Gaze Beyond   作:しづごころなく

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お久しぶりです。


Previously

ホップ。ステップ。ワルツ。

 

 崩れない笑顔と黄金に輝く瞳が周囲を釘付けにする。ジャズ調の曲に組み込まれる、華のあるステップシークエンス。衣装に刻まれた鮮烈な赤が、彼の髪の青色を際立たせる。

 

 失われた天才。

 

 観客は己が目を疑った。スケーターは己が覚悟を疑った。こんな人間が存在していいはずがない。スケートという勝負の世界で、1人だけ楽しむことを考え、勝つことよりも「やりたい演技をやる」ことの方が重要だと思っている狂気の存在。

 

 1回転トウループ、2回転サルコウ、3回転アクセル。

 

 「階段状に難易度が上がったら面白いよね」というだけの理由で組まれたこのコンビネーションは、コーチ陣を卒倒させる。なるほど確かに、このスケートの世界で高校生まで生き残り続けられる人間は3回転アクセルを跳べる人が多い。

 

 だが、おかしいのだ。明確におかしいのだ。

 

 消えた天才が「ただ戻ってきただけなら」。どうして彼は、スケートリンクまでの道を歩くのに、補助杖を必要としていたのだろう?

 

 

 「さ、締めだ。いつも通り、チャレンジしていこう」

 

 たとえ翼を捥がれようとも。例えエンジンが無くなろうとも。例え前が見えなくなろうとも。

 

 足を踏み締め、重力に逆らう。不屈の意志が、地球に、運命に、反抗する。

 

 翼のない鳥が、ふらつきながらも、ジャンプを続ける。その様が見事なまでに美しい。

 

 その翼の無いはずの鳥には、翡翠色の、或いは透明の、「情熱」という名の、何より大きな大翼が生えていた。

 

 

 

 

 

 大きく助走を取り、不安などひた隠しにして、彼は飛翔した。繰り出した、

 

 

 4回転トウループ。

 

 オイラー。

 

 

 2回転フリップ。

 

 

 

 転倒。

 

 

 一瞬、誰もが息を呑む。彼が倒れたことよりも、繰り出した技の方に注目が集まっていた。フリップの転倒など無かったことにするかのような、高さと幅があるトウループ。それも4回転。

 

 それを、この最終局面で繰り出し、着氷。

 

 挙句、オイラーからフリップを跳び。

 

 転倒こそすれど、高さと幅は明確に足りていた。

 

 

 

 彼にとって男子スケート界を変えるのに、否、世界常識を変えるのに、五分もいらなかったのだ。

 

 

 

 

 世界が変わる、丁度1年前。

 

 

 

 僕の目の前で気まずそうに顔を下げたり上げたりしているはずのいるかちゃん。久しぶりの再会だからって、そこまで気負わなくても。僕らの仲だろうに。

 

 「久しぶり、翔。私は、あれから、本当に色々あってさ」

 

 声が僅かに潤んでいる。そうだね。僕はいるかちゃんの活躍を見れるほど、あの時は元気じゃなかったけど、すごく頑張ったのは知ってるよ。

 

 「うん」

 

 「今、スケートの代表選手になってるんだ。…だからさ」

 

 「分かってるよ。言わなくても。僕だって、僕の人生を歩んでいるんだ。人の目を見て話す練習は、ずっとやってきたんだ。分かるでしょ」

 

 「うん。あんたがその不自由に抗ったっていうのは、分かるよ」

 

 いるかちゃん、ごめんだが、多くは喋れない。

 

 「飛んでこい、いるかちゃん。君は、びっくりするくらいアツい子だ。言葉の使い方は気をつけた方がいいと思うけれど…その情熱は、本物だ」

 

 「…」

 

 「いるかは綺麗だよ」

 

 「はっあぁ!?」

 

 上擦ったような声が聞こえる。ごめん、表情が分からないからどういう感情か読み取れない。

 

 「本当に綺麗だよ。視線が釘付けになる。将来はきっと素敵な女性になるね」

 

 「あっ、あんた…忘れてた…あんたは、そういうやつだった」

 

 「?」

 

 「もういい。私は帰る」

 

 僅かに怒っているような声色で返事がくる。意図が分からない。

 

 「……じゃーね」

 

 言えるはずもなかった。彼女はとっくのとうに、自分がスケートやめていると思っている。当然だ、アレだけ焦燥していた時期も珍しい。あの精神の減り具合を見ていると、今の僕の明るさは奇跡のようにも見えたのだろう。

