後日。
マルシルは郊外のそのまた外れ・・・王国の体を取り戻したメリニが大きく広がってからもなお、敢えて開拓されなかった地域へと足を運んでいた。
「ふぅ・・・よっこいしょっと」
そこは見上げんばかりの巨大な樹木が屹立する、深緑の土地である。
一方でそれらの巨木は不思議と等間隔に生えていて、程よく他の植物の生長を阻害しており、森と林の中間ぐらいの様相を呈している。
そしてそうした樹の足元、空いた空間には、木の根に絡まるようにして人工物がまだなお残っていた。
風化しかけの石でできた壁や石像、すっかり錆びついた金属の歯車や燭台など。
それらはかつて迷宮の一部だった欠片。
そこは少し前の話で行方不明疑惑のあった例の画家が呑気に散策していたという場所と同じ、かつて迷宮だった遺跡群が残されている一帯だった。
「ちょっと久しぶりかも」
木の根をまたぎ、くぐり、乗り越えて、マルシルは見晴らしの良い所まで辿り着いた。
ここに来ると冒険者時代のことを思い出して、ついつい感慨に耽ってしまう。
そうしたひとときは決して嫌いではないのだが、するとその日の仕事が手につかなくなってしまうので、マルシルは特別に用事がある時以外――――あるいは全く用事がない時以外は、この辺りを訪れないようにしていたのだった。
メリニがまだ小さな島だった頃の痕跡は急速に風化しつつあるが、マルシルはまだそこかしこにその名残を見つけられる。
それは勿論マルシルがその目で過去の光景を見ているからということもあるが、この辺りは特に、わざとそれらが残るように人の手がほとんど入れられていないからでもあった。
例えば。
「・・・げ、あれテンタクルスかな・・・」
進もうとしていた先にある巨樹の隙間に奇妙に蠢く蔦をみとめて、マルシルはげんなりとした。
神経毒を含む刺胞で動物を捕らえ養分にしてしまう恐ろしい植物で、広義では魔物の分類にあるこの森の厄介者だ。
そう、この森には未だ魔物が生息しているのである。
メリニの領内で魔物による被害が極端に少ないのは、ひとえにライオスのおかげと言って良い。
後に「メリニの魔物除け」と呼ばれるようになったその力は、島から王国に戻ったその日から王の目の届く範囲、そして後々には彼がこうと定めた範囲一帯に強力な効果を及ぼしていた。
おかげでこの国に住まう人はおおよそ魔物の脅威に晒されずに済んでいる。
しかし一方でそれは国土全てを覆ってはおらず、この森のように例外もある。
それは効果範囲に限界があったとかではなく、必要に駆られて、あえてのことだった。
・・・魔物が全く居ない国というのは、それはそれで問題があるのである。
魔物を知らずに育った人間が、国外で生きていけるだろうか。
危険のない環境はただそれだけで危険だ、という言葉があるように、魔物と魔物除けの関係も然り。
脅威を完全に忘れ去ってしまえば、その対処を必要としない者達はむしろ脆弱になってしまうのである。
故にこの国は魔物を根絶できるほどの手段があったとしても、それで以て国土全体を漂白することまではしなかった。
そしてもう一つの理由は・・・当時の王のたっての希望というか、願望によるもの。
悪食王とまで名のついていた彼は、魔物のことを知りたい延長線上で、魔物の味をも知りたがっていた。
魔物は王を避けるようになってしまい前者は難しくなったのだが、流石に食材になった後まで避けることはない。
なので彼はせめてもの慰めにと、魔物による被害は減らす一方で、少しでもその存在を感じられる状態を欲した。
あえて魔物除けが施されなかった地域では、魔物を使った酪農や畜産業の試みが行われているのだった。
先日お邪魔した学校の給食の様子を見るに、それは概ね成功していると言って良いのかもしれない。
昔と比べれば、この国における人と魔物の関係は大きく変わっているのだった。
「実際、一歩外に出たらこれだもんね。魔物除けは健在か」
マルシルは蠢く植物たちに文字通り絡まれないよう、慎重にそれらを避けて通り、ほかの動物系の魔物の鳴き声がする方にも近づかないようにしつつ、目的地を目指していた。
