どうやら機械の天使に転生したみたいです 〜ぶっちゃけ人類は滅んでいるし天使と悪魔が戦争してるし最初からオワタ〜 作:鐘餅
あとはいくつかの番外編を挟んで第二章になります
※AIによる画像を挿絵として使用しています
――私、三条心羽の人生は、とにかく孤独だった。
最初のうちは良かった。
女狐は私に対して良くしてくれたし、優しかった。
この人なら良いかなと……そう思えるようになった。
やがてお⬛︎様と女狐の仲は深まり、二人は結婚した。
けれど一年後、お⬛︎様は病気になって死んでしまった。
今思うに、あの女狐が何かをしたに違いない。
すぐさまころっと本性を現したアイツは、瞬く間に家を乗っとり、私を冷遇するようになった。
私の味方をしてくれる使用人は皆辞めさせられて。
彼女にとって都合の良い人間だけが、代わりに働くようになった。
いつの間にか本家筋の人が女狐の愛人になっていた。
そうなればもう、そこは私の家であって、私の家じゃない場所になる。
周囲の花畑は荒れた。
財産を奪った盗人と、知らない人が、好き勝手にやっているだけの屋敷に、私が入る隙間なんて何処にもない。
しばらくして女狐と愛人の間に義弟が生まれたけど、私よりも優秀だったから可愛がられた。
私は空気のような存在になった。
学校では徹底的に無視された。
女狐の噂が立って、誰も私の相手をしてくれなくなった。
私は幽霊のような存在になった。
存在が希薄なった私は、やがてここにいるという実感を求めるようになり、思春期になる頃には、夜遊びを繰り返すようになった。
男遊びもした。
――妊娠した。
相手には逃げられた。
私はそこで何だか目が覚めるような気持ちになった。
どうしようと絶望した。
バレたら、流石に殺されるだろう。
赤ちゃんを、殺される。
嫌だと思った。
……目の前には一枚の通帳。
お⬛︎様がこっそり残して下さった、まだ女狐にはバレていない私の財産。
二千万は入っている。
それを私は握りしめて。
家から逃げた。
南へ逃げた。
暖かな場所で、私は子供を産んだ。
だからその子に、私は⬛︎⬛︎と名付けたのだ――
◆◇◆◇
――何だ、これは。
“それ”を見た時、ライラはそう思った。
天井に吊り下げられたエメラルの亡骸。
ついこの間まで話していた知り合いの、その無惨な姿に、ライラの心は大いに震えた。
そして、その瞬間それ以外何も目に入らなくなり、スローモーションのように時間が遅くなる。
元々、エメラルが脱走したと言う事実だけでも動揺していたと言うのに。
その衝撃は計り知れなかった。
「う――ぅう――」
胃がひっくり返るほど、気分が悪くなった。
口の中が酸っぱい。込み上げたものを必死に飲み込む。
頭が割れるように痛くなる。
プラリ、ぷらりと揺れる死体。その胸の傷口からぼたぼたと垂れる血。
見たくない。見たくない。見たくないのに。
それなのに、目を逸らせない。
この光景を、何処かで見たことがある気がする。
一体何処で?
