ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮)   作:暁刀魚

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67.どこか愚かしい、幸せな想いを

 ――どこか、遠い、記憶(ユメ)を見た。

 

 ――――どこまでも届かない、過去(ユメ)を見た。

 

 沙条愛歌はがらん堂。

 だから、己の夢はどこにもない。

 

 どれだけ願望を抱いたとしても、夢に見ることはありえない。

 焦がれるなんてまったくない。

 あるはずがないのだ。

 夢に溺れて、現実で足場を失うだなんて。

 

 だからこれは、きっと過去からこぼれだした記憶なのだろう。

 ユメから溢れでた、希望なのだろう。

 

 沙条綾香がそこにいた。

 

 いつものように、どこか厭世的な顔をして。

 愛歌からしてみれば、辛気臭いとしかいいようのない顔をして。

 

 そこにいた。

 

「……何を、しているの?」

 

 誰かが問いかけた。

 愛歌には、それが自分の言葉か、はたまた綾香の言葉かわからない。

 

「解らないわ、多分きっと、意味もない」

 

「何それ、わけ分かんない」

 

 ――これは、解った。

 前が自分で、後が綾香だ。

 

「じゃあ、何のためにそこにいるの?」

 

「……貴方のため、じゃない?」

 

 綾香の問に、そう答えた。

 応えられた綾香は信じられないという風に目を見開いて……

 

「ふぅん…………頑張ってるのね」

 

 そんなことを、口にする。

 

 ――頑張っている。

 確かに、それはそうかもしれない。

 ここまで、随分長い時間をかけたような気がする。

 愛歌にとって、十年なんて時間は大したものではないけれど、無価値なものではないわけだし。

 それが二年ともなれば、もっと凝縮されていなければならないだろう。

 

 だから、その中で愛歌は確信していた。

 自分は前に進んでいると。

 つまり――頑張っている、と。

 

「それで、どうなったの?」

 

 ならばそう、綾香の言葉通りだ。

 ――その結末は、どうなった。

 決着は果たして、ついているのか?

 

 ……そんなはずはない。

 自分はまだ負けていなくて、アレもまだ、今は健在ははずなのだから。

 

 でも、声は漏れていた。

 

「…………わからなくなったの」

 

 そう――どこか寂しげな声を漏らして。

 今にも泣きだしてしまいそうな自分を、自覚する。

 

 ――あぁ、だってそうだろう。

 あんまりじゃないか。

 あの時――沙条愛歌という存在が感じた衝撃は、計り知れないものがあった。

 

 目の前で綾香が塵に変わった。

 それを、果たしてどう処理しろという?

 

 愛歌にとって、綾香こそが原点なのだ。

 今でもそう、今だって、その一点だけは何一つ変わっていない。

 

 それが、一つ目なのだ。

 

 そして――二つ目。

 理解せざるを得ない。

 

 自分は綾香と、どうあっても別れることが耐えられない。

 

「つまり愛歌は……それを恥ずかしいとおもって、耐えられないんだ」

 

「…………」

 

 沈黙せざるを得なかった。

 きっとそれが、図星と呼ばれる奴だったから。

 

「まぁ、確かにそうやって恥ずかしがる貴方は、随分と可愛げがある気がするけどさ……」

 

 多分、そう枕詞に綾香はそれを口ずさむ。

 

 ――多分。

 

 

「――――頑張ってる愛歌の方が、愛歌らしいと思わない?」

 

 

「……え?」

 

 どういうことか、思わずそう聞き返す。

 

「だってそうでしょ。途中で諦めるなんてらしくない。やるとなったら徹底的に。――優柔不断で、何もできない私なんかとは違って」

 

 ――――あぁ、そうだ。

 理解した。

 してしまった。

 

 沙条綾香の言葉はあまりにも抽象的で、そういう比喩の類を愛歌はまったく得意としないけれど。

 ――それでも、解るものは、解るのだ。

 

 努力と結果の話をしよう。

 結果には、必ず努力がついてまわるものだ。

 ただ望むだけの結果に意味は無い、価値もない。

 努力なんてもってのほかだ。

 

 過程と結果はワンセット、

 勿論、“そんなことはないということくらいわかっている”。

 いやというほど、理解している。

 

 だけれども、ことこの一点に関しては。

 

