入院生活の間様々な検査をした事になったのだが、記憶以外には特に異常なしということで、多少の経過観察の後無事に退院することが出来た。
無事退院することは出来たのだが、現在の自分は正しく前途多難という言葉が相応しい状況に陥っていた。
記憶喪失というのは、厄介なもので自分が住んでいた場所すら分からないのだから、当然のように日常生活に支障が出てくる。
一番心を痛めたのは両親の事すら覚えれていなかったことだ。入院していた自分の様子を見に来てくれた、推定両親だと思われる彼等の悲痛な顔は見ていられなかった。
出来れば彼等のことも早く思い出したいと思うものの、どうすればいいのか分からないというのが現状だ。
唯一の幸運としては、記憶があった頃の自分は交友関係に余り時間を割いていない人間だったようで、現在の学友それと初星学園の教員の名前を覚え直すのだけで済んだことぐらいだろう。
……そして、一番頭を抱えているのは、以前の自分が何を考えていたのかがさっぱり分からないという現状だ。
何かしらの信念をもって動いていたであろうことは分かる。そしてそれはおそらく藤田ことね、彼女の為に色々動いていたのだろうという事も。
ただ、だとしても以前の自分には不可解な点が多いのもまた確かである。
不可解な点の一つ目に、トラックによる事故を回避しなかったことだ。
この文章は藤田さんの周りで起こることの現在、それとちょっと先の未来について書かれている。だからこそ、最初はこの日自分がトラックに轢かれたことが書かれていなかったため、何も抵抗することが出来なかったのだと踏んでいた。
しかしその日の文章を読みなおすと、そこには確かに『中間試験を合格した帰り道、藤田ことねのプロデューサーはトラックに轢かれた』という一文が書かれていた。書かれているのであれば、文章を改変する事が間に合ったはずであり、自分は事故から免れることが出来たはずだ。
ただ何故だか、現実はそうはならなかった。
可能性としてありそうなの二つ。
一つ目は自分がトラックに轢かれる事を許容したというもの。
今の自分では到底理解出来ないが、何かしらの考えをもってトラックに轢かれた可能性は無くはない。
それなら、この後自分が何をするべきかのメモも一緒に残しておいて欲しいものだが、書かれた文章から彼自身は記憶喪失になるということは読み取れなかっただろうから、そこまで期待するのは高望みしすぎというやつだろう。
そして二つ目は自分が死の淵に立ったおかげでこの文章を見る能力事態が進化し、ちょっと先の未来の事も記述されたという可能性だ。つまり、以前の自分は事故に遭うことを知らなかったため回避することが出来なかったという可能性になる。
自分のピンチに能力が進化してその窮地を脱する。まるで少年漫画の展開みたいな展開だ、ただまあ今回の場合窮地を脱することは出来なかったわけだが。
ただ、ああいった展開は生きるために能力が成長したとかであって、自分のように他人の人生を盗み見する姑息な能力が死の淵に立つことで進化するかどうかについては疑問が残るところだ。
正直な所、どっちも半々ぐらいの可能性ぐらいであると思っているし、実際はどちらも正解で能力が進化すると考えたから許容したなんて可能性だって十分にあると思っている。
次に不可解な点は、藤田ことねの中間試験の合格を三位で留めているところだ。
文章に記載がある以上試験の結果を弄れるはずだ。それなら一位にでもしてあげた方が彼女のアイドルになるという夢に近づくはずだが、どうしてかそういった行為をしていない。更に中間試験だけではなく、何個か受けていたであろう仕事のオーディションで不合格になった際にも能力を使っていないようだ。
他人の運命を見て、それを操ることが出来る。
