裏もあれば表もある 真実はどれだ?
ライブの朝はひどく冷たい。
今日だけではない、子役の時の劇もミュージカルも撮影も似たような張り詰めた感覚がある。……単純に寝不足で疲れが残っているだけかもしれないが。
ホテル備え付けの電子時計は5時30分を指している。ライブ開演が14時であるにも関わらず関係者の集合時間が朝の8時なのはどういう了見なのか、と問いただしたかったがねっとりとベットから抜け出した。
シャワーを浴びる。一通り体を洗浄した後にボディケア用の保湿液を塗りこむ。腰に届かない程度の長さとワインレッドのインナーカラーのおかげで荒れやすい髪は維持をするのにひどく時間と金がかかる。モーニングルーティンと言えば聞こえはいいが、1時間弱をほぼ毎日無駄にするのは嫌気がさす。
連続再生される動画サイトの内容を聞き流しながらプラケースのふたを閉め、手を洗って冷蔵庫を開けた。昨日の夜に購入させたプレーンヨーグルトとカットフルーツ。カットフルーツをヨーグルトの容器に無造作に入れて使い捨てのスプーンで掬い食べた。
今日の昼は食べられない。一応軽食は用意されるが、肌荒れの原因を作りたくないから大したものは食べられない。
食べ終えたヨーグルトの容器を水で洗い流してゴミ箱に捨てると寝巻から普段着に変え、窓を開けた。太陽光が眼球を焼き、脳がようやく融け始めるのを感じる。
ハンガーに掛けていた今日の衣装をカバーにかけると時間を確認した。7時を少し過ぎた頃だ。
荷物をすべてまとめると廊下に出た。
ライブ会場へ向かう道。その歩みを止めることは許されない。
*
炎上していますね、との根緒と名乗る教職員の言葉がミーティングの場で放たれる。大型モニターにはツイスタの炎上コメントがびっしりと。
《アイドルが生成AIの曲を使うなんてありえない! もっと命かけてアイドルやれよ》
《生成AIはクリエイターに対する侮辱です》
《白草四音はクリエイターがこれまで築き上げた権利を踏みにじる行為をしている! アイドルとして相応しくないし、初星学園という伝統のあるアイドル育成機関に相応しくない!》
「創立して10年も経ってねぇだろ」
思わずつぶやいてしまったらしい言葉に焦の表情がすこし泳ぐ。
集合すぐの代表関係者ミーティングではそれこそ初星の精鋭ともいえる大学生と彼らを支える教職員。そして100プロの関係者。孤立無援の状況だったが向けられる視線は同情に近い。
「昨日の深夜に昨日の通しリハの映像や音声がリークされまして……」
教職員の言う通り、これはリーク映像だった。白草四音がAI楽曲を使ったという情報を流して彼女の人気を落とすつもりなのだろう。
自分たちはリークの映像を見ているくせに、よく批判できたものだ。と、焦は冷たく吐き捨てた後に余所行きの声でつづけた。
「それは知ってます。こちらで対処できる部分はすでに行ってますし初星や100プロの方々の手助けはいりません。それより……」
根緒先生の言葉に対してぴしゃりと放った言葉の切れ味は怒りというよりも呆れの成分が大量に含まれていた。彼の視線は設営スタッフに向けられる。
「この中の誰かに、情報漏洩を犯した奴がいるってことです。敵対企業への損害だけなので初星には問題ないのかも知れませんが――今回って外注業者いるんですか? 犯人捜し始めないとイメージダウン避けられませんよ。私としてはどうだって良いのですが……」
その眼光は鋭い、というよりも生暖かい生魚に突き落されたような生ぬるさだった。怒鳴らないのは最初っから期待していないということだろう。大人としては忠告はするが、本人としてはどうでも良いと考えているのだろう。
スタッフがびくりと身じろぎする。目の前の男は組織に帰属意識は無いのか?
