こうふくなアイドル 藤田ことね   作:五月車

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11話

 男はスランプであった。

 半月以上も『不幸なアイドル 藤田ことね』の続きを一切思いつかず、こうしてパソコンの前でウンウンと唸っている現状として適切な言葉がそれだった。

 

 本来スランプという言葉はある一定上の実力を持つものに対して使われる言葉であり、男が物語の続きを思いつかないのはただの実力不足に過ぎないのだが、男の肥え太った自尊心がそんな現実を認めるはずもない。すなわち、この現状はスランプと定義されることに違いなかった。

 

 物語の続きが思いつかない時、創作者はどのような行動を取るべきなのか?

 

 それは過去何度も問われているテーマであり、そしてこれから先の未来も語り続けられるであろうテーマの一つだ。

 思いつかないなりにずっと考える、他の作品からインスピレーションを得る、とりあえず一度寝てみる、気分転換に外に出てみる。

 どの選択も等しく正解であり、そのどれもが等しく不正解である。

 

 身も蓋もないことを口にしてしまえば、そんなの人によって違うし、状況によっても違う。

 そんな何も答えになっていないとほぼ同義なものが結論となってしまう。

 

 ただ、そんな中でも一つだけ断言することが出来るのは、今こうして男がパソコンの前で次の展開をただ悩んでいるのは間違いであるということだ。

 

 ここで彼が取るべき行為というのは、外に答えを求める事だ。

 彼の中に正解なんてものはないのに必死に自分の中から答えを見つけようとしても意味などない。

 多くの創作物に触れ、その中で傾向やインスピレーションを貰う、あるいは友人に相談して面白そうな意見を貰う。それが作品の続きを書くうえで必要な行為だ。

 それこそ、『不幸なアイドル 藤田ことね』の原作である学園アイドルマスターをやるのだっていいだろう。藤田ことねが好きな人から、彼女の魅力を熱弁してもらい、その魅力を最大限活かせるような話づくりをしてもいい。

 

 現在男のやっている行為というのは、例えるのなら失くした鍵を探そうとして殆どものが入っていない小物入れだけを必死に探しているようなものだ。

 普段はそこに鍵を入れているはずだから、きっとそこにあるはずだとただ盲目的にその場所だけを探している。そんなことをして、鍵が見つかるはずもない。

 

 男は外に答えを求めない。いや、正確には出来ないと言った方が良い。

 何故なら彼は、自分には誰よりも物書きとしての才能があるとただひたすらに信じているからだ。

 自分の物語こそ、至高であり他の作品は自分より劣っている、そう思い込んでいる。だからこそ外から何かを学ぼうと思えないのだ。

 

「……やばい、まじでスランプなんだけど」

 

 既にメモ帳を開いてから三十分が経過している。

 

 そんな男の現状に同情出来る要素が全く無いのかと言えば嘘になる。

 文字通り彼の物語ではキャラクターが勝手に動いている、その結果としてストーリーが変わっているからだ。

 うっすらとだけ考えていたストーリーを利用することが出来ず、物語の続きが書けていないというのも確かに事実としては存在している。

 

――何でもいいから続きを思いついてくれ!

 

 そう男が心で願った瞬間だった。

 

「……お? いいんじゃね、これ」

 

 突如として、何を書けばいいのか彼は理解した。

 

 どうしてそういう展開になるのかは分からない。キャラクター達の会話が何故そうなるのかすら分からない。

 だというのに、こう書くべきだという確信が降って湧いたのだ。

 

 男は知る由もないが、先に結論だけ述べればこれはただの辻褄合わせだ。

 

 現実で男が紡いだ物語によって世界が都合の良いように変えられるのであれば、どうしてその世界の方から物語が改変されたときに現実に影響が起きないと言えるのだろうか?

 

 銃の引き金を引いた際に、飛んでいく弾の行方を描写しない作者がいないよう、キャラクターが行ったことに対しては結果を描写しなければならない。

 しかし男はキャラクターの行動の結果を知らない。キャラクターがどんな行動をしたのかすら知らないのだから、彼が書くことができないのは当然の帰結だ。

 だからこそ、男は閃きという形で結果だけを知ることになった。ただそれだけの話だ。

 

「これがキャラクターが勝手に動くって事なのか?」

 

 間違った推測から正しい結論を出しながら、男は上機嫌に続きの文章を書き始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 藤田ことねは悩みがあった。

 悩みの種なんてものは生きていれば当然のように無数にあるもので、彼女を例にしても今日の昼食はどうしようだとか、数学の小テストを無事解けるだろうかみたいな小さな悩みから、先日退院したばかりのお母さんの体調は大丈夫だろうかだとか、あたしはちゃんとアイドルになれるのだろうかみたいな大きな悩みまで様々だ。

 

