ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮) 作:暁刀魚
「はい、お待たせしました。えっと……この紅茶で良かったですか?」
月の裏側は愉快にも騒がしく、あまりに盛大に踊りだす。
喧騒はこれまでの実に二倍だ。
愛歌達は迷宮の探索を続けているものの、BBの命令か、迷宮を飛び回る緑衣のアーチャーとありす主従をよく見かけるようになった。
それに合わせて、愛歌たちの戦闘も激化の一途をたどる。
唯一、殺生院キアラはあれ以来姿を見せていないが、むしろその方が、心中穏やかでいられないのだ。
その不穏さは、わざわざサウンドとして奏でるまでもないだろう。
――彼女の闇が、少しずつ漆黒に包まれた海原のように、サクラ迷宮を侵食しているのではないかとすら思えた。
「――えぇ、それで構わないわ。今日は桜のお茶が飲みたかったのよ」
今はその、おそらく数少ない休憩となるであろう時間。
とにかく現状はそれを利用し、愛歌は桜のもとを訪れていた。
別に何故という理由があるわけではないが、どちらかと言うと今の自分は、“人に話を聞いて欲しい”気分だからか。
これが凛やラニ、セイバーでは話があらぬ方向に向かってしまうのは明白だ。
「……そういえば、センパイがこうやって自分の入れてないお茶を飲むのって、珍しいですよね」
「そうね、すこし飲み比べて見たくなって。桜のお茶は、美味しくないなんてことはないはずでしょうし」
なにせ彼女はAIであるし、同時に料理好きでもあるのだ。
紅茶の入れ方が料理と関係するかどうかはともかくとして、下手な仕事はしないだろう。
そういうわけで、目の前に出された紅茶を、熱いウチに香りからゆっくり楽しんでいく。
鼻をくすぐるそれは常に愛歌が嗜んでいるものとはまた別。
というよりも、別格の芳しさであった。
愛歌がいつも飲んでいた紅茶は、比較的高級なもの。
今、桜が用意したものはリソースの関係で、言ってしまえばそこいらのスーパーで買える中では高級、程度のもの。
それが、こうもランクの違いを味合わされると、いかに愛歌が碌な入れ方のされていないお茶を飲んでいたかが伺える。
「……おいしい」
――味も、それは同様であった。
素材は確かにチープなものだ、けれども淹れた人間の丁寧で思いやりのある淹れ方が、紅茶を数段グレードの上にしていた。
「そうですか? 普段のそれと比べても、全然良くない方だと思うんですけど」
「そんなはず無いわ。そりゃあこの位のランクだったら、別に珍しくもないでしょうし、レオ辺りは普段からもっといいものを飲んでいるでしょうね」
それでも――と愛歌は続ける。
「――これ以上にありふれたものなんて、幾らでもあるの。凡百なんて言ってね。――貴方のそれは、そういったものたちから比べれば十分優秀な部類に入るの」
「……えっと、ありがとう、ございます?」
それでいい、と愛歌は仰々しく頷く。
そもそも、愛歌だってあまり人の感情というものは理解していないのだけれど。
ともかく、
「それでえっと……話というのは」
「いくつかあるのだけどね……まずは、BBのことかしら」
――――BB。
桜の“バックアップ”にあたるAI。
この騒動の元凶――おそらく正確には、“首謀者”というのが正しいのだろうけど。
黒幕ではなく、原因を一手に担う存在。
殺生院キアラという存在がいる以上、彼女が“すべて”間違っているとはおそらく言えないだろう。
それでも――
「……貴方にとって、あの娘は一体どういう存在なの?」
「…………えっと、端的に言ってしまえば、“暴走してしまったAI”です」
「それだけ? 同じ型――言ってしまえば姉妹のようなものなのに?」
「センパイはあまりAIと人の区別をしないので解りにくいかもしれませんけど、違います。私とBBの関係は本体とバックアップであって――姉妹機ではない」
だから、と桜は言う。
彼女の言葉には刺があった。
つまり、怒りを覚えているのだ。
暴走してしまったバックアップに対して、悲しみではなく怒りを。
――それは、彼女の中にあるAIとしてのプライド故なのかもしれない。
「暴走するということは、AIとしての機能を失うということです。彼女はすでにAIではない。AIにとってそれは――人が畜生に堕ちることと同じだと、そう思います」
そう言い切った桜に迷いはない。
――だが、
「……それの何が悪いの?」
そう、愛歌に首を傾げられて、自身の言葉に、罅を入れられる。
軋みを上げて、音を立てる。
「よく、解りません。センパイ、それはどういう意味ですか?」
「AIだろうと人間だろうと、堕ちたところでそれはそれ、AIであり、人間でしかないの。同じことよ、人間は簡単に悪に染まれる、AIにだって、そういうのはあるんじゃない?」
――ようは天秤なのだ。
悪を選ぶも、善を選ぶも同じこと。
ただ天秤が傾いてしまっただけ、それを常に悪だなんて断じることは。人の権利の中にない。
それはもう、きっと神の裁定と呼べる類のものだろう。
