勝てない戦いではなかった。いや、勝てて当然のはずだった。それでも軍勢は敗退した。一万もの鍛え抜かれた精鋭たちが風に吹かれた綿毛のように散り散りになった。
粉砕された戦列歩兵の残骸が野に散らばっていた。死体は野晒しにされていた。自信満々にこの戦いを始めた司令官の行方は
その
薄く雨が降っていた。陰気な雨だった。銃は重かった。残弾はほとんどない。火縄も火薬も不足していたし、すべて湿っていた。兵士の軍装は乱れていて、泥まみれだった。赤い
兵士はまったく負傷していなかった。かすり傷ひとつ負っていない。それは奇跡的なことだった。あの戦いでは大勢の味方が死んだ……彼の所属していた戦列で生き残ったのはほんの数人しかいないはずだった。敵の大砲は雨のように砲弾を発射してきた……それは
兵士は空を見上げた。彼はこれから雨脚が強くなるのか、それとも弱くなるのかを考えていた。もし雨が強くなるようならば、その時はこの木の下から出ていけば良い。雨が激しく降っている中ならば、敵も敗残兵狩りの手を緩めるだろう。だが、雨に当たり続けていると肺炎になる可能性がある。そうなれば死だ。あらゆる病気の中で、肺炎が一番怖い。
もし雨が弱くなるようならば……兵士はさらに考えた。その時でも、この木の下から出なければならない。弱い雨ならば肺炎も気にせずずっと先へ歩いていくことができる。早く歩き出さねばならない。味方の支配領域まではここから三十マイルほどあるのだ。今ではあの戦闘が終わってから半日ほどが経とうとしている。敵もそろそろ真剣になって敗残兵を狩りたててくるだろう。すぐにここから移動しなければならない。
雨が強まろうが弱まろうが、いずれにせよ動かなければならないのに、それでも兵士は自分の体がまったく動かないことを不思議に思っていた。彼は優れた兵士だった……戦場にあっては勇敢で、戦友愛が強く、有能で、敵を殺すのに躊躇がなかった。所属している軍隊や司令官への忠誠心という観点からするとやや不足しているものがあったが、それでも彼が兵士としての素質に富んでいるのには間違いなかった。優れた兵士であるから、彼は自分が生き残るにはすぐにでも行動を開始しなければならないのを知っていた。それでも彼の体は動かない。
なぜだろうかと兵士は思った。気力が萎えているのだろうか。それとも、敗戦の
だが、次の瞬間には、彼はその結論を打ち消した。そうではない。いや、絶対にそうではないのだ。彼はたった一つだけの理由を知っていた。自分がここから動けないのは、怒りのためだ。
司令官に対する、強い怒り。それが鉄枷のようになって、自分をここに縛り付けている。
兵士はあの時、見たのだった。自分たちの司令官が敵の砲撃を浴び、恐慌状態に陥って、マントも鎧も脱ぎ捨てて戦場から逃げていったのを。それはなんということもない砲撃だった。一般の兵士たちならば日常的に経験しているような砲撃だった。そんなごく軽い砲撃にも、あの司令官は耐えることができなかったのだった。子どものように泣き叫びながら司令官が逃亡してからは、軍勢は見るも無残に統制を失って、即座に敗北した。
あいつが逃げさえしなければ……兵士は強く噛み締めた口の端から血がにじむのを感じた。あいつが逃げさえしなければ、今ここで雨が強まるか弱まるかなど考える必要もなかったのだ。
もしあの司令官と出会ったら、この手で殺してやりたい。この手で、このスパイク状の銃剣を胸にぶち込んでやりたい。
憤りの感情はなかなか消えなかった。それでも兵士は次第に疲労感を覚え始めた。彼は空腹だった。空腹が眠気を誘った。だが、ここで眠るわけにはいかない。なんとしてでも起きていなければならない。彼はまた銃を抱え直した。しばらくしていると、また自分が眠気に呑まれそうになっているのに気づいて、兵士は姿勢を直した。彼はそんなことを何回か続けた。