それはここではない世界。
ここじゃない世界。
そうだ。
かつて遠く離れたところに、“自分”はいたんだ。
体を失い、心だけふわふわと、風船みたいに漂って、ただただあの子を
必死に必死に。それが心残りだから。
勿論、お空の向こうの神様はこっちにおいでと手招きしていたけれど、徹底的に無視した。
だってあの子には“自分”しかいない。
あの子はまだ小さい。
絶対見つけるのだ。絶対、絶対。
そして、何年もかけてやっと見つけた。
でも、あの子は息をしていなかった。
そこは古びた廃墟の中で。
埃っぽく、暗く、人など誰も寄りつかないような、そんな不気味な場所。
そんな寂しい場所で、天井から縄を吊り下げ、あの子は死んでいた。
見間違えるものか。少し大きくなっていたけど、確かにあの子の顔だった。
それから“自分”は……、“自分は”――
「――、――――」
(“私”は――何を――)
その途端、激情の嵐がぶわりと飛び出、内で吹き荒れるのを、ライラは感じた。
……これは何だ。一体何だと言うのだ。
そうしている間にも……、頭の中で映像が溢れてくる。
お⬛︎様との思い出が。女狐の憎たらしい顔が。義弟の見下すような目が。愛人の嫌らしい目付きが。学校で無視をしてきたクラスメイト達が。
あの子を愛した日々が。
思い出していく。記憶と感情を。
そうだ。
“自分”には――“心羽”には、あの子しかいなかった。
あの子だけが、光に満ちていた。
それがあの死を見た瞬間、すべてが反転した。
最早、それは黒々とした呪いの塊。どろりと粘ついた愛情の狂気。
それは子供を奪われたことに対する、“心羽”の憤怒だ。
それを自覚した瞬間。
……触れる。
……触れてしまう。
――憎しみに。
(あ――)
振り返った“それ”と目が合った。
「――――!?」
後退る。
いつの間にか目の前にあるのは、 “それ”
エメラルも見えない。他の天使達も。部屋の様子だってよく分からない。
ライラの視界は“それ”しか映してくれなくなった。
「――――」
そして、“それ”は至近距離で見つめてくる。
立ち上るように浮かびあがる、人影の姿をしたなにか。
でも、目なんて何処にもない。そもそも黒い布を全身に被っているみたいで、顔の部分は削られたように白くて何もない。
しかし、こっちを見ているのが分かる。
その虚な白い穴に、今すぐ吸い寄せられそうで、ライラは怯えた。
鳥肌が止まらなかった。
「!」
と――その時だった。
焦げ臭い臭いが、突如鼻腔をくすぐった。
それで一気に現実に引き戻される。
ぐわっと目の前が元の場所に塗り戻り、その反動で眩暈をしたかのような感覚に襲われる。
次には、目を見開いた。
吊り下げられていたエメラルの遺体が燃え付き、灰となってしまったからだ。
思わず息を飲んだ。
場は騒然となり、遺体に火を付けた犯人へ視線が集まる。
だがそいつはライフルを下ろし、少し怯えた表情ながら、前を向いていた。
まだ子供の天使だ。
肩までの銀髪。抜きん出た美貌。凛とした印象を与えるアイスブルーの目は、ライラと同じ色で――
(え、ニニ?)
喧嘩してしまったライラの弟、ニニだった。
「は――え……な、」
彼女は当然、何で、と口にしようとする。
だがそれより前に、ヴォルフの声が大きく響いた。
「そいつを捕まえろ」
その言葉を合図に、あっという間にニニを捕まえる天使達。
まるで分かっていたかのように、ニニは抵抗しなかった。
ただ、ああやってしまった、とでも言うように少しだけ笑って。
そのまま連れて行かれて、姿が小さくなっていく。
それを見たライラは穏やかではいられない。
ますます荒れ狂う感情が、湖面に大波が広がるように暴走しているのを感じる。
――ライラには、あのニニが“人間の子供”に見えた。
――ライラには、ニニに向かって手を伸ばす、無数の黒い影が見えた。
耳元では、呪いが聞こえた。
『何故あの子を、連れていくの? 連れていくのなら…… 』
(……だ、黙りさないよ……!)
そして、それを必死に抑えるライラ。
自分だって、今すぐニニを追いかけに行きたいのだ。
だが、そんなことをすれば、飲み込まれるという予感があった。
この影が、ライラに襲いかかってくる。
(ッ……、これが、アンタの本性って訳……?)