 ただそんな中でも今彼女の頭を悩ませている大きなものといえば、彼女を担当しているプロデューサーの様子が変わってしまったことだ。

 

 その異変に彼女が気づいたのは、彼が事故に遭い記憶喪失にあってからだ。

 記憶喪失になれば、それは過去とは少しは変わってしまうだろうということぐらい彼女だって分かっている。ただ、それを踏まえた上でも異様と思えるほどに変わってしまっていたのだ。

 

 プロデューサーが事故に遭った事をきっと藤田ことねは死ぬまで忘れないだろう。

 その話を亜紗里先生から聞いたとき、父親が居なくなった時、そして母親が入院したという話を聞いた時と同等の衝撃があった。自分が歩いていた地面が突然消えて無くなってしまったかのようなあの感覚。何度経験しても慣れないし、人間らしくありたいのであれば慣れるべきでないあの感覚だ。

 ただその感覚は長続きしなかった、何故なら彼が無事であることを亜紗里先生から聞く事が出来たからだ。

 

 彼女は急いで、病院へと向かった。学校は仮病で休むことにした、亜紗里先生もこちらの事を気遣ってか、呆れたように「わかりました」と返しただけで、止めはしなかった。

 

 病室の扉を開くとそこには点滴が刺されているものの、それ以外は特に普段のプロデューサーと変わらない姿の人物がそこにいた。

 

「プロデューサー! 世界一可愛いアイドルがお見舞いに来ましたよぉ~」

 

 ひとまず無事でありそうな姿に安堵しつつ、彼が余り気を使わせないよう普段と出来るだけ変わらないように接した方がいいだろうと思っての事だった。

 きっと彼の事だから、こんな時でも

 

「来てくれるのは嬉しいですが、学校はどうしたんですか? もしかして、サボったんですか」

 

 なんてお小言を貰うんだろうななんて想像しながら。

 しかし、返ってきたのは怪訝そうな目線、ただそれだけだった。

 

「あれ、プロデューサーどうしたんですか?」

 

 まだ何か事故の影響が残っているんだろうか、そんなことを考えていた。

 

「……ああ、いえ。すみません、実は事故の影響で記憶を失ってしまったようで」

 

 記憶喪失、そんな四文字が彼女の頭の中に思い浮かぶ。

 

 概念としては知っている、物語で良く使われる要素であるし、それを題材にした映画もテレビで見たことだってある。ただ、それはどこか遠くのファンタジーみたいなもので、自分の身近な所で起きる事象だなんてこれっぽっちも考えたことは無かった。

 あの歩いていた地面が突然消えてしまったような感覚が戻ってくる。

 

「え、ほ、本当に覚えていないんですか? あたしですよ、あたし。あなたのアイドル藤田ことねです!」

 

 だから、だろう、彼女がこんな現実の見えていない発言をすることが出来たのは。

 相手は記憶を失っているのだ、当然自分の事なんて覚えているはずがない。そんなことは先ほどの会話で理解出来るはずなのに、藤田ことねは答えの分かり切った問いをプロデューサーに投げかける。

 彼からの答えは返ってこない。

 

「どうしました? なんだか急に苦しそうですけど……! もしかして、傷が開いたとか?」

「い、いえ。そういうことではないので、心配しないでください」

 

 その時藤田ことねはようやく理解した。ああ、やっぱり彼は自分の事を憶えていないのだと。

 きっと、いまのあたしは酷い顔をしていて、だから優しい彼は現実は突き付けることが出来ずに苦しんでいるのだろうと。

 だから、今自分に出来るのは、こうして彼を追い詰めるのではなく、この現実を受け入れる事だろうと。

 

 大丈夫です、これから今までの思い出以上の物を作っていきましょう。精一杯の空元気でそう言おうとしたその時。

 

「……思い出しました。藤田ことねさん、自分がプロデュースしているアイドルですよね」

 

 奇跡が起こった。

 記憶喪失であったはずの彼が、自分の事を思い出したのだ。

 実際は過去の日記を参考に話しているようなハリボテに過ぎないのだが、それは彼女にとっては奇跡であることに変わりはない。

 

 ああ、そうだ。この出来事は奇跡と呼ぶにふさわしい。

 ただその奇跡には代償が必要だったというだけの話だ。

 

 

 プロデューサーが変だと確信したのは、彼とスキンシップを取った時だった。

 アイドルとして異性に対してこういった行為を行うのは、相手がプロデューサーということを加味しても余り良い行為でないことぐらいは理解出来ている。

 しかし、スキンシップを取るのは彼が記憶を失うまでのいつも通りであったし、そういった関係を彼女自身も悪くないと思っていた。

 それはきっと、向こうも同じように思っているであろうことを彼の反応から知っていた。

 まあ、その後にアイドルとしてこういった行為は出来るだけ避けるようにと小言を貰うところまでが一連の流れとなっていたが、彼女にとってはそれすら好ましい事だと捉えていた。

