フロースヒルデの歌   作:ほいれんで・くー

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21. 子

 クローリスは母親に一番似ていた。だが似ていたのは容姿だけで、性格はほとんど共通するところはなかった。親と子の性格が似るのは、ある程度は子が親の感覚器官の構造を受け継ぐからである。あるいは神経組織の作りも類似するからだろう。しかし、容姿も人格も能力もすべては車輪の(スポーク)と同じである。無数の変数の輻輳(ふくそう)として個は存在する──ゆえに悲劇のバリエーションも無数となる。

 

 ともあれ、クローリスは母親によく似ていた。彼女は母親と同じような美しい黒髪をほっそりとした肩の上にまで伸ばしていて、顔貌はすっきりとしていて鼻梁は高く、膨らんだ胸と豊かな臀部は細く引き締まった腰によって接続されていた。彼女をそのまま年取らせれば、そのまま母親と同じになっただろう。

 

 ただし、その目だけは違っていた。母親の目が常に怒りにも似た高慢と、冷たい独善に満ちていたのに対して、クローリスの目は穏やかで優しく、すべてのものの本質を見極めようとする好奇心に満ちていた。

 

 それゆえに、人々はクローリスについて、「母親に似ている」とは言わなかった。人々が彼女について何か言うことがあったとしても、それはせいぜい「確かに容姿だけは似ている」というだけだった。それほどまでに目の輝きの違いは大きかった。

 

 母親はこの目の輝きの違いゆえにクローリスを愛さなかった。積極的に憎んだわけではない。虐待をしたり、冷遇をしたり、他の兄弟姉妹との間に差別を設けたり……そういったことを母親はしなかった。母親はただ、娘であるクローリスを自分自身を愛するようには愛さなかっただけだった。自分を愛するように他者を愛する……それは愛の一番原始的で基本的な形である。そして、クローリスはそういう形の愛ですら母親から注がれなかったのだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 ヒュギーヌスが報告するところによれば、クローリスの父アンピオンはニュクテウスの娘アンティオペーと、神々の主神たるゼウスの息子である。アンピオンにはゼトスという兄弟がいた。二人の兄弟はアポロンの命令を受け、ボイオティア地方の首府であるテーバイを城壁で囲んだ。のみならず、彼らはラブダコス王の息子ライオスをこの地から追放し、彼ら兄弟自身がこのテーバイの地を支配し始めたという。

 

 やがてアンピオンは妻を娶った。その妻はタンタロスとディオネの娘であるニオベだった。肉体的な相性が非常に優れて良かったのか、あるいは精神的な価値の合致を見たのか、それとも王族としての使命感からか……もしくは、これすらも神々の計画であったのか、アンピオンとニオベとの間には息子七人と娘七人が生まれた。合わせて十四人である。クローリスは三女だった。それほど幼くもなければ年長であったわけでもない。十五歳から十七歳くらい……人生において一番精神が柔軟な時期で、それゆえに精神的な打撃も受けやすい時期、それがクローリスの歳だった。

 

 十四人の息子と娘は、彼らの母であるニオベの最大の誇りだった。ニオベはもともと誇り高い女ではあった。夫アンピオンは軍事的才腕に優れている上に竪琴の名手であった。またニオベ自身の家柄は直接神々に連なっていた。領国のテーバイは広大にして物産豊かで強大だった。そういったことすべてがニオベの誇りであったが、そういったことすべても十四人の息子と娘の前ではかすんでしまうのだった。

 

 だが、もっと正確なところを言うと、ニオベにとっての誇りとは十四人の息子と娘それぞれから生まれているものではなかった。「こういった息子がいて私は誇りに思う」とか、「こういった娘がいて私は鼻が高い」とか、そういった感情をニオベが抱くことはなかった。ニオベが誇りに思っていたのは、あくまでも自分自身に対してのみだった。十四人もの息子と娘を産むという大難事を乗り越えた自分に対して、また、十四人もの息子と娘を産みながらまったく衰えを見せない自分自身の容色に対して、ニオベは誇りを感じていたに過ぎなかった。

 

