突如、浮遊感が落下感に変わったと感じた次の瞬間。
「へぶっ」
・・・マルシルは湿った石畳の上に落ちて、強かに顔面をぶつけていた。
「・・・ったぁ・・・」
鼻と額を押さえながら、暫く悶えて転げ回るマルシル。
一方で、その衝撃のおかげで、錆びついていた冒険者時代の感覚にスイッチでも入ったのか。
痛みに耐えながらも冷静に状況把握に努めようとする頭が、久しぶりにフル稼働していた。
不覚にも、生ける絵画に取り込まれてしまった。
通常、取り込まれれば最後、二度と抜け出すことは出来ずに一生絵画の中を彷徨うこととなり、良くて餓死、最悪発狂の後に自殺という害をもたらす恐ろしい魔物である。
しかし幸いにして、マルシルは人並み以上には魔術を習得している。
「・・・大丈夫、ちゃんと覚えてる」
こういった空間から抜け出す手段を確認して、マルシルは一先ず安心する。
それゆえ即、命の危機というわけではない。
が、とマルシルは現状にいくつもの疑問が浮かぶ。
王国の只中に何故、生ける絵画があったのだろうか。
メリニにはある理由で魔物が寄り付かないようになっているため、このような場所で魔物に遭遇するとはマルシルは露ほどにも思っていなかった。
それゆえに反応が遅れたのだが、行方不明になった画家というのも、もしや。
「・・・あれ?」
と、倒れた姿勢のまま思考を巡らせていたマルシルは、ふとした違和感で我に返った。
床にあてていた耳が、とたとたと断続的な、地面を通して響く微かな振動を捉えたのだ。
それは何者かの足音だった。
そして遠くの方で、自分以外の声がしていることにマルシルはようやく気がついた。
「・・・マルシル、なんか言ったか?」
「え?何も言ってないよ?」
「あれ?確かにお前の呻き声がさっき・・・」
「私にも聞こえた。というか、あっちからしたぞ」
「ええー、やめて、怖いんだけど・・・」
石畳の続く暗がり、曲がり角の向こうからそんな会話が聞こえてくる。
次いで複数人の足音が、徐々に近づいてくるのがマルシルにも分かる。
えっ、誰?
とマルシルは突然の恐怖に駆られて立ち上がり、慌てて杖を拾い上げた。
マルシルがいる通路は、声のする方で一度直角に折れているものの、見えている限りは一本道である。
その先が分かれ道でもない限り、その一団は間違いなく此方にやってくるだろう。
「壁に反響しただけではないか?」
「いや、声真似をする魔物というのもいる。各自警戒しながら進もう」
「その角を曲がってすぐだ」
次いで明かりが近づいてくるのが見え、マルシルは思わず相棒の杖を抱きしめて身構えた。
ここがどこかも分からない現状で、謎の集団と鉢合わせするというのは相応に怖い。
・・・それにしてもこの声、なんだか聞き覚えがあるような。
と、そこで、マルシルは生ける絵画の特徴を思い出した。
生ける絵画は自身の中へ生き物を取り込んで閉じ込めてしまうが、その中には描かれていた絵と同じ世界が広がっている。
そしてそこには場所だけではなく、人物も同様に登場する。
自分がたった今取り込まれた絵には――――。
「あっ・・・」
マルシルは曲がり角から現れた一人目の顔を見た瞬間、たまらず声を上げていた。
「え、こんなとこに人・・・ん?」
「うわっ」
「はあ?」
「ほう」
「あん?」
続々と顔を出した面々は、佇むマルシルを見て皆思い思いに困惑と驚愕の声を上げ、一様に目を丸くしていた。
マルシルは彼らをよく知っていた。
そして彼らもまた、マルシルのことを知っていた。
「・・・・・・マルシル?」
目が合って、その名を不思議そうに呼んだのは、その集団・・・パーティのリーダーである、トールマンの男。
ライオス。
かつて共に迷宮を探索した仲間たちが、かつての姿のままで、そこに並んでいた。
「うそ・・・」
思わず口に手を当てて、マルシルはかすれ声で呟く。
記憶と寸分違わぬ恰好の彼らが目の前にいる。
それはマルシルにとって他のことがどうでもよくなるくらいには、歓喜の想いが沸き上がる光景だった。
「ライオス・・・チル・・・センシ!イヅツミ!」
涙ぐみ、感極まって彼らに駆け寄ろうとしてしまうのも、仕方のないことだったと思う。
「みんな・・・!」
ただ、そのタイミングでのこと。
「ストップ!」
「っ・・・!?」
ライオスの思いのほか強い制止の声によって、勢いあまってつんのめりながらマルシルは急停止した。
動揺しつつ顔を上げると、3メートルほどの距離を置いて彼らはマルシルを見つめている。
マルシルの期待に反して、彼らの表情は険しかった。
なぜ、と思いかけたところで、マルシルは感激のあまり一瞬で忘れていたこの場所の本質を思い出した。
ここは生ける絵画の中。
迷宮探索をしているかつての自分達、その再現の世界にマルシルは迷い込んだのである。
となれば目の前にいるのはその頃の彼らであり、よくよく見ればその一団にはマルシル自身・・・かつての自分が、お化けを見たような顔でこちらを睨んでいる。
「うあ・・・」
そこまで考え、彼らの反応がいかなる理由によるものかを察して、マルシルはつい呻いてしまった。
彼らは自分のことを魔物か幻覚の類だと判断したのだ。
「そ、そっか・・・そうだよね・・・」
小さく呟いて、マルシルは二歩ほど下がりつつ、がくりと肩を落とした。
素直に再会を喜べないのはかなり悲しかったが、この当時のことを思えば無理もないか、と思う自分もいた。
イヅツミがすでに加入していることから察するに、丁度この時の自分達は迷宮に巣食う魔物やら罠やら植物やらによって姿かたちが変わったり、化かされたり、惑わされたりしまくっていた頃である。
そこへ新たに「マルシル」が急にもう一人目の前に現れたら、彼らとしては当然、こうもなろうというものだった。
感動の瞬間に冷や水を浴びせられたようでマルシルとしては大変遺憾だったが、仕方のない事態でもある。
そしてマルシルは努めて冷静を装い、彼らをこれ以上不安がらせないようにしなければならないとも考えた。
まずは、とにかく黙っていると怪しいかも、と、おずおずと口を開いてみる。
ただ突然の出来事にマルシルは正直舞い上がっていたし、彼らの態度に落ち込んでもいたし、感情の乱高下に自ら翻弄されてしまってもいて、要するに、考えがまとまっていなかった。
「あのう・・・こ、こんにちは」
久しぶりと言うのも変、初めましてというのも変、と却下していき最終的に口から出たのは、あまりにも普通すぎる挨拶で・・・結果的に、一番変な空気が流れた。
そして、喋る魔物は手強いという定説があったことをマルシルは今更思い出して額を押さえた。
「・・・」
とても残念な、しかし自分でも納得の結果として、彼らの警戒レベルが一段上がったのがなんとなく肌で分かった。