フロースヒルデの歌   作:ほいれんで・くー

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※今回は二本立てです。


28. 死神・11月27日の日記

「死神」

 

 朝だった。皇子はイスファハーンの離宮の広い庭を歩いていた。澄んだ大気には塵ひとつ含まれていなかった。太陽の光線は穏やかで、風はやや冷たい。爽やかな朝で過ごしやすかったが、皇子にはなんとなく予感めいたものもあった。何かが起こりそうだった。皇子はそれを待ち受けながら庭の中を歩き続けていた。豊かな髯の生えた顔に多少の憂鬱の色を浮かべつつ、皇子はゆったりとした歩き方で園路を進んでいった。

 

 庭には多種多様な草花が植えられていた。どれも見事に剪定されている。赤い薔薇の花が特に皇子の目を惹いた。皇子は薔薇の花を見続けながら、心の中で一人の庭師の顔を思い浮かべていた。庭師はまだ年若い日焼けをした青年で、つい最近妻を娶ったばかりだった。死んだ父親から職を譲り受けてこの離宮の庭の手入れをしている。

 

 皇子は庭師のことを気に入っていた。多少軽率なところはあるが、仕事自体は実直にこなす。ふと皇子は、あの庭師がいなくなったら自分は困るだろうなと思った。

 

 その時だった。庭師が庭の入口の小門から入ってきた。庭師は小走りだった。すぐに立ち止まると、庭師は誰かを探すように忙しなく首を左右に振り始めた。そして、皇子が赤い薔薇の前に立っているのを見つけると、また小走りで近寄ってきた。それは慌てているというよりも、何かを怖れているかのような足取りだった。庭師は皇子の前に跪くと、口を開いた。

 

「殿下、どうか私をお救いください! つい先ほど、私は死神に出会いました!」

 

 今にも泣き出しそうな声だった。強い恐怖と絶望が庭師の心を満たしているようだった。皇子は落ち着くように優しく声をかけ、親しく肩を叩くなどしてから、自分よりも二十歳ほど歳下の庭師に対して言った。

 

「この帝国の首都の離宮、その庭園を一手に司る庭師としては、あまりにも無惨なまでの取り乱しようだ。呼吸を整え、精神を整えるが良い。だが、死神を見たとあればそのように取り乱しても不思議ではないのかもしれぬ。余は軍を率いて戦場を駆けることすでに十九度に及ぶが、これまで一度も死神を見たことがない。父王陛下も未だ死神を知らぬという。どこで死神と会ったのか、死神はどのような姿形をしていたのか、そしてお前にどのようなことをしたのか、余に話してみよ」

 

 庭師はやや落ち着きを取り戻したようだった。庭師の目は真っ赤になって潤んでいたが、それでも涙をこぼすことなく、まっすぐ皇子を見つめたまま答えた。

 

「はい、殿下。怖れながら申し上げます。私は今朝も日が昇る少し前に起きて、一頭立ての小さな馬車を駆って、イスファハーン郊外で肥料を商っている者の元へ向かったのでございます。ご存じではありましょうが、薔薇というものは大変肥料を必要とする花でございますから……庭園で使う肥料をそこで手に入れるつもりだったのです。明けかけた空にはまだ夜が残っていて、撤退し損ねた星がぐずぐずと昇りかけた朝日に焼かれつつありました。私は馭者台に座ったまま、馬が走るままに道を進んでおりました」

 

 そこまで話してから庭師は大きく身震いをした。怖ろしい光景を思い浮かべているようだった。

 

「あと少しで肥料業者に辿り着くというところまで来た時でした。前方から死神が歩いてきたのです。死神は若い女でした。その顔はこの世ならざる者特有の美しさを示していました。どこまでも白く冷たく、しかしどうしてもこちらはその顔に魅入ってしまうのです。死神はほっそりとした体つきで、真っ黒な外套を身に纏っています。右手には大きな鎌を持っていて、それを肩に担いでいるのです。氷の上を滑るようにして、死神は音もなく道を歩いていました」

 

 庭師はぶるぶると震え始めた。しかし話すことはやめなかった。

 

「馬が嘶きました。私も、その若い女が死神であることがすぐに分かったので、そのまま無視をして通り過ぎようとしたのです。決して目を合わせてはならないと思いました。目を合わせれば自分は死ぬと思いました。しかし死神は……ああ、なんということでしょう! 死神は、それまでやや俯きがちだった顔を上げて、馭者台にいる私の顔を見たのです! 死神は、私が横を通り抜けていく時にも、私の顔をしっかりと見ていました! そしてその瞬間、死神はなんとも(いか)めしい顔をして私を睨んだのです!」

