ちょっとだけ短いです…すいません。
文字通り汚れた手を軽く払う。
エミヤシロウは、わずかに肩で息をしながらも、その視線には揺るぎがない。
「……聖王よ、あとはそちらに任せる。私は武器を振るうのみ。ここからは王としての言葉だ。」
カルカはその言葉にゆっくりと頷き、前へ進み出た。
吹きつける灰混じりの風に金の髪が揺れる。
それでも彼女の姿は、もう震えていない。
「我が聖王国が民たちよ!」
声高らかに、戦場のざわめきを返すように。
たった一言で、空気が息を呑む。
「我らは恐れない!敵が如何に多くとも!亜人が、悪魔が、何を語ろうとも!」
カルカは目障りな亜人など目もくれず、澄み渡った声が響き渡る。
「わたしは、この国を守ると決めました、この国を幸せを与えることを誓いました。」
兵たちの目が見開かれた。
弱い王ではない。迷う王ではない。
覚悟した王が、彼らの前に立っている。
あれだけ殺しを躊躇った聖女王が、それ相応の覚悟を持って立っている。
「聞け!救国の英雄はここに誓った!私がいる限り負けはないと。」
エミヤシロウの眉がひそかに動く。
「――我が名にベサーレスの血を引く我が王家において命じます!聖王国の勇士たちよ、折れてはなりません。ここを、我らの死地としないために!」
「おおおおおおおッ!!」
城壁の内側で、息を潜めていた兵士たちの喉から雄叫びが上がる。
恐怖を押し返し、剣を握り直し、盾を構える。
その声は、さながら一つの生命のように巨大に膨れ上がった。
エミヤシロウは小さく息を吐き、弓を番える。
「…流石は私が誓った国の王だな。」
「そうだろう!カルカ様は素晴らしい方なんだからな。」
エミヤシロウとレメディオスの声にカルカはわずかに頬を赤らめる。
だが、そんなことを話している暇もなく。
――来る。
数百ではない。数千。
燃える松明の赤が、まるで流れる溶岩のように連なって進んでくる。
槍を構えた獣人、斧を担いだ巨人、牙をむく亜人たち。
そして、その後方には――
「悪魔、か。」
エミヤは弓を引き絞る。
魔力が弦に奔り、矢に宿る。
「来るぞー、構えッ!!」
兵士たちが一斉に盾を上げる。
城壁の上へ、怒涛のように押し寄せる亜人の大軍。
エミヤシロウは呟く。
「
聖騎士の詠唱が、兵士によって引き絞られた弓が、城壁を盾で守る者たちの声が、戦場に満たされていく。
空高くに浮かぶヤルダバオトが動く様子はない。
それが不安感を強くする。
だが、兵士たちは恐れない。
聖王カルカと救国の英雄アーチャーがいるのだから!
◇
寝ていないのにそれを見た。
それは民たちの士気を上げるため声を高らかにしていた時だった。
茶色の髪の少年とアーチャーだった。
でも、それを見た時少しうれしかった。
彼が後悔していたとわかったから。
歪な人生で、助け続け力任せに動かした身体。
ぶつけあってぶつけあって、ぶつけあって。
その先に何を得たのか。
無意味であることに気が付いたのか。
彼の心は折れていた。
わたしも、だった。
彼の過去を見て。
わたしもどこか自身の持つ信念に疑念を抱いていた。
だけど、彼は最終的にこの国を救った。
どうやってたどり着いたなどとは問わない。
必要ないだろう。
だが、――――
「アーチャー。」
「なんだね。」
「わたしに、あなたの力を見せてください。」
赤い正しく魔法と呼べる代物が、令呪が、魔力を帯びる。
「聖王国に勝利を。」
「承知した。」
◇
魔力がエミヤシロウを包み込む。
――なんということだろうか。
考えずとも、わかる。
エミヤシロウには際限なく力が流れている。
「私にもこのような思いがまだ残っているとは不思議だな。」
「今は亜人に集中してください、アーチャー!」
ケラルトに思わず叱られてしまうほどどうやら驚いていたらしい。
だが、逆に言えば、それほどまでに期待されているということに他ならない。
「
それが自身の戒めの詩であってもエミヤシロウは止まらない。
己が生涯を打ち砕く。
ああ、これほどまでに高揚したのはいつぶりか。
「
――決して間違いなはずがないんだから!
