朝になると、朝食会場は宿泊客で賑わっていた。なんでも今日は、昼頃になると珍しいものが見えるということで、みんなそれを写真や動画に収めようと朝早くから起きているようだった。
「ナギサ聞いた? 今から入る海域では、トビイルカの大群が見られることがあるんだって」
「みたいだね。お客さんもみんな朝から元気だね」
朝食を取るお客さん達を見ていると、その中の1人がこちらへと近付いてきた。
「よう、おはよう。この船はほんと快適だし、料理も美味いしで最高だな」
それは私達がラセーナで出会った食堂の店主、パウロさんだった。パウロさんはこの先の街、ノルスで降りるうちの1人で、観光が盛んなノルスで心機一転、新たな食堂を開くのだと話していた。
「おはようございます、ノルスまではあと1日ですね。ノルスの珍しい食材を使ったパウロさんの料理が楽しみです」
私がそう言うとパウロさんも余程楽しみにしているらしく、昨日は楽しみすぎて眠れなかったと話してくれた。パウロさんはその後、もしトビイルカの群れが見られたら一眠りするつもりらしい。
「お知らせお知らせー! 皆さん、甲板へ起こしください!」
ミドリさんが慌てたようすで操舵室から出てきて、大きな声でお客さんを呼び寄せた。
「予定より早かったか!」
パウロさんたちと急いで外へ出ると、今まさに船の横をトビイルカの群れが、数十、数百という規模で並走していた。他のお客さんもわらわらと出てきて、イルカの群れを見るなり歓声を上げている。トビイルカはその名の通り、普通のイルカとは違い、水面と並行に真っ直ぐ飛ぶように移動するためその名がついている。ここまでの規模の群れは普通のイルカでも珍しいが、トビイルカの群れともなると更に貴重だ。その姿はまさに壮観である。
「な〜んか、元気出てくるね」
「そうだね。他のお客さんにも見てもらおう」
私とフウカは後ろへ下がりフロントへ戻る。甲板では相変わらず歓声が上がっていて、私達はその様子をみながら事務処理を、そしてファイは昼に向けて料理の仕込みをしているところだった。
昼を過ぎると、お客さんは皆昼食を終え客室へ上がっていった。その間私達は昼食を取り、夜に向けて少しだけ仮眠をする。今はフウカがベッドで仮眠をしているので、隣には代わりにネルが立っていた。
「イルカ…綺麗だったね」
「うん。お客さんも楽しそうでよかったよ」
「おう、お疲れ。ノルス到着の目前、今日の深夜頃にはまた面白いモンが見れるみたいだぜ」
調理場から、汗を拭きながらファイがこちらへ向かってくる。ファイはコップに注いだ水を一気に飲み干し、話を続ける。
「寒い海域に生息する海ホタル、そいつらの大量発生の時期と、ちょうど今が重なるんだ。すると暗い海が辺り一面照らされたように見えるくらい、強烈な光を発するらしい。遅くまで起きる価値はあるぞ」
「ファイさん、見た事あるんですか?」
「小さい頃一度だけな。親父がノルスまで仕事に行ったとき、ついて行ったことがあるんだよ」
ファイが料理を始めたのは、親の影響が大きいと言っていた。父も母も料理人で、物心ついた頃から包丁を握り魚や肉を捌き、火を扱っていたというから、この料理の腕前にも納得がいく。父親は各地から食材を取り寄せる為に、その足で各地へと赴いたのだろう。ファイが地理に詳しいのはその為だと私は思っている。
「オレはちょっと寝るわ…誰か来たら起こしてくれ」
そう言うとファイは事務所の方へと引っ込んで行く。ファイさんも海ホタル…とかいうのを見たいのだろうか? 無論私も見たいが明日の昼にはノルスに着いてしまう。それに備えて私は…。
「見るしかないね」
