紛い物の救済 楽園はどこにもない
満たされない渇き 病める子羊
極月学園は多大な金を掛けている。具体的には、鍵付きの個人ロッカーを用意している。
都内トップ校でも鍵付きの傘立てを導入したら1年で半分が使えなくなったという逸話があるのだから、子供の鍵の扱いは適当であるというのが定説だがどうやら導入した人間は生徒を信じているらしい。
そんな話を白草四音は自身の開かないロッカーを見て思い出した。
(接着剤……ここまで直接的なのは初めて)
視線を感じる。気のせいではないはずだ。嘲笑っている。
「四音お姉さま、これは――」
「構いませんわ。実力で勝てない者が……」
嫉妬していやがらせしている、と言葉を続けようとして止めた。その言葉は丸ごと自分に返ってくるはずだから。
「……撫子は」
「大丈夫でした。あの、お姉さまは」
「中身は空です。今日配布された冊子を一時的においておこうとしただけなので、とりあえずは」
それでも面倒なことには変わりない。担任に言うべきかどうか、四音は悩み始めた。が、その長考はすぐに無意味になった。
《白草さん。1年*組、白草四音さん。別館2階第6特別室まで――》
「……呼び出し?」
特別室はアイドル候補生の生徒が己の事務所の人間と対話する部屋だ。この学校の中でも特別な生徒――学校が会議場所になるほど優秀か、それとも問題を起こすか――にしか用意されない。第6特別室はこれまでに四音が焦と会話をしたあの部屋である。
「……まさか特別室まで狙うとは」
「撫子、一応あなたも同伴をお願いいたします。……面倒ごとにならなければいいのですが」
面倒ごと。それは学園の評価にも直結する。
例えば極月みたいなアイドル育成学校でイジメが起きた時、もちろんすぐに週刊誌がやってくる。だから教員陣はイジメの事実をひた隠しにする。
そんな学校の方針を生徒は感じ取っているから問題は表面化しない。表面化してしまえば「極月の品位を堕とした」として評価が下げられるのだ。
目的地に到着すると、予想通りの結果が広がっていた。
「暗雨さん」
「――白草さん、大変ですよこっちは」
焦が敬語なのは恐らく周囲に教師陣がいるからだろう。
ドアには墨汁がぶちまけられており、鍵には接着剤が詰められていた。こんな感じのネット広告、何度も見たなと少しよぎる。
「別館ってアイドル関係者の出入りもあるのに、よくもまぁ……。白草さん、藍井さんも被害遭っていませんか」
「…………えっと」
面倒なことになった。ここで自分の被害を追加するとさらに学園の評価が――
「あの、四音お姉さまも――」
「っ、撫子――!」
しまった、と思った時にはもう遅かった。
周囲にいた大人たちが四音に集中する。
「なにが――何かあったんですか?」
「い、いえ……」
集まっていた教師陣を代表して学年主任がこっちを見て質問する――いや、それはもはや尋問に等しかった。「面倒ごとをよくも起こしてくれたな」という視線が突き刺さり、四音はその視線に目を伏せるほかなかった。
大人の視線は……怖い。家を思い出すから。
「白草四音」
別の視線が四音を刺した。知らない視線だった。
「暗雨さん――」
「何があった?」
「いえ、本当に何も――」
「そんなに大量の荷物を持って、息を切らして、視線をあっちこっち飛ばして……何もなかったは無理がある」
「………」
その通りだった。アイドルとしても、子供としても今の自分は最悪の回答であったと後悔する。
「まぁ見当はつく。大方ロッカーか、机かだろう。――あぁ、カバンという可能性もあるな」
視線が移動し、隣の撫子を刺した。
「ひ、ぅ……。ロッカーに、接着剤、が……」
耐えられなくなって言ってしまった撫子が萎縮をしながら答える。「そう、ありがとう」と言う焦の感情は伺えない。
「と、言うわけですが……先生方はどのようにお考えで?」
「………極月といたしましては大事にしたくないと考えています」
「それは……事実を隠すという事でしょうか? 生徒間のトラブルならまだしも、別館――いやこの部屋は白草四音のプロデュースに使用するために外部の私に委託するという契約になっていたはずです」
「え、それは――」