血を吐くような一撃で放たれた
「
瞬間、大気を震わすほどの振動と、肌を焦がすような熱さが一面に広がる。
烈風によって飛ばされた瓦礫が追い打ちをかけるように四方に散らばっていく。
白い閃光。
それはアーチャーがヤルダバオトを撃退した一撃よりも強力だった。
そしてエミヤシロウは空高く浮かぶヤルダバオトを見る。
まるで挑発せんばかりに。
本来ならば、悪魔の軍勢がざわめき、ざらついた恐怖の波が走るはず。
だが、誰も騒ぐことはなかった。
彼らはまるで、最初からその程度の攻撃は織り込み済みだったと言わんばかりに、黙したまま城壁へと駆ける。
ヤルダバオトは、ゆっくりと首を傾けた。
それは嘲笑ではなさそうであった。
かといって怒りともいえないであろうそれは、興味という感情だけで形作られた動きだった。
――素晴らしい。
そう言っている気がした。
聖王国の兵士たちが声を上げる中、エミヤシロウは一人眉をひそめていた。
「まだ動かないか。……いや、動けないのか?」
「それは、どういう?」
エミヤは答えない。
代わりに、矢をひとつ番える。
その動きに呼応するように、城壁下では亜人たちが殺到する。
「前線、構えッ!!」
「押し返せ!押し返せぇ!!」
獣人の槍が盾を叩き、巨人の吠え声が大地を震わせた。
兵士たちの盾が衝撃に軋む。
その振動が、城壁全体に響いていく。
カルカは短く息を吸った。
この戦いはまだ始まったばかり。
これからの戦いを嚙み締めるのだった。
◇
黒雲のように押し寄せる亜人の群れは、第一陣を崩すことなく波状攻撃を続けていた。
城壁の上は、悲鳴にも似た金属音と怒号、そして祈りの声が渦を巻いている。
レメディオスは息を吐き、握った剣を一瞥する。
その刃は、夕陽を溶かして固めたかのように、どこか温かい光を帯びていた。
「……すごいぞ、ケラルト。この剣の切れ味。想像以上だ」
「当然でしょう。仮にも救国の英雄と呼ばれる男が貸してくれたものなんですから」
ケラルトが低く呟く。
彼女はまだエミヤという異邦の英雄に警戒を解いてはいない。だが、事実戦果をあげている以上実力を疑う気にもなれなかった。
レメディオスはその言葉にふっと笑う。
その直後、巨体の獣人が跳びかかってきた。
レメディオスは反射的に剣を振り下ろた。
一合ともいわず、斬撃というより、あまりに滑らかに切断され、獣人は己が倒れるまで何が起きたのか理解できなかった。
「な……っ」
「切れすぎませんか、それ」
周囲の兵士ですら唖然とし、ケラルトもわずかに顔を引きつらせる。
レメディオス自身も、今放った一撃が信じられなかった。
別に、この剣がなくとも獣人を斬り伏せることはできただろう。
だがこの剣は、獣人が掲げた盾ごと、鎧ごと――まるで紙のように易々と貫いたのだ。
最上位のマジックアイテムと呼んで差し支えない代物。
そんなものを、彼は当然のように渡してきた……?
ケラルトは、自分の手にある紅の長槍を見る。
エミヤシロウという存在が、ますます掴みどころのない怪物めいたものへと変わっていく。
だが――。
「信用しなくてはなりませんね」
彼を敵に回せば国が滅ぶかもしれない。
先ほどの一撃ひとつ取ってもそう思わせる。
それが彼の戦略かとも考えた。
否、『私がやりたいからやった』彼はそう言い切った。
ケラルトは小さく息を吐き、苦笑する。
「……根っからの馬鹿ですね、アレは」
しかしその馬鹿さが、不思議と恐ろしく、そして救いにも思えた。