ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮) 作:暁刀魚
主に俺得を目的としています、ご了承下さい。
Prologue.根源の一
――――死者は蘇らない。
――――なくしたものはもどらない。
――――いかな奇跡と言えど、
――――変革できるものは今を生きるものに限られる。
◆
かつて、何年も前――八年ほど前だろうか――未だ記憶の中にこびりつくもの。
たくさんの死体。
折り重なるように連なって。
断頭台を眺めるようにかためられ。
ただ、それは群衆のように、その場に打ち捨てられていた。
血まみれの家族。
彼は悲鳴を轟かせた。
彼女は不思議そうに後ろを振り返り、困ったように顔を曇らせた。
血まみれの自分。
その血は、きっと自分のものではなく。
――誰かが背後から貫かれ、誰かがそれをした。
――そして、自分はただそれを見ていた。
そこに在る感情は、いまでもはっきりと理解している。
“無力”。
わたしの中にあった、あらゆる力がその原初を失い、散っていった。
それで、ナニカが変わるなんてことはあるはずもなく。
その光景だけが、わたしの“そこ”にこびりついた。
もはやその出自すら忘れた――
わたしの覚えている、最初の記憶。
◆
その日のわたしの一日は、あまりにも、平凡で、平凡で、平凡だった。
時計の針がただ時間を刻むだけ。
今はもう、父はこの世にはいないけれど、それでも定刻通りに定められた、ダイヤグラムのようなわたしの日常。
学校を目指す、わたし以外の生徒の足は、まるでエスカレーターのように一定で。
学校を目指す、わたしの足は、ベルトコンベアに載せられたかのようだった。
学校の前では、生徒会長――柳洞一成が声がけを行っている。
彼だけではなく数人の
わたしたちは規則正しく、折り目正しい制服の着こなしをしているか――
そんなことはない。
誰もが思い思いに制服を着崩して、その中には生徒会に咎められる者もいる。
それが“普通”なのだ。
鉄則などない。
あるのは個人が決めた、意識的な法則だけ。
統計にばらつきはつきもので。
集計はばらつきを考慮したうえで。
――この世界は、成り立っている。
「――おや。おはよう」
柳洞一成――わたしの友である――が、わたしに声をかけてくる。
こちらの様子など気にかけた様子もなく、彼は機械的に服装のチェックを行う。
数が多いのだ、無駄はできるだけ省かなくてはならないのだ。
無論、それだけではないだろうが。
「うむ。実に結構、生徒の模範たる恰好だ。まったくもって素晴らしい。君みたいな生徒だけならばよいのだがな」
はっはっは、と柳洞一成は朗らかに笑う。
しかし、それでは面白みがないのではないか、と言うと。
「不健全に娯楽を求めるようでは、人生に潤いが足りていないぞ。別にそれが悪いとは言わないが……節制を心がけるべきだな」
実に満点な答えが返ってきた。
まるで堅物、事実彼は生徒会長などという面倒極まりない職務を務めているのだ。
堅物でなければ、そんな役職勤まらない。
もしくは、人を惹きつける圧倒的なカリスマか――
――と、それを思い浮かべて、一人の人間の顔を思い出す。
学友の顔だ、数日前に転校してきたばかり。
わたしからしてみれば、随分と遠い存在だ。
仕事に励む柳洞一成をその場に置いて、学舎へと足を向ける。
寄り道をする理由はないのだから、わたしの足は軽かった。
人通りの波に押されて校舎へ入ると、ちょうど良く、親しい後輩に出くわした。
「あ、――センパイ」
――――間桐桜。
桜はおとなしく、また優しい少女だ。
慈愛に満ちているというか、博愛を知っているというか。
要するに、大和撫子と呼ぶのがふさわしい、よくできた後輩である。
おはよう、と声をかけると、おはようございます、と桜は返した。
「今日は何だか、いつもよりごきげんですね」
そうかしら? と問い返す。
別にそんなつもりはない。
今日はいつも通りではないけれど、今のわたしは至って平常運転だ。
「そうでもないですよ? 今日のセンパイは、いつも以上にセンパイです」
いつも以上に、とはどういう意味だろう。
とはいえ、響きの勢いに押され、思わずこくりと頷いてしまった。
……頷いてから思う。
まるで意味がわからない。
そういえば、とこの間のことを思い出す。
今日の桜は元気そうだが、この間の桜は随分辛そうにしていた。
「あ、はい。
いやいやこちらこそ。
桜はどこにでもいる普通の女の子だけれど、どこにでもいる普通の桜は、この世界に一人しかいないのだから。
「あ、もうすぐHRが始まっちゃいますよ。急いで教室に向かって下さい」
ふと、思い出したように桜が言う。