「つまり、外部の組織も狙った犯行に目をつぶれと……? それが極月の考えであると判断してもよろしいですか?」
「………」
極月学園と暗雨焦の関係性がわからない以上、契約云々の信頼性は疑わしいものだったが突っ込んでも仕方がないだろう。
問題は事務所とアイドルの会議場に使われる別館が損傷を受けたこと。確かにこの場所は極月学園のものだが、極月が複数の事務所によって出資された学園であることとその事務所がよく使う場所が危機にさらされたことにある。賃貸アパートの1部屋が放火にあったら、大家ではなく借主が狙われたと考えるのを妥当かどうか論ずるようなものだ。
しばらく学年主任は長考したが、答えは変わらなかった。
「――構いません。これは……極月学園としての総意です」
「わかりました。……最大出資者としてはどうお考えで?」
「え――」
この場には最大出資者――つまり、黒井理事長はいない。しかし呼びかけの声があったというのはつまり――
《まぁ、不愉快だな》
「黒井、理事長――っ!」
スピーカー越しの声に教師陣がざわつく。答え合わせのように焦はスマホをスーツのポケットから取り出した。
《困るなぁ、主任殿。私は色んな出資者から様々な懐疑の視線を受けながら理事長を務めている。加えて目の前の暗雨クンのことは教えただろう? 元気になるネタを教えちゃアカンでしょう》
「す、すみません……」
《それにキミは私ではないし、役員会議のメンバーでもない。勝手に学園を代表してくれないかなぁ?》
「申し訳――」
《まぁ、君の処分に関しては後で執り行うとしよう》
些末事、と切り捨てるように電話の向こうの黒井は言った。学年主任が血相を変えるのを無視して――電話越しなので顔色が見えないのだろう――続ける。
《白草クン、君はどうしたい?》
「………ロッカーの修繕と原因究明をお願いします」
《了解した。暗雨クンはどうしたい?》
「監視カメラの映像の提供と犯人の身元照会。それを確約しなければこの件は警察に持っていきます」
《あーわかったわかった。そうだったな、君はそういう奴だ。こちらとしても刑事事件に発展して腹を探られたくない》
子供をなだめるように黒井は言った。
*
原状回復も、原因究明も意外と翌日の放課後には済んだ。鍵は業者を呼んだが、墨汁は焦や極月の清掃員で清掃したらしい。
そして犯人も判明した。
「犯人は桃園花音――961のアイドル候補生」
第6特別室に集まったいつもの3人は黒井の言葉に少し眉を顰める。
「961の候補生……? 白草は知っているか?」
「知ってはいますが……961の候補生なんて掃いて捨てるほどありますからね。クラスも同じではないので面識は1度も」
「ちなみに藍井は? 家柄的な意味合いで」
「桃園……聞いたことはありますが、桃園なんて普遍的な名前は……」
「家族の人に確認できる? 藍井家にとっても会社間の問題にしたくないでしょ」
「……分かりました」
すたすたと部屋から出て行った藍井を確認した後、焦は続けた。
「961の問題になりましたね」
「否定できないな」
面倒なことになった。黒井は足を組みなおして大きくため息をついた。
961の候補生同士の争いとなると、これはどのような理由であっても「アイドルメジャーデビューを巡る争い」になってしまう。
「学園内では依然として白草四音に対する嫌悪感情はありつつも今回の一件でその視線がずれ始めている。……このままだと2人の候補生が消えますね」
「私としても困るな。会社の候補生がいなくなると怒られてしまう」
「……ちなみに黒井さんは桃園さんについては御存知で?」
「知らないなぁ。大体、私は才能を感じたら候補生などにせずに直接デビューさせる。候補生は会社のイメージアップと嵐の時代の立て直しのためとか言って追加されたものだ」
その口ぶりは自分の関与を否定するもので、961の候補生である四音は少なからず傷ついた。そのいら立ちを隠すように四音が聞く。
「……で、桃園さんとやらはどちらに」
「今事務所のもの経由でここに来るように伝えている。だが……すぐには来んだろうな」
黒井がそう言った後に部屋のドアが開き撫子が入った。