 

 何より、言わない方が面白い。

 

 

 「大丈夫だよ、いるかちゃん。誰もやったことがないだなんて、僕にとっては凄くどうでもいいんだ。寧ろ、みんな驚いてくれるだろ?目の見えないやつが、氷の上を滑れるだなんて」

 

 独り言と共に、目の前にあるはずの自販機をペタペタと触り、ボタンを探す。適当に押して、今度はお金を入れる場所を探す。あったあった。

 

 「面倒だし五百円でいいか」

 

 硬貨のサイズを指で確かめる作業は地味に面倒だ。見分け、いや、触り分けは出来るのだが、いかんせん時間がかかる。

 

 缶が落ちる音と同時に、小銭の音が鳴る。

 

 「あっっつ!!……外したか〜」

 

 適当に飲み物を選ぶのは最近のマイブームだ。よく「温かい」を当てて困っているが、これもまたランダムの醍醐味だろう。今日もまた、熱々のコーヒーを当ててしまったようだ。

 

 「にがー」

 

 自販機の隣に置いてあった椅子に座り、考え事をつなぐ。

 

 

 「………クラブ、どうしよう」

 

 「僕みたいな客寄せにしかならない要素を持ってるスケーターは引くて数多だろうけど、そういう動機で僕はスケーターになりたいんじゃねぇんだわ」

 

 やはり必要だろう、自分のスケーティングを修正してくれるプロが。録画映像も見れない人間が動きを修正するのは一苦労だ。前までは「一回飛んだ事がある技」をやってきたが、ここからは成功体験の無い世界。難易度は桁違い。

 

 「目が見えないスケーター」と言えば興味を持つ人は多いだろう。興味を持ってくれるのは嬉しいが、そういうスケーターにはなりたくない。あくまでスケーターの範疇で、僕の不自由も評価して欲しい。

 

「ま、数打ちゃ当たるか!」

 

 

 

 

 「目が見えないくせに、スケート続けるとか、ありえねえよ!!」

 

 勢いよく音圧が飛んでくる。所謂「怒声」に分類される、少年の声だ。きっと目を開いて怒ってるんだろうけど、そこまでは僕には読み取れない。ごめんよ。

 

 「ひどくない?本気なんだけど…」

 

 「なんで誰も止めないんだよ、無理に決まってるだろ!!」

 

 「ちょっと、理凰!!謝りなさい!!!」

 

 「喧嘩しないでー」

 

 なんで僕が貶されてたはずなのに、2人の喧嘩の仲裁をしているのだろう。名港ウィンドというスケートクラブに自分を売り込みにやってきたものの、僕を出迎えてくれた僕より年下であろう少年に事情を話したら、こうなった。

 

 で、理凰くんの大声を聞いてやってきたのが優しい声の光ちゃん。

 

 「できるって言うなら、証明しろよ!!あんた来年には高校生なんだろ!?遅えよ、今からなんて!!」

 

 「優しいね。だけど僕は道を作ってみたくって」

 

 「…!!!」

 

 見えなくても分かる、理凰くんは青筋を増やしたんだろう。全然分かってない、とか思ってることだろう。分からなくていいんだ。空想物語を本気で信じれないやつが、どうして魔法を作れようか。

 

 いつだって世界を変えるのは、あり得ないものも本気で作ろうとしちゃう、馬鹿なやつだよ。

 

 「君は…稀崎翔か。久しぶりに見たよ」

 

 「すみませんね、見えないので本人確認をさせてください。数日前に申請をした稀崎翔です、鴗鳥さんですか?」

 

 「ああ。私が鴗鳥だ。失礼だが…あのメールの内容は、全て真実ということでいいかい?」

 

 僕が送ったメールは、僕の病状と、今出来る事。実はいのりちゃんの前で見せた2回転アクセルは安定していない。アレはその場の空気が僕を飛ばせてくれただけだ。

 

 「素面で終わった夢の話をする奴はいませんよ」

 

 「そうか…いちスケーターとして、敬意を表するよ。だが、評価は掛け値無しでやらせてもらう。中3であることも加味して、ここから間に合わないと判断したらここに入ることは出来ない」

 

 「ええ。夢を叶えにきてますからね」

 

 

 稀崎翔の夢。以前からの彼の最終目標であった、明確な挑戦。そこまでの距離が極めて遠くになっただけで、彼は依然として諦めていない。

 

 

