「「ごちそうさまでした」」
「・・・まーした」
センシがイヅツミの曖昧な挨拶を窘めた後、保存食を作ると言ってその場を離れる。
そして後に残った満腹感と疲労感によって、今日の行軍はここで終了という流れになった。
今は各々、食器の片づけの後、武器の手入れや、寝床の準備などの時間だ。
「ねえ・・・あなた」
「うん?」
振り返ると、そこにはもう一人の私がいた。
少し気まずそうに上目遣いになりつつ、彼女は小さな声で私に言った。
「さっきはありがとう・・・その、ミニ爆発魔法の話」
「え、ああ・・・どういたしまして」
他人から魔法を教わるというのは当時のマルシルからすると稀有な体験だったはずなので、それでも素直にお礼を言うのは偉いなあ、と他人事のように思ったりもした。
あるいは相手が自分自身であるが故に、思う所もあったのだろうか。
「あれ、どこで習ったの?」
「いや、あれはその・・・独学っていうか」
未来の知識です、と言うわけにはいかない。
どうにか誤魔化そうとして若干怪しい言い方になってしまったが、彼女は「ふうん」と気にした風でもなく頷いていた。
こうして面と向かっていると尚のこと、鏡と話しているみたいで、不思議な感覚だ。
そのせいか、どうにも途切れがちな会話。
若干気恥ずかしくて髪を弄っていたのが気になってか、彼女の目線がふと、そちらに移る。
そして彼女は言っていいものか迷ったような、少し戸惑いがちの声でマルシルにこう言った。
「・・・敢えてそうしてるんじゃなかったらだけど。その髪、整えてあげよっか?」
「え?・・・ああ」
つられて肩越しに自分の後ろを見やると、藁帚のように広がるぱさぱさとした髪先が視界の端を靡いていく。
確かにそれはかつてのマルシルからは考えられない有様だろう。
現役冒険者で迷宮に長く滞在せざるを得ないというのに、あちらの方がまだ髪に艶があるぐらいだ。
王国の親しい友人に時折やってもらうこともあるのだが、やはり自身で興味がない以上はこうした差もつくというもの。
そこへきて、他ならぬ自分の提案である。
その申し出は素直に、有難かった。
「お願い」
冒険に必要のないものは持ち込むな、とチルチャックにはいつも小言を挟まれていたものだ。
そのとき必ず槍玉に挙がっていた綺麗な櫛を手に、彼女は屈んだ私の後ろに膝立ちで座っていた。
そうしてマルシルの髪に櫛を入れながら、彼女はその通りの悪さを嘆く。
「髪は魔術師の命なんだから、もっと大切にしないと・・・なんでここだけ私と全然似てないの?」
いずれあなたもそうなるのよ、と言ってみたい気もしたがやっぱりやめておく。
ライオスの時は上手く事が運んだが、この安息が綱渡りであるということを忘れてはならない。
ただ次にふと彼女が口にしたのは、その懸念を煽るようなものだった。
「私なりに考えてみたんだけど」
「・・・何を?」
髪を梳く手の動きは変わらず、私は見えやしないと分かっていても目線だけで彼女の気配を追い、訊き返す。
そして、彼女は他愛のない雑談のように言う。
「あなたが何者なのか。または、ここが何処なのか」
マルシルはぎくりと肩が揺れるのを抑えられなかった。
その言い方はすでに核心に触れていると言っても良かったからだ。
彼女がマルシルのことを一から十まで本物と認められず、その正体について考えてしまうのは、当然のことではあった。
それに、とマルシルは思う。
彼女は理解の及ばない現象に出くわしたら、納得するまで探求し続けるような性格なのだ。
思えばライオス達とともに冒険者を始めたのも、色んな未知に出会いたいからだった。
歳月を重ね、身の回りに未知が少なくなってきていたせいで、マルシルは自身のそうした執着を忘れてしまっていた。
「結局、確信は持ててないけど、いくつか仮説があるの。聴いてくれる?」
「・・・・・・どうぞ」
当然いくらか逡巡が入ったものの、マルシルはそこで断るのも不自然だと思い頷く。
「まず、あなたが何も言わないのは、偽物だとか幻だとかじゃなくて、言えない理由があるんじゃないかって」
その通りなので、マルシルには是非もない。
「魔法とか、魔物・・・とその料理を見た反応も、すごく、私だった。それにあなた、ホントの事は隠すくせにウソもつかない。騙す気がないんだって思った」
研究者らしく、彼女は筋道立ててそれを補強していく。
「そう考えると、言えない理由は限られてくる・・・あのね、答えられなくていいから、ちょっと質問させて」
く、と櫛が少し引っ掛かって、止まる。
「あなたは未来から来た私?」
ごきゅ、と喉から変な音がした。
呻くことすら失敗して咳込む私の反応は、あからさまに隠すのが下手すぎる人のそれだった。
ただそれも知っていればゆえの目線なのか、彼女は私が荒唐無稽な話を聞いたから動揺したのだ、と思ったらしい。
「いやほら、だって、あなたは私なのに私の知らない魔術を使えるし、それになんか雰囲気が微妙に大人っぽい気もするし」
「ごほ、ごほ・・・え、ほんと?」
「・・・まあ認めたくは無いけど」
思わぬところで褒められて、つい頬が緩んでしまう。
振り向いてそちらを見ようとすると、彼女に「駄目」と頭を固定されてしまった。
そのまま彼女は言い訳のようにその仮説の先を続ける。
「だから遠い先の未来では、時間跳躍の魔法が編み出されていて・・・みたいな。長くて一日って時間制限もその限界かな?とか思ったりして」
「・・・」