勿論、皮肉気に聞いたところで、影は何も答えない。
瞼を閉じれてば、いつだって浮かび上がるあの少女。
目を瞑れば今も現れた。
耳元でまとわりつく声と同じことを言っていた。
『あの子を、連れていかないで』
案の定、この黒髪の少女には顔がない。
白く削られたかのような、のっぺらぼう。それが答えだった。
「……ハッ、ッハ……ハッ」
ライラは再び目を開ける。
息が荒くなる。意識がクラクラする。
ニニはもう行ってしまった。
ヴォルフの声が、まだ響いている。
彼は、何かを言っていた。
エメラルの脱走したルートを探れ。
エメラルがやったことを調べろ。
エメラルの遺品はすべて回収する。
確かそんな感じだった。
でも気分が悪くて、それどころじゃない。
しかし、ヴォルフの言ったことはすべてやらなければいけない。
それがこのツヴィウル砦における天使達の役割だ。
だから、ライラは必死に具合が悪いのを押し殺して、動き出す周りに合わせ、割り振られた仕事をするべく、歩き出した。
◆◇◆◇
……仕事が終わると、ライラは早速自室代わりの分割子宮の部屋に戻ってきた。
体調は最悪だった。上手く物事を考えられない。
そのあまりの気分の悪さに、ライラは気絶するように眠りについた。
そして、夢を見た。
不思議で、不気味な夢だ。
ふわふわと辺りを漂いながら、色んなところを巡っていく夢だ。
その世界は見たことがないものばかりで、妙に四角い建物が多かったり、箱型の車がいっぱい走っていていた。何より人間がたくさんいて、こことは別の場所なのだと気付く。
それは、心羽の記憶で見たのと同じようような町の光景。
じゃあこの夢は、彼女の記憶の中?
そう思ったけれど、でも、同時にこれが“自分”の経験したことなのだという実感があった。
そう――今こうして漂っているのは、“自分”。
今のライラは“心羽”だった。
しかし、だからと言って自由に体を動かせる訳ではない。
あくまでこれは過去の再生。勝手に視点は移り変わっていく。
どうやら“心羽”は何かを探っているらしい。
彼女は様々な場所を巡り、色んな人達の話を盗み聞きしていた。
例えば、それはあの子が暮らしていた施設の会話とか。
「どうして死んじゃったの?」
「もっと彼の心に寄り添えば良かった」
それを見るに、殆どの子供はあの子と仲が良かったようだ。
あの子が死んだことを泣いてくれていた。
先生達も、仏壇を用意してくれて。
だから“心羽”は、彼らを許した。
あの子を助けられなかったけど、だが心から息子の死を傷んでくれている。
その気持ちが嬉しかった“心羽”は、それ以上施設には関わらなかった。
例えば、それは近所の噂話だ。
殆ど関係がないその人達は、面白がってあの子のことを話していた。
「ほら例のあの子、まだ、十三だったらしいわよ」
「え、そうなの。早いわねぇ」
「何でもいじめで死んだらしいわよぉ。今、世間からすごいバッシング受けてるって。ニュース見てないの?」
「あらうそ、本当だわぁ」
「ウチの子がいっつも話しているのよ〜。学校じゃあ先生達が対応に追われいるんだー、とか。当たり前よねえ」
見ていないのを良いことに。
好き勝手にアレコレ言う人々。
“心羽”には、そんな彼らが汚い汚物に見えた。
今すぐにでも懲らしめたかった。だが、彼らはあの子を苦しめてなんかいない。
だから“心羽”はそれ以上、彼らの側には寄らなかった。
代わりに向かったのは、別の場所だ。
それはいじめをしていた子達が屯する空き地で。
面倒なことになったとか、死んでもアイツ、ウザいんだよねとか笑っていた子達に、自身の影を伸ばした。
それを伸ばして、首を絞めて、四肢をバラバラにして、考えうる限りの拷問を行って、やがてその子達は原型を留めなくなった。
最早肉片と成り果てたそれらは“心羽”によって海に打ち捨てられ、二度と親元に帰ることはなかった。当然、永久に行方不明のままになった。
その後も“心羽”は止まらない。
いじめを見見て見ぬ振りをしていた担任を殺した。
いじめを見物し、陰口を叩いていた生徒を殺した。
いじめに関わる者は全員祟り殺した。
全部、全部、全部、全部――一人も残らずに。
後に、三条少年の祟りと呼ばれる連続殺人事件の始まりである。
何年も警察による調査は続いたが、迷宮入りし、オカルト界隈を賑わせることとなるのだが、それはまた別の話。
“心羽”はそのことを風の噂で知ったが、もう関係がなかった。
怒りの対象はあの子を苦しめたものすべてだ。
何も、何も許さない。
そして、自身の人生を歪めた者達へと移る。
抱いた憤怒は、それまで貯めに貯めた、その者達への憎悪を増幅させるきっかけとなった。
それからはホッカイドウの実家に戻って、女狐と、愛人と、義弟を、じっくりことこと、煮詰めるみたいに、ゆっくり丁寧に痛めつけてあげた。
そもそもコイツらは、あの子を捨てているから。
跡継ぎがいないという理由で引き取ったくせに、才能がないと分かるや否や、親戚に押し付けた。
こうなって当然なのだ。
そうして、“心羽”は家族を殺した。
彼女の復讐は完了した。
だが既に――その頃には何も、その手には残っていないのだ。
大切なものは何もない。
ただ残ったのは、幽霊みたいに扱われた少女の末路が、二十二人の人間を呪い殺した悪霊になるという結果だけ。
なのに、未練は消えてなんてくれない。
むしろより膨らんで、“心羽”を離してくれない。
ただひたすらにあの子に会いたいと思った。
その時に、声がしたのだ。
『なら⬛︎実際⬛︎――会っ⬛︎⬛︎ます⬛︎?』
それは実に特徴的な声だった。
流暢でありながら、外国人のように訛りが隠せていない変なイントネーション。話し慣れていないような感じがする、とても胡散臭い声だ。
だが“心羽”は、その声に耳を傾けた。
なんでも良い。藁にも縋る思い。
――それは、本当に叶うのですか?