あの司令官を殺すことが叶わないのならば、それならせめて、今度は立派な司令官の元で戦いたい。兵士はぼんやりとそう思った。
もう何回姿勢を直したか分からなくなった頃、兵士は朦朧とする意識のまま目線を地面へと落とした。木の下の地面は黒々とした土が剥き出しになっていて、ところどころに蟻の巣と思しき小さな穴が開いていた。ただし、蟻の出入りはない。
冷たい風が吹いてきた。風は先ほどまで戦闘が行われていた方角から吹いてきた。途端に兵士は身震いした。風が戦いの残り香を伝えてきた。硝煙のにおい、鉛のにおい、折れた刀剣のにおい、血のにおい、糞尿のにおい、引き裂かれた死体のにおい、散乱した肉片と骨片のにおい……
兵士は、その時、その風が一丸となって地面の蟻の巣に入っていくのを見た気がした。風は濃い紫色をしていた。風は幾筋にも分かれて、地面に開いた無数の穴へと侵入していく。兵士は今では眠気も忘れて、息を呑んでその光景を眺めていた。風の音が耳を打った。女の悲鳴のようにも聞こえた。もしかしたら風には魔力があるのかもしれなかった。
やがて、風が止んだ。兵士はまだ地面を見続けていた。何かが起こるような気がしていた。自分がそれまでこの木の下から動かずにじっとし続けていたのは、もしかすると司令官への怒りなどではなく、このようなことが起こるのを心の奥底で予感していたからかもしれない。兵士はそのようにさえ思った。それほどまでに予感は強かった。ただの幻覚を見ている可能性もあったが、それにしては風のにおいはあまりにも現実味を帯びていた。
兵士が予感していたとおり、それは起こった。
地面の穴から、何かが姿を現した。それは蟻ほどの大きさの兵士だった。頭には鉄製の
兵士は、息を呑んで蟻のように小さな兵士たちを見ていた。おそらくこれらはすべて歩兵だろう。同じ兵士とは言っても、彼とそれらとでは随分と違いがあった。
小さな兵士たちの数はどんどん増え続けた。今では木の下の地面を覆い尽くすほどだった。兵士たちは十人くらいの分隊を組み、分隊を五つにまとめて小隊を組み、さらに小隊を四つにまとめて中隊を組むと、二列の縦隊を組んで行軍を始めた。数百……いや、数千はいる。兵士はそのように思った。
兵士は、次に穴の中から小さな軍馬と小さな砲車が出てきたのを見た。馬は彼が知っているものとさほど変わりがなかったが、大砲は違いがあった。それは大砲というよりも機械だった。様々な金属製の部品が付いている。もし真ん中に穴の開いた円筒形の物体がなかったとしたら、それを同じ大砲であると認識はできなかっただろうと彼は思った。大砲は枯草色に塗装されていた。
砲車には小さな兵士たちがついていた。おそらくそれは砲兵だった。砲兵たちも平たい
砲車と砲兵の次には、何やら小さな四角い箱の群れが出てきた。緑色の四角い箱は動いていた。箱には四つの小さな車輪がついていて、聞いたことのない轟音を立てている。箱は薄い金属の板でできているようだった。箱の後部には
兵士は車の群れが全部出てくるのを見守った。彼は騎兵が出てくるのを待っていた。すべての兵科の中で、彼は一番騎兵が好きだった。騎兵がいるからこそ血生臭い戦争もどこか華があるのだ。彼から言わせると、騎兵のない軍隊など軍隊ではなかった。だから彼は、小さな軍隊がどのような騎兵を持っているのかを見たくて、今か今かという気持ちでそれを待っていた。