 沙条愛歌に対して、いったいなにが相応しいか、という点に関しては。

 

 決まっている。

 

「私は――」

 

 結果が出ずとも悔いはない、あぁたしかにいいだろう。

 頑張ったのだからしょうがない、否定しようのない正論だ。

 

 だが、それでも。

 

 そんなものはらしくない(・・・・・・・・・・・)

 まったくもって、沙条愛歌らしくない。

 

 つまり、そう。

 

 

「――私は、私らしい私でいたい。だからこそ――――――――私の決着は、ついてない」

 

 

 そう心に決めてしまっているから。

 ――沙条愛歌は、まだ立ち上がらなくてはならない。

 

「うん……花まるね」

 

 まるで――まったくもって姉らしい顔で、沙条綾香はそれを認めた。

 憎たらし言ったらありはしない。

 ――綾香が、ではなく自分自身が。

 こんな綾香の顔が見れて、嬉しいと思ってしまう己の心が。

 

 まったく、目の前の彼女は沙条愛歌の幻覚で、今はここにはいないというのに。

 

「……行ってくるわ。必ず迎えに来る。それまでまってて」

 

「――――うん」

 

 だからほら、こんなにも都合よく、綾香は自分の言葉に頷いてくれる。

 けれども、それを愛歌はどうしようもなく尊い、たった一つの道標にして。

 

 ――遠く、いまだ答えの見えないその先へ、足を踏み出していこうとする。

 

 

「だから――――」

 

 

 望む言葉は、けれども口にすることはなく。

 

 

 沙条愛歌は、再び現実へと浮上する。

 

 

 ――――絶対に忘れられない、希望の欠片を手に入れて。

 

 

 ◆

 

 

「な――」

 

 驚愕に硬直するキアラの前に、一人の少女の姿があった。

 月見原の黒い制服に身を包み乙女は半月の笑みを顔に貼り付ける。

 嗜虐に歪んだそれは、実に少女らしからぬもの。

 だがそれでも、今の彼女の感情をあらわすには、まったくもって適格なものであった。

 

 そう、

 

 ――――沙条愛歌がそこにいる。

 

 隣には紅いドレスに身を包むセイバーの姿。

 共に、キアラに負わされたダメージを全て吹き飛ばしているのだ。

 何故か――それはキアラのあずかり知らぬこと。

 

 ハッと一つのことに思い当たってキアラが振り返る。

 そこには既に死を確定させて倒れこむ三者の姿。

 笑みがあった。

 

 ――白黒ありすが共に笑う。

 ざまぁみろと、勝利宣言を誇っているのだ。

 

「――!」

 

 

 ――永久機関・少女帝国(クイーンズ・グラスゲーム)

 

 

 すなわちそれは終わりを拒む少女の体現。

 効果は“自身の状態を戦闘開始前にまで巻き戻す”。

 それをありす達は“愛歌を対象に含めて発動させた”。

 故に、負傷し動けなくなっていた愛歌とセイバーが再起動を果たしたのだ。

 

「バカな――!」

 

 ありえない。

 キアラの口元から絶望が漏れる。

 ここまで来たのに――この一瞬までは完璧だったのに。

 

 負けた――?

 自分が、沙条愛歌に、いや――

 

 

 ――――間桐慎二と、サーヴァント達に!

 

 

「ありえない! そんな事――! 一度ならず、二度までも――!」

 

 狼狽はついに断末魔の如き雄叫びへ変わる。

 女の絶叫は、もはや獣のそれだった。

 

「ざまぁないわね。どれほど勝ち誇ったところで、結局それが貴方の限界。今の無様な姿が、全くもってにあっているというわけね」

 

「……巫山戯ないでくださいまし! そんなこと、許されるはずが――」

 

「――――それはね」

 

 ゆっくりと、愛歌が身体を落とした。

 ――妨害はない、そも、アンデルセンの姿は見えない。

 気配はあるが、それも弱々しいのだ。

 間違いなく、先ほどのキャスター同士の戦闘で、彼もまた疲弊していた。

 

 故に、もうとまらない。

 

 ――ここに、全てが終息する時が来た。

 万感の思いを込めて、少女はそれを紡いでみせた。

 

 

「――私の台詞よ、ふざけるんじゃないわ、このアマ」

 

 

 直後、転移で現れた愛歌を回避することもできず――殺生院キアラは、敗北した。

 