 「見てな、理凰。びっくりするくらい視野が狭くなった人間の、荒波での足掻き方ってものを」

 

 視野が広ければ、他のことをしていただろう。視野が広ければ、スケートなんか二度とやっていない。それでも、彼の視界には、氷の世界しか映っていなかったのだ。

 

 氷が音を立てる。誰もいないスケートリンクで、青年が滑り出す。

 

 「スケートリンクの中心が分からないので、もう始めちゃいますね」

 

 世界が無音に包まれる。稀崎翔は目を閉じる。見えない世界に、自ずから蓋をする。

 

 

 「翔ぼう。まだ翼ならある」

 

 

 

 

 鴗鳥慎一郎は己が目を疑った。困惑を隠せなかった。目が見えないはずの人間が、明確に、試験官であるこちらの目を見て、不敵な笑みを浮かべたのだ。

 そもそも、数日前に送られたメールも、冗談半分で受け取ったのだ。添付された画像がちゃんとした病院のものでもなければ、詐欺か何かだろうと思っていた。

 

 数年前、天才の名を恣にしていた少年、稀崎翔。悲惨な事故の後、完全にその噂を聞かなくなっていた。自分も、彼は二度と戻ってこれないのだろうと思っていた。

 

 まさかこんな形で、消えた天才に会うとは。

 

 

 目の前に壁があるかもしれないと言うのに、稀崎翔は超加速を見せる。その笑顔は眩しく、黄金色の瞳が光に反射してギラギラと輝いている。自分の抱えた不自由など、何ら障害になっていない、とでも言うかのように。

 

 まず跳んだのは、ただの一回転アクセル。詳しく無い人間が見れば、「ただの」で済ませていただろうが、自分含め、理凰や光も、その技の完成度に目を見開く。曲が流れていないと言うのに、リズムが聞こえる、規則的なジャンプと着氷。彼の周りにだけ風が吹いているかのような、紙飛行機が急に空へ浮上がるような、異常なジャンプ。

 

 そうだった、彼の得意技は、ジャンプ全般なのだ。

 

 たん、たたん、たたたん、とステップを踏む。軽やかで、華のあるステップは、まるで氷上でないかのように錯覚させる。ドラムが聞こえるほどのリズム感は、彼がどれだけ練習してきたのかを一発で分からせる。

 

 そのままフライシットスピン、ビールマンと流れで繋いでゆく。中学3年生である事を考慮すれば全て難易度の低い技。だが、故に、磨かれてきたその技量が顕になる。丁寧で柔らかなタッチから、ダイナミックで見栄えのするステップ。柔軟を毎日欠かさずやっていなければ男性がビールマンを成功させることなどできない。

 

 こちらへ近づいてきたかと思えば、2回転ルッツを跳び、着氷時に手を伸ばしてこちらに笑いかける。試験官へのパフォーマンス。圧倒的な華が、物語性を上げる。何と眩しい、不敵な笑みであろうか。

 

 ここまでされれば、彼が盲目であることを、思い出さずにはいられない。どうして盲目などという、重すぎるハンデを背負ってなお、そこまで楽しめるのだろうか。どうしてそこまで重い物を背負いながら、高く飛べるのだろうか。

 

そして。

 

 

 

 

 ルッツからの着氷の数秒後、驚異的な加速と共に。

 

 

 

 鴗鳥慎一郎は、大きな、彼の体には似合わないほどのサイズの、圧倒的な神聖性を放つ翼を見た。

 

 風が吹いた気がした。いや、明確に吹いた。自分の積み上げてきたスケーターとしてのキャリアが、走馬灯のように頭によぎる。

 

 スケートの本質を見ていると確信できるほどの、人生を見ているかのような感動。体験したこともない、稀崎翔の苦しみと「今」が、問答無用で共有される。

 

 ああ。

 

 見てられないほどに美しい、

 

 「3回転サルコウ…」

 

 翼が薙ぐ音が鳴った。

 

 

 

 着氷。

 

 「出来た…マジか」

 

 

 存外にも、一番驚いていたのは、本人だったようだ。

 

 

 稀崎翔は、失明により2年を棒に振っている。当時、小学6年生から中学生へと足を踏み出した彼が出来たのは、3回転ルッツが限界と言ったところ。それぞれの技の質が高かったことから難度以上の評価を受けてきた。

 

 それでも、目が見えない状態での3回転は、完全なる賭けだった。2回転アクセルが一度跳べた時点で時間の問題ではあったのかもしれないが、いくら何でも早すぎる。

 