「すみません……どうやら知らないみたいで」
その言葉に一気に弛緩の空気が流れる。家柄同士の争いになれば面倒になるのは火を見るよりも明らかだった。
「黒井さん、ちょっと」
「ん? わかった」
気を使ったのか、焦が黒井を連れて部屋を出る。すると撫子が四音のもとに駆け寄った。
「四音お姉さま……昨日は、すみませんでした……!」
「――どの事でしょう?」
「ロッカーの鍵の件で……」
「あぁ……」
そんなこともあったな。四音は思い出した。
撫子は泣きそうな顔でこちらを見ている。……そんな顔で見なくともすぐに切ったりはしないのに。
「構いませんよ。だいたい、この部屋が被害になった時点で大事になっていますので、私の被害が明らかになったところで結果は変わらないでしょう」
「でも……!」
「それに……大事はこれから起きると思いますよ」
外に意識を飛ばす。黒井と焦が一体どのような言葉を交わしているのかは分からないが面倒ごとが起こる気配はひしひしと感じていた。
*
やって来た桃園という候補生の顔を四音はまるで見覚えがなかった。もしかしたら何度か共演したかもしれないが、アイドルとしては没個性的な顔だった。
おまけにびくびくしている。それはそうだろう。学園の理事長兼所属事務所の社長が出張ってきているのだ。彼の隣で秘書のように立っている焦は知らなくとも、物々しい雰囲気は出ているだろう。
「で――だ。君はどうする? 謝ってどうにかできる話ではない、というのは気づいているだろう?」
監視カメラの映像を見せながら黒井は冷たく言った。机の上には近くのごみ箱に捨てられていた墨汁のボトル。白を切るようなら指紋監査に入るのは明白だった。
冷や汗を流し顔面蒼白になっている桃園とは対照的に四音は極めて冷静に――冷めた目で場の様子を眺めていた。
(どうしてこの人たちは私たちのような問題児に時間をかけられるんだろう)
「――申し訳ありません。つい、出来心で……」
「出来心でグルーを詰めるか」
とんだ出来心だな、と黒井は目を細めて高圧的に桃園を見る。
何かを言おうとした桃園を無視して黒井は四音に視線を向けて聞いてきた。
「白草四音。君はどうしたい?」
「私としましては……特段何も。経営者方の皆様に一任します」
「ふーん、そうか。じゃあ……暗雨クンはどうしたい?」
その質問は苦々しげで、しかし振られた焦は目を細めてどことなく嬉しそうだった。
面倒ごとの予感。
「話になりませんね。謝罪して終了、なんてことから外れている。今回は明らかにアイドル人生に決着をつけるような行動でしょう」
「………それは――すみません」
「そのような行動に出るということは、白草四音を舐めていると判断してもよろしいかと。どっちが上か一度確かめるべきです」
「――っ!?」
思わず立ち上がった。目の前の男は何を言っているのだ?
「おま――あなた、何を言って……!?」
思わず乱暴な言い方になって取り繕った四音のことを誰も気にも留めない。彼女の本性など、この場にいる全員が知っている。
この場にいる全員は、口調こそ柔らかに偽装しているが内容が野蛮な焦の言葉に傾注する。
「ほう……つまり、まずはどちらが上か確かめなければならない。そんな野生動物の群れみたいなマウンティングを行うことで解決するということなのか?」
「はい――強者は強者だからこそ、舐められては困るし、舐められたら徹底的に潰さなければならない。そうでしょう?」
焦の言葉に思わず縮こまっていた桃園がつぶやく。
「……ヤクザみたいなことを言いますね」
「ヤクザの地上げみたいなことをしたのは誰でしょう?」
ぼやきにノータイムで返し焦は「そんなことを言えるということはまだ反省してないみたいですね」と確認のように言った。その言葉に桃園が何かを言いかけて、しかし何も言えなくなって歯ぎしりして座る。
自分の化けの皮が剝がれたのは自分のせいだ――そのことを噛み締めているのを確認しながら焦は続ける。
「どうです――ここいらで対バンをやってみませんか?」
いや、この言葉は爆弾――それも神風レベルの非人道な提案に全員が目を開いて驚愕する。
「ま――待ってください」