 

 ◆

 

 

 戦闘は終わった、かつてそこにあったキアラという者の残滓はもう存在しない。

 死んだ、あの魔性菩薩がここに塵と消えた。

 

 愛歌はただ数秒の間、それをじっと眺めていた。

 ――そこに、同じく塵芥へと圧縮された姉の姿を想起する。

 結局のところ、愛歌の中で何かが変わったわけではない。

 

 既に綾香は死亡していたのだ。

 だから蘇生を月の聖杯に愛歌は託した。

 ――その根本は何一つとして揺らいだわけではないのだから。

 

 結局、愛歌はなにか声を発しようとして、けれどもそれが形にならなかった。

 

「――――」

 

 やがて、真一文字に口を閉ざす。

 二度、三度瞳は瞬いて、景色はその度に変化を見せる。

 

 死に絶えたキアラの姿に、綾香の過去に、そして――

 

 やがてそれは、今のあり方へと帰還する。

 

 去来したのは少しの寂寥。

 この感覚は、知っている。

 騎士王と別れた時のそれ――しかし、今はそれよりも更に強く、胸が締めあげられている。

 

(……こんな感覚)

 

 ぽつりと、思う。

 念話ではなく、故にセイバーへ伝わることはない。

 だけれども、見上げたセイバーはそれを労るように笑っており――

 

(…………もう二度と、味わいたくはないわね)

 

 結局、それが愛歌の結論だった。

 

 そして――それを見届けたからだろうか、一人の少年が声を上げる。

 

「――沙条」

 

 

 ――間桐慎二の身体が、既に半分を虫食いのように失われていた。

 

 

「……あら、どうしたの慎二」

 

 かくして両者は、月の表の一回戦以来に――真正面から向かい合う。

 

 

 ◆

 

 

 ――始めは単なる興味であった。

 

 世にも恐ろしい魔術師がいる。

 そんな噂を聞いた一人の少年は、彼女へ接触しようと試みた。

 

 今からして思えば、それがそもそもの間違いだったのだ。

 電脳上で出会ったのは、自分とさほど年の違わない、幼い少女。

 

 一目見て、その姿に心奪われた。

 ただ、その時は姿だけを目で追っただけだった。

 

 あぁ確かにこの少女は愛らしい。

 だが同時に恐ろしくもある、近づいてはならない。

 警鐘が頭のなかで鳴り響いていた。

 

 もしもコレに従っていたら、そんなイフは、考えるだけ無駄だろう。

 少年は、碌に思考を回しもせず、少女へ声をかけたのだから。

 

 “おいお前、最近調子にのってるみたいじゃん?”

 

 まったくもって愚かしい、実に子どもじみた呼びかけで。

 けれども――それに視線を向けた当時のことを、今も慎二は覚えている。

 脳裏に焼き付いて、離れないでいる。

 

 

 ――明らかに、少女は驚きに満ちた顔でこちらを見ていた。

 

 

 そんな声をかけられるとは、思いもしなかったことなのだろう。

 そして同時に、それは彼女にとって、人生において初めての言葉であったはずだ。

 

 侮られている、などという実感を少女は初めて覚えたのである。

 だから、少年の続けた次の言葉を――

 

 ――沙条愛歌は、一も二もなく同意したのだ。

 

 曰く、僕と勝負しろ――と。

 取り出したのは、少年が自身の知力を結集して作り上げた思考ゲーム。

 チェスを模したそれ、愛歌はそのルールを即座に理解した上で、嬉々として受けたのだ。

 

 ちなみに、今も少年は誤解しているが、彼女は少年のゲームの“出来の良さ”を嬉しがったのではない。

 出来の“拙さ”を面白がったのだ。

 

 単純な話、少女にとってチェスのようなゲームは勝敗が最初から決まっている面白みなど何一つ無いゲーム。

 しかし、少年のそれは違うのだ。

 つまり――ランダム性がある。

 まるで子どもの癇癪のように――所々ほつれた穴から、それがもたらされるのである。

 

 実にそれは――間桐慎二らしいゲームと言えた。

 それを、本人は徹底的なロジカルの結実であると考えているのだから、またなかなかどうして、愛歌にはそれが面白くて仕方がない。

 

