海上ホテルへようこそ!   作:うにちゃん

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第十五話 お姉ちゃん

 

 暖簾を手で押して中へと入った瞬間に押し寄せてくる湿気を帯びた熱気。硫黄特有の匂いと、黙々と着替える人の数々。先の定食屋の隣に位置する温泉の内部へと来た私達は、早速更衣室へと歩みを進めたのだが、その中のまあ広いこと。フウカが目と口をかっぴらいてその広さに驚くのを横目に、ファイとヒカリさんはずんずんと先へ進んで行った。

 

「まあ、この街はそもそもの人口も多いですから」

 

 ヒカリさんがさも当然、と言った口調で平然とそう話すので、私もフウカも妙に納得してしまって、それぞれヒカリさんの隣の脱衣かごを位置取り着替え始めた。

 

「となると、浴場もかなり広そうだねぇ」

 

「だね。フウカ、走らないでよ」

 

「あたしのこと何だと思ってんの!」

 

 頬を膨らましながらも着替えを終えたフウカは、そのスラッとした身体には少し短いように見えるタオルを巻きながらも、一直線に体重計の方へと向かって行った。

 

「よっし! 太ってない、セーフセーフ」

 

「フウカ…体重が全てじゃないんだよ」

 

 数字を見ながら必死に胸(腹?)を撫で下ろすフウカを諭しながらも全員が支度を終え、ようやく浴場への扉を開け入場する。

 

「おおっ、すごい人だな」

 

 中からはさらにむわっとした熱気が漂い、汗だくの私達一行は早く汗を流したくて、少し気が急いてしまっていたのかもしれない。だからこそ、こんなことになってしまったのだろうと今では思う。

 

 私が後ろを振り返った瞬間に鈍い音は聞こえた。私の目線はその時は真っ直ぐ前を見据えていて、音だけが聞こえてきた時何が起こったのか容易には理解出来なかった。ただ音のする方を辿りそれを理解した時、フウカが大きな声を出して"それ"に駆け寄ったことを確認して、ようやく事態を理解することとなる。

 

「ヒカリさん! ヒカリさんっ!」

 

 心臓が跳ねる音が聞こえる。切羽詰まったフウカの声と、いつも冷静なファイさんがその冷静さを欠いていることが事態の深刻さを物語っていた。

 

 足を滑らせ、後頭部から勢い良く転んだヒカリさんは、ぐったりと力が抜けたまま眠ったように倒れていた。必死に声を掛けるフウカにも応えず、ファイさんは急いで救急へ連絡するため浴場を後にする。私はと言えば、ただその様子を傍観することしか出来なかった。

 

 

 

 白い。ここはどこだろう。

 

 体を起こそうにも頭が割れるように痛い。そもそも、自分が今まで何をしていたかも良く思い出せない。今日だけじゃない、昨日も、一昨日も、その前も、そのまた前も…。

 

 私が覚えてるいるのはたった1人のある人物だけ。そうだ、あの子は今どこに?

 

「ヒカリさ、ん…。あれ、目覚ましてる。フウカ、ファイさーん! ヒカリさん、起きてますよ!」

 

「えっ、嘘! ヒカリさぁーん!」

 

 藍に似た艶のある黒髪の少女、スラッと背の高いブロンズ髪で、ぱっちりした目にいっぱいの涙を浮かべる少女。そしてその背後から現れた、それより1.5倍は身長がありそうな長身痩躯の赤髪の女性。みな等しく、私の名前を呼んでは、心配しましたとか、大丈夫ですかとか声を掛けてきていた。

 

 どうしよう、この人たち、誰だろう。

 

 当たり前のように私の名前を呼ぶ3人。本気で心配しているその様子からは、とても私のことを知らない赤の他人とは思えない。だけど、残念ながら私はこの人達のことを1ミリたりとも知らなかった。

 

「えっと…感傷的な所ごめん。どちら様かな? 私、何も覚えていなくて」

 

 私がそう言うと、3人は呆然としていた。まあ、当然ではあると思う。この頭の痛み、知らない場所の知らないベッド。恐らく、頭を打って記憶喪失とか、そういったところだろう。

 

「ヒカリさん、まさかとは思いましたが、本当に覚えてないんですか?」

 

「…そうだね。あなた達が、私の名前を知っていることの方が不思議だ」

 

 3人は困り果て、顔を見合せて何やら話をしている。するとブロンズの女の子が、そうだ!

