新宿の夜から数日後、都内の喧騒は徐々に落ち着きを取り戻していた。國鉄クーデターの余波はなお燻り、ニュースでは五能瞳の動向や背後関係の憶測が飛び交っていたが、警視庁警備部警護課第二係の伊隅みちるにとって、そんな喧噪は遠い世界の話だった。彼女の日常は、変わらず任務と向き合うことで満たされている。
警視庁の庁舎裏、隊員たちが汗と笑顔を交わす訓練場。みちるは新人隊員の指導に当たりながら、鋭い視線でフォームをチェックしていた。だが、その表情にはどこか穏やかな光が宿っている。
「隊長! あの夜の話、めっちゃカッコよかったですよ!」
若手の佐藤が、休憩中にニヤニヤしながら話しかけてきた。
「敵の集団を一人で食い止めるなんて、まるで映画のヒーローっす!」
「ふふ、馬鹿者。ヒーローならもっとスマートに片付けるよ」
みちるは苦笑し、佐藤の頭を軽く小突く。
「それより、貴様の護送時の動き、隙だらけだったぞ。次はもっと詰めろよ」
「うっ、厳しい……」
佐藤が肩を落とすと、横から林がクスクス笑いを漏らした。そんな他愛ないやり取りが、みちるには心地よかった。あの夜の緊張と血の匂いを、こうして笑い合える日常が洗い流してくれる。
昼下がり、みちるがロッカーで装備を整理していると、廊下にスーツ姿の男が現れた。白銀大臣だ。彼女は慌てて敬礼するが、榊は柔和な笑みで手を振った。
「堅苦しいのはやめなさい、伊隅君。今日は個人的に礼を言いにきたんだ」
「閣下……恐縮です」
みちるは少し照れ臭そうに頭を下げる。
「あの夜、君がいなかったら、私は今頃どうなっていたか」
榊は真剣な目で彼女を見つめた。
「君の覚悟に、命を預けられたよ。ありがとう」
その言葉に、みちるの胸が熱くなる。警護の仕事は目立たず、感謝も少ない。それでも、こうして守った命から直接の言葉をもらえる瞬間は、何物にも代えがたい。
「閣下の安全が私の務めです。またいつでも、お任せください」
みちるはまっすぐ答えた。
榊は満足げに頷き、去り際に小さく呟いた。
「そうそう、風間透子のコンサート、延期公演が決まったよ。今度はちゃんと聴きに行きたいな」
みちるはくすりと笑い、「その時は私がしっかりお連れします」と約束した。
夕暮れ時、庁舎の屋上で缶コーヒーを片手に空を見上げる。遠くで電車の音が響き、東京の鼓動が感じられる。クーデターの影はまだ消えないが、みちるの心は軽やかだった。守るべきものがあれば、どんな嵐も乗り越えられる――そう確信していた。
「さて、明日も忙しくなるかな」
彼女はコーヒーを飲み干し、夕陽に背を向けて歩き出す。警護課の戦いは、今日も静かに続いていく。
(完)