「鼈」
魏の黄初年間(西暦220-226年)の話である。湖北省の清河に宋士宗という男がいた。
ある暑い夏の日に、士宗の母親が浴室で行水をすると言い始めた。この母親は以前から裸馬を乗り回したり、下男や下女を使わずに自分で家畜を屠殺して解体したり、肥桶を担いだり、市場の真ん中で髪の毛を振り乱して歌を歌うなどとかく奇矯な振る舞いをすることが多かったが、その日の行水もまた変わっていた。浴室には下女も家族も入れず、たった一人だけで行水をするという。
母親が奇妙なことを言い、奇妙な振る舞いをすることに家族はすでに慣れていたので、その日も言うとおりにしておいた。それに、無理にやめさせようとするといつも母親はものすごい金切り声を上げて暴れまわるのである。しかし、母親は元来そのような性格ではなかった。母親は配偶者、つまり宋士宗の父親が戦で亡くなる前は、ごく普通の女性でしかなかった。戦で夫が残酷な死を遂げたと聞いてから(夫は敵軍の捕虜となり、生きたまま切り刻まれたという)おかしな行動が増えたのである。
その日の母親の行水は長く続いた。すでに二刻以上も経過していた。あまりにも長い間浴室にたった一人でこもっているので、家族も流石にだんだん心配になってきた。しかし下手に声をかけると罵声を浴びせられたり、殴られたりするかもしれないから、なかなか声をかけることもできない。
さらに半刻あまりが経過した。意を決して宋士宗は外から浴室内へ声をかけてみた。お母さん、お母さん、大丈夫ですか……? 怖々と士宗は言葉を投げかける。しかしまったく返事はない。なおも士宗は声をかける。お母さん、お母さん、大丈夫ですか……? 具合が悪くなったりしていませんか……? やはり返事はない。
もしかしたら、中で死んでいるのかもしれない。士宗は家族と頭をつき合わせて相談した。そして、間違いだったらその時はその時だということになって、思いきって戸を開けて浴室内に入ってみることになった。
士宗が先頭に立って戸を開けた。すると、中には母親はいなかった。ただ水桶の中に、一匹の大きな鼈がいるだけだった。鼈は桶の中でじっとして動かない。驚いて声も上げることができず、士宗は鼈を見ていた。ほどなくして彼は、鼈がその頭の上に、母がつけていた銀の釵を乗せていることに気づいた。
すると、この鼈は、母が変身したものなのか!
信じられない事態を目の当たりにして士宗が悲鳴にも似た声を上げると、浴室の外で待機していた他の家族たちも浴室内へどやどやと入ってきた。そして、頭に銀の釵をつけた鼈を見て、全員が同じように悲鳴を上げた。
間もなく、その場にいる全員が鼈を見守りながら声をあげて泣き始めた。お母さん、どうして鼈なんかになってしまったのですか。お母さん、どうか元のお母さんにすぐに戻ってください。お母さん、人間の姿に戻ってください……それぞれが言葉を尽くして哀願するのだが、鼈はまったく聞く耳を持たない様子である。それどころか、鼈は白くて長い首を伸ばして水桶から出てくると、頭を左右に振って浴室を出て、家の外へ行こうとさえした。
このままでは母がいなくなってしまう。宋士宗はとにかく鼈となった母親を浴室に閉じ込めておくことにした。毎朝と毎夕、小魚や貝などの餌を小皿に載せて出し、排泄された糞はすべて回収する。家族にはそれぞれ順番を割り振って鼈の見張りと世話をさせることにした。とにかく時間を稼いでおけば、その間に母を人間に戻す方法も見つかるかもしれない。
そうして数日間が経過した。その時の番は、折しも宋士宗だった。
その時の士宗はここ数日間の心労と疲れが一気に噴出してきていて、浴室の前で座っていながらも意識は眠りの中へ落ちかけていた。近所の人々や親戚はおおむね同情的だったが、中には心無いことを言う人もいた。人間が鼈になどなるわけがない。母親は鼈を身代わりにしてどこかへ逃げ出したんだ。前から頭がおかしかったからな。あるいは、家族が口裏を合わせて母親が鼈になったということにして、本当は殺して死体をどこかに隠しているのかもな。あんなにおかしな母親だったら、殺したくなっても不思議ではないが……
