『おおっと、そんな大声ではライオスたちが起きてしまうじゃないか・・・うん、これでよしと』
マルシルの絶叫にきょとんと眼を丸くした後、彼はすました顔で頷いていた。
『さて。私からするとそうでもないが・・・きみには多分、久しぶりの再会なのだろうな。うん。元気そうで何より』
「なっ・・・なんっ・・・」
二の句を継げないでいるマルシルをよそに、彼・・・翼獅子はその背の翼をばさりと一度羽ばたかせて、優雅に座り込んでみせる。
『そう驚くこともないじゃないか。今しがた、きみが連想した通りのことが起きただけさ』
「・・・それって」
『そう、私はきみが迷い込んだ絵に描かれている翼獅子だよ』
終いには呑気にあくびなどしてみせつつ、彼はなんということもないように言った。
翼獅子。
この時代では迷宮の主、狂乱の魔術師シスルの傍にいるはずの、その魔力の源にして、魔力そのもの。
そして絵画の外の世界ではとうの昔に迷宮と共に消え去ったはずの存在が、今は何故かマルシルの目の前にいた。
「っ・・・あなた、私の事・・・」
『もちろん分かるとも、生ける絵画に迷い込んだ御客人・・・それがきみだったというのは流石に驚いたが』
マルシルはようやく最初の衝撃をやり過ごしたところで、あっけらかんと言う彼の言葉をどうにか解釈しようと試みる。
彼はここが生ける絵画の中であることを把握している上に、自分のことを『描かれている』と評した。
「・・・じゃあ、あなたも翼獅子本人じゃ、ない?」
『御明察』
うんうん、と頷いて翼獅子は言った。
『本来の私はまだシスルによって本の中に封印されている・・・ここにいる私はこの再現の世界の登場人物ではなく、あくまで絵の一部。いわば裏方の存在だよ』
上の
この世界には翼獅子が二匹いる、という末恐ろしい事実を告げられたマルシルは顔が真っ青だったが、彼の方は自分がまるで無害な小動物であるかのように寛いでいる。
『嗚呼、きみが絵画の全体像を思い出してくれて良かったよ。そうでなければ、顔を出した途端きみに本気で攻撃されたかもしれないし』
彼はなんの衒いもなく種明かしをしてくれている風だったが、マルシルにはまだ分からないことの方が多かった。
「それで、なんで、今更、出てきたの・・・?」
『はは、なかなか寂しいことを言ってくれる』
目を細めて、翼獅子はそんな反応をした。
『姿を見せた理由は、もちろんきみと話したかったからだとも。そして何故今なのかは、ライオスたちが寝静まったから』
「・・・つまり、皆とは会いたくないわけ?」
『だって、ここで私が彼らに出会ってしまうと色々と話が拗れるだろ?』
そう言われて、マルシルは「本来の翼獅子」がどこにいるかを思い出した。
見る限り、自分の目の前にいる方の、「絵の翼獅子」は既に本から解放されている姿をしている。
ライオス達はこれからシスルの家で翼獅子が囚われている本探しをしようという段階なので、そうなってしまえば確かに、収拾のつかない事態になりそうだ。
『だから私はライオス達の前には姿を現さないんだ。描かれた何もかもが出ていっては滅茶苦茶になってしまうからね』
「・・・じゃあ今日、色んな魔物が襲いかかってきたのは、あなたの仕業?」
『まさか。きみたちが死んで私になんの得がある?』
心外だとばかりに翼獅子は目を丸くする。
てっきり自分が登場できない代わりに魔物を差し向けたのかとマルシルは本気で思ったのだが、どうやら違うらしい。
『あれはきみたちが本来描かれている場所から移動しすぎて、キャンバスの端っこ・・・魔物の集合絵の方にまで踏み込んでしまったせいだ』
あれには肝を冷やしたよ、と本当に心配していたかのように翼獅子は言った。
『むしろ・・・この絵には赤竜なんかも描かれていたはずだが、それが居なかったのは何故だと思う?』
うろ覚えだったが、確かに描かれていたような気がする。
赤竜は私たちが迷宮を攻略しようとした理由としては欠かせない要素であり、それが絵に描かれているのは自然だ。
そしてそれを明かす翼獅子は、なんだか憮然としていた。
『これは流石にまずいだろうと、出てこないように私が抑えておいたんだよ。恩を感じてくれても良いと思うのだが』
「う・・・」
こんなところで、あの地下迷宮オールスターみたいな魔物達に加えて竜まで出てきたらとてもではないが太刀打ちできなかっただろう。
「・・・それがホントなら・・・ホントに、ありがとう・・・ございます」
分かればよろしいとばかりに鷹揚に頷いてみせて、翼獅子はただの人懐っこい獣みたいな顔をして尻尾を振っていた。
『それで、きみは何故ここに迷い込んだのかな』
まるで世間話のように翼獅子はそう訊いてきた。
暫く迷ったものの、別にそれだけで何かされるわけでもないかと判断して、マルシルは答えることにする。
マルシルの事情を知り、ともすれば絵画の中の世界についてマルシル以上に詳しい者は貴重には違いない。
かいつまんで事の次第を説明すると、翼獅子は視線を上向けながらぼんやりと呟いていた。
『ふーん、画家か。この中には来ていないな・・・他の絵に迷い込んだ可能性は充分あるが』
「何か知ってるの?」
『私は絵の外の世界まで把握できはしないが、この絵を描いた人物のことなら多少は分かるよ』
なにやら誇らしげに顎を上げて翼獅子はそう言ってみせ、そのことを口にした。
『この絵の作者はこの国がまだ地下にあった時代の出来事・・・つまりは、この迷宮、そしてきみたちの冒険というものに大層魅力を感じていたらしくてね』
「そうなの?それは、光栄というか、まあ、うん・・・?」
『・・・恐らくきみたちは外じゃ英雄扱いされていると思うんだが、自覚はないようだね』
呆れたように翼獅子はそう言って、話を戻そう、と画家の素性について先を続ける。
『そして、まあ、その情熱が少々行き過ぎてしまったのかな。彼の描く絵はリアルで、生き生きとして、命あるかのように躍動して・・・そのうち本当に命を吹き込んでしまったわけだ。この絵はその一つだよ』
「それは・・・なんというか・・・人騒がせな」
人間の執着や想念が宿って生まれる魔物というのは確かにいるが、そのような経緯で生ける絵画が誕生するのは聞いたことが無かった。
ライオスなら知っていたのかな、などと考えて、そういえばと絵画に取り込まれた時の疑問を思い出す。
彼が治めたこの国では、ある呪いによって魔物はすぐに逃げ出してしまうはずなのだが、これはあくまで絵画。
その場に生まれてしまったこの魔物は、かといって動けもせずにそこに留まるしかなかったのだろう。
そもそも自我らしいものがあるのか今一つ不明瞭な存在だが、少し可哀想な気がしないでもない。
『ちなみに、その画家が頭に思い描いていた狂乱の魔術師というのは、実際の本人とはだいぶ違った・・・なんというか、いかにもな老翁の魔術師でね。シスルの数倍は狂乱しているから、他の絵画に描かれているなら気をつけた方がいいかもしれないな』
「・・・・・・」
あのシスルからさらに悪化しているなどと言われては、どんな危険人物なのか想像したくもない。
もしそんな絵を見つけたら絶対焼いておこう、とマルシルは心に決めたのだった。