「……極月としては、どうなのでしょう?」
たまらず口をはさんだ清夏のプロデューサーが口をはさむ。それに焦は薄笑いを見せながら答えた。
「回答待ちです。まぁ……ですが理事長からは『処罰は初星の代表者に任せる』とだけ。あぁこれは公式回答ではないので、悪しからず」
「……今回は」
「謝罪は必要ありません。行うならば、極月の窓口に」
教職員の誰かが謝罪の言葉を言おうとしたが彼が強引に止めた。
「そんなことよりもミーティングをしましょう? 起きてしまったことは、仕方がないので」
*
このライブ会場は倉本家が格安で貸し出したらしい。つまりはうちの親が作ったものである。
自分がかなり恵まれた家であることは自覚している。正直自分がアイドルの才能というものに恵まれていないのも自覚している。……隣にいるのが白草四音というかなりの傑物だというのも含まれているが。
自分がアイドルに憧れているのはテレビに出ていた名前も覚えていないアイドルに憧れたからだった。言ってしまえば小さな子供がニチアサの魔法少女やヒーローに憧れるのと同じ理由。
でもあの人たちのアイドルに対する執着を見ると自分の行動は児戯に等しい。
自らの存在をアイドルという誰かに昇華するために、白草四音は他者の羽をもぎ取り自分のものに変えようとする。それでも飛び立てない様子を何度も見た。
ステージの呪いとファンからの憎悪をすべて悪と断じ、アイドルの心を折ることでその悪から遠ざけようとしている男がいる。なにをしても満足できないようだった。
輝きを得るために悪に堕ち、潔癖のために汚泥を被る彼らを見ると自分がひどく矮小に見えてくるのだ。
だから自分は恵まれている。汚れなくても、ここまで来れた。ここまでにかかった誰かの時間、名誉、努力を捨てるわけにはいかない。
そして何よりも自分の努力と時間を無駄にはしたくない。
*
ケータリングっていつ食べるんだろうなぁ、と呑気な声が廊下に響いたがその場にいた全員があきれた声を出した。
「あのですね、暗雨さん」
「はい」
「例えばここに家系ラーメンがあったとします。背油ギットギトのヤツです」
「ん? ――うん………???」
「ニキビが出たら大変でしょう?」
「……そんなすぐにニキビって出るの?」
「今のは例え話です。たとえ科学的にあり得なくても、人の思い込みとかで簡単に肌や髪などのコンディションが悪くなります。それに胃もたれとかしたらまずいでしょう? だからライブの直前の食事は軽いものが多いです」
「ふーん」
「わかりましたか?」
「白草がラーメンを食べたがってることは」
「そっちじゃない!」
2人のやり取りに初星の人間が呆れた表情をしていたし、そばで聞いていた撫子は恥ずかしかったし、燐羽に至っては頭を抱えていた。
時刻は開演1時間30分前。廊下を移動しながらのやり取りはライブ前にもかかわらず余りにも緩い内容だった。
廊下の窓からは外の様子が見える。物販の列が並んでいる。ネット注文もあるのに対面販売が無くならないのはどういうことなのだろうと四音は思う。
「非効率じゃないか?」
「どうだろう。あの列に並びながら名前も知らないファン同士の会話が広がる……というのもライブの醍醐味でしょう?」
「……意外だな。お前もアイドルのイベントとかのファン心理が分かるのか」
「そりゃあ俺だってゲームのイベントとかに参加したことあるし。少なからずオタクじゃなきゃ、反転アンチみたいなことしないって」
どこまで嘘なのだろう。目の前の男がまともに見えるときもあるが、内面が壊れているのを四音は知っている。だけど……彼はどの部分が正常なのか気になるのだ。
彼の異常さは、すべて1つの視点だけならば至極真っ当な正常さで出来ている。だから本当に異常なのは自分だけなのかと思ってしまう。
「どんな会話してるのやら。『白草四音が気持ち悪い』とか? もしくは『一番星の大きな胸に埋もれたい』とか……アイドルのオタクなんてそんな会話でしょう?」
「まさか。『自分の推しているアイドルがすごい! そんなアイドルを昔から知っている自分はかっこいい!』とかじゃない? 性欲推しのオタクよりも、推しと自分を同一視して努力を全くしないオタクのほうが面倒じゃない?」
だからそんな言葉を言ったのは一種の試し行動であり彼の過激さは消えていないのを確認するためである。だから発言の過激さが消えていないことは少しの安心感を得た。
尤も周囲の人間は戦々恐々としているが。
「んで、昼ご飯は草だけでいいのか?」
「………構わない。言い方はともかく」
「夕飯は道沿いにあるラーメン屋にしよう。俺が食べたい」
「はぁ………まぁ良いでしょう」
その言葉を最後に四音が後ろを振り返って燐羽を見た。
「裏切り者の蝙蝠女は……どうして私たちと一緒に?」
「……随分とご挨拶ね」
担当アイドルとプロデューサーのいちゃつき……というには中々に邪悪な内容だが、そこに突っ込んでいると面倒だから燐羽は言及しなかった。
「別に、私は初星じゃなくって極月扱いよ。だからあなたたちと同じタイムスケジュールなの。行きは手毬と美鈴と同じ車だったけど……帰りはあなたたちと同じ車よ。言ってないの、暗雨さん?」
「ごめん、言ってなかった」
まったく反省していない声音にここにいる全員が彼を殴りたくなったが、だれもやらなかった。
*
舞台袖。
断頭台への行進を賛美する場所。ひと昔前の斬首刑というのは一般市民にとってはエンタメだったらしい、というのはデマだったか?