 演技を終え、稀崎翔はその場で停止する。

 

 「…ごめん理凰くん、安全のために僕のこと引っ張ってくれない?自分が今どこに立っているのかすら分からないんだ」

 

 確かに演技の終了地点は、リンクの中心ではなかった。そこまでの調整はまだ難しいのだろう。彼の声を聞いた理凰は、意外にも素直に指示に従い、スケートリンクに突入、手を握って引っ張る。

 

 「…な、理凰くん。言っただろ?挑戦しなくちゃ、面白くない」

 

 「……すごかった。あんたのこと貶すようなこと言って悪かったよ」

 

 「別にいいよ。馬鹿げたことをしてるって自覚はあるしね」

 

 「…っそんなことない!!あんたの演技は、本物だった…本気で不可能を可能にしに来てるんだって、理解できた」

 

 スケートリンクから降り、手探りでベンチを探して座り、靴を脱ぎ始める。

 

 「そっか。ありがとう…諦めなくて正解だったね」

 

 談笑を続けていると、拍手と共に誰かがやってくる。

 

 「…テストの合否は後で発表させてもらう。すごい演技だった。一つ聞きたいんだが…あの状況から、君は、どうして、諦めなかったんだ?」

 

 「…」

 

 脳内を苦しい記憶が通過する。日常生活で困っていた頃は、スケートのことなんか考えていられなかった。目が見えない状態で氷に立った時の、あの恐怖は未だに良く覚えている。もう二度と氷の上に行きたくないと、自分で自分に吐き気を催した。

 

 それでも。

 

 とある少女が、目が見えない自分を、「前を見ている」と形容した。

 

 離れたいくらいにスケートを嫌いになったはずなのに、足はスケートリンクへ向かってしまう。そんな矛盾を、彼女はプラスに置き換えた。或いは彼女は無自覚にそれをやったのかもしれないが…「前を見れている」という事実は、見えないはずの僕に、先の世界を見せるには十分だった。

 

 

 「…欲張りだったからですよ。僕は強欲なので、翼がなくても、空を飛ぼうとしてしまう。その衝動に、自分が従順だっただけです」

 

 「…そうか。私も、そうだったよ」

 

 「似た者同士ですね」

 

 

 

 

 

 「名港ウィンドの皆さん始めまして。中3の稀崎翔です。ここに来るまでに既に色々な人に助けてもらいましたが、僕は1人では生きていけない身体ですので、何卒、年齢や性別関係なく、僕と仲良くしてくれると嬉しいです。何たって目が見えませんからね、見た目で人を判断することはありませんよ」

 

 ある種の自虐を含んだ自己紹介は、子供たちの笑いを取りつつも、コーチ陣の口を閉ざさせた。名港の話題は、たった数分にして彼の話に塗り変わる。「目が見えないスケーター」と言う話題性は、コーチ陣の「あまり人に話さないように」と言う注意を持ってしても抑えられず、いつの間にか保護者にすら渡り始めていた。

 

 名港におけるシニアを除いたぶっちぎりの最年長で、落ち着いた話し方と、安全性によって生まれた丁寧な所作は、女子陣の心を鷲掴みにした。

 

 彼の得意技が一つだけある。それは、声や性格、所作からその人の見た目をアバウトに当てる、というもの。本人曰く「様子は口ほどに物を言うんだよね」らしい。まるで占いのような特技は、子供たちの興味を惹き、いつの間にかベンチの周りは子供だらけ。

 

 「夕凪ちゃんは…凛々しい顔な気がする。皆の中でも一際大人っぽいよね。割り切りのできる女の子は意外に少ないからな…でもちゃんと笑えるし、きっと可愛らしい笑顔なんだろうね」

 

 予想外の不意打ちを喰らった八木夕凪は、口をぱくぱくとさせながら赤面している。

 

 「…か、かわ…!!」

 

 見えていないとは思えないほど良く目が合う。ニコッと笑われながら、黄金の瞳がこちらへ向けば、或いは一部の女性は一撃かもしれない。

 

 このようにして、見事に稀崎翔は周りとの距離を詰めた。元よりフレンドリーで、それでいて洒落た性格。鋼の精神と、トチ狂ったビッグマウスは、人を惹くキャラクター性があった。

 

 「翔の目標は何?」

 

 名港のスケートリンクを体に馴染ませるために外側を周回していたら、光ちゃんに話しかけられる。

 