どれも酷い中傷だった。そういった言葉を耳にするたびに士宗の心は深く傷ついた。確かに母は父が死んでからおかしくなった。しかし、その前までは優しくて愛情の深い母だったのだ。家人だけではなく、下男や下女、奴僕に対してまで、母は優しくて思いやりがあった。士宗も含めて、家族の全員が母親を深く愛していた。そんな母を殺すなど、そんなことをするわけがない。
それに対して、母が鼈を身代わりにして浴室から抜け出し、どこかへ消えたのだという憶測に関しては、一応士宗も彼なりに考えてみた。しかし、どうもそのようなことはなさそうだった。浴室の前にはずっと忠実な下女が待機していたし、仮にその下女の目を掻い潜ったとしても、衣服や金を持たずして家から出ることはできそうにない。母の部屋からは、そういったものがなくなった形跡はなかった。また、家を抜け出した母が頼るところといったら母の実家しかないが、問い合わせたところ、ここ数年間母が来たことはないという返事が来た。
それに、鼈の頭の上には、しっかりとあの銀の釵が乗っているのである。それは若い頃の父が母へと贈った大切な品だった。私が死んだ時にはこれを棺桶に入れてくれと常々母は言っていたのである。そんな大事な釵を母が置いていくわけがない。
やはり母は、鼈になってしまったのだ。どうして鼈になったのか、どうやったら人間に戻れるのか、そのことはまったく分からないが……
士宗の意識はさらに朦朧としてきた。彼は半分眠りながら半分夢を見ていた。鼈となった母が戸の隙間から浴室の外へ這い出してきて、眠っている息子の脇を通り過ぎ、そのまま家の外へと出ていくという夢だった。
はっとなって目覚めてみると、本当に鼈は浴室内から消えていた。士宗は急いで家の外へ出た。はたして、外には鼈がいた。家の門から二丈ほど離れたところを歩いている。銀の釵がぴかぴかと日光を反射していた。
士宗が「待ってくれ!」と大声を上げて追いかけると、鼈もさらに足を速めて逃げ始めた。それは凄まじい逃げ足の速さで、士宗はどうしても鼈に追いつくことができなかった。やがて鼈は近くの川の中へ逃げ込んでしまい、姿を消した。
数日が経って、未だ落胆の気持ちが消えないままの家族全員が集まって、消えてしまった母親について相談をしていると、なんと鼈がまた家へと帰ってきた。頭には確かにあの銀の釵が乗っている。
鼈は堂々とした足取りで家の中を歩き回り、ぐるっと一周をして、そのまま家の外へまた出ていってしまった。家族は呆気に取られていて、最初はただ鼈が歩き回るのを見ているだけだったが、鼈が家から出ていこうとした段階になって初めて、鼈を捕まえようと追いかけ始めた。しかし、今回もまた鼈を捕まえることはできなかった。
そして、鼈はもう二度と家に帰ってこなかった。
周囲の人々は宋士宗に対して、母親の葬儀を執り行って喪に服すべきだと勧めた。しかし士宗は、私の母は姿こそ鼈に変わってしまったけれど、その生命はまだこの世に残っている。死んでしまったわけではない。だから葬儀はしないと言った。とうとう葬儀は行われなかったという。
(「鼈」おわり)
「亀」
「母親が鼈に変わってしまったという話は君もどこかで聞いて知っているだろうが、『捜神記』には似たような話がさらに二本収録されている。ひとつは漢の霊帝の頃(西暦168-189年)の話だ。湖北省の江夏に黄という人がいたのだが、この人の母親が盥の中で行水をしていたところ、亀になってしまったという」
「世話をしていた女中が驚いて家族に知らせに行ったが、その間に亀は川の深い所へ逃げ込んでしまって消えていた。その後、亀は時々黄の家に姿を現したが、その時はいつもその頭の上に行水していた時につけていた簪と釵を乗せていたという。また、黄の家ではそれから代々、亀の肉を食べないようになったとか……」
「二つ目の話もこれと同じような話だ。呉の孫晧の宝鼎元年(西暦226年)六月の晦日に、江蘇省丹陽の住人宣騫の八十歳になる母親が、これまた行水中に亀に変わってしまった。黄家の場合は亀を逃してしまったが、宣家の場合は亀を逃さないで閉じ込めることに成功した。騫と騫の兄弟四人が浴室の戸を固く閉ざして、その間に座敷の真ん中に大きな穴を掘って水を注いだ。そして浴室の戸を開くと、亀になった母をそこへ導いた」
