土曜日の夜、西新宿のホテルのロビーに足を踏み入れたカノンは、少し緊張しながら待ち合わせの場所に向かった。目の前には、大きなガラス窓越しに煌びやかな街の光が広がっている。彼女の目的地はすぐそこだったが、その先に待っているのは、想像を超えるような話だった。
ロビーの中央には、すでに二人の法衣姿の男性と、桃山仙太郎おじいちゃんが立っているのが見えた。どこか穏やかな雰囲気を漂わせながらも、その背後には何か深い秘密を隠し持っているような、強い存在感が感じられる。
おじいちゃん、仙太郎は、カノンが歩み寄ると、にっこりと微笑んで手を振った。「カノン、来たか。待ってたよ。」
二人の若いお坊さんは、カノンに視線を向けると、軽く頭を下げた。ひとりは高野山金剛峯寺の誠道さん、もう一人は比叡山延暦寺の慧明さん。二人とも厳かな姿勢で、威厳のある佇まいを保っている。
「はじめまして、カノンさん。」誠道さんが穏やかに言った。
「こちらは、慧明さん。私たち、来週からカノンさんのお世話をすることになりました。」
慧明さんがゆっくりと頷いた。「護衛のためです。あなたの力のことも、仙太郎さんから聞いています。」
その言葉に、カノンは驚きと共に、少し不安そうな表情を浮かべた。
「知ってたの?おじいちゃん、ごめんなさい。」
「昨夜の魔物のこと、君の力、それに君が背負っているものすべて…私たちは知っています。」誠道さんが続ける。
「最近、空羅道(くうらどう)と呼ばれる地獄…いや、魔界からの道が開かれました。」
「昨夜のような魔物たちが今後あふれてきます。」
「今からは一緒に、慎重に進んでいきましょう。」
カノンは自分の立場を再確認しながらも、彼らの誠実な眼差しに少し安心した。これから何が起きるのか分からないが、どうやら、彼女は一人ではないらしい。
おじいちゃん、仙太郎はカノンの肩に手を置き、優しく言った。
「何があっても、お前を守ってくれる仲間ができた。これで安心だ。」
その言葉を聞いたカノンは、少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。
カノンが少し安心した気持ちを抱えたまま、おじいちゃん、仙太郎の言葉を胸にしまい込んでいると、誠道さんがじっと彼女を見つめて言った。
「カノンさん、君の力に関して、もうひとつ聞いておきたいことがある。」その声に、カノンはほんの少しだけ息を呑んだ。彼女は答える前に、視線を一度下ろし、ゆっくりと口を開いた。
「実は…私の中に、鬼がいるんです。」その言葉に、ロビーの空気が一瞬で凍りついた。誠道さんと慧明さん、そしておじいちゃんが一斉にカノンを見つめる。
「名前はわかりますか?」と、慧明さんが低く呟いた。
「名前は羅刹。」カノンは目を伏せながら言った。
その言葉がロビーに響き渡ると、しばらく誰も言葉を発しなかった。
誠道さんが、驚きと共に額に手を当てながら言った。「想像以上ですね…羅刹がその身に宿っているとは。」
その言葉を聞いた仙太郎も、表情を引き締めて静かに頷いた。
「羅刹か…。その力、決して軽視するわけにはいかないな。」
カノンは少し気まずそうに肩をすくめると、誠道さんと慧明さんが彼女に向かって一礼した。
「カノンさん、もし可能であれば、私たちと手合わせをしていただけませんか?」誠道さんが丁寧にお願いした。「あなたの力のすべてを知るためには、実際に体験するのが一番です。」
カノンは少し戸惑いながらも、頷いた。「わかりました、でも…どうやって?」
その時、慧明さんが軽く手を振って、ホテルの外へ向かって歩き出した。「ついてきてください。」その後に続いて、誠道さんも歩き出す。二人の僧侶は、まるで彼女を待っていたかのように、すぐにビルの壁を見上げて、立ち止まることなく次の瞬間、壁に向かって軽々と足を踏み出した。
「え?」カノンは驚きの声を上げる。二人の僧侶は、まるで壁が地面であるかのように、素早くその壁を駆け上がり、あっという間に数階分を駆け抜けた。
「こ、これって…」カノンは目を丸くし、思わず足を踏み出す。
仙太郎はその様子を見守りながら、静かに言った。
「お前も、今から覚悟を決めて進んでいく時だ。力を試す時が来たんだ。」
カノンは深呼吸をひとつして、急に力強く歩き出した。ビルの上で待っている二人に追いつくために。
ラーちゃんがずっと無言なのが少し気になる。
カノンは驚きと興奮が入り混じった気持ちで、壁を見上げた。誠道さんと慧明さんがあんなに簡単に壁を駆け上がったのを見て、今度は自分もやらなければならないのかと心の中で覚悟を決めた。
「私もできる、たぶんできる…」カノンは自分に言い聞かせ、ゆっくりとビルの壁を見据えた。自分の力をどこまで信じられるのか、確かめるように。
その瞬間、仙太郎おじいちゃんの声が静かに響く。「焦るな、カノン。お前の力は、そのままでいいんだ。」
その言葉に、カノンは胸の奥に湧き上がる不安を押し込め、深く息を吸った。今までの自分を信じるしかない。
一歩を踏み出すことが全ての始まりだと感じた。
カノンは壁に足をかけると、驚くほどスムーズに体が壁を登り始めた。力が湧き上がり、足元が軽くなる。まるで自分の体が壁の一部と化したかのように、すいすいと上へと進んでいく。最初は恐る恐るだったが、すぐにその感覚に慣れてきた。