いやいや、教師はあの藤村大河だ、別に数分の遅れなら、むしろ向こうのほうが遅いだろう。
「ダメですよ。センパイは真面目な人なんですから」
イメージを大切にしないと、とは桜談。
別に、わたしはそこまで真面目なつもりはないのだけれど。
「お人好し、いい人、……どっちがいいですか?」
そんな気も別にしない。
まぁ、特に気にするべきことでもないのだから。
とりあえず、今日を始めてみることにしよう。
――――今日は、この学校で過ごす最後の一日なのだから。
◆
昼休み。
ふと思い立って、今日は人気の少ない体育倉庫前を陣取って、一人でご飯を食べることにした。
別に、友人がいないわけではない。
むしろ、ここに立ち寄るかもしれない友人を、待ち受けようという魂胆だ。
購買でかった激辛麻婆パンを食べながら――これがまたすごく辛い――時間を潰す。
昼休みは長くない。
――数分が経って、そろそろだろうか、と時計を眺める。
ディスプレイに表示された時刻は、まだ昼休みの半分くらい。
宙に浮かぶ画面をそっと閉じて、半分まで食べ進んだパンの始末にかかる。
――このパンはあの神父からの挑戦状だ。
何となくシンパシーを感じる、胡散臭い麻婆神父。
激辛大好き激辛命な彼の作った麻婆パン。
当然、常人が食べることは想定されていない。
まぁそれでも、少し涙目になりながら食べきろうとして――ふと、気がつく。
誰かがいる、いつの間にか、わたしの前に。
「……何してるの?」
こんな所で座り込んで。
彼女は、明朗な声でそういった。
怪訝が顔に浮かんでいるものの、別にそれを口にしようというわけではない。
こんにちは、と挨拶をして、彼女の名を喚んだ。
――――遠坂凛、と。
黒髪に赤い服。
どうみたって生徒には見えないが、一応この学園で五本の指に入るほどの有名人。
一応、わたしの友達。
「えぇ、こんにちは――――沙条さん」
彼女がわたしの苗字を口にして、わたしはゆっくりと立ち上がる。
ぽんぽん、と必要もないのに服を叩いてゴミを払う動作をして。
「それで、何のよう? ――待ち人来たり、という顔をしているわ。まさか私を待ってたの?」
――そう、その通り。
相変わらず遠坂凛は鋭い、さすがアベレージワン。
「……あのね」
何か言いたげにして、少し言いよどむ。
小声で――問題はないか――と聞こえてきて、それから。
「私は別に、貴方と慣れ合うつもりはないわ。だって、貴方、私なんかに構う必要もないでしょう?」
それでも、挨拶くらいはしたかった。
彼女がここに来たということは、こうして彼女と気兼ねなく言葉を交わすのはこれが最後になることだろう。
だからその前に。
「……何いってんだか。ほんと変な人」
遠坂凛だって変な少女だ。
有能で、非情な、この少女――しかし、生粋の世話やきであることもまた事実。
もしも彼女に管理されたら、わたしはダメになってしまうに違いない。
「ふん、褒めてるのかしら、貶しているのかしら」
まぁいいわ、と彼女は髪をかきあげて。
「別に、態々こんな所にいる必要もないでしょう? 貴方も来る? まさか貴方がダメなんてことはないでしょうから、手間が省けるし、一緒になんてのも――」
それはいい、と丁重に辞退しておく。
実のところ気になる人がもう数人いるのだ。
あの子とか、あの人とか。
「ふぅん。候補に唾つけておこうって訳。別にいいけど、そんなに余裕かましてると、足元掬われるわよ? 慎二あたりに」
まぁ、それは確かに困る。
けれど、別に掬われなければいいのだ。
掬われたなら掬われたで、その時はその時なのだし。
凛はふん、と鼻を鳴らしてわたしに背を向ける。
そろそろ時間なのだろう。
凛はせっかちだ、まだ時間は数時間あるというのに。
「兵は神速を尊ぶ、常識よ」
――そう言って、稀代の
◆
夕刻にもなれば、タイムリミットということもあって、追い込みが激しくなってくる。
あの中で、一体何人がその先へ進めることだろう。
わたしには、全く関係のないことなのだけど。
「――ひっ!」
ふと、体育倉庫前の廊下に寄りかかっていた私に、恐怖の声を向ける者がいる。
「……な、なんだ。沙条か?」
――間桐慎二。
それなりに整った容姿の、いわゆるクラスの人気者。
本物には勝てないが、お山の大将にはなれる、そんな少年だった。
何やら恐怖に歪んだ顔で、彼はここまで急ぎ足でやってきた。
「おま! それ!」
何事かに気がついて、のけぞりながらわたしを指さす。
人を指さすとは何事か。
「え、あ、ごめん」
バツが悪そうに視線をそらし手を引っ込めて――
「じゃなくてだなぁ! …………あ、あぁ、あぁぁぁああああああああああああ!」
ふと、それで正気に返ったのだろう。
間桐慎二の顔つきが、変わった。
なるほど、なるほど、なるほど――!