「母は座敷の穴の中を二日ほど泳ぎまわっていた。だが、その間もしきりに首を伸ばして穴の周囲を観察している。そして、座敷の戸がわずかに開いているを見つけると、大急ぎで穴から出てきて外へ逃げ出し、そのまま深い川の淵に跳び込んで二度と帰ってこなかったという」
「しかし私には、人間が鼈や亀に変身したのではなく、そもそも鼈や亀が人間に変身していたのではないかと思われてならない。鼈や亀だけではない。狼や鳥、魚、蛇、羊に犬……そういった獣がすべての人間の元の姿なのではないか。人間というものは、この世に存在するすべての生き物の、いわば仮の姿に過ぎないのではないか。そのように私には思われるのだ」
「罪業を犯せば人間は畜生道へと落ちると言われている。それはあまりにも人間中心的な考え方ではないかな。むしろ、人間という生き物になることこそ究極の懲罰なのではないかと、私はたまに思うのだがね。もっとも、この話に関してはもっと分析と考察が必要だが」
「少なくとも、人間が動物へと変身する話を書く時に、不可逆的な悲しみばかり強調するのはあまりにも一面的すぎるのではないかと私は言いたいのだ。原初の姿への回帰にはそこはかとない喜びがある。それは性的なニュアンスを伴った喜びだ。その仄暗い喜びを描かずに明朗な悲しみの変身譚ばかり書くのは……どうだろうね。私は評価しないな」
(「亀」おわり)
「大鯰」
「陳に在りて糧を絶つ。従者病んで能く興つ莫し。子路慍って見えて曰わく、君子も亦た窮すること有る乎。子曰わく、君子固より窮す。小人窮すれば、斯に濫す」
陳の国とは後の河南省陳州一帯のことを指す。なんということはない、吹けば飛ぶような小国だった。ちょうど孔子は諸国を巡っている最中で、その陳の国に来た時にえらい災難な目に遭った。この「陳に在りて~」はその時の子路と孔子との問答である。
陳の国に孔子とその弟子の一行が来た経緯は少し長くなる。まず、河南省の淇県を首都とする衛の国を立ち去った孔子は、黄河を渡って東南方面へ行き、山東省定陶県を首都とする曹の国に行った。だが、ここでも受け入れられなかったため(それは隠者たちの言葉を借りれば「受け入れられなかったのではなく孔子の政治的な選り好みが激しすぎるせい」だったためだが)、さらに西へと進み、河南省の商邱県を首都とする宋の国へ行った。
この宋の国で孔子一行は一般に「匡の法難」と呼ばれる大ピンチに陥った。割と生命の危機だったのだが、なんとか孔子はそれを乗り越えることができた。これにめげずに孔子一行はさらに西南方向へと進んでいった。そこが陳の国だったというわけである。
間の悪いことに、陳の国は南方の大国である呉の侵略を受けている真っ最中だった。戦争中であるから当然飢饉である。飢饉であるから孔子一行も食糧を手に入れられなかった。ゆえに「陳に在りて糧を絶つ」である。これは前漢の学者孔安国による説明である。司馬遷の『史記』はまたこれとは違った説明を加えているがここでは割愛する。
いずれにせよこの陳の国での出来事は孔子の生涯における大ピンチその二であった。食べ物がないので従者=弟子たちはみんな病み疲れてフラフラである。立つこともできない。ゆえに「従者病んで能く興つ莫し」である。
こんな状況下でも孔子は流石に悠然としたものだった。実は孔子もその内面ではけっこうやべーどうしたもんかなーみんな死にそうだしなーと思っていたのだが、そういう内面の動揺を曝け出して泣き喚いたところで現状が変わるわけでもないし、それに先ほど子路に対して偉そうなことを言ってしまった手前、自分が窮したところを見せるわけにもいかなかった。
子路は弟子のみんながバタバタと倒れているのを見て腹を立て(師に対して腹を立てたのではない、自分たちの運命の不遇に対して腹を立てたのである)、いつものようにどたどたと騒がしい足音を立てて孔子の前へと出ていった。子路は背も高ければ骨格も頑丈で、素晴らしい筋肉も有している。孔子の門下では随一の武闘派であった。子路がメンチを切ると大抵のやつらはビビッて小便を漏らす。故国の魯の国の路上の喧嘩では子路は不敗だった。