 ――一時間ほど両者はそのゲームで対決し、結果は愛歌の全戦全勝。

 ゲームの製作者であるはずの慎二が、手も足も出ずに敗北したのである。

 それでも――そのゲームには多くの未知が詰まっていた。

 確率の上で、愛歌は負ける可能性が存在していたのだ。

 

 だから面白かったと、素直に愛歌は笑ってみせた。

 

 

 ――もうそれで、間桐慎二はやられてしまった。

 

 

 少しだけ苦笑気味の少女の笑みを知っている者は、きっとこの世に片手の指ほどもいないだろう。

 その一人が自分なのだと知った時。

 ――慎二はもう、この女神のような少女に、心の底からやられてしまったのだ。

 

 かくして、

 

 ――全能でもって生まれた少女、沙条愛歌と。

 

 ――頭は良いのに、どこか抜けている少年、間桐慎二。

 

 

 それが、二人の出会い、少年の記憶の中に焼き付いた、絶対に忘れことのない鮮烈な思い出。

 

 

 ◆

 

 

「ぁ、沙条――」

 

 意識が、一度だけ浮上する。

 死にかけの夢、きっとそれは走馬灯というやつだろう。

 初めて出会った時の思い出だ。

 間桐慎二のルーツでもあり、一生手放すことのない、ただひとつの大切な宝物でもある。

 

「……余は少し周囲を見てくる。安心しろ、この場におかしなものは何一つ通しはせん」

 

 ぼんやりと空虚な瞳で眺める景色の、紅いサーヴァントがそういった。

 どうやら、二人きりにしてくれるらしい。

 こういう時に、気の利くサーヴァントは羨ましいものだ。

 

 ……ライダーなら、出て行くといってこっそり様子を見ているだろう。

 そんな気がする。

 そしてもしかして、このサーヴァントもそういう手合いだろうか。

 いやいやまさかと首を振り――慎二は気がついた。

 

 倒れる自分を見下ろす者だいる。

 誰かなど、確かめるまでもない。

 慎二の瞳には、それだけは霞むことなく捉えられているのだから。

 

「……慎二、ご苦労様」

 

 沙条愛歌は、そう慎二を労ってくれた。

 思わず溢れ出しそうになる感情を抑えて、慎二は答える。

 

「ふん、僕なんかに礼を言ってくれちゃって、どういう風の吹き回しだよ」

 

「――あなた達が来てくれなかったら負けていたもの。……他の子たちの分も、一緒にね?」

 

「それだったら遠坂達に言うといい。……僕をここに連れてきてくれたのは、あいつらなんだから」

 

 とはいえ、その凛達はあくまで迷宮を弄くるためのデータを即席で作り上げていただけ。

 それを纏めて形にしたのは慎二なのだが――それは口にはしなかった。

 気恥ずかしかったし、その方がかっこいい気がしたから。

 

 愛歌はそれで察してくれる、気の利いた相手ではないというのに。

 

 ともかく、慎二としては言わなくてはならないことは別にある。

 

「――それとさ、ついでだから伝えておいてくれよ。……迷惑かけて、その、悪かったって。最後まで、僕とあいつらは敵同士だったわけだからさ」

 

 ひねくれ者の慎二にしては珍しく――それでも少しだけためらいがちに、凛たちへの謝罪を述べる。

 愛歌は、少しだけ沈黙し――その沈黙はなぜだか慎二にはいかにも意味深に見えて――口を開く。

 

「解ったわ。そういうふうにしておいてあげる」

 

 そして、そういえばと思い至って――問いかける。

 

「慎二、そもそも貴方……何でここまでしてくれたの?」

 

 ――それは、彼にだけ言えることだった。

 他のサーヴァント達は、別に愛歌を助けるというつもりはなかったはずだ。

 ランサーにしても、アーチャーにしても、キャスター達にしても。

 

 ただ目の前に倒さなくてはならない敵がいて、その魔の手に愛歌が囚われていたから。

 結果として、助けることとなった。

 それが彼女達。

 

 だが、慎二は違う。

 こればかりは愛歌にも解る、慎二は“愛歌のために”キアラと敵対したのだ。

 でなければ、キアラに愛歌が敗れた直後、“怒り”を伴って再来した慎二の怒涛を、証明することができないのだ。

 

「……あー、なんていうか……なんだろうな」

 