理解が及んだのだ。
まぁ別に彼のことだから、わたしがここにいなくても、自力でそれにたどりついただろうけれど――
「……ふ、ふふ、ふふふ! ははははは!」
口元を、三日月型に歪めて。
心底楽しそうに、間桐慎二は哄笑する。
ひとしきり腹を抱えて笑ったあと。
居直ったように、こちらを指さした。
「なるほどな、なるほどなぁ! いやぁ、随分運営も面白い趣向を考えるじゃないか! これ自体が予選って訳だ。僕みたいに――選ばれた人間を選抜するわけだ!」
心底納得がいった様子で、慎二は語る。
わたしなどもはや眼中にないかのように――否。
彼は私の横を通り過ぎ、そこでこちらを振り返る。
「――そういうわけだから沙条。お前も早く来いよな。そこで何をしてるんだかわからないけど、お前もそのアバターだろ? 気づいてないはずないよな。だったら、僕に遅れないようついてくるといいさ」
――気遣っている、のだろうか。
きっと、否だとは思うけれど、ありがとう、とは告げる。
「……ふん。そういうわけじゃないぞ。っていうかさ、別に君みたいなのを気にするほど、僕も暇じゃないんだよねぇ。ほら、僕、いつも忙しいから」
困っちゃうよね、僕に群がってきてさぁ。
と、いつもの様子に戻った慎二は、そのまま体育倉庫へと消えていく。
ナルシストめいた物言いも、彼なりの挨拶だろうか。
消え行くわかめ髪を見送って、そろそろやってくるであろう目的の一人を待ち受ける。
どうしても、言葉を交わさなくてはならない気がする、最後の一人。
「……おや」
――少年らしい、少しだけ甲高い声。
西洋人らしいブロンドの、真っ赤な少年。
遠坂凛は赤いけれども、彼は輪をかけて更に赤い。
赤い、“貴士”。
彼を人は、世界の王と呼ぶことだろう。
名を、レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイ。
「――――こんなところで、一体どうしたのですか?」
貴方を待っていたのだ、と事実を告げる。
別にこの人が気になっていたわけではないけれど。
――どうしても、告げ無くてはならないことがあった気がしたから。
気が、した。
それは一体、どんな内容だっただろう。
もう、思い出せない。
「そうですか。僕としては、もう既にこの場にはいないものだと思っていました。僕のように、学園生活を楽しもうという意図は、感じられませんでしたから」
――レオにとって、この予選は“貴重な経験”だったようだ。
事実、彼はこうして予選終了間際にここへ現れたのだから。
予選突破の資格など、既に手にしているはずなのに。
「こうしてここで僕を待ったのは、もしかして宣戦布告のためでしょうか」
――そうではない。
が、わたしも既にわからないのだから、そうだと答えておく。
「……でしたら、僕もそれに答えましょう。――いえ、これは一種の戯れですが」
レオがコツ、コツ、と音のしない廊下を歩む。
周囲はまるで“バグ”のように歪みを覚えているものの、
音はない。
暁の廊下は、彼の背中を照らすように。
わたしと彼の立ち位置が入れ替わった。
扉の前にレオ。
そして、それを見据えるわたし。
「では、こちらへいらして下さい。僕は貴方を歓迎します。――僕の、敵として」
わたしは彼に応えることなどなく。
ただ、消え行く彼を見送る。
「――本戦で待っていますよ、“サジョウマナカ”」
レオがその場を消えるのを待って。
――わたし。
沙条“愛歌”もまた、体育倉庫へと消えていった。
◆
そこで、わたしを誰かが待ち受けていた。
その誰かは“誰”であることを明白とせず。
わたしはただそれを受け入れた。
――体育倉庫の奥。
与えられた人形とともに、不可思議な空間を駆ける。
そこは人があるべき場所ではない。
まったくもって未来にあるべき、サイバーの空間。
無論、わたしはそれを異質とは思わないが。
ここをかけて行った名もない生徒達は、きっと気圧されていることだろう。
――数匹のエネミーと接触した。
人形の“具合”を確かめるためのものだろう。
戦闘の“機会”を知るためのものでもあった。