 もちろん、ニオベは母親であったから、母親なりに子どもたちを愛しはした。七人の息子たちには平等に愛を注いだ。乳母に頼らず乳をやり(このことも彼女の誇りの一部を成していた)、手ずから抱いてやり、文字と歌を教えた。娘たちも同様だった。彼女は教師を雇うこともなく、自分で娘たちを育てた。美しい歌と詩が女にとっては一番重要なことだとニオベは信じていた。

 

 しかし娘たちの中でもなぜかクローリスに対してだけは、ニオベの関心は種類が異なった。それはおそらく先に述べたように、クローリスが一番ニオベに似ていたからだろう。クローリスはどこまでも自分自身に似ている……その目を除いて。クローリスとニオベは限りなく似ていたが、決定的に異なっていた。それゆえにニオベにとってはクローリスは最も忌むべき子どもとなった。ニオベにとってクローリスは、この世において最も誇るべき存在である自分の、いわばニセモノのようなものだった。出来の悪い粗悪品、あってはならない贋物……そのようにニオベは思っていた。

 

 ただし、思っていたとは言っても、ニオベがその思いを自覚していたのかどうかは分からない。おそらく、彼女にとってもその思いは潜在的なものに過ぎず、ほとんど自覚すらしなかったものと思われる。彼女はすべての息子とすべての娘を平等に愛しているという自覚があった。それはとりもなおさず自分は十四人もの子どもたちに平等に愛を注ぐことができる偉大な母親であるという誇りに繋がるからである。ニオベは本気で自分がすべての子どもたちを愛していると思い込んでいた。

 

 クローリスに対してもそうだった。無意識のところでどう感じているのかはさておき、ニオベはクローリスに対して愛を注いでいた。そればかりではなく、ニオベはクローリスに対して、この子に対してだけは自分の心のうちを素直に話すことができると感じてさえいた。他の子どもに対しては決して言わないようなこと……侮蔑的なこと、あからさまな感情の表出、驕慢、何度も繰り返された思い出話、そういったことをニオベはクローリスにいつも語って聞かせていた。何度も何度も、何度も、ニオベはクローリスに同じことを語った。

 

 これまで述べてきたとおり、ニオベはそのことを自分がクローリスに対して抱いている特別な愛情の表れだと思っていたが、実のところは、これはニオベが潜在的にクローリスに抱いている憎悪の表出でしかなかった。自分にとっても忌まわしいこと、愚痴、他者の恨み言……そういったことを話して聞かせるのは愛ではなく、紛れもなく攻撃行動だった。ニオベはクローリスを愛しているつもりだった……本当は憎んでいたのに。憎んでいるからこそそのような語りができたのだった。

 

 特にニオベがクローリスに何度も語って聞かせたのが、彼女の止むことのない憤懣(ふんまん)だった。語られるたび、細かな言葉遣いはその都度異なっていたが、内容的にはまったく変わりがなかった。それはだいたい次のような内容だった。

 

「クローリス! あなたのお母さんがいつもどれだけ悔しく思っているか、あなただけは分かってくれるでしょうね! 見なさい、あのレートー女神の祭壇を。引きも切らずに民たちが祭壇へ赴き、花と(こう)と金銀と、犠牲の獣を捧げている。あのテイレシアスの娘、あの気が狂っている女マントーの戯言を真に受けて、テーバイの民たちはレートー女神にばかり敬意と(おそ)れと祈りを捧げている。だが、この私に対して民たちはまったく敬意を払わないのですよ! なぜ私はまったく崇められないのでしょう? 私の父はタンタロス、タンタロスの父はゼウスです。また、私の母はディオネ、ディオネの父はアトラスです。そうですとも! 私の一方の祖父はあの雷霆(らいてい)を投げる大神ゼウス、そしてもう一方は天空を肩で支えているアトラスなのですよ! それだと言うのに、なぜ私には、レートー女神に対する尊崇の、ほんの一部でさえも与えられないのでしょうか? なぜ私の有する神性に対して、これほどまでの無礼が加えられることが許されているのでしょうか?」

 