だが、騎兵は出てこなかった。代わりに出てきたのは、また四角い鉄の箱だった。しかし今度のものは先ほどのものとはかなり異なっていた。それはかなり大きく、全体的に見て
これで終わりだろうかと兵士は思った。だが、まだ足りないものがあるぞと思った。結局騎兵は出てこなかったが、騎兵の他にもこの軍隊には足りないものがある。それは司令官と司令部だった。彼は、いったいどういう司令官が出てくるのかを見てみたかった。彼はちょっとだけ空を見上げた。雨はほとんど止みつつあった。彼はちょっとだけ視線を下げた。小さな兵士たちと砲車、四角い箱たちは、木の下から離れてどんどん平原の方へと進んでいく。
ちょっと目を離している隙に司令官が出てきていた。白馬に乗った司令官は仕立ての良い黒い軍服を身に纏っていて、真っ白なマントを羽織っていた。胸にはごてごてと勲章をつけている。静かな、冷静な顔をしていた。後方には幕僚たちがいた。幕僚たちも概ね似たような格好をしていた。司令官と幕僚たちの後ろからは、大量の将校
兵士は、少しばかりがっかりしたような気分になった。変わった兵士たちに変わった大砲、変わった車に、勝手に動く鉄の箱……しかし、司令官だけは自分の知っているものとあまり変わりがない。彼は馬に乗ったまま先へと歩いていく小さな司令官を見つめ続けた。偉そうにふんぞり返っていて、鱗みたいに勲章をつけていて、部下を家屋敷の召使いのように使っている。
こいつだって、今は偉そうにしているが、自分が危なくなれば、部下を置いて一目散に逃げ出すんだろう。兵士は冷ややかな視線を司令官に注いだ。
穴からはもう何も出てこなかった。兵士は、蟻のように小さな軍隊がどこへ行くのか気になった。この木の下から離れるか? こうして迷っている間にもあの軍隊はどこかへ消えてしまうかもしれない。雨はもう完全に止んでいた。兵士は小さな軍隊を追いかけることにした。今は一刻も早く三十マイル先の味方の陣地に戻らなければならない。それは分かっているのだが、彼はどうしてもあの軍隊がこれから何をするのか確かめたかった。
軍隊であるならば、必ず殺し合いをするはずだ。あの変わった軍隊はどのような殺し合いをするのだろうか? きっと、ものすごく変わった殺し合いをするに違いない。
兵士は自分の銃を担ぎ直すと立ち上がって、小さな軍隊が進んでいった平原へ向かって歩き始めた。ただし、追及してくる者の目を避けるため、彼はできるだけ低い姿勢を保ち続けた。具合の良いことに、平原のところどころには背の低い茂みがあって、体を隠すには絶好の場所を提供していた。
幸いなことに、軍隊はさほど離れていなかった。兵士は十メートルほどの距離をとってそれを追いかけた。ちょっと目を離すと軍隊は地面に溶け込んで見えなくなってしまう。その点では、それは蟻の行列とまったく同じだった。見えなくなるたびに兵士は注意力と観察力を費やして、またそれを見つけ出すのだった。
やがて、小さな軍隊は平原の中心付近で止まった。停止するなり、小さな兵士たちは銃の代わりにスコップやつるはしを手に取って、地面に穴を掘り始めた。また巣穴でも掘るのだろうかと兵士は思っていたが、ほどなくして彼らが陣地を設営し始めたのだということに気づいた。小さな兵下たちは黙々と塹壕を掘っていた。塹壕は綺麗な稲妻形をしていた。
兵士たちは休むことなく働いた。瞬く間に地面には何本もの塹壕ができた。それだけではなく、塹壕の前方の地面には等間隔に木の杭が打ち込まれた。杭には棘のついた鉄線が巻きつけられていた。兵士は、おそらくそれは
塹壕の後ろでは、砲兵たちが