『え⬛︎叶い⬛︎⬛︎よ』
ただし一つだけ条件が、と声は続ける。
『貴女には⬛︎⬛︎に協力して⬛︎たく思い⬛︎⬛︎。貴⬛︎のその⬛︎は、こっちの世界には⬛︎いものなのです。ですから、あの⬛︎の力の⬛︎では⬛︎⬛︎⬛︎となり得る。如⬛︎です?』
そんなものは、当の昔から決まっていることだった。
こくりと頷いた。
『それは⬛︎より。では貴女を⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎へ招き入れましょう。貴女⬛︎ただ⬛︎⬛︎さんが開けた一針の穴を、広げ⬛︎くれさえ⬛︎れば、それだけで⬛︎⬛︎。そうなれば⬛︎はこっちの⬛︎のです』
それから“心羽”は、声に従って、虚空に開いた穴をバリバリこじ開けて、よく知らない世界に落ちた。
魂の回廊さえ遠さずに。
記憶は保持したままで。
そうやって新たに宿った体は、機械の部品だらけで、ちょっと気持ち悪い感じがする。
そのせいか重くて動けない。
蓋をされているような。頭の片隅に押し込められているような。
自分が裏側に回って、表に別の誰かが出てきているみたいな奇妙な感覚。
そして目の前にあるのは、頭に歯車の輪を浮かべる、胎児のような姿の何か。
訳も分からず涙が零れ落ちた。
ああ、そうかと思った。
アレが、あの子なんだ。また会えたね。初めまして。こんにちは。
名前……名前を呼ばなきゃ。
でもあれ?
思い出せない。
新しくつける必要がある。
何にしよう。
思い浮かんだのは一つの数字。
二十二。
二月二日があの子の誕生日で、二十ニ人があの子を死に追いやった人の人数。
それによくよく見れば、歯車の輪の内に型番が書かれている。
22。そこに、作為的なものを感じたのは気のせいか。
二十ニ。
――ニニ。
この子の名前はニニ。
ハッピーバースデー、ニニ。
◆◇◆◇
「――ッ!?」
そこで、ライラの目は覚めた。
最悪な目覚めだ。
思い出さなくて良いことまで思い出したんだから。
「……何よ、今の。じゃあ今のが本当なら、この私は……」
一体何なの?