 ここまでは、ニオベの口調はまだ比較的穏やかである。内心では激しているが、それが表出することはない。語っている母親の心の動きをクローリスはよく観察して分かっている。クローリスはその目に悲しそうな色を浮かべながら、じっと無言で母親の話を聞いている。そして話は次のように進んでいく。

 

「そうですとも! 私はレートー女神よりもさらに敬われて然るべきなのです。それは私の夫が優れた王であるからだとか、私が女神以上に優れた容色を持っているからだとか、あるいはこの宮殿に山のように財宝があり、そしてこのテーバイが豊かな国であるからではありません。そうではなくて、私は十四人の息子と娘を産んだのですよ! 七人の息子に、七人の娘です! それに対して、あのレートー女神が産んだのは何人ですか? 男が一人に、女が一人、合わせてたったの二人ではないですか! 子どもの数から言えば、レートー女神は私の七分の一に過ぎないのです。裏を返せば、私はレートー女神の七倍も優れた母であるということになります。それなのに、人々はこの私に対して、レートー女神に対する敬意のほんの七分の一さえも向けないではないですか! これほど不条理なことがありますか!」

 

 こうなってくると、誰もニオベの言葉を制することはできない。クローリスは母親の語っている内容があまりにも涜神(とくしん)的であることを深く恐れながら、それでも母親に何も言うことなく、ただじっと聞いているだけである。激した気分が最高潮に達した後、ニオベは次のように言って話を締めくくるのだった。

 

「でも、私は幸せです! ええ、幸せですとも! これほどまでの恥辱、これほどまでの無礼を働かれておきながらも、私は幸せなのです! それは私が運命によって恵まれているからではなく、ひとえに私が強いからなのです! 私の幸せは神々が与えたものではありません。この私が、この私の強さが、この私自身に幸せをもたらしたのです。私は私の力で幸せになりました。たとえ、この先どのようなことが起ころうとも……そうです。たとえば数多い私の子どもたちの何人かが、あるいは病で倒れ、あるいは戦陣のうちに没し、あるいは巡り合わせによって不慮の死を迎えようとも、それでも子どもたちのすべてがなくなることはないでしょう。少なくとも、『たったのふたり』にまで減ることはないに決まっています。あのレートー女神ならば二人でも充分だと思っているのでしょうが! 『たったのふたり』なんて、まったくいないのとどの程度の違いがあるというのです?」

 

 ここまで一息に言い終えた後に、ニオベはクローリスを抱き締めて、最後の言葉を言うのだった。

 

「ああ、私のかわいいクローリス! 私の愛する娘、クローリス! あなたもいずれは子どもを産むでしょう! あなたは私の血を受け継いでいます。あなたは私とそっくりです。ですからきっと、私と同じだけの数の子どもを産むでしょう。もしかしたら、私以上に子どもを産むかもしれない! いいえ、あなただけではないわ! あなたの兄弟姉妹たちにもみんな、私と同じだけの数の子どもたちが生まれるでしょう! この私が産んだ子どもたちならば、絶対にそうなるに決まっています。そうなると、私の孫たちは合計で一九六人にもなるのです! あの容貌醜怪な巨人コイオスの娘レートーなど、どうということもありません! クローリス、あなただけは母の憤懣を分かってくれるでしょうね! この母の誇りがいかにして毎日蹂躙されているか、その苦しみがいかほどか、あなたは分かってくれるでしょうね! そうでしょうとも、あなたは私の娘なのですから!」

 

 母の言葉は愛に溢れていた。温かさがあった。それでもクローリスは、果たして母が本当に自分のことを愛しているのか、時として不安に思うことがあった。本当に母は自分のことを愛しているのだろうか? 本当に自分のことを愛しているのならば、このようなことを自分には言わないはずではないか……?