 

 庭師はついに泣き崩れた。しばらく庭師は泣き続けた。皇子は庭師を慰めてやった。ほどなくして庭師はまた話し始めた。

 

「あの死神は間違いなく、私の命を狙っております! 私はすぐにでも死神の大鎌によって命を刈り取られることでしょう! 殿下、どうか私をお救いください! 私はこのイスファハーンを発って、タブリーズまで行きたいのです! そうすれば私の命は助かります。いくら死神とは言っても、あのように歩いて移動をするのであるならば、ここから九〇〇キロも離れたタブリーズまでは追ってこれますまい! 殿下、どうか私がタブリーズまで逃げることをお許しください。タブリーズには私の母の縁者がいるのです。しばらくはそこに身を隠します。神のお許しがあれば、また私は殿下のお庭を綺麗にすることができるでしょう!」

 

 庭師はまた泣き始めた。皇子は優しく庭師の肩を抱きながら答えて言った。

 

「そのように泣くものではない。死は誰にでも平等に訪れるものだ。死神がお前を睨んだからと言って、何も泣き叫ぶには及ばない。余も、時が来れば死神に睨まれるのであろうからな。だが、他ならぬお前の頼みであるから、余はそれを聞き入れてやろう。いや、仮令(たとえ)お前が余にとっての不倶戴天の仇であったとしても、その頼みは聞いてやろうではないか。死神に狙われるというのは、おそらくこの世で最も怖ろしいことであるに違いない。余も戦いの恐怖は克服することができたが、死の恐怖を克服することはまだできていないからな……さあ、余の厩舎へ行き、余の自慢とする駿馬をいくらでも選ぶが良い。通行証も与えてやろう」

 

 庭師は何度も皇子に拝謝し、その寛大さと慈悲深さを称えた。庭師は通行証を胸に抱き、皇子の駿馬を駆って離宮の城門から出ていった。皇子はそれを見送ってやった。砂塵を巻いて走り去っていく庭師を見ながら皇子は、それでもこれだけで話が済むわけはあるまいと思っていた。皇子の顔から憂鬱が消えることはなかった。

 

 イスファハーンからタブリーズまでは九〇〇キロもある。この時期であっても日中は暑い。非常に困難な道中になるだろう。しかもそれを庭師は一日で越えていこうというのだ。皇子は、自分だったらそこまで苦労をするくらいならばむしろ従容として死神の鎌を受けるだろうと思った。

 

 午後になった。太陽は中天からかなり低いところまで下がっていて、その威力を減じつつあった。日課が一段落した皇子はまた庭を歩いていた。普段好んでいる音楽も文学も、今日ばかりはあまりやる気が起こらなかった。従者すらも遠ざけて、ただ皇子は庭を一人で歩き続けていた。そして気づいた時には、皇子は朝と同じく、真っ赤な薔薇の花の前に立っていた。

 

 ふと皇子は、庭師はいつタブリーズに着くだろうかと思った。たぶん夜頃だろう。皇子はなんとなく、あの庭師はタブリーズからもう帰ってこないのではないかと思った。

 

 その時だった。離宮の庭に何かが入ってきた。暗く冷たく、威圧感のある気配が、瞬く間に庭の中を支配した。それはまるで夏の夜の嵐のようだった。皇子は庭の入口に目をやった。そこにいたのは死神だった。死神は若く美しい女で、滑るようにして庭の中を歩いていた。右肩に担いでいる大鎌の刃は湾曲していて、午後の陽射しを浴びて鈍く輝いている。

 

 皇子は離れたところから死神を見ていた。見れば見るほど死神は美しかった。見ているうちに、なんとなく皇子の胸の内に怒りにも似た感情が湧いた。それまで皇子が見てきた死はどれも美しいものではなかった。特に皇子が戦場で見た死は例外なく悲惨で、苦悶と嘆きに満ちていた。この死神は、欺瞞をしている。怒りの眼差しを保ったまま、皇子は死神を見続けた。美しくない者が美しいように見せかける……それこそが最も原初的な欺瞞の形態ではないか? ならば、美しいものがさらに美しいように見せかけるのは何を目的とした欺瞞なのだろう?