余計なお世話とばかりに人形にそれを薙ぎ払わせて、迷路の最奥にたどり着く。
――そこが、わたしに待ち受けていた最後の空間だ。
長く歩いて、少し疲れてしまった。
そんなの、果たしてこの身体が感じるのかは知らないが、疲れた。
そういうことに“なる”、のがこの場所だ。
神殿のようなその場所に、一人の少年が倒れ伏していた。
既に意識はなく、また彼は死んでいるだろう。
隣には、彼を守っていたのかもしれない、わたしの隣にいるのと同一の人形。
敵である。
わたしのそれが、わたしの味方であるように。
――戦闘は一瞬だった。
両者はかろうじて互角であったものの、わたしの人形はすぐに相手に翻弄され始めた。
無軌道の人形は、きっと月によって管理されているのだろう。
であれば、人の意志程度で、それを覆せるはずもない。
無論、不可能ではない――が、“面倒くさい”。
どうしてわたしがそんなことをしなくてはならないのだろう。
これは人形だ、価値の無い、人ですらない紛い物。
幾ら壊れた所で、わたしに何の損もない。
人形を無視して、私はこの神聖な場の中央に向かう。
この場には、求めるものがあるからやってきた。
求めるならば――与えられるのがこの場所だ。
少なくとも、こちらが全てを理解しているのならば。
この願いは――聞き届けられる。
「――――答えなさい」
わたしはその時、初めて言葉に力を込めた。
単なる一人の役割としての“予選の自分”ではない。
もう一人の自分。
正確には、
――正しき自分の、言葉というものを。
この時初めて、口にした。
「わたしの名前は沙条愛歌。わたしはこの月の大地に、願いを求めてきたの。その願い、貴方は受け止めるために現れる。そうでしょう、わたしの“
如何にも壮麗に。
如何にも堂々と。
沙条愛歌は、産声を上げる――――
背後には人形が迫っていた。
わたしを穿つ敵性プログラム。
鋭い一撃が、私の背中に殺到し――
構わず、わたしは告げた。
「来て、私の許へ――ッ!」
歓喜に近い歓呼の声。
応える者が、いるとするならば、それは。
「――――うむ、良いだろう」
同じくらい美しく。
しかし、慇懃無礼にも程がある――絶対の自負に満ちた声だろう。
声とともに、わたしは後ろを振り返る。
目の前に迫っているはずの人形。
わたしに死を与えるはずの人形。
けれども、その役割を人形は遂行することはなく――
赤のドレスにも見える男装の服を身にまとった、金髪の少女に遮られた。
手には赤い刀身の、まるでバラのような剣。
それひとつが完成された美であって。
刃が敵の身体を貫いた。
一太刀。
返す刀に横一閃。
二度の攻撃で、たやすく打ち壊した。
ぼろぼろになって、もはや再生すら叶わなくなった人形は崩れ落ちる。
後にはわたしと、目の前の剣を握る少女だけ。
「実に良い調べだ。これは劇場で奏でられる壮大な演奏ではない。野花に語りかける優しい調べ。余は好きだぞ、あぁ、大好きだ!」
熱のこもった声。
どこか甘く、柔らかな桃のような声であった。
その香りが彼女から伝わってくるかのような。
「敵は排した。――改めて問おう。そなたが余の
振り返り、返り血を拭うような動作でサーヴァントは剣を横に払う。
わたしは一瞬を置いてそれに応える。
「――そのとおりよ、サーヴァント。……セイバーと、そう呼んだほうがいいかしら?」
赤の華美に身を包む、一人のサーヴァント。
人外の力を有し、そしてなおも、その生き様を誇る過去の英霊。
彼女は果たして、何を背負って、この場に在るだろう。
少なくとも、その手に握る得物から、セイバーである、ということだけは把握できた。
「……うむ」
セイバーは、仰々しく頷いて、こちらに近づく。
彼女は麗しいその立ち振舞からして――女帝か、貴姫の類。
目と鼻の先。
間近にある彼女の顔は、如何にも幼さを感じる。
女性としては小柄なほうだ。
とはいえ、わたしの容姿は十とそこらの童女のそれだ。
たとえ小柄なセイバーであっても、見上げる必要があった。
彼女はこちらをじっと見つめる。
――居心地が悪い、何も言われないのは、わたしだって困る。
そして、
「――あぁ」
ばっと、彼女は両手を広げた。
――え?