 

 では、自分はなんと母から言ってもらいたいのか? それは分からなかった。だが、疑問は残り続けた。それは春の晴れた空の向こうに見えるほんの小さな黒雲のようなもので、無視をすることは充分可能だった。だが、クローリスにはそれができなかった。

 

 

☆☆☆

 

 

 いくら誇り高くて激しやすいニオベであっても、流石にこのような憤懣を言うのは娘クローリスに対してだけだった。公で口にするのは憚られたのである。しかし、言い続けるということは慣れを生む。慣れは危険と怖れに対する麻酔薬となる。初めは娘に対してだけ言っていたニオベだったが、だんだん言い続けているうちに、ほんのひとすじだけでも残っていた神への怖れの気持ちも消えてしまって、ついに公の場でこのようなことを、ほぼそっくりそのままの言葉と内容で言ってしまったのだった。

 

 その日、ニオベはついに胸のうちにどろどろと溜まっていたものを爆発させた。ニオベはレートー女神の祭壇の目の前で、参拝者たちに向かって、たったのふたりしか子どもを生んでいない女神ではなく、十四人もの子どもを生んだこの世でもっとも幸せな母親を崇めるように命令した。のみならず、彼女は護衛の兵を使嗾(しそう)して、参拝者を祭壇から追い払ってしまった。それはとりもなおさずレートー女神への挑戦であり、侮辱であった。

 

 ニオベとしてはそのように言うだけで満足してしまったが、収まらなかったのはレートー女神だった。女神は自分の二人の子ども——つまりアポロンとアルテミスであるが——をキュントスの山頂へ呼んだ。息子と娘が来ても、女神はなかなか話し出さなかった。女神はしばらく苛立たしげにその場をぐるぐると歩き続けた。息子と娘は辛抱強く待った。だが、自分たちの母親が何を言い出すのかは、よく予想することができていた。やがて女神は言った。

 

「私はあなたたちの母親です。私はあなたたちを産んだことを誇りに思っています。タンタロスの娘、あのテーバイの女のニオベはこの私を侮辱しました。祭壇の前でさんざん悪口雑言を並べ立てた挙句、参拝者たちを追い払ったのです。それだけではありません。あの女は私を子なしの産まず()とさえ言ったのですよ! 私はなんとしてでもあの女に思い知らせてやらねばなりません……」

 

 アポロンとアルテミスは、それまで静かに話を聞いていたが、母親がそこまで言ってから、同時に口を開いた。

 

「母上、それ以上言葉を費やすのはおやめください。母上が話すことに時間を費やせば費やすだけ、あの女に加えられる懲罰が遅れるでしょう。ただちに私たちは地上へ向けて、あのテーバイの国に向けて出発いたします……」

 

 

☆☆☆

 

 

14/14

 

 こうして、惨劇が始まったのだった。

 

 その日、ニオベの七人の息子たちは馬に乗り、一団となって遠乗りに出ていた。テーバイの城壁の外には広い平原と深い森が広がっていた。息子たちはそれぞれたくましい馬に乗り、テュロス染めの真紅の織物を鞍として馬の背に跨っていた。手綱は黄金で飾られていて、ハミも紫に染められていた。

 

 息子たちはみな、輝くばかりに美しかった。彼らはみな若さに溢れていて、白い歯を見せて笑っていた。筋肉と汗、健康的な浅黒い肌……なにも考えずにいられるだけの豊かさ、健康。彼らは幸せに満ちていた。心から、彼らは自らに与えられた生命を楽しんでいた。やがて森についた彼らは、思い思いの時間を過ごし始めた。

 

 最初にアポロンに撃ち落とされたのは、長男のイスメノスだった。背が高く、武芸に優れ、心優しくも戦士として獰猛な面もあわせ持ったイスメノスは、母ニオベの自慢の息子だった。突然、胸に鋭い衝撃を受けたイスメノスは、手綱を手から放すと、馬の背からそのまま地面へと落ちた。胸には銀色の矢が刺さっていた。傷口からは鮮血が迸っていた。イスメノスは兄弟たちが駆け寄る前にはすでに絶命していた。

 

 13/14

 

 次にアポロンが狙いを定めたのは、次男のシピュロスだった。シピュロスは竪琴の名手だった。毎夜、父のアンピオンとセッションをするのが彼にとっての最大の楽しみだった。音楽に優れているということは、それだけ感性に優れているということでもある。彼は、自分たち兄弟が神々に狙われていることを悟った。彼は逃げ出したが、次の瞬間には喉に矢が突き刺さり、(やじり)は骨を貫通して反対側に飛び出していた。