 

 一方、死神は皇子の視線のことなどまったく意に介していなかった。死神は大鎌を担いだまま、庭の中を音もなく歩き続けていた。美しい形に刈り込まれた植え込みの草を見つめ、頷き、色鮮やかに開いた花に顔を近づけて匂いを嗅いでいる。やがて死神は、皇子の前にある赤い薔薇に気づいたようだった。死神は皇子と薔薇の近くに寄って来た。そこで初めて、死神は皇子の存在を認識したようだった。

 

 ほんの近いところから死神は皇子の顔を見つめた。死神は無表情だった。皇子もまた死神を見つめた。皇子は案外死神が幼い顔をしていることに気づいた。十五歳か十六歳くらいだろうか。自分の娘もあと五、六年ほど経てば、このような顔立ちになるのかもしれない。そう思って皇子は死神を睨むのをやめた。そして皇子は、死神に対して穏やかな口調で言った。

 

「どうして今朝、お前は余の庭師に対して(いか)めしい顔をして睨むようなことをしたのかね?」

 

 死神は何も言わず、ただ少しだけ首を傾げた。皇子がいったい何の話をしているのか、少し分かりかねるというような顔だった。だがやがて死神は、皇子の言わんとしていることを理解したようだった。死神はおもむろに口を開いた。秋の大地に霜を降らせるような、密やかで冷たい声だった。

 

「私はあなたの庭師に対して(いか)めしい顔をして睨んだわけではありません」

 

 それだけ言うと、死神はまた口を閉ざした。皇子はちょっとだけ首を動かして続きを促した。死神はまた話し始めた。

 

「私はあの時、驚いた顔をしたのです。というのもあの時、私は意外な場所であの男に会ったものですから」

 

 そう話しつつ、死神は黒い外套の胸の袂を開いて、中から一冊の帳簿を取り出した。袂から覗く胸は雪のように真っ白で、肌には青い血管が薄く浮いていた。死神は皇子の前で帳簿の(ページ)をパラパラと捲った。そして探していた箇所を見つけると何回か軽く頷き、帳簿を閉じながら言った。

 

「予定によると私は今晩、ここから九〇〇キロ離れたタブリーズの(まち)の一角であの庭師の命を刈り取ることになっているのです。それなのに庭師は今朝このイスファハーンの都の郊外にいました。予定よりもずいぶん離れたところに庭師がいるものだから私は驚いたのです。帳簿に示された予定に間違いはありませんから、庭師は今晩確実に私によって死を迎えることになります。しかしいったいどういう事情があって、それほどまでに大急ぎで庭師はタブリーズまで行ったのでしょうか? 皇子よ、あなたは何か知りませんか?」

 

 死神は不思議そうな顔をしてそう言うと、口を閉じて皇子の返答を待った。皇子は表情には出さなかったが、心の中で愕然としつつ思いを巡らせていた。

 

 してみると、あの庭師は全力で、九〇〇キロ離れたところで待ち受けている死に向かって自ら走っていったというわけだ。

 

 愚かとは言えなかった。哀れさが胸に募った。夜、月が優しく照らす中、汗まみれになっている庭師が満足そうな笑みを浮かべている。庭師はついにタブリーズの城門に辿り着いていた。馬は疲れきっている。庭師は、救われたという顔をして城門をくぐっていく……そのことを想像するのは、あまりにも痛ましかった。皇子は目を伏せた。

 

 いつまで経っても皇子が何も答えないのを見ると、死神は一人で納得したかのように頷き、背を向けて庭から出ていった。

 

 太陽はすでに傾いていた。夕暮れが空に迫っていた。死神に影はなかった。

 

(「死神」おわり)

 


 

「11月27日の日記」

 

「昨夜は23時半に就寝した。疲れていたのかすぐに眠ることができた。ここ最近では一番の入眠だった。肉体的な疲労よりも精神的な疲労の方が眠気を促すようだ。そして精神的な疲労とはつまるところ脳の疲労である。脳といえども単なる一臓器に過ぎない……ということは、これまで人類の歴史を豊かに彩ってきた偉大なる苦悩や懊悩といったものも、すべては単なる臓器の疲労によるものに過ぎないのであろうか」

 

「脳を適度に疲労させるには数学の問題を解くのが一番なようだ。昨夜はそのおかげで早く休むことができた。要するにエクササイズだの筋トレだの有酸素運動だのといったことをしなくても、数学の問題を解けばすぐに眠れるということである。それならばなぜ薬局には睡眠薬や睡眠導入剤ばかりがあって、数学の問題集が置いていないのだろうか」

 

「6時半に一度目が覚めた。今日は休みであるからもう少し眠っていたかった。もう一回眠ろうとしばらく頑張ってみたが、どうしても眠れなかったので、諦めて食事をすることにした」

 

