「ちょ、ちょっと待って?」
突然の申し出にマルシルはまったく理解が追いついていかない。
しかしファリンによく似た女の子は、そこでマルシルの思考を待ってはくれないところまで似てしまっていた。
「お姉さんも魔術師なんですよね?」
「え、うん・・・どうして?」
「いま、魔術学校の出だって。それにその杖、すごい魔力だから」
「ああ・・・へえ・・・?」
一応の納得のあとに、感心が追いついてくる。
マルシルが外出の際は肌身離さず持ち歩いている、アンブロシアと名のついた杖・・・祖は世界樹にまで繋がる植物から成るその杖は、魔術の触媒として長年マルシルが魔力を込めて育て上げてきた相棒だ。
まだ幼い身でその杖の内にある力を感じ取っているのならば、すでにそこには光るものがある。
「あたし、魔術師になりたいの。でもまだ学校じゃ教えてくれなくて、それで・・・」
「・・・なるほどね?」
フィオニルが言っていたように、異種族で同じ学習というのは難しい。
それは寿命に比した年齢差を考慮した上で学年を揃えているとしても然りで、エルフの子供が習う魔術を皆学べというのは無茶だし、ドワーフのような鉱石に対する審美眼を養えというのも無理な話だ。
故に、特にこういう当人の資質が響く学問については、この学校では教える分野にないのだろう。
「フィオニル先生も昔は魔術師だったって、聞いたんですけど」
「人に教えるほど上手じゃないって言われた?」
「・・・はい」
いかにも彼女が言いそうだ、とマルシルは微笑みつつ、現実的な問題もあることを察する。
個人的に魔術を教えるとなれば、彼女の立場では依怙贔屓だとかそういう風に見られてしまう可能性もある。
それを避ける上手い言い訳というわけだ。
「じゃあ・・・年の近い子で、魔術が使える子って居る?」
「・・・トールマンでは、いません。もっと大人になってからって」
種族別の魔術の適性で言えばトールマンは極めて苦手というわけでも、得意というわけでもない。
そのため素質はもちろん興味や関心が必要で、自ら学ぼうとしなければ大人でもおよそ触れる機会はないと言える。
一方ノームやエルフは精霊との関わりが深く、魔術そのものが暮らしに結びついているようなところがあるので、大なり小なり誰もが使えるという感じだ。
女の子の僅かに不貞腐れたような言い方からするに、その辺りも少しコンプレックスに感じているようだった。
「そっかぁ・・・」
しみじみと呟いて、マルシルはゆっくり頷いた。
出会って数分というところで縋るように頼み込んできた必死さから、女の子の苦悩が伝わってきた。
どうして魔術師になりたいのかとか、まだまだ聞きたいことはあるが、ここまでの問答でもある程度の事情は分かる。
それに、そうした技術や知識への渇望というのは、マルシルにもよく覚えがあるものだった。
尤もマルシルの場合は現代で使われるものにも留まらず、黒魔術とも呼ばれる禁忌・・・古代魔術へと踏み込むもので、今や余人が聞けば狂気だとか言われそうな類の欲求だったが・・・どうあれ。
もしそれを知ることが出来たらという期待と焦りの感情は、今の彼女が抱いている想いによく似ているように思えた。
そういう親近感が湧いたのもあって、マルシルはひとつ、決めることにする。
ここで出会ったのも何かの縁。
「あのね、聴いてくれる?」
屈みこみ、目線を合わせるマルシル。
神妙にこくり、と頷く女の子。
「魔術は確かに便利で、凄くて、使えたら面白いことがいっぱいできるけど」
一瞬女の子の眼が輝くが、指を一つ立てて、マルシルはそれを説いた。
「でも絶対に忘れちゃいけないのは、危ないものでもあるってこと。もし使い方を間違えたらあなたや、あなたの周りの人が怪我をするかもしれない。いい?」
魔術学校でも教科書の一頁目に書かれており、一番初めに習い、その後も耳にたこが出来るほど聞かされる決まり文句だった。
「それにまずはフィオニル先生や、親御さん・・・あなたのお母さんやお父さんに訊いてみないといけないの」
現実的な話をされて、女の子の前のめりだった姿勢がゆっくりと戻っていく。
「だからここですぐって訳にはいかないし、色々な事情でやっぱりダメだってなるかもしれないけど・・・」
そこで女の子は俯いてしまうが、マルシルは微笑んで言った。
「でも、もし良かったら、私はあなたに魔術を教えてあげたいって思ってるよ」
「ほんと?!」
顔を上げて期待の眼差しを向ける彼女に、マルシルは確と頷いてみせたのだった。
あとでフィオニル先生のところへ戻ったらこの話をしよう、とマルシルは彼女と約束をして頷き合った。
確約はできないが、それでも前向きな展望になったおかげか、女の子は嬉しそうにしていた。
分かりやすく燥ぐのではなく喜びを噛み締めるようにぎゅっと拳を握っているが、しかし体全体が弾んでいて隠しきれていない感じが微笑ましい。
と、そこでマルシルは授業のことを思い出し、ふと気になって、覗き込むように彼女が座り込んでいた茂みの奥を見やる。
「ところで、今って自由課題をやってるって聞いたんだけど。こんなに遠くで何してたの?」
まさか独学で魔術の練習を、と心配したのだが、彼女は慌てて首を振った。