 

 12/14

 

 三男のパイディモスと、祖父の名を受け継いだ四男のタンタロスは、馬に乗らず森の中の空き地で裸になって拳闘をしていた。二人は双子のようによく似ていて、思慮が足らず、腕力を鍛えることだけに興味があった。その時も楽しく二人は殴り合いをしていた。そしてそれは、唐突に終了した。ちょうど二人が組み合っているとき一本の矢が飛来して、あたかも二人を縫い合わせるように貫通した。二人が目を見開き、そして最後の息を吐いたのはまったくの同時だった。

 

 10/14

 

 五男のアルペノルは特に心優しい子だった。彼は二人の兄弟が同時に死んだのを見ると泣き叫びながら死体に駆け寄り、矢を抜いてやろうとした。アポロンはそれを狙い撃ちにした。胸は正確にアルペノルの左の肺臓に直撃した。貫通した矢は彼の胸に大穴を開け、そのまま飛んでいった矢は森の木に突き刺さった。銀色の(やじり)の先には肺臓の一部が引っかかっていた。

 

 9/14

 

 まだ幼い六男のダマシクトンは二本の矢を受けた。枝の先で地面に絵を描いて遊んでいたところ、一本の矢が左足の膝裏の(ひかがみ)に命中した。彼がそれを引き抜こうと躍起になっていると、もう一本の矢が飛来して、それは喉に命中した。噴出した血の勢いで突き刺さった矢は喉から外れたが、その際にごっそりと肉が剥がれた。ダマシクトンも寸時の間を置かずに絶命した。

 

 8/14

 

 最後に残ったのは七男のイリオネウスだった。彼はこれまでアポロンが兄弟に加えてきた殺戮劇をたっぷりと見せつけられていた。幼いながらも、彼は神々に対する哀願の言葉を知っていた。「どうかお助け下さい!」と、彼は両手を差し伸べて言った。だが無駄だった。アポロンは多少の哀れを覚えたが、それでも放ってしまった矢は神であっても元に戻すことができなかった。

 

 7/14

 

 森で息子たちが全滅したことを知って、ニオベは悲しみのあまり狂乱した。夫アンピオンの死も、その狂乱に拍車をかけた。アンピオンは跡取りである息子たち七人が一挙に死滅したことに絶望し、自分の胸に短剣を突き刺して自害したのだった。

 

 だがその狂乱にも、どこか誇り高い自分を演出する意図が含まれてはいなかっただろうか? ニオベは横たわっている七人息子たちの骸と、一人の夫の骸に身を投げかけ、みんなに別れの口づけを与えていた。ニオベは本心から悲しんでいたが……この期に及んでも彼女は女神レートーに対して改悛の意志を見せなかった。心の深層部分では、七人の息子と夫を失ってなお女神の不正に対して正義の憤りを示す誇り高さを保っていた。

 

 残された娘たちもまた悲しんでいた。みんなが泣いていた。だが、一人だけクローリスは、離れたところからどこか心配そうな目で母親のことを見ていた。母の普段の口ぶりを知っているだけに、この惨劇の後になってもなお、母が女神に対して謝罪の意志を見せないのではないかとクローリスは心配していた。

 

 だが、クローリスも母のことを愛していたのだろうか? クローリスが母のことを心配そうに見ていたのは純粋に母の胸の内を思ってのことだったのか? そうかもしれない。クローリスは心優しい娘だった。だがそれ以上に彼女は、母が自身の放埓で冒涜的な言動に対してどのような報いを受けるのか、その結末を知りたかった。彼女の目には好奇心があった……それは母ニオベにはない感情だった。

 