「妥協。傍観。思考停止。なんでもいいけれど、貴方のそういう部分は、本来AIにとって悪なはずよ。――例えば私や凛が無茶をして、それを止めるのを貴方が諦める。それは貴方のAIとしての領分を超えた――紛れも無い悪のはずなんだわ」
「――それは」
「違う? そんな事はないの。そういった悪は必要悪と言って、誰からも見逃されているだけ。“魔が差した”という意味では、何も悪と変わらない」
一気に言葉を連ねて、それからいっぱいの紅茶を啜る。
ここまで言葉を連ねて桜は少し“迷ってしまった”ようだった。
思考を整える時間が必要だろう。
「BBはね、そういう点では面白いとおもったの。十年ほど彼女を観察してみたけれど、彼女は常に変化を自分に与えていたわ。それはアップデートという成長ではなく、揺れ惑う困惑としての、停滞に近かったわね」
「十年……」
――聞いてはいるが、気の遠くなってしまうような時間だ。
凛であれば絶対に耐えられないと言っていたし、ラニであっても怪しい所。
愛歌でなければ、人間であれば絶対に耐えられないような虚無の時間。
AIであっても、それは少しだけ、ためらいを覚えてしまう。
――その中で、BBは常に変化を続けていたという。
アレはもう、AIでありながら、人間としての素養を十分に有しているだろう、と。
「そんなことはありえません。ありえない、はずなんです。何か、バグか何かを――」
「確かに、それはあり得るかもしれないわね。――騒動の元凶がアレだと考えたら、そういうことは平気でやりそうなものだもの」
あっさりと、愛歌はそれを肯定した。
――そこは否定するべきところではないか、と桜は考える。
今までの会話が、黒幕によるバグが原因だとするなら――すべて前提が違ってしまうだろう。
「だったら――」
「――それでも、貴方だって同じことよ。時間をかけて、感情というものを考えていったら、いつの間にかそれが自分の物になっているかもしれない。案外、――――感情なんてそういうものだと思うのだけど」
そんな自身の言葉を受けた桜を、遮るように愛歌は言う。
もしもこの場に、セイバーか、凛か、騎士王か――だれでもいいが、愛歌にとって親しい人物がいたならば、驚き目を見開いていたことだろう。
愛歌が感情をそんなもの、だと断じた。
それは、桜に取っても、少しばかり意外な感覚だった。
「どうして――ですか。どうしてそんなこと、言い切れるんですか?」
「案外、型にはめてみる必要もなかったの。考えてみる必要もなかった。思ったままを思った通りに、そうするとね、すごくしっくり来たのよ。悪くないということを、“いいこと”なのだって、すんなり思えるようになってきたのね」
――愛歌はラニとは違う意味で機械めいた少女だ。
人間離れした、といったほうがより近い、――つまり、感情というものをよく理解できていなかった。
それが、この月の裏側にやってきて変化を見せたのだ。
悪くないという感情を、素直に“良い”と言う考え方と、それを思考だけでなく、性分にまで浸透させる強烈な経験。
――愛歌にとって、この月の裏側でのことは衝撃の連続だろう。
例えばそれはセイバーにしても、例えばそれは騎士王にしても。
もしかしたら、桜というAIだって、そうなのかもしれない。
「私はね、感情というのが解らなかった。だから、綾香の真似なんてこともしてみたの。あの娘が私の知る人間の中で、一番人間臭い人だったから」
――凛やレオ、セイバー辺りではだめだろう。
ああいうタイプは自我は強いが、人としては少し間違っている。
それは愛歌にだって解る。
だから、綾香の真似をした――月の表では綾香の記憶を失っていたが、それでもなお、染み付くほどに。
「……センパイにとって、感情ってつまり、綾香さん――センパイのお姉さんのことだったんですか?」
「おそらくはそうでしょうね。まぁでも、“それで解ることなんでなかった”わ。せいぜい、誰かがそれを察してくれる程度。――感情はね、自分で考えるべきことなのよ。答えなんて無いわ」
――誰かが教えてくれるかもしれない。
それでも、それを理解するには、やはり自分の経験が必要なのだ。
「考えて……でも、考えても解りません。AIがそこにたどり着くことは、不可能なんだと思います」
「答えはなくともね、糧にはなっているのものなのよ。不思議と、そういうものは、気が付かないうちに胸の底へある。それがあるかぎり、感情は決して害されない」
――どれだけ負の感情を抱こうと、それもまた感情なのだと。
概念自体は、穢されない。
「世の中にはその感情そのものを歪めようとする悪魔なんかもいないではないけれどね」
悪魔、正確にはそれは、淫魔と呼ばれる類の者だが。
「――センパイは」
すす、と紅茶を啜っていると、そんなことを桜が問う。
すでに暖かかった紅茶は、少しぬくもりを感じる程度にまでなった。
――会話も、そろそろ終わりが見えてきた所か。
「――――お姉さんのことを、どう思っていたんですか?」
「……? 何故、そんなことを聞くの?」
少しばかりの唐突さに、何の裏もなく疑問でもって愛歌は返した。
どう、思っていたも何も――それを答えることは、果たして彼女の益となるのか?