と大きな声を出して何やら合点が行ったようだった。

 

「ひとまず、ミドリちゃんに報告しよ!」

 

「ミドリ? あなた達、ミドリと知り合い?」

 

 ふとその名前が出て私は驚いた。まさかミドリもこんな所にいるなんて、会うのは何年ぶりだろう。そんなことを考えているとブロンズの女の子は続けた。

 

「知り合いも何も、ミドリちゃんがいなければあたし達ここにいないし。…って、ミドリちゃんのことは知ってるの?」

 

 その言葉に私は呆れた。私はあの子の面倒を何年見てきたことか。あの子のことなら何でも知っている…というレベルで知っている。

 

「知ってるも何も、ミドリは私の妹だから当たり前でしょ」

 

 

 

 フウカちゃんから連絡を受けて来てみれば、よく見知った人なのに全く違う、それでいてすごく懐かしい人を見ているような、そんな不思議な感覚を覚えていた。

 

「ああ、ミドリ。あなたこんな所に居たの? 会うのは久々じゃない、今まで何処で」

 

 ヒカリちゃんが言い終わるよりも先に、私はその細い体を力いっぱいに抱き締めた。ヒカリちゃんが微かに発した苦しそうな声も、頬に流れるままの涙も全部無視して、ただひたすら縋るように抱き着く。

 

「ヒカリちゃん…無事で良かった。それに、私のこと…」

 

「あなたまで何を。それに、その"ヒカリちゃん"って呼び方は何? いつもみたいにお姉ちゃんって呼んでくれればいいのに」

 

 ヒカリちゃんが…お姉ちゃんがそう言うから、私はすっかり甘えてしまって、その胸に顔を埋めてしばらくそのまま動けなくなってしまった。

 

「すごい…ミドリちゃんが人にこんなに甘えるなんて、初めて見たかも」

 

「だねえ。それに、ファイさんの件然り、ミドリさんはあまり私達に説明をしてくれないってことも、分かったかな」

 

 私はようやく顔を上げて、みんなの方へと向き直った。ファイちゃん、フウカちゃん、ナギサちゃんは私の方を複雑そうな目で見てくる。

 

「そうだね、私の説明不足だったかな。ヒカリちゃんは聞いての通り私のお姉ちゃんだよ。説明してなかったのには…ちょっと事情はあるんだけど。決してみんなを騙してた訳じゃないの、分かって」

 

 私の言葉に真っ先に反応したのはナギサちゃんだった。

 

「私達はいいんですが…」

 

 言葉に詰まる様子を見せながら、ナギサちゃんは懐からあるものを取り出した。それは、これまで"ヒカリちゃん"が首から下げていたコハクのネックレス。

 

「ネルが悲しみますよ。あの子は、ヒカリさんのこと慕ってて…なのに、不慮の事故とはいえいきなり自分のこと忘れられて。このコハクに込められた意味も、あの子の気持ちも」

 

「…コハクの石言葉は、『抱擁、長寿、繁栄』。持ち主の癒しや健康を願うモノだからな」

 

 ナギサちゃんの言葉にファイちゃんが続けた。確かに、この場にいないネルちゃんが、このことを知ったら一体どんな気持ちになるんだろうか。お姉ちゃんのことを一目見た時から気に入ってくれて、それまであまり喋ったり心を開かなかった"ヒカリちゃん"の感情をプラスへ導いてくれた、あのネルちゃんが。

 

 お姉ちゃんは、私がホテル業を始める少し前に、これまた不慮の事故によってそれまでの記憶を失くしていた。友達のこと、家族のこと、私のことも全て忘れて、そんなお姉ちゃんのことを私は姉としてではなく、"ヒカリちゃん"と、そう呼んできた。

 

 みんなが関係を築いたのはその"ヒカリちゃん"とだ。私はどっちのお姉ちゃんも知ってるけど、みんなは"ヒカリちゃん"と過ごした思い出しかない。今まで一緒に見た景色も、食べた料理も、全て。

 

 空気は重い。いつもお転婆なフウカちゃんすら、今は眉を顰めて心配そうに私やナギサちゃんの顔色を伺っている。

 

「…ひとまず、船に戻ってネルちゃんに会おう」

 

 ようやく勇気を振り絞って私が発せられる言葉は、ただそれだけだった。

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