観客はライブビューイングを入れるとおそらく万人規模に膨れ上がる。数か月に1回、十数人程度が人柱になれば観客の平静が保たれるのならばコスパの良いものかもしれない。
残念ながら自分は名前の知らない数万人の人間よりも、才能的にも遺伝子的にも頭脳も容姿も優れている知り合い1人のほうを大切にしたい。相も変わらず数学センスはない。
だからこの世界に「アイドル」という思想は消さなければいけない。価値のある人間が、その価値を奪われる場所を肯定してはならない。
その才能が、誰かの一瞬の満足のために浪費されてはならない。
その遺伝子が、晩婚による高齢出産によって劣化するのを認めてはならない。
その頭脳が、テレビ番組表の穴埋めでしかないクイズ番組でしか使われないのは科学の発展にとって不利益だ。
その容姿が、自分の愛した恋人ではなく無価値な人間の尊厳を満たすために使われるべきではない。
無価値な人間が、価値のある人間の人生を意図的に踏みにじってはならない。
ステージを映えさせるために意図的に暗くなった場所を、いつか日の光に照らされるのを願って俺はここにいる。
*
ライブは順調、らしい。ネット掲示板、SNS、ライブビューイングのコメント欄、なによりも生の歓声がそれを証明する。
「震えてる」
パイプ椅子に座る撫子を焦は後ろから声をかけた。ビクン、と驚いて振り返ったのはもとより彼の存在感が全くないからというのもあるがステージの重低音が響いているからだ。
撫子は雰囲気に呑まれていた。
「NIAの時は……どうだっけ、観客の前だったか」
「ここよりもずっと狭いステージでして……。ここは、広すぎます」
モニターでは「ツキノカメ」後半の治安の悪い重音をBGMに秦谷美鈴がレーザーライトで串刺しにされるのを映していた。
Re;IRISと極月選抜アイドルの対バンの1回戦が始まるのはきっとすぐだ。
四音の方向に視線を飛ばしてみたが彼女も余裕はなさそうだ。少し悩んだのだろう。ややあって焦は言った。
「……お前の選択――では無かったな」
「選択、なんていい言葉使いましたのね。……わたくしは四音お姉さまの後ろをついて来ただけ。腰に吊られてたらこんなステージに立ってしまう羽目になりましたの」
「後悔してる?」
「……まさか」
撫子は一回だけ両手を叩く。パンッ、とかなり大きな音が出たがステージの音と客席のほうが随分と大きい。本当は濡れたタオルで顔を拭きたかったが、それは化粧をダメにする。
「私が四音お姉さまを慕っているのはあの人の才能に惚れ込んだのもありますが、付いて来れれば最短経路になる。そして私は今、敵地の最高峰のステージにいる。……白草四音の後ろに隠れてばかりじゃ、誰かに憧れるアイドルにはなれない。……そう思いませんこと?」
「へぇ………」
焦が興味深そうな声を出した。彼の表情はバックステージの暗さで全く見えない。
「その強がり、いつまで続くの?」
「いつまでも、ですわ」
ライトに照らされた鏡には自分のひきつった笑みが見えた。でも問題ない。十分かわいい。
「あたくしに掛かっている金や時間は、莫大なのを実感したのを実感しましたの。……あなたのような子悪党に、私たちの青春を奪われるわけにはいきませんわ!」
「………なるほど。そういう結論? 藍井家としても倉本財閥としても、そろそろ子供に遊ばせるためだけの金を出すほど呑気なことは言えなくなったということになったんだ」
「黙りなさい! 電話でわたしのお父様とお母様に何を言ったらあんなことを……!」
実際あの日は散々だった。母親と父親にかなり詰められた……のはまぁNIAの1件もあるのだが、絶対彼の口添えがある。
それでも……本心である。金だけでここまでの地位に成り上がったのではない。それに白草四音が抱えた呪いも、賀陽燐羽が背負った諦めも、暗雨焦が垂れ流す呪詛も知った後では心変わりもするのだ。
秦谷美鈴の歌が終わる。スタッフが撫子の名前を呼んだ。
「行ってきますわ」
「行ってらっしゃい。必ず帰って来いよ」