「すごい…」カノンは思わず声を漏らす。目の前に広がる夜景がどんどん近づいていく。誠道さんと慧明さんは、すでに数階分上まで到達しており、振り返ってカノンを見守っている。
「カノンさん、上手いものですね。」誠道さんが少し驚きながら言った。
「すぐに追いつけそうですね。」慧明さんも軽く笑顔を見せた。
その言葉に、カノンは少し照れくさそうに笑った。鬼の力が自分を支えてくれるのを感じると同時に、その力をどう使うべきかを考えるようになった。自分の中にある力は、ただの武器じゃなくて、守るために、そして他の人々のために使うべきものだと。
「追いついたっ!」カノンが叫んだ。彼女はもう、二人の僧侶に並んでビルの屋上に到達した。
「おお、やるじゃないですか。」誠道さんが微笑みながら言う。
「これからが本番です。」慧明さんの顔が少し真剣になった。
「手合わせをする理由は、ただ君の力を確かめるためだけではありません。君がその力をどう使うかを、私たちが見届ける必要があるからです。」
その言葉にカノンはしっかりと頷き、覚悟を決めた。自分の中にある鬼、羅刹の力。その力を、これからどう使っていくべきかを学んでいく必要がある。そして、彼女を守るために現れたこの二人と共に、その力をどう活かしていくかを考えなければならない。
「何をすればいいんですか?」カノンが尋ねると、誠道さんと慧明さんは互いに目を見交わし、静かに頷いた。
「まずは君自身の力を、どれだけコントロールできるかだ。」慧明さんが言う。「羅刹の力を、無意識に使ってしまっては意味がない。それを意識的に扱う方法を、今から学んでいこう。」
カノンはその言葉をしっかりと受け止め、深呼吸をしてから目を閉じた。自分の中に眠る力を感じ取ろうと、心を静める。
その瞬間、カノンの周りに静寂が広がり、何かが動き出したような感覚があった。羅刹の力が、彼女の中で目を覚ました。
カノンの中で、何かが動き出した。まるで深い眠りから目覚めたかのように、羅刹の力が体の隅々にまで広がり、カノンの意識を支配していく。その力は暴力的で荒々しいが、同時に冷静で鋭い。まるで彼女の体に溶け込んで、何か新しいものを教えてくれるような感覚だった。
カノンはその力を感じながら、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。心の中で自分に言い聞かせるように、「私は、私の力をコントロールするんだ」と繰り返した。
周囲の空気がわずかに変わったような気がした。風が急に静まり、街の灯りが一層鮮やかに見える。カノンの目の前で、誠道さんと慧明さんが静かに見守っている。
「感じますか?」誠道さんが、少し緊張した声で言った。
カノンはゆっくりと目を開け、二人を見つめた。その視線の中に、羅刹の力を少しずつ使いこなす感覚があった。「はい…感じます。でも、まだ全てを制御できているわけではありません。」
「良い兆しです。」慧明さんが頷く。「力を制御するには、心の中でその力と対話することが大切です。それができるようになれば、羅刹の力を暴走させることなく、自分のものにできる。」
誠道さんが少し真剣な表情になり、カノンに向かって手を差し出した。「では、実際にその力を試してみましょう。君の力がどれだけ扱えるか、私たちと少し遊んでみましょうか?」
カノンはその挑戦的な言葉を聞き、少し戸惑ったが、心の中で自分を鼓舞するように頷いた。「わかりました。やってみます。」
その瞬間、誠道さんの手のひらから、ふっと青白い光が放たれ、カノンに向かって飛び込んできた。カノンは驚きながらも、その光を受け止める準備をした。羅刹の力が反応し、体の中でそれを迎え撃つ。
カノンは無意識のうちに、青白い光を手のひらで受け止め、次の瞬間にはその光を自分の体に吸い込むようにして消し去った。
「すごい…」慧明さんが目を丸くして言った。
誠道さんも驚いた顔を見せ、静かに言った。「羅刹の力を、たった今、意識的に取り込んだ。カノンさん、君は予想以上に強い。」
カノンは少し息を整えながら、自分の手を見る。
「何だか心地いいぞ!」やっとラーちゃんがしゃべった。
この感覚を気に入った様子。
その後、幾度かの手合わせの後、食事をしながら説明を受けた。
空羅道が開かれたことは、もはや避けられない運命だった。2500年前から、この事態は予見されており、各密教の宗派はその準備を進めてきた。そして今、この時がついに訪れたのである。闇の波は膨れ上がり、魔物たちは次々と現れ始めた。これまでの力では到底立ち向かえない、さらに強大で恐ろしい魔物たちが待ち構えている。
しかし、ただ恐怖に屈するわけにはいかない。世界各地、特に中国、インド、チベットから強力な戦士たちが集まり、連携して魔物に立ち向かう準備を進めている。彼らの支援を受けることで、戦力は一気に増強されるだろう。それでもなお、十分とは言えない。これから訪れる闘いに向け、さらなる覚悟と力が求められていた。
食事中に、仙太郎おじいちゃんが。
「カノンの部屋も取ってあるぞ。泊っていきなさい。」
「いいの?やっほーい。」
「明日もお二人にご指導いただくといい。」
「はーい」
その後、あっという間にカノンは爆睡した。