幌のついた四角い箱は盛んにあの毒気のある煙を吐き出しながら、陣地の左右を行き来していた。兵士を載せたりおろしたり、あるいは積んでいる木箱をおろしたり、どこかから何かを運び込んだりしている。やはりこれは車の一種なのだろうと兵士は思った。やっていることは馬車と何も違いはない。それならば、なぜ馬車を使わないのだろうか? どうもこの小さな軍隊は非効率的なことばかりしていると彼は思った。
あの菱形の箱は塹壕と塹壕の間に設けられた空き地に止まっていた。菱形の箱は十個ほどあった。箱の上が開いて中から小さな兵士が出てくるのを見て、兵士は驚いた。そうすると、この菱形の箱の中には兵士が乗っていて、それがこの箱を動かしているのだろうか。いったいどういう仕組みになっているのだろうと兵士は思った。できれば箱を手に取って調べてみたい……だが兵士は、その誘惑に耐えた。
塹壕と放列の後ろには兵舎と司令部が建設されつつあった。司令部はさっそく機能を始めていた。机が並べられて、スタッフが書類に向かって盛んにペンを走らせている。しかし、あの司令官だけは仕事をしていなかった。彼は幕僚たちと共にテーブルに腰かけていた。テーブルには白いテーブルクロスがかけられていて、陶器の皿と銀の食器が並べられている。すぐにボーイと料理人が来て、料理と酒を用意した。司令官たちは何かを話し合いながら食事をし始めた。
兵士たちが泥まみれ、汗まみれになって働いているのに、司令官は美味いものを食って飲んで笑っている……兵士は強い憤りの念が自分の中で復活するのを覚えた。彼はすぐにでも茂みから立ち上がって、司令官たちのテーブルをめちゃくちゃにしてやろうかと思った。しかし、彼はしばらく耐えた。やがて、そんなことをしても、あの逃亡した司令官への復讐にはならないという考えが浮かんできた。彼は小さな司令官の顔を見た。穏やかで冷静な顔をしていた。こいつを倒したところで……自分にとっては何にもならない。彼は自分の昂った気持ちがだんだんまた落ち着いていくのを感じた。
突然、陣地の前方で爆発が起きた。
小さな爆発だったが、それでも兵士は驚いた。爆発は間を置かずに何回も続いた。真っ黒な爆煙の中に赤い炸裂炎が明滅している。それはどうやら砲撃のようだった。おそらく榴弾だろうと兵士は思った。だが普通、砲兵というものは榴弾ではなく、鉄の塊でできた弾丸を、目の前の敵に向かって直接放つものである。しかし、ここにこうして砲撃してきている敵の姿はどこにも見えない。
砲撃を受けた兵士たちはさっと塹壕の中に隠れた。その頃には塹壕はすでに完成していた。
見る間に砲兵たちの動きが
しばらく砲撃の応酬が続いた。塹壕には被害はなかった。地面は瞬く間に砲撃によって掘り返されて、ところどころに逆円錐状の深い穴が開いた。たまに敵の砲撃は塹壕の後ろの方にも飛んできた。逃げ遅れた幌付きの四角い箱が破壊されたり、兵舎に火が付いたりしたが、他に目立った被害はないようだった。
兵士は目を見開いてその光景を見ていた。小さな地獄が
思わず兵士は、小さな軍隊の司令官を探していた。それはすぐに見つかった。なんと、司令官はまだテーブルについて食事をしていた。ちょうど前菜を終えたところで、今はメインディッシュが出されるのを待っているようだった。周りに砲弾が落ちているのに拘わらず司令官は落ち着き払っていて、顔色をまったく変えていない。
兵士は、なにやら親近感のようなものが自分の中で湧き上がってくるのを感じた。このような大胆で勇気のある人物が自分の司令官だったら戦い甲斐があるのだが……そのようなことを彼は思った。