その声音はたまに聞く、純粋に自分たちのことを心配しているのを隠す声だ。
声を聞き流して撫子は舞台袖に立つ。隣に立つ金髪の少女が藤田ことねである。
「へぇ……藍井撫子ちゃん、です? 苦労してますねぇ」
「月村手毬に付き合っているあなたたちほどではありませんわ」
「今日はどんな飛び道具を仕掛けてくるん?」
「私は四音お姉さまとは違いますわ。飛び道具を仕込めるほど、器用じゃないですの」
「ならいいや」
「お互い前座、気楽にいきませんかぁ?」
「……否定はしないけど、やっぱり腹立つナー……」
*
VIP席、と言えばいいのだろうか。それとも軟禁室と言えばいいのか。そこには2人しかいなかったが、すぐに3人目が入ってきた。
「なんです、ここ」
「本来は運営側の偉い人のための簡単な個室よ。VIPルーム……と言うよりかは、簡単に電話ができる防音と秘匿性を高めた場所。……指令室、というべきかしら?」
星南の回答に先ほど部屋に入ってきた焦が特に興味もなさそうな表情で聞いていた。もう1人、先に入っていた手毬のプロデューサーに焦が「お互い、特権階級だ」と笑いながら言う。
もてなすことの考えていないこの部屋は床はタイルだし、壁はモニターばかり。指令室、という例えは秀逸である。簡素な椅子に座っている2人を無視して焦は窓ガラスからの光景を見た。眼下には、人人人人人人人人――
「推し活、なんて聞き触りのいい言葉に騙されやがって。お前らがやってることが女子高生をカードに見立てた代理戦争だってまだ気づいてないのか……? なぁ?」
十王星南の能力――相手のステータスを見る能力は共感覚の一種である。
仕組みとしては相手の自認と実際の体のコンディションを捉えて、それとのギャップを感じ取る能力。応用すれば相手の精神を感じることができる。目の前の人間が緊張していることも、興奮していることも、悲しんでいることも、喜んでいることも。
すごいようだが人間観察力とか空気を読むとかを個人に絞ったものといえば別に大した技術ではない。普段一般人が感じる有名人オーラのアンテナが進化したものだし、初星のプロデューサー科の人間なら似たようなものを持っている。欠点があれば自分が興奮状態なら意味がないぐらいか。
十王星南は彼から「疑問」を感じた。若干の興奮――は、まぁ恐らく全力で舞台裏からここまで走ったことによる息切れだろう。
「推し活を否定しろと? ……あなたは勘違いしてるのかもだけど、推しに対して性欲を向けているファンなんてそんないないわ」
「どうでしょう? その言葉は否定しないけど、オタクが推しに向ける感情の4割は性欲で残りの4割は推しを自分と同一視して自分も偉くなってると勘違いしている優越感、あとは……純粋な尊敬?」
「……否定はしないわ」
プロデューサーはちらりとステージを見る。現在は対バンの説明を初星の生徒が説明しているところだった。随分と長いが……ライブ会場を少し冷ましたいという意味もあるためこのままで良い。
星南と焦の会話――いや、論争は続く。
「じゃなきゃアイドルは高い露出の服も水着グラビアも必要ない。ファンの性欲を煽るのは、確かに”ろくでもない”わ。でもあなたが起こした『アイドル嵐の時代』……アイドルのファンはアイドルに情欲をぶつける、と喧伝してくれたおかけでアイドルのクリーン化が進んだ。否定しないけど、性欲をあおるようなプロモーションは少ないわ」
「男の性欲は、エロさだけじゃないでしょう? 承認欲求、支配欲……好きな女が自分の思い通りに動くという優越感。あとは推しが自分の予想通りに動いたことによって自分が有能感?だから……解釈違いは起こる」
「それを推しへの同一視、というのかしら? それは違うわよ」
彼女はモニターを見た。ライブビューイングを映すそれは藤田ことねと藍井撫子を待機画面にしている。
「推しを応援するという感情に、汚れた要素はないわ」
「そりゃあそうですよ。推しはかつての自分。自分が歩むはずだった成功者になるはずだったGoodルート。だから推しとファンは似るんですよ」
