「はあ……」
ゴミ箱の中身を見ながら、僕は深いため息を吐く。
いくら頭に血が登っていたからって、証拠となる名刺をゴミ箱に捨ててしまっては駄目だろう。
藤田さんとのミーティングも終わり、バイトに送りだした後冷静になった頭は、他のアイドルへの注意喚起も兼ねて学校側に枕営業を持ち掛けてきたプロデューサーについて報告をしておくべきだという当然の結論に辿り着いた。
枕営業を断ったことによって、不当に圧力を掛けられて仕事を取れなくなるという可能性だってありえるのだから。
僕個人であれば、そういったあくどい手段に対しての対策を取ることは出来ない。しかしそういった手段への対策も、初星学園ひいては100プロであればそういった圧力への対策は取れるはずだろう。
運よく、その後ゴミを捨てていた生徒はいなかったようですぐに名刺を見つけることが出来た。
あとは亜紗里先生にでも渡せばいいだろうと考えて、ふと考える。
いったいあのプロデューサーはどうして、この話を藤田さんに持ってきたのだろうかと。
枕営業を持ちかけるにしては、初星学園の生徒はかなりリスクが高い。
まず一つ目は、先ほども述べたように初星学園には100プロという後ろ盾があるという点。これが非常に大きい。
もしもこれが中小企業でアイドルをしているなら別だが、100プロという後ろ盾は無視するには巨大すぎる。
そして二つ目に、彼女達はアイドルですらないということだ。
彼女達はあくまでアイドル科の生徒達だ。これからアイドルになろうとしている存在が、自分の体を売ってまで売れたいと考えるかというと首を傾げる。
これが初星学園の三年生であれば話は少し変わるだろう、二年間頑張って来ても何の成果も出ずアイドルになれないかもしれない。
そんな三年生の生徒がやけっぱちになりそういった思考になったとしても、理由を理解は出来る、納得は出来ないけども。
そして、そのうえで藤田さんは一年生だ。
藤田さんの家庭環境の事を考えなければ、彼女が焦る理由なんてものは存在しないのだ。
彼女は今からアイドルとして売れるために努力する段階なのだから。
そうなってくると少なくともこの番組プロデューサーは、藤田さんの家庭事情について何か知っていると考えるのが自然だろう。
「……でも、どこで?」
まず、問題になるのはそこだ。
藤田さんは自分の苦労話を話すようなタイプではないため、仕事先でお金に困っている理由を語っていたのを聞いたという線はないだろう。それなら、どこで聞いたのかという事になるのだが……。
一つだけ、考えられる可能性があるとすれば、あの番組プロデューサーがストーカーか何かという可能性だ。
それであれば、藤田さんに対してわざわざ声を掛けてきた理由も納得できるし、彼女の家庭事情について知っていることについても説明がつく。
ストーカーか、確かに藤田さんの可愛さは世界一だ。そういった厄介なファンが付くことも想像は出来る。
彼女の身に纏っている輝きに引き寄せられてしまった、哀れな蛾。
それがあのプロデューサーの正体だとするのなら、ある意味彼は僕と同類なのかもしれない。
それはそれとして、藤田さんに手を出そうとしたことが同情できるわけではないのだけど。
「実質、自分もストーカーみたいなもんだしな」
実際は誰にもプロデュースされなかったところを、自分の能力を使って藤田さんのプロデューサーになったという点は決して褒められた行為ではないだろう。
……ん、待てよ。
プロデューサー……そうだ、僕は藤田さんのプロデューサーだ。
「なんで、自分に声を掛けたんだ?」
そうだ、前提条件から間違っている。
そもそもあの男がプロデューサーである自分に対してこの話を持ち掛ける理由が存在していない。
そういった行為を目的にするのであれば、藤田さんに対して直接お金を対価として話を持ち掛ける、あるいは仕事を対価にして話を持ち掛ければいい。
もちろんプロデューサーにこういった話を持ち掛けるメリットはある。
ただそれはプロデューサーが相手の話を飲まざるを得ない状況を作りだしたうえで、初めて生じるメリットだ。前述の通り、100プロという後ろ盾があるうえに、プロデューサーという立場ではあるものの、立場としては一介の学生にしか過ぎない、自分が相手の提案を飲む可能性は限りなく低い。
それは相手側も分かっているはずなのに、どうして僕にこんな話を持ち掛けてきたのか。
その理由は、一つだけ思い当たる節がある。
視界の端に浮かんでいる文章、これによって僕は自分の意思に反した言葉を発したという経験を実際にしている。
