館利用者用の、屋根付きの長い駐輪場があった。自転車は数台しか止まっていない。左側にはコンクリートと鉄柵に囲まれた廃棄物集積場があった。私はさらに奥へ進んでいった。赤い三角パイロンが草むらの中に朽ちて転がっていた。奥にも駐輪場があった。その間に団地から抜ける通路があった。通路は石畳で覆われていて、外の歩道へと繋がっている。私は石畳の上を歩いた。

 

 農夫の語りは——案内人の男の語りは続いた。

 

「『女神の願いは実現しました。農夫たちには、水の中に住んでいることが喜びとなったのです。全身を池の水に()けたかと思うと、頭だけを水面から出したり、泳いだりします。池の堤に腰かけているかと思えば、再び冷たい水に飛び込んだりします。しかし、口から悪口雑言が出ることは止まないのです。水の下にいる時でも彼らは悪態をついています。ついには声もしわがれて、喉は膨れ上がり、口は大きく裂けて広がりました。頭は平たくなり、背中は丸まり、緑色になって、腹も白くなりました。彼らはもう農夫ではありませんでした。彼らは新しい種族、蛙になったのです』」

 

 私は通路を抜けて歩道に出た。その歩道に生えている桜の木は、もうほとんど花びらが残っておらず、すべて緑の若葉になっていた。私は信号のない横断歩道を渡って、その先にある遊歩道へ向かった。

 

 歩きながら、私は農夫に問いかけた。それで、案内人の話は終わったわけだが、君の話はまだ始まっていないではないか。ラトーナ女神の祭壇を通り過ぎた後、君はどうしたのだ?

 

 農夫は首を左右に振ってから言った。いや、私の語りも終わりなのだ。案内人の男が祭壇の縁起を語り終え、蛙という新たな種族の出現を話したその瞬間、私の語りも終わった。もう私に語るべき内容は残っていない。だから君の語りも、もう終わりにしなければならない。

 

 急に、農夫の姿が薄れていった。彼が座っていた椅子も、また彼が背景にしていた農地も、広い空間も、溶けるようにしてどこかへ消えてしまった。

 

 農夫の言うとおりだった。私は自分の語りを終えるべきだった。

 

 だが、もし私が農夫を語らせていたのならば、私はいったい誰に語らせられているのだろうか。

 

 私は遊歩道に入った。植えられている樹々には春の緑が満ちていた。遊歩道には人工的に作られた水路があった。数年前に掘られたばかりだった。水路の中心部には五メートル四方の小さな池があった。ポンプで水が汲み上げられていた。

 

 去年の夏、ここには生命が満ち溢れていた。カダヤシが群れをなして泳ぎ、トンボが産卵をしていた。カメが甲羅干しをしていて、カラスが行水をしていた。赤いアメリカザリガニがはさみを振り回していた。

 

 冬になると、生命の一切が消えた。そこには泥だけがあった。黒い泥水の間には枯れた落ち葉が堆積していた。

 

 私は、春になってから初めてその池を訪れていた。私はちょっと視線を下げて、池の(ふち)を見た。

 

 そこには、非常に小さな黒いものが、数十、数百、数千と、びっしりと水面を埋め尽くしていた。それは無数のオタマジャクシだった。尻尾と頭を盛んに振っている。頭の方向はすべて同じだった。

 

 オタマジャクシはあまりにも黒かった。その黒はあまりにも非自然的な色だった。私は池のあちこちに目をやった。どこにもオタマジャクシがいた。オタマジャクシ以外、池には生命は見られなかった。

 

 何か裏切られたような気がして、私は池から離れた。ふと私は、私を語らせている者が語りを終えたがっていることに気が付いた。それと同時に、私を語らせている者の意図はどうであれ、私は明日もまたこの池に来ることになるのだろうと思った。

 

 風はやや強さを増した。風には春の匂いがした。私は足を早めて家へ向かった。

 

(「蛙」おわり)




参考文献 オウィディウス『変身物語(上)』(中村善也訳、岩波文庫、1981年)236頁-240頁。

毎度のことながら、こういうメタ的な話を書くのはとても難しいです。コンパクトにまとめようと思ってもなかなか字数が減らない……ちなみにラテン語において接続法能動相二人称単数は「命令」を意味します。「faveo」は与格を伴って「好意を示す、慈悲を垂れる」という意味。「mihi」は代名詞「ego」(私)の与格。だから「Faveas mihi!」は「私に慈悲を垂れたまえ!」になるわけです。ラテン語の復習をしないとなぁ……
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