「6時35分に朝食、プロテインバーを一本だけ食べた。朝食後は7時過ぎまで英語の勉強をするなどした。しかしあまり捗った感じはしなかった」

 

「7時半から11時半までまた眠った。今度はよく眠れたように思う。疲労が溜まっているのだろうか」

 

「11時半から13時まで仕事をした。かなり捗ったが、それは量的な次元の話であって、質的にはあまり良いものではなかった。文藻(ぶんそう)の豊かさというものは才能によって決まるのだろうか。それともその時々の脳のコンディションによって決まるのだろうか。私は最近、才能というものに対して懐疑的になってきた。才能などというものは本当にこの世に存在するのだろうか? 私は何も書けないような気がするが、おそらくそれが普通なのだろう」

 

「13時に昼食、昨日の残りのチキンのハンガリー風煮込みとご飯を食べた。昼食後は体が動かず、椅子に座ってなんとなく本を読むなどしていた。何度も読んだボルヘスの怪奇譚集をまた読んでいる。多少は散歩をするなどした方が良いのだろうが、どうしても今日はそのようなことをする気にならない。そもそも今日は今のこの時刻の段階で着替えてすらいないのだ。寝巻のままである。これこそまさに私が深く疲労している証拠だろう。ただし疲労と言ってもそれは脳の疲労に過ぎないのであって、肉体的な疲労ではない。であるから、やはり私は少しでも良いから体を動かさねばならないのである。そうでないとまた負のループに嵌りこむことになりかねない」

 

「14時に契約している保険会社の外交員のSが来年のカレンダーを持って挨拶に来た。普段は至極どうでも良いことでメッセージを送って来るのに、こうやって家に訪問してくる時には事前の連絡を何もしてこない。さっさと挨拶してさっさと帰れば良いものを、いつまでもだらだらとおしゃべりをするものだから無駄に時間が経ってしまった。しかもこの無駄な時間というのも、こちらはぐずぐずとしてなかなか行動に移せないでいる中での無駄な時間であるから、そのようにSを非難するのは不当なのである。そのことを自覚している分だけ苛立ちが増す。14時半にSは帰っていった。Sには五人も子どもがいるらしい」

 

「15時半まで数学の勉強をした。これが単なる趣味であるならばここまで懸命に勉強をしたりなどしない。やはり仕事であるから勉強をするのだ。しかし苛立ちは募る一方だった」

 

「15時45分に外へ少しだけ歩きに出ることにした。どんよりとした曇り。図書館に寄ってからN駅方面へ行く予定」

 

「16時15分に帰宅した。N駅近くで事故現場を目撃してしまった。どうやら街路樹のイチョウの木を剪定しようとした作業員が高所から落下してしまったようだった。私がその場に通りかかるほんの数分前に事故は起きたようだ。地面に倒れている作業員の口からは糊のようにべっとりした赤い血が流れ出ていた。仲間たちが周りを囲み、作業員を揺さぶっている。誰も何も言っていない。通行人たちは何も見なかったかのような顔をして足早に通り過ぎていく。それでも作業員はぴくりとも動かない。目が半開きになっていて虚ろになっているのが通り過ぎている私にもよく見えた。ちょうど警察官が自転車に乗って臨場してくるところだった。あの様子では作業員はおそらく死んでいたのだろう。ハーネスもヘルメットも装着していなかった。いったいどういう労働環境だったのだろうか。散歩の直前までイライラしていた自分のことが急に馬鹿馬鹿しく思えた。死は至る所に潜んでいて、私たちはたまたまそれを避けて生きているに過ぎないのだ」

 

「事故現場を通り過ぎた後に買い物をすることを忘れていた。家の近くのコンビニで煙草とりんごジュース、パンと牛乳を購入した」

 

「16時半から18時20分まで仕事をした。しきりにあの作業員の顔がちらつく。前に潰れて死んだネズミの死体を見たことがある。ネズミの口からはべったりと、糊のような赤い血が出ていた。赤い血の中には白い細かな骨片が混ざっていたように思う。あるいは歯の欠片か。作業員の口からは骨や歯は出ていなかった。しかし今では、ネズミと作業員の姿が混ざっている。私の記憶が作業員の死をコンタミしたのだ。あの作業員は今朝、どういうことを思って、どういう顔をして家族の元を出たのだろう。若い作業員だった。おそらくまだ二十歳にはなっていないだろう。今日この日あの時、死が自分の元を訪れると作業員は思っていたのだろうか? そんなわけはあるまい。作業員は何も考えず、何も思わず、ただ仕事に向かったに過ぎないだろう。彼は家族に笑顔を向けたかもしれない。家族も作業員を笑顔で送ったかもしれない。そんなことを思っていると急に作業員のことが可哀想に思えてきた。可哀想でたまらなくなる。なんで彼は死んでしまったのだろうか」