やがて砲撃が止んだ。それでもしばらくの間、爆煙と硝煙が地面の上を幽霊のように漂っていた。塹壕の中の、さらに頑丈な天蓋付きの退避壕に隠れていた兵士たちが、銃を手にして走り出てきた。あっという間に全員の兵士が配置についた。塹壕のところどころに、箱を被せたような小さな陣地があることに兵士は気づいた。いったいどういう役目をするところだろうと兵士は思ったが、それ以上に彼は、これから何かが起こるぞという予感を覚えていた。それはこれまで数々の戦場を生き抜いてきた者としての直観によるものだった。
ついに、戦いが起ころうとしている。固唾を飲んで兵士は塹壕を見守っていた。敵はどこからやって来るのだろうか? おそらく、この塹壕の陣地の真正面から来るだろう。
兵士たちが銃を構えるのが見えた。兵士もまた目を凝らした。敵はいた。ぞろぞろと、地面を這うようにして、敵がこちらへ向かってやってきている。砲撃で開いた穴に飛び込み、身を隠しつつ、それでも一直線に敵がこちらへやってくる。数は分からなかった。数千はいるように思われた。敵は先の尖った
敵が鉄製の鹿砦にまで辿り着いた、その時だった。一斉に、陣地の兵士たちが発砲した。驚いたことに、銃は連発することができた。無数の弾丸が吸い込まれるようにして敵の兵士へと降り注いでいく。箱を被せたような小さな陣地の中からは、けたたましい連続した音が響いていた。そこから真っ赤な銃弾が雨のようになって飛んでいく。あの陣地の中には、何か自分には想像もつかないようなすごい銃があるに違いないと兵士は思った。
弾を浴びて敵はどんどん倒れていった。だが、それを上回る勢いでさらに新手が押し寄せてくる。ついに敵は鉄製の鹿砦を乗り越えると、陣地の中へ侵入してきた。
陣地の中では猛烈な白兵戦が起こった。どこもかしこも凄まじい殺し合いをしていた。血と肉片が飛び散り、死体が狭い塹壕内に充満していく。
ようやく兵士は、自分にとっても慣れ親しんだ戦争の光景を目にすることができて、どこかほっとしたような気分になっていた。そうだ、これが本当の戦争なのだ。彼はそう思った。見えないところから延々と砲撃をしたり、塹壕にこもって銃を撃ったり、そういうのは戦争ではない。戦争というのは、敵対する者同士が互いの白目が見える位置まで近づいて、単発の銃を撃ち合ったり、剣で格闘したりするものだ……
その時、兵士はあっと声をあげそうになった。
敵の軍隊の後ろに、一人の大きな人影があった。それは兵士が先ほどまで戦っていた敵だった。頭には白い羽根付きの革製の
まだ生きている陣地が、羽根付きに向かって一斉に銃火を浴びせた。しかし、まったく効果はないようだった。羽根付きはその太った赤ら顔をさらに赤黒くさせて、陣地に向かってさらに突き進んでくる。その時、塹壕の近くで待機していたあの菱形の箱が動き始めた。何台もの菱形の箱が羽根付きに向かって進んでいき、横から突き出ている砲を撃ちかけていく。ただし、その狙いは不正確で、砲弾はまったく当たらなかった。
それでも、羽根付きは菱形の箱に脅威を覚えたようだった。羽根付きはさっと菱形の箱に走り寄ると、まるで陸亀でもひっくり返すかのような手つきで、それを上下逆さまにしてしまった。それまで地面の上を走っていた鉄製の帯が、今では何も掴むものがなくて空転している。瞬く間に、羽根付きは十個近くもあったすべての菱形の箱をひっくり返してしまった。そして、満足そうに自分の挙げた戦果をもう一度眺めた後、塹壕を飛び越えてさらに奥へ向かって突き進み始めた。
羽根付きが何を狙っているのか、兵士にはすぐに分かった。どうやら司令部を落とそうとしているようだった。戦争においては敵の司令官を倒すのが一番だということは赤ん坊でも知っていることだった。兵士は司令部に目をやった。驚いたことに、司令官と幕僚はまだテーブルに座って食事をしていた。今は食後のお茶を飲んでいるようだった。羽根付きはすぐにテーブルを見つけた。大柄な体を揺らして離れたところに立つと、羽根付きは自分の火縄銃に火薬と弾丸を装填し、銃を構えて、テーブルに向かって発砲した。