マルシルは辺りを見回しながら、やや癖になりつつある独り言を漏らす。
「この効果もいつ切れるのかと思ってたけど、ほんとに心配なさそうね」
ライオスが置いて行った品々が安置されている場所、そして彼が治めた国土周辺に至るまで広がっている『魔物が近づこうとしない』という性質はもはや周知の事実となっていたが、一方、それが何故なのかまでは知られていない。
周辺諸国もそれが如何なる原理に因るものか躍起になって調査しようとしているが、今のところ成果は出ていない様子だ。
ただそのせいでかつてライオスが身に着けていたものやらなんやらは今やなんにでも「聖」という字が頭についていて、マルシルからすると何かの冗談にしか聞こえない。
しかしその魔除けとしての効力は折り紙付きだというのだから、現代では彼がほとんど崇められているというマルシルにとっては妙にむず痒い現状にも、きちんと実があるというのがまた始末に負えない。
「しかもその効果、悪魔の呪いが正体だってオチもついてるんだよね・・・」
どこが聖なる力なんだか、とマルシルは変な笑いがこみ上げてくる。
マルシルの記憶にあるライオスと、国民が思い描く先王の人物像には天と地ほどの乖離があるのだった。
「暴露本でも出版したら売れるかな・・・なーんて」
一瞬そんな邪な考えが浮かび、実際そうしたらまず面白いことになる予感もあったが、マルシルはすぐその案を没にした。
実のところ、今に語られる彼の名誉と功績は多分に脚色されてはいるものの、割と事実に沿っている。
手段や行動原理こそアレだったが、それらがもたらした結果に偽りはないからだ。
そこにわざわざケチをつけるような隙も理由もない。
それに、それはそれとして。
知人が称えられているのは、思いのほか気分が良いものだった。
そういうわけで、諸々の事情でこの辺りには魔物はいるのだが、マルシルにはそれらを回避する術がある。
冒険者時代に培った経験と、自分なりの獣除けの魔術があれば、あとは油断さえなければ特に問題もない。
故にまだ物思いに耽っている余裕もあったのだが、しかし。
がさり。
と、突然近くで草葉が擦れる音がした。
「おい、エルフだぞ!!」
マルシルが驚いてそちらを見やるのと、何者かの注意を呼びかける声が上がったのが同時。
そしてマルシルが気づいた時には、そこに大きな人影があり、その手にある槍が眼前に突きつけられているところだった。
「・・・え?!え?!」
「ここは俺達の土地だ!!すぐに出ていけ!!」
事態をすぐには吞み込めず、条件反射的にバンザイのポーズで降参の意を示すマルシル。
混乱の数秒では、叩きつけるかのように強い口調で詰問してくる相手が、どんな風貌なのかがようやく分かった所だった。
そこにいたのは茶褐色の屈強な肉体を持つ大柄の亜人種・・・オークだった。
猪に共通する特徴を持つオークは、部分的に魔物に近しいところがあり、亜人と類される。
かつてはメリニの迷宮内にて独自の文化を築いており、外敵として冒険者を率先して排除しにかかる彼らと、探索の障害として討伐対象にする冒険者とで対話不能な敵対関係にある種族だったが、紆余曲折あって、この国においては同様に国民として扱われていた。
が、今、目の前にいるオークは敵意全開で石槍の穂先を突きつけてきている。
「あの、ちょっと?!なんで出て行かなきゃ駄目なの?!」
「黙れ!エルフが来て良かった試しがあるか!?」
ぐいと鼻先まで槍が近づいてきて、マルシルの両手はさらに天高く真っすぐ伸びる。
有無を言わさぬあまりの強勢で、マルシルは本気で命の危機を感じた。
しかしそこで、また別の声がした。
「兄者、逸るな」
がさ、と再び音がして、今度はやや色の薄い体毛をしたオークがもう一人現れた。
そういえばこの兄者と呼ばれた方のオークの第一声は、エルフがいると何者かに知らせる台詞だったとマルシルは思い当たる。
見るからに血気盛んな兄者と呼んだ方のオークに対して、頭を掻きながらやってくる彼には、ややくたびれたような落ち着きがあるように見えた。