 言葉にしがたい、それは慎二も同様だった。

 よくわからないのではない、“よくわかりすぎるからこそ”、そう思う。

 

「ほら、アレだよ。……見返りが欲しかったんだ。もしくは、成果が欲しかったのか」

 

 どちらにせよ、と慎二は続ける。

 

「そもそも僕はお前に負けたくないから裏切った。ついでにBBも一緒に裏切って、メルトリリスを抱き込んで、けんかを売ったんだ」

 

 ――だから少し悔しいと、慎二は困ったように苦笑した。

 だけれども、愛歌にはその顔が、ちっとも悔しくなさそうに見えて、むしろ余りにも清々しい表情に見えて……何だか少し、むっとする。

 

「僕はひとりぼっちだ。……パパも、ママも、別に僕を愛してはくれなかった。ゲームの向こうの連中も、僕のことを好きだなんて言ってくれる奴はそういない」

 

 ――一人で、孤独で、寂しくて。

 愛歌はそれを解ってくれるだろうか。

 常に一人で在るしかない少女は――いや、彼女の場合、望めばそれは変化できるのだ。

 

 孤立することと、孤高であることは全く別のこと。

 慎二は前者で、愛歌は後者。

 ――故に、慎二は憧れていたのかもしれない。

 

 

「あら、私は“ちょっと”貴方のことが好きよ? ――マイナスに感じる要素がないし、少し面白いと思う要素もあるしね」

 

 

 だから、そんな言葉をかけられて、慎二の瞳は大きく開かれる。

 信じられない、まったくもって――愛歌がそんなことを言うなんて。

 彼女風に言えば、嫌いじゃない。

 でも、それ以上の言葉でもって、答えてくれた。

 

「ハハ……ハハハハ」

 

 思わず、笑っていた。

 ――それを、愛歌は不機嫌そうに見下ろして。

 

「――だから、今の貴方は気に入らない。面白く無いわ。私は貴方を殺したの、なのに何でそんなにも嬉しそうに笑っているの?」

 

「……あ? …………あぁ、そう。そっか、そういうことか」

 

 ようやくそこで合点が言ったと、頷いた。

 一人でそうやって納得して――気に入らない。

 こいつも、この月の裏側で見てきた連中と何も変わらない。

 

 ――パッションリップに、臥藤門司に、――そして、慎二。

 誰もが、悟ったような瞳でこちらを見ている。

 

「僕は――沙条にまいったと言わせたかった」

 

 その声は、一切の恐れも畏れもアリはせず。

 ただ光り輝く勇気で持って、慎二のそれは――謳われる。

 

 

「――――お前に、勝ちたかったんだよ」

 

 

 そう、言ってのけた。

 ――勝ちたい。

 それは余りに無謀な言葉だ。

 負けたくない、というのであれば誰であってもそうだろう。

 

 これまで月で戦ってきたマスターたち。

 特に凛などはそうだろう、負けず嫌いで、愛歌と最も親しい友人なのだから。

 

 だが、勝ちたいともなればまた違う。

 それは言ってしまえば、愛歌の“悪くない”と“良い”の違い程度に、違うのだ。

 

 だからそれを聞いて、愛歌は得心がいってしまった。

 “それほどのこと”だったのだ。

 慎二にとって、愛歌を越えるということは。

 

 命を賭けるに値する行為であった。

 なにせ全能の女神をこの手で屠るのだ。

 キアラが愛歌を手に入れるために全てを賭すように。

 

 ――慎二が全霊を持ってそれを望んでも、何もおかしなことはない。

 

 そしてそれは――――

 

 

「えぇ……参ったわ、お手上げよ」

 

 

 間違いなく、完遂されている。

 勝ち逃げだ――愛歌から、こんな感情を、こんな納得を引き出して、慎二はもう消えようとしている。

 これを勝ち逃げと呼ばずなんと呼ぶ。

 

 もう、愚かしいほど慎二は単なるバカなのだ。

 驚くべき勇気でもって、それは蛮勇とならず結実された。

 

「……そっか」

 

 ――――慎二が、やがて塵へと帰りゆく。

 月の裏側で再び赦された“例外”の中で、慎二は処理されていくこととなる。

 

 それでも、笑っていた。

 ひどく満足そうな笑顔で持って、

 

 

「――――よかった」

 

 

 全てを成し遂げた一人の少年は、その役目を終えるのであった。


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