フロースヒルデの歌   作:ほいれんで・くー

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2. 槍

 どうもしっくりこない日だ。

 

 騎士は持っている(コピア)が重くなるのを感じた。槍の穂先では敵の歩兵が串刺しにされていた。腹に槍が突き刺さった歩兵は、自分がなぜ死んだのか疑問に思っているような顔をしている。つまらない敵だ。槍を払って、騎士は突き刺さった敵を地面に落とした。耳を(ろう)するかのような戦闘騒音の中で、死んだ兵士が地面に墜落する鈍い音が妙にはっきりと騎士の聴覚に届いた。

 

 不思議なことに、(コピア)は折れなかった。普通なら、(コピア)は一度の突撃で折れてしまうのに。しっくりこない。騎士は微かに表情を歪めた。他の槍はそうではないかもしれないが、コピアという槍はそのように設計されているのだ。それが、なぜか折れない。

 

 どうもうまく噛み合わない。(コピア)が折れない。折れるべきものが折れないとは、いったい……? 戻るべきか? 彼は少しだけ考えた。自陣に戻れば新しい槍を受け取ることができる。そこでは従者が替えの槍を何本も用意して待っている。

 

 だが、騎士はそのまま突き進んでいった。(コピア)がなくとも、他に武器はある。それに、次の突撃で(コピア)は折れるだろう。こういうことはたまにある。気にしなくて良い。そう、たまにあることだ。戦場においては……

 

 騎士は若かった。若い盛りだったから、彼は自信に満ちていた。ヘルメットは磨き抜かれていて、戦場の空をそのまま映し出していた。肩と胸と腹部を守る装甲は、宮廷の饗宴(きょうえん)で並べられる銀器のようだった。真紅のマントには染みひとつなかった。馬の鞍には二本の羽飾りが立てられていた。天使のように純白な羽だった。そのようにあえて目立ついでたちをしているのも、ひとえに彼が自信に満ち満ちているからだった。絶対に戦場で死ぬことはなく、必ず戦果を挙げるという自信——初めは単なる願望で、戦闘を経るごとに経験となり、今では自身の人格をも支配するものとなった、そういう自信だった。

 

 だが、その自信も今日だけはなんとなく陰っていた。戦いの前からそうだった。明確な理由などない。だから、どうもしっくりこない日だとしか騎士には言いようがなかった。しっくりこないと思っていたのに、戦いは至極順調に進んだ。これまでにないほど彼は上手く自分自身の身体と、騎乗する馬を操ることができた。

 

 馬は駆け続けていた。敵の戦列は崩壊しつつあった。崩壊させたのは、紛れもなくその騎士だった。鮮やかな手際だった。猛烈な銃火を恐れることなく、榴弾を吐き散らしてくる臼砲を恐れることもなく、彼は真っ先駆けて突っ込んだのだ。後方で指揮を執っている王が見ても——そう、あの王は滅多なことでは騎士の働きを称賛しないが——その働きぶりを認めるだろう。

 

 それでも騎士は、やはりしっくりこないものを感じていた。槍捌(やりさば)きが上手くいかないとか、苦戦をするとか、馬が言うことを聞かないとか、そういうわけではない。だが、なんとなくしっくりこない。嚙み合わない。何もかも上手くいっているのに、何かひとつだけ手落ちがあるような気がしてならない。いや、手落ちというのも違うかもしれない。こちらは手落ちなどないよう万全を尽くしているのだが、状況がそれを許さないというか、あるいは状況そのものに欠陥があるというか……完全というには何かが欠けていて、その何かが分からず、そして欠けているのにも(かか)わらず、なぜか上手くいってしまっている。

 

 騎士は(コピア)を握り直した。先端の赤と白の細長いバナーは血で染まっていた。赤はますます濃くなり、白は赤黒くなっていた。

 

 ふと、騎士の脳裏にひらめくものがあった。もしや……騎士は(コピア)を見た。そして、まさかと言ってそれを打ち消した。

 