「そんなことは――」
「前も言いましたが、それはあなたが成功者だからです。失敗した有象無象は、自分に似ている誰かが努力して勝ち上がった様が好きなんですよ。自分の努力は報われなかったから、自分の上位互換が自分の代わりに苦しんでくれる様を『推し活』って標榜する。あなたのそれが純粋なのは、自分にないものを持っている推しに憧れているからであって、あなたが持っていたらその推しに憧れない」
「イラつくわね。……その言葉に肯定しそうになる自分が嫌」
星南の口から感情が飛び出た。つまり苦しいということだ。
だから手毬のプロデューサーはライブの反応を探ろうとしていたスマホをしまって助け舟を出す。
「暗雨さんは……誰かを応援したり期待しないのですか? 純粋に誰かの成長を喜ぶことを、誰かと共に歩み背中を押すことは? 前書きはどうあれ、あなたもプロデューサーでしょう?」
「……ステージから客席までの高さは2メートル。2メートルもあれば人は死ぬ。だから期待しない。応援しない。………誰かの背中を押すことは、誰かの足を折る行為です」
「相容れないですね。…………ファンの方にそんなに悪意を持ち込めるのは尊敬に値します」
「私としてはどうしてプロデューサーさんがここまでファンを信じられるのかが気になりますね」
《――それでは一回戦、コイントス……先攻、藍井撫子。それでは撫子さんは入場してください》
「……始めるみたいね。おしゃべりはここまでにしましょうか」
星南の言葉は当たり前のマナーであって、逃走ではない。
暗雨焦の言葉を今からでも思想を否定したいのは彼女もプロデューサーも同じ意見であったが、アイドルのライブで口論をするほど恥知らずではないのだ。
*
「……あの」
「何です?」
「……普段から、あぁなんですか?」
「『あぁ』ですよ。 藤田さんが絡むと『あぁ』なります」
アイドル露悪をモットーにする焦でも、目の前の人間が泣きながら大声で応援し始められたらさすがに驚くし人並みに引く。……いやこのライブがことねにとっての初ライブであり初のソロ曲と考えればファンとしても先輩としても間違ってはいないのだが……。
ことねのMCに星南の名前が出たことをきっかけにしくしくと泣き始めた彼女を見て焦も「煽りすぎたかなぁ……」とつぶやく。
《それでは、今日はみんな大きな声をくれてありがとうございました~~~~!》
「うぅ……っ。ことねぇ~~~~~~~!!!!」
《それでは投票を始めます》
「………ふぅ。さて、どっちが勝つと思う?」
「うっそだろお前」
藤田ことね、と記されたタオルで顔を拭くと彼女はケロッとした顔でこの場の男2人に問いかけた。焦が正気に見える。
窓ガラスには観客がスマホを取り出して投票し始める様が見える。
ステージには先ほどパフォーマンスをしたアイドル2人が並んで手を振ったりしている。声が聞こえないのはこの投票時間はマイクが切断されているためである。
ステージのモニターには動画サイトのコメント欄と思われる文字が流れていた。投票時間限定で視聴者の反応も見られる仕組みだ。無銭ライブのコメントさえも利用するのは前々から周知されていたことで特に驚くことはない。
「……すごいな」
だから焦が驚いたのは窓から見える光景だ。
客のスマホの投票画面。機能は単純明快で、ただ初星か極月かを選ぶだけ。
だから客席が投票後に表示される初星の「青」か極月の「赤」で埋め尽くされる光景は圧巻である。
「どう? あなたがどんなに露悪的に言っても、ファンの思いは変わらない。目でわかるでしょう?」
藍井撫子の技能はかなり高まっていた。星南の目から見ても彼女の歌唱力の向上は目を見張る。やはり動画サイトでよく見られた通り、四音の指導は何一つも無駄な部分がなかった。
問題点があれば……せいぜい極月で使い古された「KisS」であり、完全に藤田ことねがライブで歌うことを念頭に作曲された「世界一可愛い私」のほうが盛り上がれるぐらいか?