そんな超能力でズルをしているだなんてこと、他人から想像すら出来ないだろうに、それなら能力を使った不正をしてもよさそうなものだが。
改変に失敗したという可能性も考えたが、過去の文章を見ていると死亡ドッキリに対して何度も改変を行っている痕跡が存在していた以上、順位などに痕跡が無い以上記憶のあった頃の自分は改変しようともしなかったと考えるべきだ。
ただ、それは何故? と考えると、答えが分からない。
藤田ことねの不幸を阻止する、それ以外にも何か考えがあったのだろうと想像することはできるが、その答えを聞こうとしても自分が覚えていないのだから仕方がない。
何かメモでも残してくれていたら良かったんだけどな。
病院から退院した時はもしかしたら、自分の家には日記だとかなんだとかのヒントがあるかもしれない、そう考えていたのだが……。
その部屋には必要最低限の物しか置かれていなかった、自分はいわゆるミニマリストという人間だったのだろう。
それ故すぐに部屋中を隅々まで見ることができ、結局それらしきものは見つからなかった。
思わずため息が漏れる。
「また、悩み事ですかぁ?」
「ああ、いえ。少し個人的な事で悩んでいたんです」
それを部屋にいた、藤田さんに聞かれてしまった。
自分が退院してから彼女は良くこの部屋に来ている。
今後のスケジュールの話をした後、最近のクラスメイトとの話だとか自分の知らない昔話なんかをよく語ってくれるのだ。
それが以前からの習慣なのか、それとも自分が彼女以外の記憶を少しでも早く戻すために協力してくれているのかは分からないけども、以前の距離感というものが分からない自分はそれについて何も尋ねれないままでいた。
「まあでも記憶喪失なんてわけわかんなことになったらため息の一つや二つ吐きたくなりますよねぇ~」
「一応、記憶を取り戻すために記憶があった頃と同じことをしているんですけど、今のところさっぱりです」
記憶があった頃と同じことをする。
これは医者にも記憶を取り戻すためにするべきだと言われた方法ではあるが、残念ながら今のところ一切効果はない。
両親から過去の話を聴いても、以前好きだったというものを食べてみても、以前よく聴いていたという音楽を聴いてみても記憶が戻る気配は一切なかった。
「まあ、問題なく藤田さんのプロデューサーが出来ているので、それで良しとします」
「プロデューサぁ~、やっぱりあたしのコト好きすぎでしょ~」
「当たり前ですよ。自分は藤田さんをプロデュースすることが……」
何よりも幸福、そう口にしようとしたのだが、妙な引っかかりを感じてそれ以上は口に出来ない。
「どうかしました? 急に止まって」
「あ、いえ。何か頭の隅で引っかかるような感覚があって、少し時間をください」
視線を文章の方に移してみる。
レッスンの前に雑談をしたということで、その雑談の内容が簡単に書かれているだけで、今回の会話内容については詳しく書かれていない。
そうなると、文章のせいで続きを口にできないというわけではないらしい。
プロデュースすることが一番の幸せ、そう口にしたくなかった。
おそらく、過去の自分の影響によるものだろう。
何らかの理由があり、その事を口にすることを魂が拒否したに違いない。
それは何故?
過去の自分は彼女をプロデュースしたくなかった?
いや、そんなはずがない。
文章の改変の跡を見れば、自分で彼女をプロデュースするように仕向けている。……いや、まてよ?
――そもそも自分はどうして、プロデューサーなんてしてるんだ?
目の前で困っている人がいたら助けたいと思うのは人の善性に従えば当然の考えであるし、そしてそれが自分の力で解決できるとなれば尚更だろう。しかし、それはあくまでも自分の無理しない範囲でという前提が付く。
自分がプロデューサーになるというのはその枠組みを超えてはいないだろうか?
