入学初日。
東京の空は岡山とは違う気がする。どこまでも広く見えた地元の空とは違い、都会のビル群に切り取られた狭い空。それでも、私は少しワクワクしていた。
「ふぅ…ちょっと緊張するね。」
私は橘カノン。桃太郎の子孫。だけど、そんなこと誰にも言うつもりはない。
父の転勤で岡山から東京へ引っ越してきた私は、新しい高校での生活をスタートさせることになった。
『カノン、相変わらず前向きだな。』
意識の中で聞こえるのは、私の中に住み着いている鬼、羅刹──ラーちゃんの声。彼は私の中に宿っていて、時折こうして話しかけてくる。
「まぁね!都会には都会の楽しみがあるでしょ?」
「山での自主トレはできなそうだけどね。」
校門をくぐると、すでに登校している生徒たちの視線が集まる。
私は自覚している。外見がちょっといい感じに仕上がっちゃってることを。
「ん?あれ、なんか揉めてる?」
校庭の隅、人だかりができている。何かと思って近づくと、三年生らしき男子生徒数人が、一人の小柄な男子を囲んでいた。
「おいおい、お前、新入生のくせに生意気だな?」
「ちょっとくらい挨拶しろよ?ほら、土下座しろとは言わねぇけどよ!」
あー、ありがち。古典的なやつ。
「めんどくさいな…」
関わらない方がいい。そう思ったのに、私の足は勝手に動いていた。
「ちょっとちょっと、お兄さんたち、朝から元気だねぇ!」
私の言葉に、男子生徒たちがこちらを振り向く。視線が一斉に集まり、ひそひそと囁く声が聞こえる。
「誰だ?あの子…」
「新入生じゃね?」
「可愛いな…」
はい、ありがと。そんなことはどうでもいい。
「新入生を歓迎するのは大事だけど、やり方がちょっと違うんじゃない?」
私は微笑みながら言った。見た目は柔らかく。でも、言葉の奥に含みを持たせる。
「は?何だお前。」
リーダー格の男子がこちらに向かって一歩踏み出す。
「別に。ただ、そういうのは時代遅れって話。」
「調子に乗るなよ!」
そう言って、リーダー格の男子が私の肩を掴もうとした瞬間。
「おっと。」
私は軽く身体をひねる。そのまま相手の手をかわし、逆に自分の指先で彼の手首を軽く叩く。
「ッ!?」
彼の腕がビクンと跳ねる。
「ちょっ…なんだ、お前…」
「だから、そういうのは時代遅れって言ったじゃん?」
私は彼らに向かって軽く微笑む。
「さて、これ以上やると恥かくだけだよ?引き際って大事。」
リーダー格の男子は歯ぎしりしながら、私を睨んでいたが、やがて舌打ちをして立ち去った。
「助かった…ありがとう。」
囲まれていた男子生徒が私に頭を下げた。
「いやいや、別に。私は気にしてないから。」
「でも、君、強いんだね…」
「あはは、ちょっとね!」
(ちょっとどころじゃないけどね。)
その時、ラーちゃんが意識の中で笑った。
『カノンは、昔からこういうのに首を突っ込むよな。』
「気にしない気にしない!」
私は軽く笑って教室へ向かった。
新しい学校生活の始まり。きっと楽しくなる。
…いや、多分、楽しくなるはず。
なぜなら、この後もっと面倒なことが待っているのを、私はまだ知らなかったから。
助けた男子生徒は少し緊張した様子で私を見上げていた。
「えっと、改めてありがとう。僕、武田タケル。」
「橘カノン。よろしくね、タケルくん!」
タケルは少し驚いたように目を瞬かせた。
「……カノンちゃんって、下の名前で呼んでいい?」
「ん?あだ名とか好きな方で呼んでいいよ。新しい環境だし、フレンドリーにいこう!」
私が笑って言うと、タケルは少し照れたように頭をかいた。
『カノン、馴染むのが早いな。』
意識の中でラーちゃんが呆れたように言う。
(こういうのはノリと勢いが大事だからね。)
タケルはどこか頼りなさげな雰囲気だけど、目はしっかりと意思を持っている。さっきの状況でも、怖がりながらも立ち向かおうとしていたのかもしれない。
「タケルくんって、結構正義感強いタイプ?」
「えっ?」
「さっきの時もさ、めちゃくちゃ怯えてたって感じじゃなかったし。」
そう言うと、タケルは少し苦笑した。
「……まぁ、逃げたらずっと狙われるかもしれないし、ここで折れたくなかったっていうのもあるかな。」
「おお、それはいい心意気!」
私は親指を立ててみせた。
タケルは一瞬驚いた後、くすっと笑った。
「カノンちゃんって、すごいな。僕より全然度胸ある。」
「まぁね! でも、タケルくんも結構いい線いってると思うよ?」
「そ、そうかな……。」
タケルは少し気恥ずかしそうに笑う。
そんな会話をしながら、私たちは並んで教室へ向かった。
「ところで、タケルくんのクラスは?」
「えっと、1年B組。」
「おお、奇遇!私も同じクラス!」
「ほんとに!?……なんか、心強いな。」
「でしょ?これも何かの縁だね!」
新しい学校、新しい友達、そして新しい生活。
この出会いが、今後どんな風に転がっていくのか。
少し楽しみになってきた。
『まあ、カノンのことだから、どうせ波乱万丈になるんだろうけどな。』
(それは……否定できないかも。)
私たちは教室へと足を踏み入れた。
『カノン』
「んー」
『タケルはお前に似ているな。』
「そうかなぁ。」
そして、ここから私の高校生活が本格的に始まるのだった。