ももの血脈   作:marre

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第16話 孤独なる王の戦い

魔王との激闘から一年が経ち、カノンたちはそれぞれの日常へと戻っていた。しかし、心のどこかにぽっかりと空いた穴を埋めることはできず、特にカノンにとってそれは計り知れない喪失感となっていた

羅刹(らせつ)——彼は魔界と人間界の均衡を守るため、魔界に残った。彼の消息はいまだ不明であり、生死すら分からない。

「ラーちゃん……生きているなら、何か知らせてくれてもいいのに……」

夕暮れの街を歩きながら、カノンはぽつりと呟いた。戦場で共に戦った日々、分かり合い、信頼を築いた時間。それらが断ち切られたままという事実が、彼女の胸を締め付ける。

そんなある日、異変が起こった。各地で異形の存在が目撃され始めたのだ。異形の者たちは魔界の住人のようにも見えたが、従来の魔物とは様子が違っていた。

「まさか……」

胸騒ぎがカノンを襲う。魔界と人間界の均衡が崩れつつあるのではないか? もしそうなら、羅刹がこれを知らないはずがない。しかし、彼が何も手を打っている様子はない。考えたくはなかったが、もしかすると彼に何かあったのかもしれない。

さらに奇妙なことに、目撃された異形の者たちは襲い掛かるわけではなく、現れた直後に力尽き、霧散するものがほとんどだった。まるで、この世界には存在し続けることができないかのように。

「これは?……何かがおかしい……」

カノンは確信した。この異変の背後には、何か大きな力が働いている。そして、それは羅刹の運命とも無関係ではないはずだった。

その時、カノンの携帯が鳴った。

「カノンさん、すぐに動けますか?」誠(せい)道(どう)からだ。

「誠道さん? 何かあったんですか?」

「増上寺に空(くう)羅(ら)道(どう)が開きそうです。今のところ規模は小さいが、放っておくわけにはいかない。私と慧(けい)明(めい)も明日には合流します。ただ……海外勢は間に合わない」

「そんな……」

カノンの胸がざわつく。空羅道——異界と現世をつなぐ道が開かれるということは、均衡がさらに揺らいでいる証拠だ。

「分かりました。すぐに増上寺に向かってみます。」

「決して単独行動はしないでください。」

「はい、タケル君と行動します。」

通話を切ると、カノンは決意を込めて息を整えた。異変は始まったばかりなのかもしれない。

その後、御成門駅でタケルと合流したカノン、すでにあたりは薄暗くなってきている。

カノンとタケルは足早に増上寺へと向かった。東京タワーの灯りが夜の闇を照らす中、境内は不穏な空気に包まれていた。

増上寺三解脱門をくぐると、すでに異変が始まっているのがわかった。地面にはひび割れが走り、空気は重く淀んでいる。寺の奥、墓地の方角から低く唸るような音が響いていた。

境内の奥へと足を踏み入れると、異様な光景が広がっていた。墓石の間に黒い靄のようなものが漂い、その中心にぽっかりと空いた穴があった。

「これが……空羅道?」

カノンは息を呑んだ。魔界と人間界の狭間にできる歪み。以前とは少し様子が違う、うねりが大きく不安定に見えるそれが目の前で生まれつつあった。

突如、空羅道の奥から地鳴りのような振動が響き、黒い霧が渦巻き始めた。次の瞬間、その闇の奥から何かが這い出るように現れた。

それは、魔王の側近、無貌(むぼう)だった。

しかし、かつての威厳ある姿とはかけ離れていた。全身は傷だらけに裂け、黒い体液がしたたり落ちている。かつて滑らかだった顔にはひびが入り、目のような窪みから赤黒い光が滲んでいた。

