「う~ん・・・このぐらいかな?」
袖で額の汗を拭いながら、マルシルは長らく屈めていた腰を伸ばした。
そこには備えてきた革のベルトに、大小いくつかのガラス瓶がぶら下がっている。
「やっぱり地下構造はほとんど地表と一体化してるし、残りは崩れて埋もれちゃったみたいね」
過去に何度も行われた調査と同じ様子を見て、マルシルは分かってはいたものの、と嘆息する。
オークの集落のはずれもはずれ、迷宮跡地でも隅の方に位置する場所である。
そこはやや地面が陥没していて、よくよく見ればその一帯は他と色合いも微妙に違っているし、草も生えていない。
土も柔らかいためにオークたちはここに何かを建てるには適さないと判断したらしく、半ば放置されている形だった。
「多分、第一層だった場所・・・だと思うけど」
軽くあたりをつけながらも、マルシルは腰に手をあてて首を傾げる。
当時の迷宮は、崩壊する直前にも出鱈目に構造が変わったために――――実のところそれはマルシルのせいだったりするが――――いずれにせよ今となっては全く原型を留めていないので推察するにも限度がある。
地質学者でも呼べばより詳しいことが分かるのかもしれないが、と思いつつ、マルシルは結局首を振った。
取り急ぎマルシルの目的としてはそこまでは必要ない。
「自然にできた環境とは違うけど、残留魔力も充分。これならいい感じにできるはず」
本当は天然の迷宮のようなところが良かったのだが、思いつきで足を運ぶには流石に危険に過ぎるので妥協案としてここを選んだマルシルである。
それでも一通り満足いく結果が得られたので、マルシルはうんうんと頷いてその場を後にすることにした。
此処を教えてくれたオークの族長や、その族長に引き合わせてくれたオーク兄弟にも感謝せねばならない。
「・・・そういえば、大蝙蝠のお肉の処理をするって言ってたっけ」
帰途、迷っても困るので元来た道を辿ろうとすると必然、オークの集落の中を通り過ぎることになる。
マルシルはそこでオーク兄弟がどこに行ったのかを思い出した。
本業が狩人らしい彼らはすでに帰宅している可能性もあるが、ひょっとするとまだ調理場にいるかもしれない。
族長から許しを得られたことだし、様子を見に行っても良いのではなかろうかとマルシルは思い立った。
マルシルとしてはもう一度会って、無事用事を済ませることが出来たことのお礼を伝えておきたかった。
「こっちかな?」
なんとなく良い匂いがする方へとつられていくマルシル。
果たしてその嗅覚は正しかったようで、横倒しになった一際巨大な樹木があり、その洞がそのまま調理場になっているらしかった。
真上に伸びた大きな枝の先端から煙が立ち上っているが、どうも内側をくり抜いて煙突代わりにしているらしい。
一方、横合いに開けられたいくつかの穴には暖簾がかけられ、その隙間から山積みになっている肉が垣間見えていた。
マルシルが恐る恐るそこをくぐって中を覗くと、案の定、そこで何かの生地をこねているオークと目が合った。
「・・・あん?なんだい?エルフ?」
恐らく妙齢の女性らしいオークが怪訝そうに呟いた声で、近くにいた別のオークも気がつく。
「あー。あいつらから聞いたよ、客人らしいぞ。族長公認」
「へえ・・・エルフのねえ・・・」
彼女らはただ珍しいものを見たという反応だったので、マルシルも少し気を緩め、応じた方のオークへと問いかける。
「あいつらって、兄弟の二人のこと?」
「ん?おう。あっちに居るぞ。肉の漬け込みを任せてる」
「ありがと・・・えーと、ちょっとお邪魔してもいいですか」
片眉を上げて相方と顔を見合わせてから、こちらを向き直った時には肩をすくめて見せるおばさんオーク。
「まあ変な真似さえしなけりゃ・・・いやちょっと待て、アンタ泥だらけじゃないか」
「あ」
「ここは食いもんを扱う場所だよ、あっちで洗ってきな!」
「ハイ、スミマセン・・・」
尤もなお叱りを受けて、すごすごと出直すマルシルだった。