事務所へと戻り寝る準備をする。ネルに留守番よろしく、と伝えるとネルは珍しくえ? と言って眉をしかめていた。この反応は当然だろう。だが、見られる可能性が少しでもあるのなら、せっかくであれば見てみたいではないか。次この海域を通るのはいつになるかわからない。そう思いながら私は事務所にある、フウカが寝ているベッドに半ば無理やり潜り込んで目覚まし時計を3時間後にセットし、仮眠に入った。
「…ナギサ。そろそろ…起きて欲しい」
ネルの声がして目が覚めた。外はすっかり暗くなっていて、隣で寝ていたフウカの姿がないことに気付く。フロントの方からは賑やかな声がうっすらと聞こえていて、どうやら夕食の時間になっているらしかった。
「んあ、おはようネル…なんか近いね」
「だって…全然起きないから」
目前にはネルの顔が目と鼻の先にまで迫っていた。幼いながらも端正な顔立ちに白い肌…なんだかいけないことをしている気持ちになってきて、すぐに飛び起きた。
「ごめんごめん、すぐフロント出るね。ネルは代わりに寝ててもいいよ」
「大丈夫…私も少し寝させてもらった」
ネルも私から1歩距離を置くと、隣にあったソファに座り、温かい紅茶を飲み始める。私はそんなネルを横目にフロントへと戻ると、フウカが既にフロントに立っていて、おそーい! と一言放つ。
「ま、お互い様でしょ。それよりネル1人で大丈夫だったのかな」
「なんか客室に呼ばれたみたいだけど、対応してくれたっぽいよ〜。ホント、あんまネルばっかに頼っちゃダメだよ」
フウカは普段ちゃらんぽらんな癖に、たまにこういう正論を言ってくるから困る。
気が付くとお客さんは皆食事を終え、各々客室へと戻って行ったみたいだった。時刻は午後21時頃、寝て起きたばかりだが、また少し暇な時間が訪れてしまった。私とフウカは事務所へと戻り、ネルと一緒にコーヒーを飲むことにする。
「ネル、さっきはありがとね。客室に呼ばれたんだって?」
「…うん。なんてことはない、少し清掃を手伝っただけ…私の仕事だから、気にしないで」
ネルには申し訳ないと思いつつも、当の本人は初めてお客さんの前で仕事が出来たことが満足らしい。その姿を見ると、ネルに任せて良かったのかもしれないと思う。
しばらくゆっくりしていると午後23時頃になっていた。私は、ファイの言っていたことをふと思い出す。
「そうだ、海ホタル」
「うみほたる? なにそれ」
目を丸くしてこちらを見るフウカを、手招きで甲板へと誘い出す。甲板に出て周りを見渡してみるが、それらしき姿は特に見当たらない。だが確実に寒冷地帯へと近付いているのが分かるほど、空気は冷たく空は澄んでいた。
「うはー、星綺麗だねぇ〜」
「…うん」
やはり、トビイルカのように簡単には見れないか。少し落胆したいる私の様子を見かねてか、ネルが隣に立って背中に手を当ててくれた。
「大丈夫…そろそろ、来るよ」
ネルが優しく諭すように私に言う。フウカは未だに何の事かわからない様子だった。だがネルの言う通り、次の瞬間、一気に海面が照らされるように輝きだす。
「うわうわ、何これ!」
「これが海ホタル…すごい」
「…ね。言ったでしょ」
海ホタルの正体は、餌を食べる為に浮上してきた小さな小さな深海魚の大群だった。それらはこの時期になると大量に発生するプランクトンを捕食する為に、このような群れを成すのだ。そして深海の暮らしに適応した発光器官を持っているため、こうして輝く。その姿はまるで、広大な海の一面が全て星空になってしまったようで、海と空の境界が曖昧になってしまうほどに強い輝きを放っている。
「ミドリさん、どうやら表が騒がしいですね」
「うん。私達も見れてよかったね、凄く綺麗」
後で聞いた話には、操舵室のミドリさんとヒカリさんも、運転をしながらこの光景を見ていたらしい。そしてその余りの綺麗さに見とれて、航路を少し間違えた為に、ノルスへの到着が数時間遅れることになると知るのは、また少し先の話。