幸いなことに、弾は誰にも当たらなかった。ただ、テーブルは粉砕された。食器と皿が宙を舞った。兵士は、今度こそ司令官はすぐに逃げるものだと思った。だが、司令官は逃げなかった。司令官はしごく平静な顔をしていて、まだお茶の入った陶器の椀を手にしたままその場に留まっている。悠然として、離れたところに立っている羽根付きの大きな影を眺めていた。司令官は自分の勝利を確信している。兵士はそう思った。
ここにきて、ようやく兵士はあの司令官に加勢してやりたくなった。臆病者ではないというだけで、その大将は尊敬に値する。羽根付きがもどかしそうに銃を捨てて、銃剣を手にして司令官に襲い掛かろうとした時、兵士もまた茂みから飛び出していた。
突然飛び出してきた兵士に、羽根付きはぎょっとしたようだった。その隙をついて兵士は銃剣を持って飛び掛かった。銃を撃つ余裕などはなかった。装填する時間がなかったし、弾薬はすべて湿っていて使い物にならなかった。上手いように不意をついた兵士の一撃を、しかし羽根付きは上手く回避した。
それからはただの殺し合いになった。互いに力の限りを尽くして戦った。どちらも一言も発さなかった。掴み合いをし、足払いをし、地面に転がりながら刃物を突き出し合い……何度か敵の銃剣が顔面を掠めた。兵士の顔は血塗れになった。戦っている間、彼は視線を感じていた。おそらくあの司令官のものだろうと彼は思った。見られていると思うと、彼は自分の中にますます力が湧いてくるのを感じた。
最後には兵士が勝利した。羽根付きの胸には銃剣が深々と突き刺さっていた。念のため、兵士は突き刺した銃剣をぐいっと
呼吸を整えてから、兵士は周りを見回した。塹壕も、兵士たちも、放列も、司令部も、ひっくり返った菱形の箱も、いつの間にかすべてが消えていた。敵兵たちの姿も消えていた。強い落胆と寂寥感が、あたかも明け方の谷間を白い霧が満ちるように兵士の胸に募った。今ではすべてが虚しく感じられた。
そして、虚しさが募れば募るほど、兵士の頭の中には三十マイル先の味方の陣地のことが思い浮かんだ。いや、陣地よりもさらに強く頭に浮かぶものがあった。それは故郷の家だった。傾いて崩れかけた百姓家でしかないが、中からは仄かに光が漏れている。温かな光だった。その光の中には自分の家族がいる。
帰らなければならない。兵士はそう思った。万難を排しても、故郷へ帰ろう。
空は暮れかかっていた。真っ赤な夕陽は血のように濡れていた。兵士は羽根付きの背嚢を探ると、小さなパンの欠片を見つけ出した。彼はそれを齧って、しばらく咀嚼した。口の中は渇ききっていて、たったそれだけの欠片を食べるのに兵士はひどく難渋した。彼は死んでいる羽根付きの顔を見た。酷い
もう一度周囲に視線をやって、兵士は小さな司令官を探した。やはりどこにもいなかった。視線も感じない。俺はもう、戦うまい。そう思ってパンの欠片を飲み込むと、兵士は銃と弾薬入れを茂みの中へ投げ捨てた。
何も武器を持たないまま、兵士は平原の向こうへと歩き去っていった。
微かな風が吹いていた。風はどこかの穴の中へ、また一丸となって吹き込んでいった。
(「兵士」おわり)
今回は完全オリジナルです。戦車や野戦砲、トラックや機関銃、鉄条網など、その言葉を用いないでそれを表現するのはなかなか骨が折れました。そろそろ聖人とか妖精とかドラゴンとか、そういういかにもファンタジーらしい話も書いてみたいですね。