そう思った途端に、自分に対する違和感は強烈なものとなった。
天使である自分。マザーに仕える兵士としてのアイデンティティ。
それが完全に崩壊した。
だって、気付いてしまった。
ライラの根幹はそこにない。自分こそが、元人間。崇めるべき元人間。
なのに、同胞を沢山殺してしまった。
罪人だった。それはあの子を死に追いやった奴らと、何の違いがあるんだろう。
(同じじゃないか、“私”も)
自尊心がベキベキとへし折られていくのを感じる。
私は天使の偽物。
空っぽの器。
「……それでも、私は“心羽”ですらない」
そうなのだ。
そこはハッキリと自覚出来る。
考え方が違う。感じるものも違う。
何もかもが違う、赤の他人。それがライラにとっての“心羽”だ。
だが彼女はこちらに干渉し、その記憶はライラに悪影響を及ぼしている。
ふと、エメラルが言っていたことを思い出した。
輪廻転生、生まれ変わり。
実際に魂は、再び別の肉体に宿ればそのラベルを書き変える。
その時点で別の人格が発生する。
輪廻の回廊の役割は、その人格が真っさらになるよう、魂から前世の情報を抹消すること。
でも“心羽”は消えてない。そりゃそうだ。輪廻の回廊を通らなかったのだから。そのままになってて当然だ。
つまりライラという存在は、“心羽”という古いラベルの上から直接貼られた剥がれやすい別のラベルに他ならない。
今世のライラという人格が、“心羽”という前世の人格を押さえ込んでいる状態。
言うなれば二重人格だろう。
しかし分離している訳ではなく、根底では繋がり、“心羽”の感情を引き継ぐなりなんなりしている。
ライラは生まれた時から、そのままのライラじゃなかった。
ニニが大切なのも、“心羽”がそう思っているから。
好きなものも、“心羽”がそう感じてたから。
そういう意味では、この精神も限りなく空っぽに近い。
“心羽”からすれば、ライラこそ余分な部分。
彼女が表に出てくれば、自分はどうなるのだろう。
消える?
「ッ――」
(私は誰なの?)
体が震えた。
生まれて初めての、真っ暗な死の恐怖と、自分が何者でもないという虚しさ。尚もちらつくゆらゆら動く影の手。
耐えられない。
思わず外に飛び出し、廊下を走って――
「ッいった……て、ちょっと――ライラ?」
その拍子に響いた後ろような声。
しかしライラは気づかない。
駆けて、駆けて、駆けて。
ライラは逃げた。
ここにいたくなかった。
「……、はあ、はあ、はあ」
だが。やがて体力の限界は訪れるもので。
走り続けたライラはそれ以上動くことが出来ないほど疲れ切って、足を止めてしまった。
そうして辿り着いた場所を見渡してみると、そこは森の中だった。
目の前には小さな川。
それで思い出した。確かニニがいつもいる場所だ。
いつの間にこんなところに。
「……」
ライラは無言で立ち尽くした。
静かにせせらぎが聞こえる。ピロロロと鳴く鳥の声。風で葉っぱが擦れる音。
自然のBGMは、心地良いリズムを教えてくれる。
……そう言えば、ニニは落ち込んでいると決まってこの場所に逃げ込んでいたな、とライラは振り返る。確かに落ち着く場所だ。
一人になりたい時にはぴったりかもしれない。
「そうね。私も、今は誰とも会いたくないわ」
何も見たくない。
何だか疲れた。
大木の側に座り、背中を預ける。
その場で膝を抱えて、ライラは顔を埋めた。
◆◇◆◇
……それから数時間後だった。
空が朱色に染まる頃、ふと、後ろから足音が聞こえたのは。
「やっと見つけた。お前、こんなところにいたのかよ」
その声はいつも聞いているより棘がなく、何だかとても穏やかな感じがする。
こんな感じだったっけ、とライラは考える。だが、次には思い直した。
彼はいつだって優しかったではないか。
心配して来てくれたのだろう。
そのことが嬉しくて、声の主が無事だったことに心から安堵して、ライラの表情に笑みが戻った。
しかし、同時に放ってほしいという気持ちにもなった。
“心羽”が歓喜して暴れているから。それが堪らなくライラには恐ろしく思えた。
彼の顔が見たくない。
とは言え邪険に扱うことも出来なくて、結局こちらも返してしまう。
「ニニ。良かったわ、帰って来れて。安心したのよ。アンタの声が聞けてホッとした」
「……ああ、そうか。…………、あの……今までごめんな。ありがとう。お前、ずっと心配してくてたんだな」