少なくともただの善性というだけで片づけるわけにもいかず、もし誰かれ構わず救おうとしている善性を持っているのであればもっと他の人を救えるであろう職業ではなくプロデューサーに収まっているのが謎だ。
それなら、何か別口で自分がプロデューサーを目指したきっかけがあると考えるのが自然だが……。
「すみません。藤田さん、自分がどうしてプロデューサーを目指したか、記憶があった時の自分は何か話してましたか?」
「う~ん、そうですねぇ」
藤田さんは考え込むようなポーズを取るが、その結果が芳しくない事はその表情が語っていた。
「ちょっと、記憶にないですかね。そんな話をしてたら覚えてると思うんですけど……」
「そうでしたか、突然変な事を訊いて申し訳ありません」
「いえ、どんどん訊いちゃって大丈夫ですよ。あたし、プロデューサーの記憶を取り戻すためなら何でも協力しちゃいますから!」
「ありがとうございます、非常に心強いです……それでは、先に今後の予定について話しておきましょう」
「それはいいんですけど、えっと……他に訊かなくて大丈夫なんですか?」
藤田さんが心配そうに尋ねてくるが、こちらの都合に彼女をこれ以上巻き込むわけにはいかない。
彼女がアイドルになるためには、レッスンに仕事、学業に『初』の試験対策。それに休養の時間も取らないといけない。
それを邪魔して、彼女を不幸にする手伝いを自分がするわけにはいかなかった。
「ええ、この後やらなければいけないことが出来まして」
「やりたいこと?」
「ちょっと、自分探しの旅に行ってきます」
さて、藤田さんには自分探しの旅だなんて大層な事をいって、部屋から出てきたわけだがやることはなんてことは無い。
過去の自分を知っているであろう人物に対する訊きこみ調査だ。
自分が記憶喪失になったことは、学友であれば知っているし、プロデューサー科に関わる先生方にも知られている。
この時間帯であれば、まだ学校内に学友達が学校内にいてくれるだろう。
そう意気込んで、一歩目を踏み出した……。
「え? 記憶喪失前のお前? そうだな……なんというか、まじめって感じかな。成績とかも良かったし」
「アイドルをプロデュースすることに関しての熱意が凄まじかった印象です。アイドルに関する知識量であれば、プロデューサー科の人間の中でも引けを取らないでしょう」
「うーん、一匹狼ってかんじ? いやまあ、群れるのを嫌うって感じじゃないんだけどさ、普通に話したらいい奴だけど、なんかこう他の人達とは距離を取ってたってかんじかな」
一歩を踏み出したまではよかったのだが、見事に当ては外れてしまった。
やはり記憶のあった頃の自分が交友関係に時間を割いていないことが理由で、殆ど有益な情報は入ってこなかった。
こうなれば、駄目元とばかりに偶然廊下で出会った亜紗里先生にも話を訊いてみる。
「記憶のあった頃の自分ってどんな人だったんですか?」
「記憶があった頃のきみの印象ですか? そうですね、余裕のない生徒といった感じでしょうか。いつも何かに追われるように動いていましたから」
少し悩んだ末に、先生はそう応えてくれた。
「そうだったんですか、ありがとうございます」
「記憶、早く戻ると良いですね」
「そうですね、早く戻せるよう努力します」
先生に一礼してから、再び部屋に戻る。
既に藤田さんはレッスンに行ったようで、部屋の中には自分一人となった。
わざわざ亜紗里先生が口にする程、余裕が無かった。
それ程まで追い込まれていた可能性として考えられるのは三つ。
まず一つ目は、過去の自分が藤田ことねという存在に執着していたという可能性だ。
産まれてからずっと彼女が過ごしてきた日常を見守ってきたのだから、そんな相手に対して好印象を抱いてしまうのはありえるだろう。
ただ、それだけで彼女の夢をどうやっても叶えようと思うかと訊かれると首をひねる。
過去に彼女と出会っていたとか、親しい関係だったなら話は別だが、そのような記述は文章にはない。
その出会いなどが文章から抜け落ちていたとしても初めて彼女と出会い逆スカウトを受けた時にそのことについて自分から話すか、彼女から話すという一幕があるはずだ。
流石にそのどちらもが抜けている可能性というのは考えにくい。