それなら、あの男も彼の意思に反してこの文章に従った行動をしてしまったという可能性は十分にありえるだろう。
そういう意味でいえば、あの男も被害者の一人という事になる。だからといって、やはり同情をしてやるつもりもないけども。
結局のところ、思考はこの文章は何なのかという点に行き当たる。
ただ、先の一件のおかげで二つの可能性に絞ることは出来た。
まず一つ目としては、この文章はやはり起きた事を語っている文章ではないかというものだ。
一見、自分の意思が曲げられて行動させられたことと矛盾しているように思えるが、そもそもの前提の条件が違っているのだ。
そもそも自分が介入していなければ、藤田さんにプロデューサーはつかずに、彼女の母親は死亡している。
入院ではなく死亡であっても、藤田家の家計は厳しいだろうし、藤田さんは何らかの手段でお金を稼ごうとするだろう。プロデューサーが付いていない以上奨学金や支援金は余り貰えていない可能性が高い。そうなれば彼女は今よりも無茶をしながら働くはずだ。
母親が死んだ後、明らかに無茶な量のアルバイトをする学生。それだけで彼女の問題を察することは比較的に容易だ。それをどこかで知って、枕営業を持ち掛けてきたのが、あのプロデューサーだったとすれば?
プロデューサーも付いていなくて相談する相手が少なそうに見え、金銭的に困っていて早く売れる必要性のあるアイドル候補生。
あの男が声を掛ける標的としては、悪くない相手のように思える。
主人公の行動によって結末が変わるマルチエンディングのゲームなどでは、公式によってメインと定められたルート、いわゆる正史と呼ばれるものが存在している。
この文章はその正史をなぞった文章が書かれているのではないだろうか、という仮説になる。
そのまま正史の通り進めばよかったが、自分という存在がいるせいでその正史通り進むことが出来ない。
ただ少し違っている世界の中で、少しでも正史に近づけようと周りの人間の行動が歪められる。それが今回のように思考と行動の乖離として現れたとすればどうだろうか?
歴史の修正力、なにかのSF作品で読んだ話ではあるが、それが現実に存在している可能性はあるだろう。
二つ目としては、この文章は神様のような存在により何かしらの目的で書かれたものであるということだ。
……まあ、ふわふわとした結論から分かるように、こちらの可能性についてはまだ分からないことが多い。
一つ目の正史説と二つ目の神様説は余り変わっていないように見えるが、もしも神様説であれば非常に厄介だ。
なんせその神様の目的次第で、どんな展開だってありえてしまうのだから。
ただ正史をなぞっているだけであれば、これから何が起きるのか最低限度の予想は出来る。しかしこれが神様の気まぐれであるとすれば、いきなり異世界転生をしても可笑しくないし、突然ゾンビが溢れかえって現代社会が崩壊しても可笑しくはない。
だからこそ、個人的には正史説の可能性を信じたいところではあるが、正直にいえば神様説の可能性の方が高いと思っている。
理由としては、僕の能力を使っても入院期間の長期間を改変できなかったからだ。
正史説の場合、藤田さん母の入院期間というものは存在しない。それなら比較的自由に改変できてもいいような気がするが、現実として入院期間を改変することは出来なかった。
一応正史として、藤田さんが金銭的に困るのというのは事実として存在するため、入院期間をこれ以上短くすることは出来なかったと理屈をつけることも出来るが、こじつけ感が強いというのが正直な感想だ。
「……ただ、どっちにしても良い展開にはなりそうにないんだよな」
史実説、神様説。
どちらが正しかったとしても、今の段階で藤田さんのこれからの人生が順風満帆なものになるとはどうしても思えなかった。
最終的にはハッピーエンドが待っているかもしれないが、そう楽観的に考えるのも難しい。
むしろ、これから藤田さんには七難八苦が待っていると考えた方が妥当だろう。
それはきっと運命のようなもので、誰にも変えることは出来ない。
――ああ、そういうことだったのか。
ようやく、どうして自分がこんな訳の分からない能力を持って産まれて来たのか理解した。
使い方によって死ぬはずだった人間を生かす事すら出来る、超常的な力。
運命すらも変えることの出来る力を、ただの一般人である自分が持ってしまった理由を。
「そうか、自分は藤田さんを幸せにするためにこの能力を持ってたのか」