「当たり前じゃない。どうしてあんなことをしたの」
「エメラルの尊厳が、傷つけられるのを見たくなくて」
――尊厳。
その言葉に、ライラは何故かハッとなって、顔を上げた。
そんなものがニニの口から飛び出すとは思いもよらなかった。
「俺は、あの時死んだ人の尊厳が傷つけられるのを恐れたんだ。こんな戦争してる世界で、無駄だってことは分かってる。でも、できるだけそれは守られるべきだと思ってるんだよ。えと、上手くは言えないんだけどさ……」
ニニはそれから、迷うように、言い方を選ぶように間を開けて、最終的には素直になったのか、心の声をそのままポツリと漏らした。
「だってなんかそういうの、寂しいじゃんかよ。死んだのに、また辱められるなんてさ……俺は、そういうの嫌だなぁ」
「――――ッ!」
その途端、ライラの喉から声にならない叫びが溢れ出した。
言われて、また見えなくても良かった事実に気が付いてしまった。
そうだ……ニニもまた、ライラと同じ転生者だったのだ。
どういう訳か、こっちの世界に来てしまっている。
母を失くすという不憫な人生を送って、十三歳という若さで死んでしまったのに、こんな戦争だらけの世界に来るという仕打ち。
それが、冒涜と言わずになんというか。
そしてそれは“心羽”にも当てはまること。
あんなに息子を心配しておきながら、肝心のその子の死を見てしまって、悪霊の女性。
ここに来たのは、不幸以外の何物でもない。
「…………ッ、………」
ライラはそれが、とても悲しいことに思えた。
涙が溢れて止まらなかった。可哀想だ。
ニニも、“心羽”も。その悲しみの前では、自分を失う恐怖など散りカスみたいなものに感じられた。
だって、二人の方がよっぽど不憫なんだから。
「え、ライラ!?」
しかしライラの心境の変化には気付かずに、ニニは勝手に慌ててしまって、ライラの前までやってくると、あたふたし始める。
「お、おい大丈夫か? もしかして怒らせた? 今までのこと怒ってる? ご、ごめん……! 俺、お前のこと何も考えてなかった。自分のことばっかりで、お前の気持ちなんて少しも……、だから泣き止んでくれよ……! 俺、お前のこと心配なんだよ。えっと……えっと……!」
尚も上手いことを言おうとするニニ。
ライラは立ち上がり、そんなニニをガバリと抱きしめた。
「…………、ライラ?」
キョトンとするニニの声。
構わず、抱きしめる力を強くする。“心羽”が出来なかった分までしっかりと。
「ありがとう。貴方は本当に優しいわ。本当に優しい……」
背中に回していた腕をニニの頭に移動させて、ポンポンと撫でる。
愛しむように、愛情を込めて。
「だから私は大丈夫よ。貴方のおかげで大丈夫になった。来てくれて、嬉しい。……良い子ね、ニニ」
「――ッ、……うん」
すると、ニニも泣きそうになって、ライラの胸に顔を埋めた。
二人はしばらく、そうしていた。
だが数分過ぎた頃、ライラが泣き止んだタイミングで、やがてニニは嫌がるようにその腕から逃れ、距離とを取る。
ライラが口を磨がせると、ニニは顔を赤くさせた。
「いやだって……いつまでもこんなことしてるのは恥ずかしいし」
とか言っているが、ライラとしては足りない。
無言で手を広げて催促。でもニニは断固として譲らなかった。
「だから恥ずかしいってば! こんな年にもなって、こんなことするなんて! 柄じゃない!」
「えー、そんなこと言ったってねえ」
しかし本人には自覚がないかもしれないが、ニニはまだ子供なのだ。
あの前世の死体や過去の時系列を見るに、まだ一年生の春とかなのだ。
ライラの判定では十分にガキである。
そう考えると、これまでの生意気な態度もますます可愛くなってくるではないか。
「うへへ」
そうやって気持ち悪いの笑みを浮かべて手を伸ばせば、ニニはますます離れていく。
「だから嫌なものは嫌だって言ってるだろ!」
そして遠くの木の影に隠れ、顔を覗かせ、舌をべー。
相変わらず照れ屋だ。ツンデレである。
その態度に微笑ましくもなったが、しばらくしてライラはふと目をぱちくりとさせる。
そう言えば、ニニの性格って前世と大分違うなあと。
こんなに活発じゃなかったし、こんなに反発もしなかった。
嫌だとは言えない気弱な少年、それが“心羽”の息子だ。
けれど今のニニはどうだ。
自分の意思をはっきりと伝えられている。自分を優先出来るくらい、自己中心的にもなった。
それは記憶が消えている影響か?