当たらずとも遠からずといったところだった。
少なくとも、マルシル自身の素性についてはほぼそのままを言い当てている。
とそこで、彼女の声に少し期待するような色が混ざる。
「ほら、実際、未来の私の姿としては、突拍子もない話じゃないよね。だって将来の魔法で時を操れるなんてことになったら、きっと・・・」
私は彼女が何を言いたいのかが分かり、黙ってしまった。
その願いの行く先を知らず、それを今なお希望として抱き続けている彼女に、私は何も言えることがない。
彼女自身もその続きを言葉にするのは憚られたのか、誤魔化すように笑う。
「まあ、これは私が気づいちゃった時点で多分おかしな事が起きるから、ハズレなんでしょうけど」
そういうものか、と考えが追いついていないこともあってマルシルは素直に頷き、その話は一区切りとなる。
かなり正解に近いだけにどきどきしたが、彼女もそれ以上深く追求はしようとはしない。
本当に答えが出てしまうことを恐れているのは、私だけではないらしかった。
「仮説の二つ目。あなたは素性を隠して私のことを知ろうとしている、ハーフエルフの国の王子で・・・」
「えっ、ゴメンそれは無い」
「あ、そう・・・」
どうしてその発想に至った、とこの時ばかりは本気でマルシルは自分が分からなかったが、時が経てばそういうこともあるのかもしれない。
先程とは打って変わって真実に掠りもしてないのでマルシルは少し笑ってしまって、恥ずかしかったらしい彼女に、ぺし、と櫛で後頭部を軽く叩かれたりした。
「じゃあ気を取り直して・・・最後」
こほん、と咳払いを挟んで彼女は言う。
そしてその言葉は、ともすれば最初のそれ以上に強い響きを持って、すとんとマルシルの胸の奥に落ちてきたような気がした。
「これは私が見ている夢だ、とか」
ぽかんとして、マルシルは繰り返すように呟く。
「・・・夢」
「今日の迷宮も、魔物も、なんか変な感じだったし、夢ってそういうものでしょ」
と、彼女は言う。
「ちょっと前に、夢魔に襲われたんだって言われて、その時思ったんだ。目覚めるまでは、夢の中は自分にとっては変わらず現実の一部なんだって」
いくらなんでもリアルすぎるけど、と言葉を挟むが、彼女の言う通り、本当に夢を見ているならその感覚がアテにならないことも然りだ。
ただ、それを聞かされている側のマルシルとしては、不思議な気持ちだった。
お前は夢だと言われて、それを否定できる材料が自己以外のどこにもないことに、戸惑う。
それは自分が隠している真実を告げるべきか、彼女に対して心配したのと全く一緒だったからだ。
「あなたは私の夢に出てきた登場人物。私が夢見る、私の将来の姿。そう考えても辻褄は合うでしょ?」
「それは・・・光栄かな?」
「・・・これは別に褒めるつもりで言ってないから」
呆れたように言う彼女の声が聞こえて、マルシルは笑う。
「まあ何回か頬をつねってみたけど目覚めないし、分かんないけどさ」
結局、彼女はそう括った。
それは面白いけれど、どんなに思考を重ねても仮説の域を出ることのない類のもので、私も無言で頷くにとどめる。
この迷宮という場にはそれこそ人の夢に踏み込んでくる魔物や、魂の在処が曖昧な法則が存在している。
そんな中でそれを論じることに意義は薄く、またここが絵画の中である以上、深く踏み入るのも得策とは言えない話である。
ただそれで終わりとするには少し、勿体無いとも思った。
「これがもし夢だったら・・・良い夢だった?」
今日の偶然の邂逅、皆との会話、魔物との戦い、そして先程の晩餐を思い返しながら、マルシルは言ってみた。
夢に夢の感想を訊かれるなんて、そうそうない。
依然として後ろは見えないが、ややあって彼女が答えるとき、肩をすくめながらも笑ったのが分かった。
「まあね」
そうして暫し、沈黙が下りた。
部屋の隅でチルチャックがライオスにまた何か抗議しているのがなんとなく聞こえたが、その喧噪は不思議と遠く、まるでこの空間だけが切り取られたように静寂に包まれているような気がした。
気がつけば、櫛が髪に引っ掛からなくなっていた。
マルシルはふと既視感を覚えて、呟く。
「こうしてファリンにもやってもらったこと、あったよね」
「・・・うん。あの子、長い髪に憧れてるって言ってくれて」
そうだった、と昔を懐かしみながらマルシルは微笑む。
絵の中の私にとっても共通の過去である話題に、きっと彼女も同じ微笑みを浮かべている。
その親近感のせいで、つい現状を忘れて、マルシルは言ってしまった。
「ファリンのこと、よろしくね」
「・・・」
竜と同化してしまい、未だ迷宮に囚われているファリン。
その原因の一端は間違いなくマルシル自身にあって、当時の私はその責任感に苛まれていた頃だったと思う。
そんな彼女に、私がよろしくね、と言うのは少し、危うかった。
信頼から出た言葉ではあるものの、当事者はあなたなんだよ、と告げるのは、結末を知っている自身が何者なのか示唆するに充分なニュアンスを含んでいる。
櫛を動かす手が止まってしまったので、まずかったかな、とマルシルは唾を呑む。
どういう意味かと問われるかと思い、慌てて言い訳を考え始めるマルシル。
・・・しかし疑問を一度追いやったのか、それとも何かを察した上で、敢えて何も言わないのか。
どちらにせよ、彼女は訊き返す代わりに、ただ深い息を一つ吐いて。
次に後ろから聞こえたのは、自信ありげな、確かな決意を感じさせる台詞だった。
「もちろん」