 十数人ほどの歩兵の一団が方陣を組もうとしているのが見えた。細長い槍と、鈍く太陽光を反射する長剣と、火のついた火縄をぶら下げている火縄銃は、最初こそバラバラに宙を向いていたが、次第に一つの方向を向きつつあった。それと同時に、細長い盾が爬虫類のウロコのように隙間なく並び始めていた。だが、まだ完全ではない。陣形が固く組まれる前に騎士は突っ込むことにした。腹に拍車をかけると、馬は素直に加速した。そのように余力を残していたのだ。あと五秒もしないうちに到達するだろう。それは正確に予想できた。

 

 上手くいくだろうか? ふと騎士はそんなことを思った。そして、戦いの最中にこんなことを思うということ、そのこと自体が、今日のしっくりこない感じを象徴しているのではないかと彼は思った。

 

 上手くいくだろうか? そんなにも気になるのならば、実際に考えてみれば良い。騎士はこれからの仕事の流れを想像した。きっと、これからあの一団に突っ込んだ後も、何もかもが上手くいくだろう。経験上、騎士はそのことを分かっていた。見るからに強そうな奴はいないし、見るからに弱そうな奴もいない。どれも平均的な感じだ。ということは、あまり危険ではない。敵は十数人いるが——騎士は素早く目を走らせた。そう、十三人だ。全部で十三人いる——自分一人で全部は殺せまい。それに、全部殺す必要もない。最前列で仲間に声をかけているあの男、赤ら顔で、長身で、少し太っているあの髭面の男、あれを殺せばあの一団は無力化するだろう。あとは、後ろからやってくる味方に任せれば良い。

 

 武器は何が残っている? (コピア)が一本。ただしこれはいつ壊れてもおかしくない……たぶん次の攻撃で折れるだろう。これを赤ら顔の兵士に突き立ててやって……その後はどうする? 長剣(コンツェシュ)が一振り。これは今回の戦いではまだ使っていない。上手く使えば確実に四人は殺せる。それと、長剣(パワシュ)がもう一振りある。これでも五人は殺せるはずだ。戦斧(ナジャク)はさっき、銃を撃とうとしている敵に投げつけたので今は手許(てもと)にない。ピストルは昨日の前哨戦で故障してしまったから、これも今は持っていない。ただし、メイス(ブズドゥィガン)はしっかりと持っているので、接近戦になっても問題はないだろう……

 

 こんなことを考える必要があるのか? ふと、騎士はそんなことを思った。彼は手に持っている(コピア)をもう一度見た。

 

 これ一本で、足りてしまうのではないか? まさか……?

 

 考えているうちに、騎士が胸に装着している装甲に一発の銃弾が命中した。弾丸は貫通しなかった。それは音を立てて装甲の上を滑り、後方へと飛び去っていった。ほら、やっぱりと騎士は思った。なんとなく上手くいかない。しっくりこない。すべてが上手くいっているのならば、仮に銃弾が命中するにしても、それは事前に予想できたはずではないか? それなのに、自分は直前まで、あの赤ら顔の兵士を殺すことだけを考えていて、撃たれることをまったく想定していなかった。これはまったくもって、しっくりこないことの証明ではないか……?

 

 考えているうちに、(コピア)が赤ら顔の兵士の胸に突き刺さっていた。兵士の軽くて薄い革鎧は槍を防ぐことができなかった。赤ら顔の兵士は、槍が刺さっていてもなお何か叫んでいたが、騎士が槍を(ひね)って肉と骨を抉ると即座に沈黙した。周りの兵士たちはその光景を見て脆くも四散した。バラバラに逃げ散っていく兵士たちを見ながら、騎士はもう二、三人くらいは殺しておかねばならないと考え、手綱を操って馬の行く先を変えた。

 

 騎士は、(コピア)を捨てようとした。すでに折れていると思ったからだった。だが、槍はまだ折れていなかった。騎士は我が目を疑った。彼はこれまでに百回以上も戦場で突撃を敢行してきたが、その中で二回も折れなかった(コピア)など存在しなかった。大抵は一回で折れてしまう……それが普通だった。それが(コピア)というものだった。それなのに、この槍はまだ折れていない。

 

 ふと、騎士の中で疑念が生じた。もしかすると……もしかすると? ありきたりな副詞が頭の中で響いている間に、彼は右側にいる敵の歩兵の一人に向かってまた(コピア)を突き出していた。

 

 もしかすると、今日のしっくりこない感じはこの(コピア)から来ているのではないか?