だがそれならば、隠れてエメラルとの会話を盗み聞いていた時、あんな自身を卑下することなんて言えただろうか。
(そうか)
ライラはようやくその可能性に至った。
失念していた。どうして分からなかったんだろう。
ある意味ニニも、ライラと同じなのだ。
前世の人格と、今世の人格を併せ持つ特異な天使。
しかもライラとは違い、両者は混ざり合っている。
何故そうなっているか知らないが、ニニも生まれた時から本当の彼ではなかったのである。
思えば臆病なくせに自己主張はするんだから、チグハグな部分はあった。この部分こそが、中途半端に混ざっている証拠なのだろう。
でもそれが良いことなのかどうか、ライラには分からない。
ただし、“心羽”の息子は、もう何処にもいないのだ。
死んだから、もう元には戻らない。
「……ぐす」
また、涙が出て来た。
ニニはギョッとしつつも木の影から出て来て、近寄ってくれる。
うん。やっぱりニニは優しいなあ。
(だからこそ“心羽”、彼を守りたいんでしょう?)
ライラは自分の中の“心羽”に、そう問いかける。
お構いなしに、彼女は無邪気だった。
『ああ、あの子が帰って来てくれた。ああ、あの子がここにいる。私の可愛い、私の子! 』
(……貴女は相変わらずね)
ついつい溜息を吐きたくなってくる。
まあしょうがないと諦めることにした。
そうなってもおかしくない環境に身をおいていたんだから。
それによく考えれば、しのごの言って切り離せる存在でもないし。
ならば、一人ぼっちだった“心羽”に寄り添ってあげても良い気がする。
(そう言うわけで、私は貴女の味方よ。それが、私の存在している理由にしてあげる)
そして、密かに決めたもう一つのこと。
それは、“心羽”とニニをこんなところへ連れて来た者をとっちめることだ。
こんなことしておいて、ただで済ませて良いはずがない。
(ふざけるな)
それはライラの確かな憤怒だった。
死体を辱めるよりも、尚更に許し難く、反吐が出る。
(絶対に見つけ出して、“心羽”とニニの代わりにやってけてやる)
……後に。
その憤怒が世界全体を巻き込み、黒幕ニョクスをも振り回して、ニニにすら牙を向くとは思いもよらず。
ライラはそう固く決意する。
――別れの時間は、すぐそこまで迫っていた。
ざっくり設定27
ライラの正体
型番Zwiur-EQ-021、個体識別名ライラは、ニニの前世の母三条心羽の生まれ変わりである。
三条心羽の今世での人格で、心羽が天使の体に宿った時に発生した。
しかし両者の人格は根底で繋がりつつも独立しており、同じ魂を共有する赤の他人同士である。
こうなったのは、一重に心羽が輪廻の回廊を通らず作中世界にきたせいで、そのためライラと三条心羽は二重人格状態である。三条心羽は悪霊であり、まともな感性や情緒は崩壊しているが、以前として未練が残ったままで、それに蓋をするようライラが表の人格として基本的な主導権を握っている。
一方で、心羽はライラに甚大な影響を与えており、ライラの感情の何割かは心羽由来のものである。今後状況次第によっては、ライラもまた性格が心羽に引っ張られていく可能性がある。
ちなみにニニの場合は完全に真逆で、前世と今世の人格が混ざりきってしまっている。その比率は4:6と今世の比率が高い。輪廻の回廊で抹消された前世の人格はニョクスによってある程度保存されたが、それも完璧ではなかった。その穴を埋めるよう今世の人格が流入してしまい、今の天使ニニとなっている。
なので、彼のトンチキな性分、捻くれ者なくせに自己主張が強い性格は、すべて今世の人格によるものである。
それとは反対に、礼儀正しい部分や、恥ずかしがり屋な部分は、前世の人格が色濃く反映されている。
今の所ニニのアイデンティティは前世の人格にあり、精神年齢は正真正銘十三歳(中学一年生の春)である。
尚、本人の自覚では高校生か大学生ぐらいと思っているが、実際には挙動に幼さが見え隠れしており、周りからも子供っぽいと感じられている。
さもありなん。