「ん・・・ああ、さっきの。用事は済んだのか」
「うん。おかげさまで」
気を取り直して踏み入った厨房、その隣部屋の一角で、兄弟オークは肉の保存作業に従事していた。
マルシルの来訪に気がついた弟オークがそう声を上げて、マルシルは頷き返す。
振り返った兄オークはじろりとこちらを一瞥し、鼻を鳴らすだけ。
お返しとばかりにマルシルもふんと鼻を鳴らしてやってから、彼らがやっている仕事にふと目をやる。
大蝙蝠の肉を切り分け、たっぷり塩をまぶして樽や壺の中に漬け込む。
あるいは香草と一緒に詰め込んでいたり、甘辛そうな匂いのする油に浸していたりするものもあった。
赤に橙に黄と、全体的にやや偏った色彩の光景ではあったが、鼻孔をくすぐるその香りに、マルシルは思わずごくりと喉を鳴らしてしまっていた。
「・・・美味しそうね・・・大蝙蝠だって知らなければ」
「そうか?味付けはオーク好みだろうが、大蝙蝠自体そう珍しい食材でもあるまい?」
「・・・・・・そうかな・・・そうかも」
この国の食文化の変遷を見てきた身としては、もうそれには言い返せない時代だとマルシルも認めざるを得ない。
大蝙蝠はまだ賛否ある部類だが、魔物を食すのは最早オークだけの文化でもないのだ。
それを聞いていた兄オークが、またも嘲るように鼻を鳴らす。
「ふん、エルフらしい古臭い感性だな」
「兄者・・・」
「大方、自分達の方が良いものを食べているとでも思っているのだろう。だからエルフは――――」
「ちょっと貴方ね」
ついに我慢ならずマルシルは口を挟んだ。
「口を開けばエルフエルフって。それこそ古臭いオークの考え方なんじゃないの?」
「何――――」
と、そこへ「ちょいと失礼するよ」と部屋の外から声がかかる。
見れば、先程のおばさんオークが暖簾をめくって顔を出すところだった。
彼女は兄オークの仕事の手が止まっているのを見てやや胡乱な目をした後、マルシルに向けてこう言った。
「ああ、御客人。これから飯の支度だけど、良ければアンタも食ってくかい?」
「なんだと!?」
兄オークが愕然としてそう声を上げたが、マルシルもまた驚いて問い返すところだった。
「え、良いの?・・・こほん、良いんですか?」
「お国の偉い人だってんなら、まあ、それぐらいの振る舞いはあって然るべきだろうさ」
たとえエルフでもね、という言葉がその裏にあったかどうか勘繰るのは邪推に過ぎるかもしれないが、おばさんオークは鷹揚に頷いてそう言った。
・・・ちょうど調味料の香りに囲まれ、食欲を刺激されてしまっていたところだった、というのもあって。
マルシルは厚意に感謝して、素直に頷くことにした。
「それじゃ、その・・・お言葉に甘えて」
「あいよ。二人とも、その肉いくらか使うから手伝いな」
「承知した」
「くっ・・・」
屈辱と言わんばかりに手にしていた肉を握りしめる兄オークを後目に、弟オークがボウル一杯の漬け込み肉を持って部屋を出ていく。
兄の様子をいつものこと、と弟がまったく意に介さない風だったので、ちょっとばつが悪い思いをしつつもマルシルもそれに倣って退出しようとしたところ。
「おいエルフ!話の続きは向こうでだ!!」
「わっ」
肩をいからせ、マルシルを無理矢理追い抜くようにして両手いっぱいに肉を担いだ兄オークが横切っていった。
置いて行かれるマルシル。
「・・・やっぱ帰ろうかな」
そんなぼやきを零しつつ、仕方なくマルシルもその後ろをついていくのだった。
――――所変わって、厨房にて。
「今日作るのは先祖代々伝わる秘伝のレシピの料理さ。さあコイツを
おばさんオークの鶴の一声と共に、兄弟オークに渡されたボウル。
そこには多分に水を含んだ乳白色の粉末が収まっていた。
強力粉、塩、砂糖、パン種と水が混ざったものである。
そして、忌々しげにそれを見下ろしていた兄オーク。
彼が苛立ち混じりにそれに腕を突っ込み、激しく掻き混ぜだしたのが開戦の合図だった。
がちゃがちゃがちゃがちゃ!