「ぐ……うう……」

無貌は、苦しげに膝をつき、震える腕を地面に突く。まるで最後の力を振り絞るかのように、ゆっくりと顔を上げた。

「……カノン殿か?」

「……羅刹丸殿は、あの夜叉王戦の後、王位に就かれ、魔界再建に尽力しておられた。魔界と人間界の均衡も保たれつつあった……だが……」

無貌は呻くように続ける。

「突如、異次元からの軍勢が魔界を襲ったのだ。羅刹丸殿は先頭に立ち、奮戦している。しかし、敵の力は圧倒的で……今、魔界は劣勢に立たされている。」

カノンは息を呑んだ。

「……そんな……!」

無貌はわずかに震えながら言葉を継いだ。

「羅刹丸殿は……カノン殿には決して伝えるなと仰せだった。しかし……私は、もう二度と羅刹丸殿が犠牲になる姿を見たくない……だから……」

無貌は涙を流しながら必死にカノンを見つめた。

「お願いだ……カノン殿、羅刹丸殿を助けてほしい……!」

タケルは慌ててポケットからスマートフォンを取り出し、誠道に電話をかけた。

「誠道さん! 今、無貌が現れました! 魔界が襲撃されていて、羅刹さんが戦っているらしいです!」

「なんだって!? 詳しくお願いします!」

タケルは無貌の証言を手短に伝えた。しかし、誠道の返答は慎重だった。

「情報が足りませんね。無貌を回復して、できる限り詳しく話を聞いてください。私と慧明は明日の朝にはそちらに着きます。それまで絶対に動かないでください」

「わかりました……」

通話を終えたタケルがカノンを見ると、彼女は歯を食いしばりながら空羅道を見つめていた。

「カノンちゃん、とにかく無貌の治療を——」

しかし、その言葉が終わる前に、カノンは躊躇なく空羅道へと飛び込んだ。

「カノンちゃん!!」

タケルは驚愕しながらもすぐに決断し、無貌の腕を掴んで自身も空羅道に身を投じた。

その瞬間、空羅道が不安定に揺らぎ、黒い靄が渦巻いたかと思うと、次第にその穴は縮まり始める。

「ちっ、閉じるのか……!」

無貌も力を振り絞りながら、最後の力で空羅道へと飛び込む。

そして、完全に空羅道が閉じられた。

増上寺の境内には、ただ静寂が広がるばかりだった。

 

漆黒の空間を落下する感覚がカノンを包み込んでいた。空羅道の内部は、無限に深く、まるで何もかもが飲み込まれそうな混沌の世界。視界が歪み、光と闇が無秩序に入り交じる中で、どこが上でどこが下かも分からない。しかし、カノンの胸の中にはただ一つの思いが強く刻まれていた。

「ラーちゃん……生きていて……!」

その思いが彼女を支え、身体を突き動かしていた。時間の感覚も、空間の感覚も失われていく中で、突如、カノンは硬い地面に叩きつけられた。鋭い痛みが全身を貫く。息が詰まりそうになるが、それでも彼女は顔を歪めながらも無理に身を起こす。

目の前に広がっていたのは、見慣れた魔界の風景とはまったく異なる光景だった。燃え上がる赤黒い空、崩れた大地、そしてあちこちで轟く爆発音と悲鳴。それはまさに戦乱の最中。カノンは遠くの戦場を見つめると、戦う姿が視界に入った。異形の軍勢が魔界の城塞を猛攻している。その中で、ひときわ目を引く姿があった。

「ラーちゃん……!!」

カノンの目がそこに集中する。炎と煙に包まれた戦場の中、孤独に光剣を振るう彼がいた。羅刹だ。彼がひとりで魔界を守るために戦っている姿を目の当たりにした瞬間、カノンの心の中で何かが弾けた。

「違う……こんなことは許さない!」

彼女の心に湧き上がるのは、理屈では説明できない衝動、感情の爆発だった。羅刹は、今もなお孤独に戦い続けている。彼がひとりで戦う姿に、カノンは無力感と怒りを覚えずにはいられなかった。

「絶対に助ける……! こんなこと、絶対に許さない!」

その瞬間、カノンの全身を包み込むように青いオーラが立ち上る。彼女の目には、深い決意の炎が宿り、胸の奥から溢れ出す力が爆発的に解放された。全身から放たれるそのエネルギーは、周囲の空気を震わせ、まるで彼女自身が魔界の風景を切り裂いていくかのようだった。

その思いがカノンを突き動かし、彼女は疾風のように駆け出す。魔界の戦場の中、羅刹の姿を目指して。

その足取りは確かで、どんな障害も振り払うような力強さを持っていた。戦乱の中、彼女の前に立ち塞がる異形の者たちが次々に現れる。しかし、カノンの瞳に映るのはただ一つ、羅刹の姿だけだった。彼女の心はそれに向かって突き進んでいた。

通り過ぎるとき、カノンは冷徹な目で戦場の異形たちを一掃する。その四肢が宙に舞い、血しぶきが飛び散る。その一歩一歩が、無情に戦場を切り裂いていく。どんな敵も彼女のオーラの前では耐えられず、瞬時に消し去られるようだった。カノンの身体が震えるほどの怒りが、彼女の中でどんどん膨れ上がっていく。その怒りがエネルギーとなり、加速度的に彼女を前進させていった。

やがて、羅刹の姿が再び視界に現れる。彼は相変わらず孤高に戦っていた。周囲の魔物たちと激しく戦いながらも、その動きには無駄がない。だが、その目には疲労が色濃く浮かんでいるのがわかる。

 

一息で彼女は羅刹のもとに到達する。羅刹が振るう剣の軌道を避け、背後に回り込む。そして、彼の前に立った。

「ラーちゃん!」

『カノン、なぜ来た!ここは危険だ……!』

羅刹の声には、警告の色が強かったが、カノンの目はその一言に全く耳を貸すことなく、強く答えた。

「私の中に戻って!ラーちゃん!」

その言葉と共に、カノンのオーラがさらに激しく輝き、魔界の空気を震わせる。彼女はもう、どんな敵が待ち受けていようと、恐れることはなかった。全てを切り裂いて進む、その決意に満ちた目が、羅刹の肩越しに敵軍を圧倒するように光を放っていた。

 

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