そんな子路が孔子の目をまっすぐ見つめながら言ったのだった。「君子も亦た窮すること有る乎」 つまり子路は「君子というものにもまた困窮するということがあるのですか!」とわが師に対して言ったのである。「善く生きていれば善きもので報いられ、善意には善意が返ってくるというのが先生の教えでした。そうでありながら私たちの現在の状況はまったくそれに当てはまっているとは思えません。私たちはこんな陳みたいなつまらない国で困窮しきっています。先生、こんな不遇が君子にはあるのですか。こんなことが許されるのですか!」 だいたいそのようなことを子路は言ったのだった。子路でなければこのような直接的なことなど決して孔子には言えない。
しかし孔子は慌てなかった。彼は至極冷静に、いきり立つ子路に対して教え諭すように言った。「君子固より窮す。小人窮すれば、斯に濫す」 孔子は「もちろん君子でも困窮する時はある。だが、君子は小人とは違う。小人というものは困窮するとすぐに自暴自棄に陥って滅茶苦茶なことをやり始める。君子は決してそうではない」
そのように師から言われて子路もはっとなった。彼はそのいかつい顔を恥ずかしさに赤面させて、師に対して「先生、すみません! わたくしが間違っておりました!」と叫ぶと、また前から下がっていった。
こうして『論語』の中でも特に感動的なものとして知られるシーンが生まれたのだが、孔子としてはそれで話が終わったわけではない。やはり食糧は尽きたままで、全然身動きが取れない。陳の国から出ていくにも、あるいはさらに奥に進んでいくにも、もはやどうしようもない感じで、唯一の望みは商才に長けた子貢がどこかから食糧を調達してくることだけだった。
孔子は宿舎で子貢が帰ってくるのをじっと待っていた。琴で強気な曲調の曲を奏で、子路にも大声で歌を歌わせてとにかく気分を紛らわせていると、いつしか夜になっていた。やばいかも、と孔子は思った。このままだと流石にみんながマジで餓死するかもしれん。孔子は部屋の中を見回した。弟子たちはまだ死んでいなかったが、死んだように身動き一つしていなかった。歌うのに疲れた子路は長剣を抱いたまま床に直接座り込んでいて、そのどんぐり眼をくわっと見開いている。こわい。このままではマジでヤバい。孔子はまた琴をかき鳴らし始めた。すると子路もまた立ち上がって、やけくそ気味に歌を歌うのだった。
それでも、三更になったら子貢は無事に帰ってきた。小柄な子貢のほっそりとした顔はさらにやつれて土気色になっていた。彼は非常に申し訳なさそうに言った。「ほんのちょっとでしたけど、なんとか三日の行程分の食糧が確保できる見込みでした。ええ、本当にその見込みはあったんですよ。でも、全部ご破算になりました。陳の国の軍隊が全部徴発してしまったので……」 話を聞いている周りの弟子たちの間に、濃い絶望感が瞬時にして満ちたのが孔子には分かった。
だから孔子は間を置かずに言った。「賜よ、よく探してきてくれた。疲れただろう。今後のことは、また明日の朝に一緒に考えよう」 子貢は悔しそうに顔を歪めた。目の端には小さな涙の粒が浮かんでいる。
孔子は、そんな子貢を見ながら、マジでこのままだと餓死かもなぁと思った。そして、怪異でも良いから、何か食べ物でも運んで来てくれないかなぁと思った。
その時だった。いきなり宿舎の扉をぶち破って、何かが室内に乱入してきた。すわ敵襲かと、その場にいる全員が入ってきたものを見た。
それは異常な姿形をしていた。身の丈は九尺もある大男で、全身黒ずくめだった。高い冠を被っていて、冠の両端からは二本の髭のような長い飾りが伸びている。
突然、大男は室内の全員を威嚇するように雄叫びを上げた。凄まじい叫びだった。咆哮は室内のすべてのものを振動させた。卓の上に乗せていた器物が揺れ動いて落下し、床に叩きつけられて粉々になる。ただでさえ弱っている弟子たちは魂まで吹き飛んだような感じになって、身動き一つできない。
それでもやはり子貢は大したものである。食糧の調達に失敗したということに対する八つ当たりの気持ちもあったのだろう。彼は大男の前に進み出ると「お前はいったい何者だ!」と叫んだ。
すると大男はいきなり子貢の両脇に手を伸ばし、米俵でも抱えるように持ち上げると、小脇に挟んでしまった。突然のことゆえ子貢は目を白黒させて口をパクパクさせている。