 母がどれだけ残酷な結末を迎えることになるのか、なぜそのようなことに自分の好奇心が喚起されるのか、クローリスは我がことながら不思議だった。彼女は自分の深層意識に漂っている、ある感情に気づいていなかった。母ニオベが無意識のうちに娘クローリスに憎しみを加えていたように、娘クローリスも母ニオベに対して——いつの頃からかは分からないが——憎しみを抱くようになっていた。何度も何度も繰り返される語り、同じ話、同じ愚痴、同じ憤懣、同じ呪詛と侮蔑と涜神(とくしん)的言動……クローリスは母の言うことをよく聞いていた。よく聞いていたからこそ、彼女は母を深く憎むようになっていた。彼女自身はまったくそのことに気づいていなかったが。

 

 一通り別れの口づけを終えると、ニオベはさらに程度を激しくして泣き叫んだ。

 

「無慈悲で残酷なレートー女神よ、私の悲しみを喜ぶが良い! 私の不幸に満足するが良い! 私は七人の息子を失った……私の誇りは半減したのだ! 私は夫を失った……私という存在は半分になったのだ! たったふたりの息子と娘と共に、勝利の凱歌を上げるがよい!」

 

 そこまで母親が言うのを聞いて、クローリスはハッとした。この調子だと、たぶんもう一言か二言、なにか言うに違いない。もっと取り返しのつかないことを母は言うだろう。はたしてそのとおりになった。ニオベはさらに大きな声で喚いた。

 

「だが、あなたは本当に勝ったのではない! 見なさい、この娘たちを! 私にはまだ七人もの娘が残っている! このみじめで不幸せな私には、今や幸せの只中にいるあなたよりもさらに多くのものが残っているのだ! あなたが息子と娘を使って多くの子どもたちを殺しても、私の方がまだ勝っているのだ!」

 

 その瞬間、どこかから弓の弦が鳴るのが聞こえてきた。それはアルテミスが弓に弦を張り、調整をする音だった。不吉な音だった。喪服に身を包んだ七人の姉妹たちはみな震えた。クローリスは覚悟した。おそらく自分は死ぬだろう。

 

 アルテミスは矢を放ち始めた。まず死んだのは長女のレルタだった。おっとりとしてのんびりとした包容力のある性格で、体つきもこのテーバイの大地のように豊かだった。矢が突き刺さったレルタの胸からは噴水のように血が迸った。

 

 6/14

 

 次女のキアデーは母親を慰めるためにそのすぐそばに立っていた。その時も彼女は母親を慰めようと言葉を発しかけていたが、飛んできた矢は彼女の細い首を切断し、()ね飛ばした。何事かを言わんとしたのか、キアデーの口は空中でぱくぱくとしていた。音を立てて彼女の頭部は地面に落ちた。

 

 5/14

 

 四女のアステュクラーティアは専ら自分を美で飾ることに興味があり、五女のシボエーもまた鏡を見て己に加える化粧を工夫することだけを考えているような人物だったが、ふたりはほぼ同時に矢を受けて死亡した。アルテミスはアステュクラーティアに対してわざと狙いを外して、即死できないようにした。ほっそりとした腹部に矢は突き刺さっていた。シボエーは両目に矢を受けた。突如として訪れた暗黒と激痛の中、絶望しながらシボエーは死んでいった。

 

 3/14

 

 六女のエウドクサはただ震えていた。震えたまま彼女は死んでいった。アルテミスはごく機械的に矢を放っただけだった。死体は四女と五女の上に折り重なった。

 

 2/14

 

 七女のオーギュギアはちゃっかりした性格だった。もしかすると、性格という面ではもっとも母ニオベに似ていたのはこの娘かもしれなかった。オーギュギアは姉クローリスを盾にしようとした。もはや逃れられないのは知っていたが、彼女の性格的にそうせずにはいられなかった。だが、矢はクローリスには当たらず、オーギュギアに命中した。

 

 1/14

 

 クローリスだけが残った。あたりは一面血の海だった。ピンク色の肉片が散乱していた。死を目前にして、クローリスはふと、母は自分のことを愛していたのだろうかと思った。本来ならば、そんなことを思う必要すらないはずだった。クローリスと母ニオベは、自他共に認める仲良し親子のはずだった。そのようにクローリス自身も信じていた。彼女は強いてそう信じようとしていた。

 

