悟りの修行と並行して、羅刹はカノンから癒しの技を学んでいた。
彼の吸収力は驚異的であり、すでに高僧以上の癒しの力を身につけていた。だが、彼の表情は常に真剣で、一切の慢心を見せることはなかった。
カノンはそんな羅刹の姿を見つめながら思う。
(人類の未来のために、こんなに真剣になる魔族なんている?)
彼はもともと魔族だった。そして今も、その威厳を損なうことなく戦いに臨んでいる。
(ラーちゃんはすごい……本当に立派な王様なんだね。)
羅刹はカノンの指導のもと、癒しの力を攻撃や防御に転換する術をさらに磨いていった。戦場で魔族を導くために、彼はその力を自らのものとしようとしていたのだ。
その時、チベットの高僧から連絡が入った。
「災禍神の封印が完全に解けるまでの猶予は……2週間です。」
その言葉に、場が静まり返る。
「2週間……?」
慧明が思わず声を漏らす。
「そんなに早く……。」
誠道も険しい表情を浮かべた。
あれほど強力な封印が、なぜこれほどの速さで解かれようとしているのか。
『おかしい。』
羅刹が低く呟いた。『封印が解かれるスピードが速すぎる。何者かが意図的に加速させている可能性がある。』
「災禍神の眷属の仕業でしょうか?」
慧明が問いかける。
『それもありえるが……それ以上の何かが動いている気がする。』
全員が沈黙する中、新たな知らせがもたらされた。
「魔界への空羅道は、明日には完成する。」
その報告に、皆が少しだけ安堵の表情を浮かべた。
「よし……これで魔界との連携が可能になるね。」
タケルが静かに言う。
「準備を整える時間は少ない。」
誠道が改めて言葉を引き締める。「だが、まだ間に合う。私たちは神々の武具を使いこなし、戦いに備えるしかない。」
カノンは八尺瓊勾玉を握りしめた。
(2週間……その間に、できることを全てやらなきゃ。)
彼らの決意は固まった。
時間は限られている。
だが、最後の希望をつなぐために、彼らは戦うしかなかった。
その夜、羅刹の送別会と称して、橘家で唐揚げパーティーが開かれた。
テーブルの上には、山のように盛られた熱々の唐揚げ、サラダ、おにぎり、そしてカノンの母が用意した特製の手作りスイーツまで並んでいる。
「これ全部、おばさんが作ったんですか?」
タケルが驚きながら言う。
「ええ、せっかくだからね。たくさん食べて、力をつけてちょうだい。」
カノンの母は優しく微笑みながら、みんなの皿に次々と唐揚げを載せていく。
「いただきます!」
元気よく声をそろえて、みんなが箸を伸ばす。
サクッとした衣の食感の後に、じゅわっと広がる旨味。
一口食べた瞬間、タケルの表情が一瞬和らいだ。
「……やはり、花(か)蓮(れん)さんの唐揚げは絶品だ。」
慧明も感嘆の声を上げる。
「こんな美味しいものを食べられるとは、送別会も悪くないな。」
誠道も満足げに頷きながら、黙々と唐揚げを口に運んでいる。
そんな和やかな雰囲気の中——
『カノン、出るぞ!』
「えっ!? 待って、お家が壊れちゃう!」
カノンが慌てて制止しようとするが、すでに遅かった。
彼女の身体から羅刹の姿が飛び出す。
——しかし、そこにいたのは以前のような巨大な鬼の姿ではなかった。
悟りや癒しを学び、自らを戒め、巨躯をコントロールできるようになった羅刹の姿は、カノンよりもずっと小柄だった。
「……え?」
カノンは思わず目を見開いた。
羅刹は一歩前に出ると、カノンの母の方を向き、深々と頭を下げた。
『ママさん、いつも美味しい唐揚げをありがとう。また、食べに来ます。』
その言葉に、カノンの母は少し驚いたように目を瞬かせた後、柔らかく微笑んだ。
「ええ、いつでもいらっしゃい。あなたの分も、ちゃんと作るわ。」
羅刹はその言葉を静かに受け止めるように頷くと、再びカノンの中へと戻っていった。
「ラーちゃん、声が高くなってたね。かわいい。」
『もう、二度と小さくならない!』
——こうして、賑やかな夜は更けていった。
翌朝、増上寺に完成した空羅道の前に、全員が集まっていた。
羅刹の見送りのため、誠道、慧明、タケル、カノンはもちろん、海外の高僧たちも神妙な面持ちで立ち並んでいる。
空羅道は、淡く光る紋様が浮かび上がる異界への道だった。魔界と現世をつなぐために設けられたこの道が、ついに完成したのだ。
「いよいよですね。」
誠道が静かに言う。
『ああ。ここからが本番だ。』
羅刹の声に、皆が頷く。
その時——
「待ってー羅刹さーん!」
慌ただしい足音とともに、カノンの母・花蓮が駆け寄ってきた。
「パパ、急いで!」
カノンの父が、両腕いっぱいに抱えた荷物を持って現れる。包みから漂う香ばしい香りに、タケルが思わず目を丸くした。
「もしかして……?」
「ええ、唐揚げよ。魔界の皆さんでどうぞ。」
母の言葉に、羅刹は少し驚いたように目を瞬かせた。
『……ママさんが、私たちのために?』
「もちろんよ。あなたたちが戦いに向かうのに、空腹じゃ力が出ないでしょう?」
それは、徹夜で作られたであろう大量の唐揚げだった。
包みを受け取ると、羅刹は一瞬ためらった後、小さなため息をつき——
次の瞬間、彼の姿が小さくなった。
「わっ、また小さくなった!」
カノンが驚く中、羅刹は花蓮の肩にそっと手を置いた。
途端に、彼女の表情が変わる。
「えっ……あれ?」
肩のこり、睡眠不足による疲労感、全てがふっと消え去った。
まるで何時間も熟睡したかのような爽快感が、全身を駆け巡る。
「すごい……! 本当にすごいわ、羅刹さん!」
感嘆する花蓮を見て、羅刹は照れくさそうに微笑んだ。
『……ママさんも、私のことを“ラーちゃん”と呼んでくれないか?』
その声は、普段よりも高く、どこか可愛らしい響きを持っていた。
「……ふふっ。ええ、いいわよ。ラーちゃん、頑張ってね。」
『うん、がんばる!』かわいい。
そう言って、羅刹は再び元の姿に戻ると、最後にもう一度深々と頭を下げた。
『行ってくる。』
彼の言葉に、皆が力強く頷いた。
光が満ち、空羅道がゆっくりと開く。
羅刹は迷いなくその道へと足を踏み入れた。
カノン、誠道、慧明、タケル、そして皆が、その背中を見送る。