 

 そう思っている間に、槍は敵の兵士の首に突き刺さっていた。噴水のように鮮血が勢いよく迸った。兵士が手にしていた剣を放り出して、槍の刺さった首へ手を()るのが見えた。騎士は、今度こそ槍は折れたはずだと思った。首というのは、ほとんどが固い骨で出来ているのだ。そんなところに、騎馬の突撃の勢いが加わったのだから……折れないはずがない。

 

 だが、やはり(コピア)は折れていなかった。彼はほぼ反射的に槍を捻ると、今度は左側にいて銃を構えていた兵士に向かって槍を振るった。一撃目で槍は銃をはね飛ばし、二撃目で穂先が兵士の顔面に突き刺さった。ちょうど左目の真下だった。騎士は槍を引き抜いた。兵士の左目が腐ったリンゴのように眼窩から零れ落ちた。地面に落ちた目玉を、兵士は自分の足で踏み潰してしまった。

 

 騎士はそれに目もくれず、戦場のどこか遠いところを見ながらさらに馬を走らせた。彼は(かたく)なに槍を見ようとしなかった。手から伝わってくる重みは、ある事実を彼に告げていた。

 

 折れていてほしい。騎士はそう思った。あえて乱雑な使い方をしたのも、今度こそ(コピア)が折れてほしかったからだった。折れないものが折れずにいる。折れるべきものが、なぜか折れないままでいる。そんなことがあってはならないのに、今なぜか、この戦場で、この自分の手許(てもと)でそのようなことが起きている。

 

 これは奇跡ではない。騎士は数秒だけ目をつぶった。起こってはならないことが起きている。太陽が東に沈んだり、鉄が水に浮いたり、馬が牛の仔を産んだり、羊が狼を襲うような……そういった、この世では決してあってはならないことが起こっている。(コピア)が折れない。それは紛れもなく騎士にとっては奇跡以上に奇跡的なことで、そして決して奇跡とは言えないことだった。

 

 意を決して、騎士は槍を見た。(コピア)はまだ折れていなかった。

 

 敵兵の血を大量に吸ったバナーはさらに赤く染まり、一段と重くなって槍に纏わりつくようになっていたが、槍そのものには何も問題はなかった。騎士は、それまでの自身の戦闘経験から、槍がまだまだ使用に耐えることを悟った。つまり、槍はまだ折れない。折れるべくして設計され、そのように作られ、そのように用いられた槍は、まだ折れない……むしろ、槍は新品同様に見えた。

 

 騎士はしばし呆然とした。彼は次第に敵陣の奥深くに侵入しつつあり、だんだん孤立するようになっていたが、そのことに気づかないほどに騎士は衝撃を受けていた。

 

 あと何人殺せば、この(コピア)は折れるのだろうか? 彼の周囲には敵兵が充満しつつあった。馬は疲労し、速度を落としていた。湯気が立ち上り、黒い毛の上には(ろう)のように真っ白で粘つく汗が浮き出ていた。やがて馬は疲れ果てて足を止めた。何発もの銃弾が飛来し、馬は被弾して倒れた。

 

 騎士は素早く態勢を立て直すと、槍を構え、迫ってくる敵兵たちに対峙した。絶望感などなかった。違和感だけが増していた。その違和感の正体が分かっているだけ、それはますます膨れ上がった。騎士は槍を握り直した。本当は投げ捨ててしまいたかった。

 

「どうもしっくりこない日だ」

 

 呟くようにそう言ってから、騎士は最初に間合いに入った敵兵へ向かって、また(コピア)を突き出した。

 

(「槍」おわり)




今回も4,700字くらいになってしまった! これではいかん! 次回はもっと字数を減らします(そうじゃないと書き続けられない)。もっと軽めのものを書かねば……ちなみに今回の騎士についてイメージを得たい方は、「ポーランドの有翼騎兵」で検索をしてみてください。
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