「やばいよ!カノンちゃん!」
タケルの声が震える。カノンは膝をつき、息を乱していた。この高さでは、もう逃れる術はない。
爽やかな風が吹く。
「見事です。まこと尊き業でした。」
厳かに響く声とともに、上空から二つの影が舞い降りた。
「仏の御心にも適うことでありましょう」
それは二人の僧――誠道と慧明。誠道の背には孔雀明王の化身たる瑠璃の翼が輝き、慧明の背には鳳凰の如き焔の羽が揺らめいている。
誠道は印を結び、静かに真言を唱える。その声が響くたび、周囲の空間がわずかに歪む。慧明は右手に法輪を掲げ、左手で九字を切った。彼らの足元には曼荼羅の光が広がり、まるで結界のごとく大地を覆っていく。
「南無摩訶毘盧遮那仏、無辺の加護を垂れ給え」
「法界体性智の光、無辺なる加持を垂れ給え」
カノンには何の事だかわからないが、痛みや疲労が癒されていく感覚があった。
「お疲れでしょう、少し休みましょうか。」誠道が優しく言った。慧明は軽く頷きながら、静かに言葉を続けた。
「お二人の力は、もはや真言宗、天台宗の最大戦力以上です。」その声には敬意とともに、驚きの色も滲んでいた。
カノンはその言葉を聞いて、しばし黙った後、ゆっくりと息を吐いた。疲れが癒えたのか、身体の力が戻りつつあるのを感じる。彼女は手を広げ、静かに語りかける。
「あのう…お2人にラーちゃんを、羅刹を見てほしいんです。」
(ラーちゃん、いいかな?)
『どうすれば長く外に出ていられるか問うつもりだな。』
(そう。2人ならアドバイスできそうじゃない?)
『なるほどな、出よう。』
羅刹は暗黒の中から浮かび上がるようにして現れた。最初はただの影のようだったが、次第にその姿が形を成していく。
周囲の空気が一瞬で凍りついた。
漆黒に赤黒い皮膚が覆い、ひび割れた部分から黒い煙が立ち上る。右側には鋭い角が突き出し、光を反射させるが、左側には角がなく、そこだけが不自然に滑らかだった。その不完全さが、彼の禍々しさをさらに際立たせていた。
赤い目は燃えるように光り、視線を向けられた者は思わず息を呑む。血のように赤い髪は逆立ち、風に揺れながらもその形を保っている。全身に鱗状の甲冑のような皮膚があり、ひび割れからは血が滴り落ち、周囲の空気が重く震えるようだった。
足音一つ一つが地面を引き裂く音を立て、爪が大地を掻くたびにその周りの空間が歪んでいく。周囲の温度が急激に冷え、霧が立ち込め、視界を遮った。低く響くその声は、まるで地獄の底から響いてくるようだった。
『初めまして、羅刹です。カノンがお世話になってます。』ペコリ。
「は、初めまして。」
「まさか…これ程とは。」
彼の姿は圧倒的で、完璧な破壊を予感させる。しかし、その左の角がないことで、どこか不安定さも感じさせ、見る者に一層の恐怖を与える。
「ラーちゃん、ありがとう。」カノンは続ける。
「ラーちゃんはとても強いです。もし、長時間私から離れて一緒に戦えたら。」
「すごい戦力アップだと思うんですよ。」
「今は1分が限界です。」
『カノン、戻るぞ。』羅刹がカノンに戻る。
「なんとかして、この時間を延ばしたいんです、できますか?」
僧侶たちはしばしの無言の後、慧明が口を開いた。
「我々の手法に似ていると思います。」誠道がうなずく。
「密教では気脈と表現されることが多いのですが、戦いにおいては、いわゆる生命エネルギーを使います。」
静かに語るその声に、周囲の空気が少し張りつめた。彼の眼差しは鋭く、しかしどこか落ち着きが感じられる。手を軽く広げながら、続けた。
「先ほどの手合わせで、私が用いた倶利伽羅剣は不動明王から、翼は鳳凰からお借りしました。」
その言葉が響いた瞬間、目の前の空気が一層重く感じられた。まるで言葉そのものが力を帯びて、周囲にその威圧を与えているかのようだった。
「どちらも有限で、気が枯渇すれば使えなくなってしまいます。」
彼は静かにその一言を口にした後、少しだけ間を空け、そしてゆっくりと続ける。