「いえその……お姉さんの真似をしているということは、“間違っていた”んですよね。だったら、そのお姉さんに対する感情は、果たして無意味だったんですか?」
もう一つありますけど――と、桜は言うが、そこで黙った。
まずはそちらから、一つ一つ問いかけて来ようという姿勢は、どことなく礼儀正しく、微笑ましい。
「感情の原点は、綾香にあったと思うのよね。あの娘を不思議に思ったから、私は今、こうして在るわけで――無意味ではあったけど、それが無価値であるかどうかとは、イコールでは結べないわけね」
――なるほど、と頷く。
そういうことなら納得だ。
無意味であっても、無価値ではない。
それは、確かに理にかなっている、と、桜は思う。
「それと――だったらやっぱり、センパイは心の底から、お姉さんを取り戻したいんですよね?」
「当然よ。そうでなければ、私はこんなところにいない。私は、そもそもあのコミュニティの外に出ようとはしなかったでしょう」
――綾香が、今も生きていたならば。
正確に言えば、愛歌の世界が、あのまま閉鎖していたのなら。
ここで仮定の話をしよう。
今の愛歌は、本来の愛歌とは非常にかけ離れた特質を持っている。
けれども変わらないのは、“理由がなければ、世界に混乱はもたらさない”という点だ。
たとえば、恋。
たとえば、害。
たとえば――
――何にせよ、愛歌が周囲へ意識を向けることには、何かしらの理由が必要になる。
もしも普通の少女として、大きな世界へ目を向けることなく生きるのであれば、愛歌は綾香のような、凡俗の存在と何も変わらないのだ。
愛歌という存在は全能で、故に自分のために行動する必要がない。
誰かのためという理由が生まれることで、初めて駆動を始めるそんざいなのだ。
自分ではない誰かのために存在し、それゆえに災厄をふりまく最悪の女神。
愛歌のそれは、無償の愛、ただ与えるだけの愛だ。
メルトリリスの特性に近いが――それは、彼女が“女神”としてのあり方を持つが故だろう。
ある意味、パッションリップも愛歌に近い。
たとえ請われることがなくとも、愛歌は愛するもののため、あらゆる力を振るうだろう。
ただし――今は、少しだけそのあり方を変えている。
「私は、そうね。――見返りが欲しいの。きっとそのために、頼まれていないこともしているの。それって――何だか素敵なことがするから」
そんな言葉を、桜はただただ聞き入っている。
何だか、ようやく愛歌に聞きたいことが聞けた気がして――心のなかのあらゆるわだかまりが、解けたような、そんな気がして。
「私は、そうね――」
沙条綾香。
愛歌にとって、多くの感情を向ける相手。
きっと彼女が愛歌にとって、心酔するほど素晴らしい人物ならば。
もしくは、歯牙にもかけるひつようのない人物ならば。
――きっと、今のようにはならなかったはずだ。
だから、そう。
特別な存在に対して、もっとも求めやすい見返りはなにか。
簡単だ。
「――――背が伸びたって、きっとそう、言って欲しいのでしょうね」
晴れやかな笑顔で、愛歌はそう言った。
曇りなく、前を見る瞳は澄んでいて、今も彼女は、そのことに迷い一つもありはせず。
――羨ましい、と桜はそう、思ってしまうのだった。