「訳ぐらい聞いてやっても良いんじゃないか」
と、弟とおぼしきオークが窘めるように言う。
「・・・うるさい、怪しきは排除に限る。先代からの教えだろう!」
推定兄のオークはやや面倒そうな顔で推定弟の方に視線をやったが、それでも意思は曲げる様子はない。
が、その僅かな気勢の緩みがチャンスだった。
「もはや問答無用――――」
「ちょおっと待ったぁ!!」
マルシルの渾身の大声に、オーク二人は一瞬にせよ気圧されていた。
その隙を逃さず、マルシルは素早く懐から一枚の羊皮紙を取り出す。
「これこれ!これ見て!」
そして丸めたその紙をくるりと伸ばし、オークの鼻先に突きつけた。
「あん・・・なんだ?こんな紙っぺらがなんだって・・・」
「待て、兄者」
兄者のオークの方は全くそれを意に介さない風だったが、やや強めの制止が入り、む、と唸る。
そして弟者のオークが進み出てきて、元から小さくつぶらなオークの目をさらに細めてその紙の内容を検めた。
「・・・こりゃ『外轄地交流許可証』だ」
なんだそれは、と兄者ははじめ怪訝な顔をするも、弟者の次の説明でその顔色も変わった。
「族長がしきりに言いつけていた・・・これを持ってる奴は殺したりするとマズい」
「なに、族長が・・・?」
「この国でも俺達の味方になる奴しか持っていないらしい」
「・・・・・・エルフだぞ?」
人種差別も甚だしい呟きだったが、それだけエルフとオークの間にある亀裂は深いのだ。
疑問形ながら一応呑み込んだだけまだ進歩というところだろう。
「ねえ、あなたたち、この森か、この先の遺跡に住んでる部族のオーク?」
「ああ」
「・・・だからどうした」
なおも反抗的な兄はさておき、まだ話の通じる方と見受けた弟に頷いてみせて、マルシルはようやく相互理解が出来そうだと安心する。
ここでの遭遇は予想外だったが、この一帯にオークが住んでいること自体は、マルシルは知っていたのだ。
先程取り出して見せた『外轄地交流許可証』の
「じゃあこれ、何か分かる?」
そして次にマルシルが取り出したのは、念の為持ってきていた、まさにこういう時のための物。
大切にそれを収めているガラスケースを開けて、マルシルは二人の前に差し出して見せる。
片や興味深そうに、片や胡散臭そうにオークたちはそれを覗き込んだ。
「・・・骨?いや、これは・・・!」
「おい、こりゃあ・・・」
一見して謎の物体でしかないそれを見やった後、すんと鼻を鳴らしたところで、今度は兄の方も目を剥いた。
「族長の角飾りじゃないか?!」
「まさか・・・本物か?!」
それはだいぶ古びてはいるものの、彼らの部族では紙ぺらなどより、よほど重要で強い効力を持つ代物だった。
かつての族長が作らせた骨細工で、部族を越えた最上級の信頼の印として扱われるものである。
正確には本当に友誼を結んだと言えるライオスに贈られたものだったのだが、今はマルシルがそれを預かっているのだった。
これがあれば、彼らの間では少なくとも「賓客」として扱われる。
怪しい侵入者としての扱いから一点、信じられないという風ではあったがそれでも一目置かれたのを確認して、マルシルは落ち着き払って告げた。
「こほん。私はメリニ王国顧問魔術師、マルシル・ドナトーです。つまり貴方達の御先祖様の恩人。おっけー?」
顔を見合わせる兄弟。
許可証だ、王国だ、魔術師がどうだという所は彼らにとってはどうでも良いことだろうが、義理と人情、そしてそれらと同様に世代を超えて重んじられる族長の権威は彼らにも有効だったようだ。
また国が適宜発行する紙とは違い、この飾りは当時作られたこの一点しかなく、それを持つエルフとなればその素性は自然と限られる。
「あっ!!」
期待通り、弟の方がそれに思い当たり、マルシルが何者なのかを察してくれたようだった。
「あんたがあの伝説の・・・」
ふうんオークの間でも伝説なんだ、とやや照れるが悪い気はしないマルシルが気持ちふんぞり返ったところ。
「『狂乱の人食い耳長』か?!」
「違うが?!!」