「ううん、これは違うの・・・えと、違わないかもだけど」
「ん?」
場合によっては叱られそうな気配を敏感に感じ取ったのか、首をすくめて彼女は呟く。
「・・・土を調べてたの」
「土?」
オウム返しに訊くと、彼女は片手に持ったままだった細い枝を弄りながら言う。
「この辺りね、他よりも・・・ちょっとだけ魔力が濃いような気がするの。それでなんでかなって・・・今すぐ魔術はダメでも、そういう場所の・・・花とか、木とかの観察日記が書けたらって」
「ははぁ・・・」
言われてみれば、という程度に、確かにこの一帯にはそれらしき気配がある・・・ような気もする。
それを感じ取っているのも然ることながら、彼女なりに一歩ずつ進もうと考えていた事に感心して、マルシルは深く息を吐いた。
確かに自由研究としては悪くないテーマだ。
「ん、分かった。でもこの林の奥とか、あっちの川や畑の方には行っちゃダメだからね?」
「うん」
多分大丈夫だろうとは思ったが一応そう忠告しておきつつ、マルシルは改めて周囲を見回してみた。
ここは国の中心地から少し離れていて、メリニが国ともいえない辺境の島だった頃は、地底・・・というか海に沈んでいた地域に位置している。
本来、空が見えるような開けた場所に魔力の流れがあるのは極めて稀なのだが、そのことを加味すると、良くも悪くも考えなければいけないことが増えてくる。
林と反対側の丘を見渡して、マルシルは遠い目をしていた。
「この国は色々あったからなぁ・・・」
半ば独り言だったのだが、そこでまたも問いかけてくる声があった。
「お姉さんって・・・もしかして、ダンジョンのこと、よく知ってる?」
「え?」
視線を戻すと、女の子は再び興味深そうに淡い光を返す目でこちらを見上げていた。
今度は何故その推測に至ったのか本当に分からず、マルシルはやや動揺しつつも訊き返すことになる。
「ど、どうしてそう思ったの?」
「えと・・・
と返事はそんな子供らしい回答。
「でも聞いたの、大昔はこの国にダンジョン・・・迷宮があって、フィオニル先生もその中を冒険するのがお仕事だったって」
「ああ~・・・」
なんという事を教えるのだと思わなくもなかったが、なるほど読み聞かせの題材にはそれ以上のものもない。
そしてフィオニルとの共通点として、ならばマルシルも元冒険者なのではと推察するのも納得だった。
「そうだよ。私と先生が初めて会ったのも、その迷宮の中なの」
「わぁ・・・」
実のところ、エルフの昔話というのは大層子供ウケが良い。
なにしろ「むかしむかし」のスケールが違うし、他ならぬ当事者の言なのだからリアリティもお墨付きだ。
「そしてこの辺りの土地はその頃、その迷宮の一部だったの。魔力を感じるのも・・・多分そのせい、かな?」
「ふーん・・・?」
そして魔力があるところには魔物が寄りつきやすいのだが、それもまた別の要因でこの国には当てはまらない。
そういう諸々の特異な背景があるので、彼女の自由研究は大いに意義があると同時に、他の地域はあまり参考にならないだろうという難儀な課題になりそうだった。
「あのね、あたし、いつか行ってみたいの。ダンジョン」
「・・・!」
マルシルは息を呑んだ。
彼女には何度驚かされるのだろうか。
「・・・どうして?」
「フィオニル先生・・・と、お姉さんみたいな、魔術師で冒険者だった人みたいに・・・そこになにがあるのか、冒険して、見てみたいなって」
そこは言語化するのが難しいのか、恥ずかしいのか、やや尻すぼみになりながらもそう答える彼女。
それを聞いてマルシルは目を丸くしつつも、不思議と共感を憶える。
そして、嗚呼、と思い至る。
ここまでマルシルは、彼女をどことなくファリンに似ている子だ、とばかり思っていたが――――少し、違った。
その内に秘めているものは、あるいは、ともすればそれ以上に、むしろ。
私に似ているのだ。
「・・・よし、わかった」
「?」
決意を固めたマルシルの言葉に、女の子はきょとんとする。
もちろん、危ないのでダンジョンに連れて行くとかそういうことではない。
ただマルシルが出来ることとして、一つ思いついたことがあったのだ。
しかし今それを彼女に教えるのも憚られ、マルシルは誤魔化し笑いと共に、代わりに純粋な気持ちを伝えることにする。
「魔術がどうこうとは別に、そのテーマ、私もすごく興味でてきた!」
「ほ、ほんと?」
「もしよかったら、発表の時も見せて欲しいな」
「うん・・・じゃなくて、はいっ」
と、そこで、遠くからくわんくわんと不思議に揺れる、古びた鐘の音が聞こえてきた。
何故かどの地方でも変わらない、学校のチャイムの音色である。
気がつけば話し込んでいるうちに、フィオニルと約束した授業の終わりの時間になってしまっていた。
マルシルは曲げていた膝をやや労りつつ、立ち上がって、彼女に微笑む。
「もう時間みたい。一緒に戻ろっか」
手を伸ばすと、女の子は破顔して元気に頷き、その手を繋いだ。
思わぬ出会いだったが、この僅かな間に、この子とは不思議とずいぶん分かりあえたような気がする。
そうして二人は並んで丘を下り、フィオニル先生が心配そうに辺りを見回していたところへ、手を振りながら合流するのだった。