疑問が形になる暇もなく――――
「愛おしいなぁ、我が奏者よ!」
セイバーの胸に、わたしは溺れた。
「うぇ? えぷ?」
意図も解らず困惑の声を上げて、自分を抱きしめたセイバーを見上げる。
どういうことだろう。
どういうことなのだろう。
愛おしい、彼女はわたしをそう評した。
「――声、髪、眼、何よりもその顔立ち! これほど麗しい童女は、この世に二人としているであろうか。あぁ、そなたこそ余の求めた美の完成形! 実に、愛おしいぞ」
わからない。
この状況がわからない。
「セ、セイバー?」
それでも、解る。
解ることが、一つだけある。
今、目の前にいる少女は、間違いなく自分のサーヴァントだ。
胸に痛み――令呪のそれだろう――が宿り、その痛みが彼女との繋がりを告げる。
やがて痛みが鋭さを増す。
セイバーはそれに気がついているだろうが、わたしを気遣うことはしない。
否、もしかしたらこうしてわたしを抱きしめていることが、彼女の気遣いなのだろうか。
痛みと、それから、
「あぁ、奏者よ、髪の香りが……芳しい」
もう一つ、解った。
サーヴァント、セイバー。
赤い衣の剣使いは、どうしようもなく――――変態だ。
◆
時は満ちた。
これより聖杯戦争をはじめましょう。
これは、行き場を喪ったうつろな少年少女の、願いを求める旅路ではない。
これは、少女になってしまった権能が、恋のために奔走する物語ではない。
世界から神秘が失われたことで、少女が絶対であれた根源は、その力を弱めてしまった。
しかし、それが少女の神秘を奪うものではないことは、彼女の実力が保証する。
なんということはない。
彼女はこの世界において、疾うに失われた“
月の聖杯戦争に紛れ込んだ、一人の怪物。
生まれるはずのない、CPUの感情というバグ。
そして――――
ここに闘いの幕は上がる。
まずは、表の物語を語るとしよう。
聖杯戦争の行く末が、裏の物語によって遮断されるその時までの、
長い、長い、混迷の日々を。
◆
セイバーは別に、変態というわけではない。
ただ、彼女は芸術を愛する芸術家。
目の前に至高の芸術品が現れたとして、果たして冷静でいられるだろうか。
酷な話だ。
沙条愛歌のカスタムアバターは、十歳程度の容姿をしている。
童女、と呼ぶにふさわしく、透けるようなブロンドも、華奢で子どもらしい体型も、実にセイバー好みなのである。
そして、現在愛歌は保健室にて休眠中だ。
儀式の後、ここへは全員が転送されることになっているはずだ。
何せ、ここで携帯端末を受け取らなければならないのだから。
「うぅん……山が、山が」
何事かを、愛歌は上の空でつぶやいている。
果たして何の夢を見ているか、はたまた、彼女に夢など存在するか。
――無論、しなければこの月に訪れることなどないのだが。
「……ん、ふわ――」
ぱちりと、声を漏らしながら彼女は、すぐさまはっきりと目を覚ました。
眠りからの回帰が早い。
気がつけば、自分が保健室にいることも把握していた。
ゆっくりと起き上がり、ベッドから足を出して、靴にそれを通そうとした。
――そこでふと、視線を感じる。
気配、何もないのに、そこに在るということだけは解る。
「……何を見ているの? セイバー」
虚空へ向けて、声をかける。
気配はあやふやであるが、愛歌ならばどうにかその発信源位は見つけられる。
愛歌の言葉に呼応して、セイバーが虚空から現れる。
不遜な笑みを浮かべて胸を張ってセイバーは応える。
「きれいな足だ! 余を呼んだな、奏者よ」
沈黙。
愛歌はムスッとした目で睨み返す。
「……いやらしい顔。綺麗な容姿が台無しよ、セイバー」
「好事家というのはこういうものだ」
全くもって反省のない態度。
セイバーは足だけではない、愛歌そのものを舐めまわすような視線でこちらを見てくる。
下卑な男の眼。
――何度か、そういう視線を浴びたことはあるが、真逆同性から向けられる日が来るなど夢にも思わなかった。
「安心しろ、余は芸術を愛する芸術家。野に咲く華を手折る趣味はない」
どこに安心できる要素があるというのか。
愛歌は反論を諦めて靴を履き、立ち上がる。
惜しそうにこちらを眺めるセイバーを無視して、ベッドから離れる。
この場には、愛歌とセイバーの他に、もう一人。
保健室を管理する役割を持ったAI――保健委員、もしくは健康管理AIである少女。
間桐桜がそこにいた。
「……あ、沙条さん、おはようございます。体の調子はいかがですか?」
座っていた椅子から立ち上がり、向けていた背を翻し。
清純を体現した少女は、愛歌に調子を問いかける。
すぐ近くまで寄って、愛歌はその少女の顔を見上げた。
「何の問題もないわ。ありがとう、記憶の返却も滞り無くよ?」
「それはよかったです。沙条さん。貴方はマスターとして予選を突破されました。よって、この端末をわたしておきます」
渡された携帯端末――無骨なものだ――を手にして、愛歌はそれを少し弄る。
動作の確認を兼ねたそれを終えると、軽く桜に微笑んで――まるでそれが自然であるかのように――またね、と挨拶をしてその場を去った。
◆
(――マスターよ)
念話が愛歌の脳内に飛び込んでくる。
(あの美少女とは親しいのか?)