つまり以前に自分と彼女が出会っている可能性は低い。そうなると、藤田さんに執着していたという可能性は低いだろう。
二つ目の可能性。それは文章を見て改変する能力を与えた存在に脅されているというものだ。
文章を書いている存在と、自分に能力を与えた存在はおそらく別の存在で、彼女の今後について争っている。
自分に能力を与えた存在は藤田さんの幸福を望んでおり、もし彼女がアイドルになれなかった場合自分を殺すと脅している。
こう考えれば、この他人の人生を覗き見て、その上で改変する事さえ出来るこの異常な能力についても説明はつく。
身の危険があるとなれば、他人の命運を預けるなんてことは出来ないだろうし、自分で藤田さんのプロデューサーになりたいと考えるのも納得はいく。亜紗里先生の言うように余裕だって無いだろう。
ただこの場合、中間試験で三位を取った際やオーディションでの不合格を変更しなかったことに説明がつかない。
三つ目は、アイドルの夢を諦めるということについて過去の自分が何かしらのトラウマを持っていた可能性だ。
ありえない話ではないだろう、推していたアイドルが売れなくて涙ながらの卒業ライブ。
その後に何かしらトラウマになるような出来事……まあ、色々考えられるがそれを目撃してしまったというのはありえそうだ。
藤田さんがその二の舞にならないよう、努力している。
これはかなり筋が通っている説明のように感じられる。
過去の自分がアイドルの引退にトラウマを持っていたという可能性を確かめるために、両親におなじメッセージを送る。
『以前自分が推していたアイドルについて知ってる?』
敬語を付けるべきか悩んだが、一応間柄は家族なのだから多少フランクにしておいた方が良いだろう。
しばらく返信を待っていると、両方からのメッセージが返ってくる。
『すまんがわからん。母さんなら何か知ってるんじゃないか?』
『特別どのアイドルを推してたってのはなかったわね。テレビに出るような有名なアイドルのライブを沢山見てたけど特にこのグループってのは無かったわ』
……やっぱりそうだよな。
大体わかっていたんだ、自分の部屋があんな何もない部屋だった時点で。
そういったトラウマがあるとするなら、その過去推していたアイドルのグッズぐらい置いてあるだろうに、そういったものは一つも置かれていなかった。
もしもそのトラウマによって目に入れるのすら嫌になるほどだというなら、そもそもプロデューサーなんて目指さないだろう。
仮説は全て否定され、状況は完全に振出しへと戻ってしまう。
これならいっそ、自分だけが持っている特権を使って事故が起こらなかった事にしてしまおうか。
当日以外の文章は改変することが出来ない。
それは入院中に実験したことで分かったこの文章と自分の能力に関するルールの一つだ。変えようとすると異様な頭痛に襲われる。
ただ、おそらく一度だけならその頭痛に耐えることが出来るだろうことは、何となく感覚で分かっていた。
その権利を今使い、事故が起きた事すらなかったことにしてしまえば、こうして悩む事もなくなるし、失くした記憶を取り戻すことが出来る。
失くした記憶を取りもどすことが出来れば、両親が悲しむことだってなくなる。
きっと自分は彼等に愛されて育ってきたのだろう、そのことぐらいはこの短い付き合いでも理解出来る。親孝行にもなるうえに、藤田さんのプロデュースも支障なく行えるようになる。一石二鳥じゃないか。
『中間試験を合格した帰り道、藤田ことねのプロデューサーはトラックに轢かれた』
改変する文章に多少の制限があるのは分かっている。
それなら、トラックに轢かれたの部分を轢かれかけたにしてしまえばいい。
そうすれば事故が起きた事さえなくなってくれるだろう。
ああ、そうだ。それがいい。文章を轢かれかけたと改変するために手を伸ばし……そしてそのまま何もせずに手を下ろした。
どうしてそうしたのかは自分でも分からない。
ただあの時藤田さんをプロデュースすることが自分の幸福だと答えれなかった時と同じように、自然と改変をしようとする手は止まっていた。
「何がしたかったんだよ、お前」
鏡の前でそう口にしてみるが、鏡の中の男はこちらを睨みつけるだけで何も答えてはくれなかった。