「エルフ!!」
「なによ」
いいかげん種族名で呼ぶのやめなさいよ、と思いつつマルシルは応じ、顎をしゃくって続きを促す。
はっきり言って、マルシルは兄オークが何に怒っているのかさっぱり分からなかった。
「俺達オークが受け継いできた歴史は、エルフとの争いの歴史だ!」
「はあ」
いったいいつの話をしているんだ、とマルシルですら思うのだが。
とはいえ、その感覚はハーフかつ、故郷よりメリニで過ごした年月の方が上回ったマルシルゆえのものでもある。
今とて西方のエルフだけの国で生まれたエルフと、どこかのオークだけの集落で生まれたオークが出会えば、対話という発想すら無いだろう。
そういう根深い問題だというのは分かってはいるので、曖昧ながら首肯するマルシル。
「我々がまだ地上ではなく地中で暮らしていた頃の話だ」
「どっかで聞いたような語り口」
「他種族との衝突を避けて迷宮内でどうにか暮らしていた俺達を、冒険者どもは魔物と同列に扱い率先して殺戮した」
「率先して迷宮探索の邪魔しだしたのは貴方達でしょ」
「挙句の果てにお前たちは西方エルフどもを呼び込み、ついには迷宮ごと滅ぼす勢いで侵略してきた!」
「そもそも私当事者なんですけど」
「黙れエルフ!!」
都度口を挟んでいたマルシルに食ってかかる兄オーク。
対してマルシルは依然としていまいちピンとこない。
その物言いは本当にどこかで聞いたような恨み節だったが、マルシルには「何を今更」でしかなかった。
もちろん種族間の亀裂は時間だけで埋まるようなものではないが、ことメリニの歴史に絡めるのならば話は違う。
彼が語ったその事実も受け入れ、清濁併せ吞んで、相互に理解を示したから今があるのではないか。
そうでなければ族長の態度はああではなかっただろうし、どこかでオークと元メリニ島民とで争いが起きていたはずだ。
が、兄オークは過熱していく怒気と共になおも吠える。
「今のこの国もそうだろう!!」
「え?」
その訴えにはついにまったく思い当たるところのなかったマルシルは、きょとんと首を傾げるしかなかった。
しかし、マルシルが「この人何言ってんだろうなー」と温度差のある態度をしていられたのは、次の台詞までだった。
「あらゆる種族が平等など謳っておきながら・・・西のエルフどもと結託して、俺達オークを隅に追いやっているではないか!!」
「――――はあ?!」
それは聞き捨てならなかった。
「ちょっと貸して!!」
「お、おう・・・?」
隣で黙々と作業していた弟オークのボウルを奪い取り、マルシルは袖をまくった。
ぐにぐにぐにぐにぐに。
だぁん!
猛然とそれをこね回し、ボウルの中で固体になりつつあるそれを勢いよく叩きつけて、マルシル。
「あのね、族長さんは分かってたから安心してたけど、やっぱり歴史のお勉強が要るみたいね!?」
「何を生意気な・・・!!」
兄オークが抗議しかけたのをマルシルはひと睨みで黙らせる。
次いで「ふむ」という相槌が聞こえたマルシルは勢い余ってその目つきのままそちらの方を向いてしまったのだが、その声の主・・・弟オークの方は対して、是でも非でもなく、ただ興味深そうに耳を傾けていた。
偏見こそなくとも、彼もまた外轄地の成り立ちについてはよく知らないようだった。
族長が言っていた通り、オークたちの今の世代は現状を親世代からの伝聞でしか知らされていないらしい。
マルシルの伝説がずいぶん邪悪に歪んでしまっていたように、そんな誤った認識が広まり得るのなら、ことによっては問題である。
偏った視点とはいえ曲がりなりにも事実を述べている、と認められなくもなかった過去の話とは違い、今もそうだ、などと言われる筋合いはない。
他ならぬ生きた証人として、そこは正さねばならなかった。
ぱしん!と生地をもう一度叩いて、マルシルは言った。
「良い?メリニっていう国が貴方達オークにとって何なのか、教えてあげるから!」