海上ホテルへようこそ!   作:うにちゃん

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第八話 ミドリと受難

 

 幼い頃から酷い夢ばかり見る。それは、大人になった今でも変わらない。ただでさえ眠れない夜の闇から解放されても、待ち構えるのは別の闇。なんなら、夢の世界の方が現実よりよっぽど酷かった。

 

『ミドリってさ、ホントしつこいんだよね』

 

 私は昔から、他の人とは考え方が"少しだけ"違っていた。だから幼い頃から周りからは浮いていたし、それは幼いながらに私も自覚していた。私に関わる人達は、私が言わずとも私を見て、私と話して、それを見抜くや否や、それ以降私とは関わらなくなっていった。

 

『マジで勉強出来るから何なの? ウザいわ』

 

 救いがあるとすればそれは姉の存在、そして、私が唯一得意としていた勉強だけ。数字は決して私を裏切らない。正しい解法に沿って数字を当てはめパズルを解いていくと、いつか必ずたった1つの答えにたどり着く。私はその瞬間がたまらなく好きで、そして、それを認めてくれる姉のことが、それよりも好きだった。

 

『ミドリ今日も勉強? 偉いね。ミドリは賢いから、きっと将来はお医者さんにでもなるのかな』

 

 私の頭を撫でる姉の小さく、それでいて何よりも暖かく、頼りがいのある手を、私は一時たりとも忘れたことがない。思い出とは不思議なもので、視覚や嗅覚、聴覚と結び付いて、ふとした時にいつでも姉のことを思い出せる。だがそれが時として辛くもある。何故ならそれは、私から、姉と同じ匂いがするから。

 

 姉は私よりも遥かに小さく生まれた。そのせいか昔から病弱で体力も少なく、ほんの数十分日光の元で歩くだけでばててしまう程だった。成長するにつれて次第に体力も付いてきたが、それでも常人に比べると遥かに劣る。激しい運動や長時間日光に晒されることは控えさせられ、その生活の多くを睡眠と療養に費やさなければならなかった。比べて私は超の付くほどの健康優良児だったから、私が生まれた時、母はさぞ安心したことだろう。普通に生まれ、普通に育ち、普通に暮らす。ただ1つだけ、脳の作りだけを除いて。

 

 私はいわゆるギフテッドというやつだと、始めは父も母もそれは喜んでくれていたらしい。だけど、私が"変な子"だと気付くと、それは途端に冷めた目へと変貌した。私は、周りの子達とは違うものばかりに興味を持っていった。雑草や泥水の味、生き物の交尾の様子やその死に様、火の起こし方。いわゆる汚かったり、危険な遊びにばかり惹かれて、それを楽しむ姿に両親は嫌気が差したのだ。

 

 私は、物心ついた時から、この世に生まれたことを奇跡だと思っていた。全てが過不足なく見える、触れられる、感じられる。となれば、その全てを感じられなければ、損だと思った。自分の目や耳、鼻や手。五感の全てを駆使して、この雄大な自然を感じるべきだと。

 

 そうして、親を含めた全ての人達から拒絶され続けた私を、唯一見守り、肯定してくれた人間こそが姉だった。姉は自分に出来ないことをこそ、私に全て託すと言ってくれた。足りないものは補い合えばいいと。姉が持っていないものを私が、私が持っていないものを姉が。そうして生きていけばいいと教えてくれたからこそ、今の私があった。

 

 けど、そんな日は突然崩れ去った。

 

 私が寝ている間に出かけた家族の車が事故に遭った。父と母は即死。姉は一命こそ取り留めたものの、重体へと陥った。呼吸器を繋がれたまま目を覚まさない姉のベッドの傍らで、どれだけ泣いたことかはもう覚えていない。散々泣いて、泣いて、泣いて…気付いたら私も寝ていて、また起きては泣いて。そういう日を、3日か4日は過ごしていたと思う。私の唯一の希望の光は、一瞬にして奪われたのだ。

 

『それで、なんでアンタはまだのうのうと生きてるの?』

 

「っ!!!」

 

 強烈な吐き気に襲われ飛び起きる。外はまだ暗く、時刻を確認すると2時半頃。せっかく眠れたと思ったのに、まだ寝付いて1時間も経っていなかった。

 

「またこの夢…」

 

 思い出したくもないのに、夜になって眠る度に嫌でも見てしまう悪夢に辟易する。治まりそうもない吐き気の為に立ち上がり、トイレへ向かおうとすると、その入口に人が立っていることに気付いた。

 

「何事ですか」

 

 見ると、ヒカリちゃんが眉をひそめてこちらを見据えていた。どうやら余程うなされてたらしい。起き上がる時に音も出してしまったようで、それを心配して来てくれたのだろう。

 

「ちょっと、ね…船酔いかな」

 

 私がそう言うと、ヒカリちゃんはその眉にさらに皺を寄せて私の顔を覗き込む。

 

「あなた船酔いとかしないタチでしょ。気分が悪いなら正直に言ってください、体を壊されると迷惑です」

 