だからと言っても焦がその言葉を肯定することなんて誰も考えていなかったが。
「……昔話でもしましょうか」
「ん?」
「え?」
だからいきなりそんな話が始まると困惑が勝つ。
「私は元々アニメが好きでしてね。……そうですね、クイズにしましょう。アニメの主人公が前作主人公を倒しました。さて、どうなりました?」
「はい? いきなり……えぇ……? えー………」
いきなり始まった言葉に2人は困惑していたがここで答えないほうが失礼かもしれないと考えて星南は真面目に、プロデューサーは考えているふりをした。
「……作品の脚本家が叩かれた?」
そういえば彼はアンティーカの劇で脚本家していたな、とよぎったプロデューサーが意趣返しのように雑に、悪意を添えて答えた。
「答えは『主人公を務めた声優が叩かれた』でした」
「……はい?」
だからその言葉があまりにも突飛だから星南もプロデューサーも困惑した。
「……なぞなぞ?」
「声優が浮気をしたらキャラが燃やされた、なんて事例もありましてね。そう考えると『ゲームやアニメは現実の犯罪との区別ができなくなる』というのは事実かもしれませんね。ゲームキャラと声優の区別がつかない……双方を同一視するオタクが多すぎる」
「……何が言いたいのかしら?」
「アニメオタクは声優とキャラの区別がつかない。じゃあアイドルオタクは『何』と『何』の区別がつかないんでしょう?」
「……『ステージの上のアイドル』と『プライベートのアイドル』かしら? ファンの前では本来の自分を隠すアイドルもいるものね。それとも……『アイドル』と『ファンにとって都合の良いアイドル』とか言うのかしら?」
白けた表情の星南。誰だって自分の推しのステージの後にそんなこと言われたら冷める。むしろ暴力に訴えない彼女はかなり理性的だ。
だから焦の言葉は随分とこの場にいる人間をイラつかせる。
「なるほど、星南さんはそう意見だと」
「……随分と知ったような口を利くじゃない」
「いえいえ。将来的に私の敵になりそうな人間の潜在的な考えを知るというのは必要でしょう?」
「……えぇ。そうね。あなたの事、よくわかったわ」
空気が悪くなる。そう言うと元は良かったように見えるが、空気は最初から最悪である。
(星南さんは良くも悪くも影響を受けやすい)
手毬のプロデューサーがそのように考えたのは別の嫌な予感がよぎったからである。
十王星南が言いくるめられて、アイドルの敵になる日。彼の1つの視点だけなら正しい虚言は時間が経てば経つほど――特にライブ直後の素人論客がSNSに湧くと予想される状況では「ファンだけを悪にする」というのは縋りたくなる毒だ。
彼女の後輩がネットで悪く言われて、星南が悪意に染まる可能性は否定できない。
「星南さん。この人と取り合っても仕方ないでしょう?」
「悲しいなぁ、プロデューサー。アイドルのプロデュース方針を語り合っているだけなのに……寂しいなぁ……」
「馬鹿馬鹿しい……あなたのその言葉によって何人のアイドルが夢をあきらめたと思います?」
「あなた方アイドル運営側がどれだけのアイドルの人生を壊したと?」
「よく言いますね。あなたも白草四音を炎上商法で潰そうとしているのに。……昨日の含め彼女がしたことの謝罪は受け入れましたが、でも彼女がアイドルをするべきではない人間であるのは変わりないでしょう」
「だからこそだよ。アイドルを法的に規制しても、悪質ホストやドラッグのように抜け穴を突かれる。だから世間体や本人の意思を変えるしかない。……極月や961が彼女たちを切ったとしても、白草四音はアイドルとしての生き方しか知らない。犯罪を犯した子供に犯罪が悪だという意識を植え付けるように、彼女にはアイドルが悪であるという意識を持ってくれないと」
「……じゃあ藍井さんを唆さないのは?」
「彼女の家の資金力。それが藍井撫子のアイドルが『ごっこ遊び』でしかなかった理由。そして本気になった今、あとは彼女の心が折れるのを待つだけ」
モニターには様々なコメントが流れていた。内容は賞賛というよりも悪口のほうが多い。だがどちらかというと撫子よりも、「十王星南に贔屓にされている」ということねへの文句が多い。