(……“いいえ”? 彼女はわたしの友人――という役割を与えられていた――子の妹っていう“
(そうか、随分馴染んでいたが、余の気のせいか……?)
納得するように、ブツブツと声が聞こえてくる。
セイバーは保健室を出てから、霊体化して、こうして念話で話しかけてくるだけだ。
外は安全ではない――というよりも、マイルーム以外はどこに敵が居るかもわからないのだ。
今はまだ、対戦相手は発表されていないが――とかく。
とりあえずは、二階にある自室としてあてがわれた教室を目指す。
階段を進んで、ふと、在ることを思い出す。
(――そういえば)
愛歌はセイバーにそう、呼びかけた。
ふむ、と答えてセイバーは続きをこう。
恐らく、既に意図は理解しているだろうが、念のため。
(貴方の真名は、一体なんと言うの?)
――考えてみれば、当然のこと。
別に、セイバーとてそれを隠す理由はないだろう。
愛歌がよっぽどへっぽこなマスターであるならばともかく。
(……うーむ、それは、だな)
しかし、どうにもセイバーは歯切れが悪い。
まぁ、わからないではない。
自身の過去に対して、多少の後悔があるのなら。
英霊とは、後悔あってこその英霊だ。
自身の生き方に後悔の種があったのならば、自身の生涯に後悔の根本があったのならば、真名を語るのを渋るのは無理もないことだろう。
――とはいえ、それを聞き出さないことには、聖杯戦争は始まらない。
触媒を持って、意図して彼女を呼び出したならともかく、だ。
――――けれども、そんな愛歌とセイバーを遮るように、携帯端末が音を立てる。
「……」
気勢を削がれた。
端末を開くと『一回戦の対戦相手を発表する』という旨が記されていた。
発表は二階の掲示板のはずだ。
丁度良い、セイバーのことは一度置いておいて、そちらに向かうことにしよう。
元々、掲示板の前を通りすぎようとしていたこともあり――一分もかからず、愛歌とセイバーは掲示板の前に辿り着いた。
聖杯戦争、緒戦の相手。
これより七度、最後の一人になるまで行われる殺し合い。
掲示板に記された最初の相手。
――――間桐慎二。
引き当てられた127分の1。
これもまた数奇か、これもまた運命か。
「お、最初の相手はお前かよ、沙条」
――来た。
声がする。
左方からだ。
恐らく、マイルームからここに来たのだろう。
「あら、貴方が相手なのね。――確か、アジアのゲームチャンプだったかしら?」
クスクスと、笑ってみせる。
愛歌は、そこで初めて、“敵に向ける”顔をした。
どこか愉しげな子どものよう。
どこか憮然とした強者のよう。
十歳と少しの少女の姿を持つ、童女のように愛らしい、沙条愛歌が浮かべる闘いのための顔。
「――」
すこしだけ皮肉げに“みせようと”笑みを浮かべていた慎二の顔が、一瞬、気圧されたものへと変わる。
愛歌は慎二へと向き直る。
自身の表情は、崩さないまま。
「――よろしくお願いするわ? 間桐慎二さん?」
宣戦布告のように、そう言った。
予選の間は一人称、以降三人称です。
いろいろ言いたいことがありますが、更新は二日に一度の予定です。
後、レオのサーヴァントがプロト騎士王になってたりします。