大男は子貢を抱えたまま去ろうとした。黙っていないのが子路である。「てめぇ、端木をどこに連れて行くんだ、この野郎!」と叫ぶなり、子路はいきなり長剣で大男の背中から斬りつけた。大男は子貢を投げ出したが、特にダメージを負った様子はない。そのまま宿舎の中庭へと逃げていく。子路も長剣を振りかざしてその後を追った。孔子もその後を追いかけた。子貢もまた孔子に続く。大男は剣を抜き、子路とバトルを始めた。一対一の真剣勝負である。
自他ともに孔子門下随一の武闘派であるだけに、子路は強かった。子路ももう何日間も飲まず食わずなのである。それなのに彼は大男に一歩も引けを取らない。だが、なかなか子路は大男を倒すことができない。見ると、大男はその黒ずくめの着物の下に鎧を着こんでいるようだった。マジかよ、ズルじゃん。孔子はそう思った。
孔子は何か弱点がないものかとじっと大男を観察していた。すると、大男が剣を振りかぶった瞬間、脇の下に鎧の隙間が生じるのが見てとれた。だが、それを狙って剣を突き入れても、武芸に優れた相手にはすぐに防がれてしまうだろう。
そこで孔子は子路に向かって声をかけた。「由、脇の下だ! 脇の下に手を突っ込め!」 子路はすぐにその言葉の意味を理解した。大男が剣を振りかぶった瞬間、子路は長剣を相手の顔面に向かって投げつけた。大男はたまらずに剣をかざしてそれを防いだが、その瞬間、子路は相手の脇の下に飛び込んでいた。
子路はほんのごくわずかに生じた隙間に手を入れて、寸時も躊躇することなく力を入れてバリバリと鎧を引き剥がした。若い頃に魯の国でヤクザとして活躍していただけあって、子路は暴力の行使に慣れていた。彼が鎧を剥がすと、大男は何やら叫び声のようなものをあげて、地面に倒れた。
次の瞬間、ぼんっという軽い音と共にあたりに黒い煙が充満した。子路が「うわっ、けむい!」と叫んだ。離れたところに立っている孔子と子貢のところにも煙は届いた。子貢も「うわっ、けむい!」と叫んだ。孔子も、うわっ、けむい!と思ったが、何も言わないでおいた。煙は魚のように生臭かった。徐々に煙は晴れていった。中庭の上の夜空は晴れていて、白い月が煌々と輝いている。
煙が晴れると、そこには一匹の大鯰がいた。ちょうど大きさは九尺ほどもある。
びちびちと間抜けな音を立ててどこかへ逃げようとしているのを、子路が「逃げんなコラ!」と叫んで生け捕りにした。空っぽになった大きな秣桶に突っ込まれると、大鯰は諦めたかのように動かなくなった。子路は誇らしげに「やりましたぜ、先生」と言った。孔子は子路を褒めてやった。「やっぱり大した勇者だよ、由は。お前なら立派な筏を作ることだってできるだろうね」 元ネタを知らないと微妙に意味が分からない褒め言葉を孔子が口にすると、子路は子どものようにその怖ろしくいかつい顔をくしゃくしゃにした。
その時、子貢が「あのー」と言った。孔子は子貢の顔を見た。子貢はちょっと顔を伏せながらさらに言った。「あのー、そのー」 子貢が何を言いたいのか、孔子にはよく分かっていた。孔子は子貢に「この件について、私の解説がいるかね?」と訊いた。子貢は申し訳なさそうに頷いた。なぜ申し訳なさそうなのかと言えば、このような怪異について、よりにもよって「怪力乱神を語らず」と称されているわが師に解説を求めざるを得なかったからである。
それでも孔子は「いいよいいよ、解説してあげるよ」と言った。そして、少しだけ咳払いをしてから口を開いた。「万物は、年を経ればさまざまな精がとりつくという。この魚もその類だろうが、それにしてもなぜ今このタイミングになって私の前に現れたのか。私の運勢が落ち目になった象徴なのだろうか。この陳の国で災難に遭い、糧食もなく、弟子たちもみんな病気になって動けない。そのためにこの大鯰が出てきたのだろうか」
子貢は目を輝かせながら話を聞いている。子路も真面目な顔をして師の話を聞いていた。孔子はさらに言った。「だが考えてみれば、牛、馬、羊、犬、鶏、豚といった六畜から亀、蛇、魚、鼈、草木の類に至るまで、それらが寿命を超えて年老いた時にはすべて神が宿って怪異を働くものだ。これを専門用語で『五酉』という。『五酉』の五とは木、火、土、金、水の五行すべてにこのようなものが生じることを指し、かつ酉とは年を取ることをいう」