「ほら、あのコメント。『星南サマはやさしいから、あなたのようなアイドルでもアドバイスをしてくれる』ってさ。藤田ことねではない、十王生徒会長に選ばれなかったアイドルを背中から撃ってくれるのは嬉しいなぁ」
「……悪意のあるコメントを読み上げるのはやめなさい。多くの人間が彼女たちのパフォーマンスを褒めている。拍手している……! なのに、あなたは……!」
「YouTubeくんだって、AIでコメントをフィルタリングする機能ぐらいあるでしょう。その強度だって、初星側が最大にしてるのでは?」
「……えぇ、そうね。今回は無銭ライブ。悪意のあるコメントが流れるとは思っていたけど、まさかことねばかり言及されるとは」
「人間を信じすぎですよ、十王会長。動画サイトにコメントするのは全視聴者の0.3%で、そんな人間がどういう人間かなんて分かってることだ。……初星ではインターネットリテラシーの授業が無いのですか?」
彼の言葉は嫌に自信たっぷりだ。当然である。モニターの1つは常にライブビューイングのコメント欄とツイスタのタイムラインが表示している。説得力は目の前にあるのだ。
でも彼は1つの真実にしか目を向けていない。何も言わずにアイドルを応援する人間だってたくさんいる。それに――
「あなたのその言葉を使うのなら……そういう悪意を持つ人間は0.3%以下ということになる。ごく少数の人間の意見ばかり気にして、99.7%を切り捨てるわけ?」
「いいや。0.3%よりも少ない人間――数万人に対しての10人程度。俺は数えられる人間、知っている人間のことしか守らない。お前の想像よりも、俺は狭量な人間だ」
《それでは、開票いたします》
その言葉に星南と焦がようやく黙った。
ひどく醜い争いだとプロデューサーは思う。彼女は自身の感情をいうばかり、彼は自分にとって都合のいい事実しか言わない。傍から聞く分には無駄な時間としか言いようのないやり取りだ。
(……いや、これが狙いか? 十王会長に感情を吐かせることが……?)
*
結果としては藤田ことねの勝利だった。
まぁ当然の結果である。ローテンポとは言わないが歌唱力重視のカバー曲は藤田ことねのソロ曲相手にはかなり難しいことは、アイドルの能力云々よりもひどく明確だ。
だとしても
「くやっしいぃ……わぁ~~っ!」
「おぉう」
舞台袖に引っ込んだ瞬間そう叫んだのだから、一緒に舞台袖に向かったことねはひどく驚く。
「あの男に、口車に乗せられて! 上手くいければいいねって放任して――いっつも四音お姉さまばっかり!」
「なんか――荒れてる……。上手くいってないんだー、プロデューサーさんと」
藤田ことねの言葉に嫌そうな表情をして「べー」と舌を出した。
一瞬前まで2人はステージの上で争っていたのに、どうして奇妙な友情が出来ているような感じがしているのだろう。
「迷惑だよナー、目の前にでっかい星があるのって。少しだけ追い越しただけじゃ、逆光だもん」
「かんっぜんに前座ですもんね、あたくしたち! 元SyngUP!の! それすらも使って、四音お姉さまを利用して――あの男は……アイドルを潰そうとしてる」
「……なんか、やっぱりキミらは何か企んでいるのは事実?」
「あたくしは一切関わっておりませんけど、ね!」
大きく息を吐いて撫子はようやく晴れやかな表情をした。ステージではスタッフが急いで清掃を済ませているなか、司会が《そろそろ2戦目が始まります》とアナウンスされる中、自分の仕事はもう終わり。
初めての大きなハコの、生の歓声が自分に向けられるのを聞いた高揚がまだ残っている。
「あたくしは、藍井撫子。いつか同じステージであなたを倒しますわ」
その言葉にことねは一瞬驚いたが、すぐに目を細めて言った。
「藤田ことね。うちの光に目が眩むなよ~」
これがライブの時の高揚感で行われる過ちか、と思いつつも両者それを認めないように他のやり取りはせずにお互いの待機場所へ戻っていった。
毎回毎回あとがきの内容を忘れます。困りました。
思い出したら追記します。
騎士団のヴェールを見ました。
もしかしたら月1投稿のペースが遅れるかもしれません。
また本作のエンディングはあまり変わらない……とは思いますが、かなり導線が変わる可能性があります。