その硬直からすぐに復帰できたのは桃園だった。
「私を白草四音の名誉回復のための犠牲となれ――そういうことですか?」
当然の言葉だ。自分が憎む相手のための特攻を提案されているようなものだ。下手をすれば彼女のアイドル人生が終了する。
「お互いが遺恨なくこの問題を解決するための方策を提案しただけですよ。あなたにとっても『極月学園のトップである白草四音を制した』というこの上ない名誉を受けるチャンスではないですか?」
桃園の批判を否定せずに、しかし甘言を呈して絡めとろうとする焦に様々な視線が突き刺さる。特に四音からは強い嫌悪の視線を
「あぁ……そういえば桃園さんはNIAには出られてなかったですよね」
「………はい」
苦々しげに桃園が回答する。言外で「NIAの権利すら与えられていないアイドル候補生が、この権利を手放すのか?」と言っているのが丸見えだ。その言葉に桃園はこれ以上の反論ができない。
「それで……黒井さんはどうです? 予算以外で」
「まぁ…………極月の技術スタッフ育成コースの実地試験としては役に立つな」
眉間を抑えながら黒井は目をつむって俯く。好戦的な性格の彼ではあったがここまでの横紙破りな発言は受け入れがたいのだろう。
(若しくは――あのとき席を外した時にすでに口裏合わせをしていたか)
「………了解した。これにより膠着と諦観にまみれたアイドル科の生徒を焚きつけられるかもしれないな」
「なっ――」
まるで自分を納得させるかのようにテンション低めで言った黒井に桃園が声を漏らした。
*
「正気ですか?」
「正気でアイドル業界に居られると?」
桃園と黒井が帰って2人きりになった特別室で四音は焦を強く睨みつける。そんな様子とは対照的に焦は白けた表情で彼女を見ていた。
「……あそこまでしないと、仕事はないでしょう?」
「ぐ……」
「もとより候補生であるあなたには仕事は無かったのかもしれない。しかしNIAでの一件もあるが……WING優勝目指すんだろう? そこらの候補生程度の動きでは手数が足りない」
「………そうだな」
普段使っている敬語もかなぐり捨てて四音は頭を抱えて、表情をゆがませて、しかし不承ながらも彼の言葉の正しさには肯定しなくてはならない。
それでも悪態をつきながらも四音は彼に怨嗟の声を挙げる。
「ここまでオマエが色々動かしたんだ。当然勝ち筋はあるんだろうな」
「真っ向からやって、叩き潰す。それが出来なければ、どのみちお前はWINGで負ける」
「なぜオマエにそんなことが言える」
「主催が283だからだ。あそこの社長は……そういうのに詳しい。当然対策も打ってくる――はずだ」
「……やけに詳しい」
その言葉に彼は話題をそらすように目をそらした。虚言ばかりの焦が真実を言う瞬間が分かったかもしれない。
もしかしたら、と四音は疑問を呈する。ついでに崩れていた敬語を戻した。
「――あなたはアイドル業界の崩壊を目指していたはず。なのになぜ私の支援を?」
「円満に引退してくれなければ困る」
「やけに283プロに詳しいですね。私も昔、よくサブスクで聞いてましたよ」
「……それはそうと敬語に戻したな」
「……良いでしょう。今はその回答で満足します」
あからさまにはぐらかされた回答だったが追撃はしなかった。よくよく考えたら目の前の男がどんな理由でアイドル業界をつぶそうとしているのかなんて知ってもどうもないなとよぎる。
「何かいいプランがあると?」
「まぁ相手は絶対的に格下。それを潰すんだ。本来はプランなんて必要ないけど、『これから』につなげるようにどうにかしよう」
その言葉を言った後に「……そういえば俺ってSNS担当だったな」と思い出したようにつぶやいた。
*
あの男の様子を思い出す。
そしてあの時の自分の言葉を――
(昔はよく283プロの曲を聴いていたな)
小学生のころだったか。今となっては児童用アカウントが失効してプレイリストも残っていない。検索すれば簡単に――
(いや、持ってたな円盤……。今もあればいいけど)
愛知の会社に就職できたことを3月の時は困惑してました。なんでこんなところと縁が出来たのかって。
え、12月末にアンティーカ愛知公演!?