子貢はふむふむと頷いていたが、子路は頭の上に「?」をたくさん並べていた。こういう理論的な話が子路は苦手である。明らかに子路が話についてこれていないのを見て、孔子は結論を急ぐことにした。「まあ、その、なんだ。すべてのもの、万物というものは、年をとれば怪異を起こすということだ。しかし殺して生命を奪ってやればそれで終わりにもなる。何も怖れることはない」 ようやく子路は納得したような顔をした。孔子が頷きかけると、子路も得たりとばかりに頷いた。
それから子路が口を開いた。「それで先生、こいつは食べられるんですか?」 そう言うなり子路は大鯰が入っている秣桶を左足で蹴とばした。孔子は頷いた。「あるいは天はまだ道義というものを滅ぼそうとは思っておられぬのかもしれない。この大鯰を食べて命を繋げと、そういうメッセージと共にこの魚を私たちの前に遣わしたのかもしれない。さもなければ、なんでこんな怪異が起こるものか」
そこで子路は大鯰を料理することにした。「先生、宿舎の中でちょっと待っていてください。料理したらすぐに持っていくので。端木も待っていてくれ」と子路が言うので、孔子は子貢を伴って室内に戻った。他にやることもないので、孔子はまた琴を弾いた。今度は子貢が歌を歌った。
外は明けかけていた。薄い朝日が東の方から差していた。その時、中庭から強烈なまでに食欲を刺激する良い匂いが漂ってきた。どうやら大鯰の調理が完了したようだった。ぐーっと腹を鳴らした子貢が、それを誤魔化すように孔子に言った。「いや、その、あの、それにしても、本当にあの大鯰を調理して良かったのですかね」 孔子は「なぜ賜はいまさらそのようなことを訊くのだね」と尋ね返した。
すると子貢はちらちらと入口の方へ目をやりながら答えた。「いえ、さきほど先生は、『万物は年を取れば怪異を起こすようになる』とおっしゃられました。それならば、なるほど、年をとった大鯰が人間になって襲い掛かってくるということもありましょう。しかし、それならばその逆もまた考えられませんか」
入口からはますます美味しそうな匂いが漂ってくる。孔子もバレない程度に入口にちらちらと視線を走らせながら言った。「その逆とはどういうことかな」 子貢は答えた。「いえ、その。つまり、年をとった人間が怪異をなすようになって、大鯰に化けるようになるという、そういうパターンもあるんじゃないかということです」
「それでは賜はあの大鯰について、あれは年をとった大鯰が大男に変身していたのではなくて、年をとった大男が大鯰に変身していたと、そのように考えるわけだね」 孔子はそう言いながら、確かにその線も充分あり得るなぁと思った。子貢はちょっと神妙な顔をして頷いた。「まあ、その、たぶん今回のパターンは違うと思いますが、いえ、絶対に今回のパターンは違うと思いますが、まあ、その、なんですか。そのパターンも考えられるかなと、そう思ったわけで」
その時、子路が器を両手に持ってやってきた。器には油で煮られた鯰の肉がゴロゴロと入っていた。「さっき先にちょっと味見させてもらったんですけど、こいつはめちゃくちゃ美味いですぜ。ほら、先生も食べてみてください」
ちょっとだけ孔子は沈黙した。
子貢が言うとおり、これはもしかしたら元人間の可能性もある……窮しているからと言って、人間の肉を食べても良いのか?
それでも子貢は目で「どうぞ先生、召し上がってください」と言ってきた。子路がさらに「どうぞ先生、熱いうちに」と言う。孔子は鯰に箸をつけてみた。
子路の言うとおり、鯰は大変美味だった。ほろほろと崩れる白身には大変濃厚な脂の旨味がある。良質なたんぱく質は直ちに全身の細胞にエネルギーを届けるようだった。しばらく無言で孔子は鯰を食べ続けた。そして、食べ終えた後、孔子は嘆息して言った。
「私には怪力乱神のことは判らないが、少なくとも食べ物の味のことならば分かる。由よ、この大鯰の肉はとても美味しいね」
師の言葉を聞いて喜びを爆発させた子路が外へ走っていき、大きな鍋ごと煮られた鯰の肉を持ってきた。それまで寝込んでいた弟子たちも鯰を食べると途端に元気になった。
鯰を食べている弟子たちを見ながら、孔子は密かに心の中で思った。
こんなに美味い肉が人間の肉のわけがない。これは絶対に鯰の肉だ。だからもう、これ以上この怪異について考えるのはやめよう。
健康を回復した孔子一行は、その翌日に出発した。次の目的地は後の河南省上蔡県一帯の、蔡の国だった。
(「大鯰」おわり)