 「…聞きたい?」

 

 「聞きたい。何をモチベーションにしてそんなに頑張れるのか、分からない」

 

 「馬鹿にしないでね?」

 

 「しないよ。そんなことしないって、分かってるでしょ」

 

 「だよね」

 

 はは、と笑いながら壁に手をつけ、減速。くるり、と振り返ってスペースのあるスケートリンクの中心を見つめる。

 

 「…」

 

 瞼の裏に、「その景色」が宿る。自分がそれを跳べたら、と言う空想の物語。周りの景色は今まで見てきたスケートリンクで補い、僕だけのスケートリンクを生み出す。周りに観客を召喚する。僕の知り合いをたくさん置いて、歓声を置く。

 

 「あらゆるスケーターの夢だと思う。元々目標として構想はあったけど、目が見えなくなってから、より、これが出来たら面白いなって思うようになった」

 

 今の僕では降りれやしない。だが、それでも。その光景を、意識せざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 「4回転アクセル」

 

 「!」

 

 「見てな」

 

 壁を軽く蹴り、加速と共に、周りに風が吹き出す。空を切る感覚が、耳を撫でる。音が鮮明になり、空気の慟哭が耳を劈く。氷の冷気が口を冷たくし、心臓がBPMを上げる。氷を刃が削る音が、効果音となって、海の音のように。

 

 圧倒的なまでの集中力と、一際目立つ氷上の加速は、周囲の人間の目を問答無用で釘付けにする。本人はそれに気づかない。

 

 十分な助走から、息を閉じ込め。

 

 体を傾け。

 

 氷を踏み越える。

 

 

 

 ひゅう、と世界が亀裂を起こす。その遠心力に。その重力という名の、強制圧力に抑えられる。回転数の足りないジャンプは地に押し付けられ。

 

 着地点を踏み外した。

 

 

 失敗。

 

 どしゃん、と金属音を立てながら尻餅をつく。全身に伝わる衝撃。痛ったい。

 

 「翔!!」

 

 転倒した僕の名前を呼びながら、誰かがやってくる。あれ、光ちゃんかと思ったけど、なんか、二箇所くらいから人が来てる気がする。

 

 「馬鹿、お前…何やって……!!」

 

 「あれ、理凰。練習中じゃなかったの?」

 

 降りかかった男の子の声に、理凰であることを気付かされる。

 

 「翔…もしかして、気付いてないの?」

 

 僕の近くに来て手を引っ張り起こしてくれる光ちゃん。気付いてない、とは何のことだろう。

 

 「翔が加速した数秒後に、皆翔のジャンプを見てたよ」

 

 稀崎翔のジャンプには、人を惹きつける何かがある。助走の時点で既に、異常なオーラを放っているのだ。ジャンプ直前に稀崎翔はわずかに屈む、という癖がある。それが本人の高さを生み出しているのだが、その様子は、横から見れば、本当に、翼が生えているように錯覚するのだ。

 

 問答無用で視線を集めるこのジャンプは、その質を置いて、何か特殊な魔力を持つのだ。

 

 「…あー」

 

 こんなことをやって仕舞えば、何となく周りの人たちに心配される、ということは理解できる。ましてや回転数だけを考えた馬鹿みたいに乱雑なジャンプ。しかも着地に失敗。大人たちに申し訳が立たない。

 

 「翔…お前今…何跳ぼうとしたんだよ」

 

 「んー、秘密で」

 

 「別に教えてくれてもいいじゃん…友達なんだからさ…」

 

 「あれ、理凰くん、僕のこと友達だと思ってくれてたの?嬉しいな」

 

 「…!!!」

 

 「僕は取り敢えず一回休憩するね。あんなのやったら流石に疲れたよ」

 

 理凰が顔を真っ赤にしながら何かを言いたそうにしていることも気にせず、スケートリンクを出る。

 

 「ね、理凰。翔は目が見えないんだから、言いたいことは言わなくちゃ伝わらないよ?」

 

 「…知ってるよ!」

 

 悪態をつきながら返答する理凰。

 

 

 

 

 それからというもの、翔のメディア露出は全くなかった。本人の意向であり、「完璧なショートプログラムが出来るまでは全部隠したい。急に捲られた手札がロイヤルストレートフラッシュだった、ってのが一番面白いでしょ?」とのこと。

 

 一切の大会に出ることなく、ただひたすらに練習を積むだけの日々。だが、本人は全くそれを苦とも思わずやり続けた。やはり彼は、「勝負に勝つ」ことが目的なのではないのだ。それが目的なら、「大会」という分かりやすい基準を基に努力を続ける。