 

 しかし想像に反し、その時彼の表情に現れたのは困惑であった。

 彼はどうして彼女がそんな行為をするのか分からずただただ戸惑っているように見えたのだ、そしてそれは間違いではない。記憶の無い彼は実際、こうした際に彼女の事をどう扱っていいか分からずに困惑していたのだから。

 ただその困惑も一瞬、すぐに何時ものようにアイドルとしてこういった行為は出来るだけ避けるようにと小言を貰ったおかげで、彼女はさっきのは気のせいだったのだろうと片づける事にした。

 

 いや、片づけようとした。

 

 一度疑問に思ってしまえば連鎖的に、思い当たる節が出てきてしまう。

 

 そういえば、態度が何処かよそよそしくなった。

 そういえば、レッスンの進捗を見に来る頻度が増えた。

 そういえば、もし失敗したときにどうすればいいかについて語ることが増えた。

 そういえば、前はよく聞いていたあなたには才能があるという言葉を聞いていない。

 そういえば、……

 

 記憶喪失だから、それで済ましていたものが、突然気になってしまう。

 

 もしかしたら彼はあたしとの記憶を思い出していないのではないか? そんな馬鹿げた考えが藤田ことねの頭によぎる。

 

 しかし、その考えをすぐに否定する。だって、初めて病室で会った時に彼が話した内容はあたしのことを憶えていないと出来ない話だった。日記なんてものはあの病室にはなかったし、確認する暇はなかったはずだ。

 それにその後話した過去の話だってあたしの記憶とすれ違いは無かったはずだ。だから、あたしとの記憶を思い出していないということはありえない。

 そう分かっているはずなのに、何故だかその考えは頭の中から消えていってくれない。

 

 ただプロデューサーが何か変わってしまったと、その事実に気づいたところでただの少女に過ぎない藤田ことねに出来ることは驚くほどに少ない。

 結局、行ったのは先延ばし。

 きっと彼の記憶が全て元に戻れば元に戻るはずだと、自分に言い聞かせることしか出来なかったのだから。

 

 彼女は今日もプロデューサーの元を訪れる、早く元に戻って欲しいから。

 きっと昔の話をしていれば、何かがきっかけで他の記憶も戻ってくれるだろうと信じて。

 

 だから、この出来事は必然であった。

 

「プロデューサー、あたしと初めて会った時のこと憶えてます?」

「ええ、もちろん。憶えていますよ」

 

 話をするのは、いつも通りの過去の話だ。

 彼からスカウトされて、最初は何で自分なんかになんて思っていたのに、彼の言葉が嬉しくて信じてみよう、そう思えた大切な思い出だ。

 きっと彼だってそう思ってくれているに違いない、そう信じていたのだ。

 

「藤田さんのほうから、プロデュースして欲しいと言ってきたんですよね。よく憶えています」

 

 

――世界の凍る音がした。

 

 

 プロデューサーが何を言っているか理解出来ない。

 彼が自分との記憶だけは覚えているのは間違いない。別の過去の話に相違はなかったし、自分と彼しか知らないような話だって彼は憶えていたからだ。

 他の記憶はしっかりしているというのに、出会った時の記憶だけ不明瞭だなんてことあるだろうか?

 考えられない、それが藤田ことねの出した結論であり、だからこそ間違った思い出をさも当然かのように語る彼に対して底知れぬ恐怖を感じたのだ。

 

 彼と同じ声、同じ体なのに何かがごっそりと別の物に変わってしまったかのように思えてしまう。

 それが恐ろしくて、気持ち悪かった。

 

「どうかしましたか?」

 

 突然黙ってしまった藤田ことねに対して懐疑の視線を向けながら、彼は尋ねる。

 

「ちょ~とあの時のこと思い出してブルーになってただけです。もしもスカウトされなかったら、どうなってたのかなぁ~って」

 

 彼女が遠回りにその記憶は間違っていると指摘したことを誰も攻めることは出来ないだろう。

 むしろ、よく指摘出来たと褒めるべきだ。

 

「どうですかね、藤田さんならプロデューサー無しでもアイドルになれたと思いますが」

 

 ああ、だが悲しいかな。そんな勇気も、別の事を気を取られていた彼には届かない。

 

 もしもその指摘にプロデューサーが気づくことが出来たのなら、藤田ことねも都合の悪い真実に目を瞑り、きっと記憶が混乱していただけだろうと自分に言い聞かせることが出来たのかもしれない。ただ、もしもというのは起こらなかったからもしもなのだ。

 

 こうして、藤田ことねにとってのプロデューサーは頼りになる人から、得体のしれない恐ろしい人に変わってしまったのだった。

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