 しかし今は、彼女はどうしてもそのことが気になってしょうがなかった。彼女は母を見た。死んだ自分の姉妹たちへの悲しみよりも、母のことが気になっていた。

 

 母は娘たちの血で真っ赤に染まりながら、両手を天に向かって差し伸べて叫んでいた。

 

「女神様、レートー女神様! これまでの無礼、これまでの涜神(とくしん)のすべてを謝罪します! あなたの前にあっては私はただの一匹の女に過ぎなかったのです! 私の誇り、私の矜持などいかほどのものだったのでしょう! 今ではそれらがすべて無意味であったことを私は知りました! ですから、どうかクローリスだけは! この一人だけはお許しください! 私に一番似た、この優しい子だけは! 私はすべてを投げ出してあなたにお願いいたします!」

 

 クローリスは母の顔を見た。そこに一瞬だけ喜悦のような表情が浮かんだのを見て、クローリスは母がまだ誇りを捨てていないのを読み取った。最後に残った娘のために、自分のプライドを捨ててまで宿敵に対して懇願をする……

 

 そういった理想的な母親の姿こそ、母ニオベは今求めているのではないか? 己の誇りのために。

 

 急に、クローリスはすべてがどうでも良くなった。自分の母が究極的な意味で懲罰を受けることはないだろう。彼女はそう思った。この母は、自分に加えられるすべての懲罰を自分の誇りとして転化することができるのだろう。おそらく最後に残った自分の死でさえも、母は誇りの材料として活かすことができるに違いない。すべてを失ってなお生きていくことができる強い自分、七人の息子と七人の娘を失った母としての自分を誇りに思ったまま……

 

 母が私のことを愛したことなんて、これまで一度もなかったんだ。クローリスは目を伏せた。

 

 もういい。充分だ。クローリスは、ようやく自分の中でずっとわだかまっていた正体不明の感情を見定めることができて満足していた。たぶん自分は、気づかなかっただけで、ずっと母のことを憎んでいたのだろう。彼女は目を閉じた。自分に矢が刺さるのをじっと彼女は待った。

 

 だが、いつまで経っても矢は飛んでこなかった。クローリスは呆気に取られた。呆然としたまま、彼女はそこに立ち続けた。

 

 気づいた時には、母は真っ赤な血の海の中で一塊の岩になっていた。岩には割れ目があり、そこからは途絶えることなく水が流れ出ている。それは涙だった。

 

 その時、クローリスは、もしかすると母は本当に悲しんでいたのかもしれないと思った。私たち兄弟姉妹と父の死を、母は誇りの材料としていたわけではなかったのかもしれない。そうではなくて純粋に、母は悲しんでいたのかもしれない。

 

 そうではなければ、悲しみのあまり岩になるわけがないではないか?

 

 クローリスはもう幼くなかったが、まだ未熟だった。人の心には相反する二つの感情や意志が同居し得るということを彼女は知らなかった。本気で愛しつつも憎み、憎みつつも愛する。誇りの材料として利用しておきながら、まさに嘆きと悲しみの原因として受け止める。他人を道具としながらも、同時に目的の王国のうちに生きることができる。そういうことが可能なのが人間の心だった。クローリスは十四人の子どもの中で最も観察力に優れた子どもだったが、母が岩になっても、そのことには気づけなかった。

 

 生き残ったクローリスはその後、ヒッポコオンの息子ネレウスの妻となった。彼女は、母ニオベの言っていたとおり、たくさんの子を生んだ。十二人もの息子が彼女から生まれた。

 

 英雄ヘラクレスがクローリスの息子たちを殺した。十二人中、十人が殺された。

 

(「子」おわり)




参考文献 ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』(松田治・青山照男訳、講談社、2017年)
オウィディウス『変身物語(上)』(中村善也訳、岩波書店、1981年)

今回はニオベにまつわるいろんな伝説のちゃんぽんになっています。息子たちの死に関してはオウィディウスの『変身物語』に主に依拠しました。ちなみにヒュギーヌスが挙げている息子・娘たちの名前には後世において改竄されているようです。さっと書き終えようと思って書き始めたのに11,000字にもなってしまった……反省します。
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