「私は、気の集中、気の調整、気の循環、瞑想と回復、これらを戦いの中で繰り返し行っています。」
その瞳がカノンを見つめる。
「カノンさんは現状、羅刹殿にそのまま渡しているだけになっていませんか?それではご自身が消耗する一方です。」
カノンはその言葉に反応して、視線を下に落とした。心の中で、何かが重くのしかかるような感覚が広がる。
「そうです、でも、そうしないと…」
その小さな声のあと、沈黙が一瞬流れる。
「先ほど、羅刹殿が出ている時でも、カノンさんの中に羅刹殿の気配を感じました。何か、残されているものはありませんか?」
カノンの表情に一瞬、戸惑いが浮かんだ。
「?」
「それを媒介に、気を循環させることはできませんか?」
その時、カノンは突然、目を見開いて気づく。
「あっ!角!」
カノンは驚きの表情を浮かべ、急に自分の手を前に差し出す。心の中で何かが閃いたようだった。視線が彼女の指先に向かい、そこに目に見えない力が流れていく感覚を覚えた。
「角!それか…!」カノンの声は震えていたが、次第にその瞳に確信が宿る。
カノンが心の中でそれを確かめると、思わず息を呑んだ。確かに、自分の中に何かが残っている。それは一度も意識していなかったが、常に感じ取っていた力だった。それが今、カノンに新たな気づきを与えてくれる。
「ラーちゃんの角を媒介にして、気を循環させる…」カノンはその考えに驚き、そして感動したように声を漏らす。
カノンはゆっくりと目を閉じ、深く息を吸った。頭の中に羅刹の存在がゆっくりと浮かび上がり、その力が自分の中で絡み合っているのを感じる。そこから放たれる気を感じ取り、その流れを掴む。今までの戦いでは見落としていたものが、今、この瞬間にようやく繋がり始めた。
「なるほど、そうすれば…!」カノンは再び目を開け、まるで何かを掴んだように力強く言った。「ラーちゃんの角の存在を媒介に、気を循環させることで、私の体力を消耗せずにその力を活用できる…!」
その瞬間、カノンの周囲に薄く、淡い光のようなものが漂い始める。それは見えない力の流れが形を取ったかのように、空気を震わせていた。
「そうです、カノンさん。」彼の隣で見守っていた師が微笑む。「その感覚を大切にしてください。気は循環させることで、その力が何倍にも膨らみます。ただし、無理に使いすぎないように。気を溢れさせることなく、流れるように。」
カノンはその言葉に頷き、すでに内なる力が流れ出しているのを感じ取った。羅刹との繋がりが、今、まるで命を吹き込まれるかのように、彼女の中で力強く動き出していた。
「では、試してみましょう。」
「はいっ!」
「ラーちゃん、やってみよー!」
カノンの身体から、まるで横にスライドするかのように羅刹が飛び出す。
『どうだ?カノン』
「快適!!ラーちゃんから力が戻ってくるのが分かるよ。」
『…ああ、私も快適だ。今までよりもカノンを強く感じるな。』
ラーちゃんは嬉しそうな声を上げる。
「素晴らしいです。」その場にいた全員から拍手が起こる。
「あ!そうだ!ラーちゃん、試してみたいことがあるんだ!一度戻って。」
羅刹を戻し、カノンは再び集中する。全身から紫のオーラが溢れ、右手には青い光剣、左手には赤い光剣を生成する。
「ラーちゃん、左手の剣を持って出てみて。」
『やってみよう。』
赤いオーラを纏い飛び出した羅刹の左手には、赤い光剣がしっかりと握られている。
「うまくいったね!」そう言ったカノンのオーラは青く、目は赤く輝いている。
『おぉ、これは、カノンの力も使えるということか。』
その言葉に一同が驚きと興奮の声を上げる。
「これは思わぬ副産物ですね。」慧明は微笑みながら言った。
「あ!ラーちゃんは金棒の方が良かった?」
『…いや、できればだが、桃太郎のような大ぶりな日本刀を振ってみたい。』
「おっけー!次回ねっ。」
全員が笑顔を交わし、和やかな空気が広がる。