 

「19時に夕食を食べた。白いご飯、ほうれん草と蒲鉾の餡掛け炒め、レンコンの煮物、ジャガイモとわかめの味噌汁。多く食べてしまった」

 

「19時40分に夕食を終えた」

 

「20時に入浴した。入浴後は少しだけ数学の勉強をした」

 

「数学の勉強を終えた後、またボルヘスの怪奇譚集を読んだ。収録されているジャン・コクトーの『グラン・テカール』の一節「死神の顔」は私のお気に入りだ。いつかこの短い一節を自分でも小説にできないものかと思う。ただし死神をどのように造形するかが問題だ。死は美しいものか? 美しいものかもしれない。ただしそれは偽装されている可能性がある。倒れていた作業員の顔がどうしても頭から離れない。彼は私に何を教えてくれたのか? 死そのものが美しいものであるのか、あるいは美しいものではないのか、それは分からないが、この世に死が残すもの・死の結果は、たいていの場合美しくない。そのことを彼は教えてくれたのではないだろうか。きっと作業員は生きている間は美しかったのだろう。彼は有能ではなかったかもしれない。気が利かず、偏屈で、不愛想で、態度が悪く、作業のスピードは遅くて不正確だったかもしれない。だが、彼は生きていた。そして彼はきっと、美しかった。生きているということはそれだけで美しい。これは間違いなく言えることだ。ヨブのような生であってもそれは美しい。苦しみに満ちた生であっても、死が残すものと比べれば数段は美しいはずだ。私はこれまで死について美化しすぎていたのではないか? 死は描きやすい。死は書き甲斐がある。おそらく私は今後も死について書き続けていくだろう。たぶん、美化したものとして。私があの作業員の死をそのままの形で書くことは、おそらくないだろうし、それ以上にきっと不可能だと思う。書くということは、たぶん美化することなのだ」

 

「ジャン・コクトーのこの一節が優れているところは、死をそのままに描いているわけでも、美化をしているわけでもないところだ。むしろ彼は、直接的に死を描いてはいない。間接的に描いているだけだ。そして、どことなくおかしみがある。そう、おかしみがあるのだ。庭師が愚かなわけではない。この一節を読んで庭師は愚かで、従って人間一般はおしなべて愚かだという者がいれば、私はきっとそれは違うと言うだろう。人間は、あるいは人間の生は愚かなのではなく、ただおかしみがある。庭師は死を逃れようとして全力で死に向かって突き進んでいく。馬を替えながら、庭師はイスファハーンへと向かって逃げ去っていく……それは愚かなようで愚かではない。それこそが人間の生き方だ。つまり、私たちの生はすべておかしみがあるということだ。ならば私は、そのおかしみを描くべきではないだろうか? それができるのか?」

 

「それでも私の脳裏にはやはりあの作業員の顔がちらつく。ネズミの死体のイメージによってコンタミされた作業員の顔。赤い糊のような血がべったりとついた口、ぴくりとも動かない体。どうやればこれをおかしみのあるものとして書くことができる? 私にはそれだけのことができそうにない。ジャン・コクトーにも可能だろうか? ボルヘスにも? あの作業員のあの顔、あの死。あれをおかしみのあるものとして、どうやって書くことができるだろう? それならば逆に、作業員があの顔、あの死を迎えるその直前まで送っていた生を、私はおかしみのあるものとして描くことができるだろうか? それもできそうにない。たぶん私は何も書けないのだ」

 

「23時に就寝した。1時まで眠れなかった」

 

(「11月27日の日記」おわり)




参考文献 ボルヘス、カサーレス『ボルヘス怪奇譚集』(柳瀬尚紀訳、2018年、河出書房新社)「死神の顔」(ジャン・コクトー『グラン・テカール』)

掌編というのは新しいことにチャレンジするのにうってつけの形式です。長編で新しいことをやるとなると大変ですからね。今回は初めて日記形式のものも書いてみました。日記形式はまだまだ開拓し甲斐がありそうです。ちなみにジャン・コクトーの『グラン・テカール』(Le Grand Écart)は澁澤龍彦が『大股びらき』として訳しているようです。読んでおかねば……

※前半の「死神」の方では庭師はイスファハーンからタブリーズへ向かっていますが、元ネタの方では庭師は「イスファハーンに行きたいのです!」と言っています。
※コンタミ=汚染
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