 ヒカリちゃんの言葉は、まるで突き放しているように聞こえる。けど、それが私を心配してのことだと、彼女の優しさからの言動なのだということは、私には分かっていた。

 

「そうだね、ごめん。悪い夢を見ちゃって…とりあえず、吐きそうなんだ。通してくれる?」

 

 私が言うとヒカリちゃんは珍しく目を見開いて、すみません、と小さく言いつつ慌てて私に肩を貸しながら、トイレへと連れて行ってくれた。

 

 私は思いっ切り吐いた。もう一生こんな悪夢なんて見るもんか。絶対過去になんて囚われるもんか。そんなことを思いながら嘔吐くのは涙が出るくらい辛くて、けどもうこんな思いをしたくなくて、私は文字通り全てを吐き出す。

 

 トイレから出ると、ヒカリちゃんはイヤホンで音楽を聴きながら、せめて私の声を聞かないようにしつつも、それでも私のことを待ってくれていた。

 

「…長かったですね」

 

 私が思ったよりも長い間トイレに籠ってしまったので、ヒカリちゃんがその細い眉をへの字に曲げて、とても心配してくれていたのが申し訳なかった。ヒカリちゃんは、表情や言葉にこそあまり出さないが、本当は優しさを持ち合わせた人だ。だからこそ私は彼女のことを信頼している。

 

 思えばヒカリちゃんとはかなり長い付き合いになる。私が支配人になる前から前ホテルで副支配人としてバリバリ仕事をしていたし、その仕事っぷりを私は新人の頃から見続けてきた。私が支配人になってからもその仕事ぶりは変わらず、私は常に彼女に支えられてきた。みんなは私ばかりがホテルを引っ張ってきたと思っているようだけど、ヒカリちゃんこそ、間違いなく影でホテルを支えていた大事な柱の1つだ。

 

「…風邪薬あったっけ」

 

「事務所にありますよ。ちょうどファイさんも起きてます、簡単な栄養食を作ってもらいましょう」

 

 ヒカリちゃんは踵を返して事務所へと向かう。その背中には言いようのない、哀愁のようなものが漂っているように私は思える。彼女も彼女で、本当に優しいというか、もっと言えばお人好しだ。私なんか、放っておいてもヒカリちゃんに損はないのに。

 

 事務所へ戻ると、机の上には湯気の立った、いかにも出来たてであろうスープが一杯置かれていた。ソファにはファイが腰掛けてタバコを燻らせていたが、私に気付くとすぐさまその火を消した。

 

「病人の前で悪ぃからな」

 

 ファイは携帯灰皿に吸殻をねじ込むと、私をわざわざ椅子へと座らせ、膝元にナプキンを敷いてスプーンを手に握らせてきた。別に病人ではないんだけどな、と思っていると、ファイはわざとらしくスープを私の手前まで持ってくると、お待たせしました。などと、これまたわざとらしく声色を変えて言う。

 

「とりあえず栄養のあるものをブチ込んで煮込んだスープでございます」

 

「それに名前を付けるのが、ファイちゃんの仕事なんだけどねっ」

 

 私もわざとらしく口を尖らせて応戦する。目の前のスープからは香ばしい匂いが漂っている。その匂いが鼻腔をやけに刺激して、早速スプーンで掬って一口食べようとすると、熱すぎて落としそうになってしまった。入念に息を吹き、冷ましてから再度口へ運ぶと、長時間煮込んだであろう濃厚な旨味が舌を刺激する。飲み込むと瞬時に体が暖かい空気に包まれたような気分になって、一口、また一口と食べ進めるうちに、気が付いた頃には飲み干してしまっていた。そしてその頃には、荒んでいた心は落ち着いていて、体も温まり程よい眠気が訪れていた。

 

 けど、それでもやっぱり寝るのは怖い。寝たら、また悪夢を見てしまうかもしれない。そうしたら私はまた飛び起きて、けどその時には、また都合良く私を助けてくれる人はいないかもしれない。ぐるぐると回る思考の中で、私の口は勝手に開いていた。

 

「………たい」

 

 絞り出した声が、ほとんど声にすらなっていないことは自分でも分かっていた。だけど、普段みんなの前であんなに大きな声を出して、いかにも先導していますという風を吹かせている私が、まさかこんなに弱虫だとバレてしまうのが、何よりも恥ずかしい。だけど、それを克服しないまま、自分の弱さを隠したままこの先の人生を生きていくことの方が、よっぽど恥ずかしい。そう思った私は、今度はしっかりと聞き取れる声でもう一度伝える。

 

「今日はヒカリちゃんと、一緒に寝たい」

 




ミドリはただ完璧な人間というキャラで終わらせるには勿体なくて、自分の過去や性格の裏表に悩まされる努力タイプの天才という立ち位置になりました。ネルに次ぐ年少者が、思い過去と未来を背負うことが、どれだけプレッシャーなのかを描きたかったのです。
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