 

 彼が求めるのは、「いい演技」。だが、そこへの情熱は誰にも負けない。故に、圧倒的な完成度を誇り、自分が納得するまで徹底的に磨き続ける。

 

 或いはその積み上げた努力が多少の余裕を産み、本番でのアドリブ演技変更を作っているのかもしれないが。

 

 

 コーチ陣からしても、彼の指導は分からないことだらけだが、目標が一貫しているためやりやすかった。通常、大会中のコーチというのは「今一位の選手の点数を超えること」を願っている。だが、彼のコーチは楽なものである。彼が演技後に「満足した」と言えば、もう彼の願いは叶っているのだ。

 

 時折、彼の目的が「いい演技をして大会も優勝する」になる事もあるのだが。

 

 

 

 

  後の鴗鳥慎一郎はこう語る。

 

 「彼は、スケーターとは思えないほど、1人で完結している選手です。異常な練習量、いや…異常な「失敗回数」と言った方が適切ですね。只管に、飛んでは落ち、飛んでは落ちを繰り返す。本当に色々なことを試しているのだと分かります」

 

 「だからですね…彼の演技に独創性が生まれるのは。沢山のトライアンドエラーから生まれた数少ない「面白い」を引っ張ってきて、演技に採用する。本人も、成功回数より失敗回数の方を重視しているのではないでしょうか。本当に、異質な青年ですよ」

 

 「何より彼の演技は…人の心を揺さぶるだけの何かがある。物語性の高い演技で、時折幻覚が見えたような気がしてしまう瞬間だってあります。私も、彼の演技に魅せられてしまった人間です。点数に現れない何かがある。或いは、彼が盲目であるという事実が、その物語性を上げているのかもしれませんが」

 

 「…誰も見たことがない技を急に開発する癖はやめてほしいですが。怪我に繋がりますので」

 

 

 

 

 ステップシークエンスの踊りに納得できなくて、2ヶ月も費やしてしまった。バレエ教室に行き、ダンス教室にも通ってロックっぽい動きを多少習得し、気持ちのいいダンスを極めてきた。

 普通、スケートのプログラムというのは振付師さんが考えるものだ。しかし、僕の場合はそれだと面白くないと思っているので、振付師さんとワーワー言い合いながら振り付けを決めている。

 

 「いや、流石に、難易度的に3、2、1の順で下ろした方がいいですよ!!」

 

 「階段状に難易度上げた方が面白いです!!ここばっかりは譲れない、この後サビですよ!?」

 

 とまあ、このように。徹底的な議論と練習により、実に計1年の時間を四分の演技にオールインし、僕が納得できるだけのプログラムが完成した。

 

 僕が出るのは、年末の名港杯。ルッツの採用を必須条件とする大会。

 

 きっとこの大会にはいるかちゃんも来ている。本当は興味がなくても、あの子は意外にも、こういう大会を律儀に見に来るのだ。

 

 

 

 

 さぁ。

 

 目が見えない人間が、前を向いて飛び出すその瞬間を。

 

 全世界に見せつけてやろう。

 

 失って初めて見えた景色がある。見えなくてもよく分かる。こんなにも世界は鮮明で、美しいのだ、と。

 

 見えないことなんて、極めてどうでもいいハンデにすぎない、と。

 

 

 

 

 

 

 僕は、翔べるのだ、と。

 

 

 

 

 翼を失った鳥は、空想の翼を生やした。触れるはずのなかった、その空想の翼は、少しずつ実体を孕んでいった。

 

 飛んでは落ちて。また飛んで。

 

 必死に羽ばたいて、実体を持っていったその翼は、前生えていた翼よりも、ずっと、ずっと…

 

 

 

 

 

 美しい。




稀崎翔:翼を持つ少年。一度失ったが、自分で生やすことにした。「面白いかどうか」を基準に行動を変更する癖があり、コーチは頭を抱える。その実用性を無視した綺麗なだけの技に、人は惹かれるのかもしれない。たった一個の演技で使わない技術は全て捨てて1年かけて練習した。

岡崎いるか:実はスケートをやり直しているがそれを伝えられないという主人公の悪戯(悪戯では済まない)の被害者。

鴗鳥慎一郎:脳を焼かれた人。主人公のジャンプに含まれる沢山の苦悩に、自分を重ねてしまった。
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