ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮) 作:暁刀魚
――その日、男は灼熱の太陽に晒されて、一人荒野を駆けていた。
ここは既に敵地なのだから、見つかってはならない。
それを理解した上で、男の顔によどみはない。
歪みもなく、そしてまた躊躇いもない。
恐怖すらないのだ。
それがどれだけ歪んでいるか、男は自覚しているのか、していないのか。
どちらにせよ、今の彼に迷う理由はないということだけは確かだった。
だからこそ、男は回顧する。
今、己が何をしているのか、ということを。
もともと男はこの辺りで活動する傭兵のような立場の人間だ。
ここはいわゆる戦場で、別にここだけに活動を限定しているわけではないが、現在の雇い主は、ここでの活躍を男にもとめていた。
――茶色の煤けたような肌に浮かんだ汗を拭い、男は一度太陽を見上げる。
眩しい、だが隣に薄く隠れた月が見えて――今はそんなことをしている場合ではないと思い直す。
ともかく、男は戦場を駆け抜けていた。
己の死力を尽くし、戦っている。
“正義の味方になる”という、余りに歪んだ目的のために。
現在も、彼はそのために行動していた。
敵はここ最近、西欧財閥を揺るがすテロ組織の一つだ。
月で行われているという戦争の動乱からか、西欧の安定しているはずの体制が不穏に満ちている。
その不安を少しでも解消するという名目とこれまでテロ組織がしてきたことへの報復のために。
多くの命が失われたのだ。
彼らは市民から命の火種を奪った。
つまり彼らは悪なのだ、誰もがそれを認め、また男にとっても異論はない。
だからこそこうしてここにいるわけで。
だからこそ、男は敵地を駆けているわけで。
――男に与えられたのは使命。
曰く、テロ組織の頭目を射殺せよ。
それが世界の秩序を守ることになる。
正義の味方として、それは絶対に為されなければならないことだ。
だが、同時に男はもう一つの事実も知っていた。
その組織は、頭目によって作られ、発展してきた。
その始まりは、彼らを襲った財閥の軍隊を、図らずも撃退してしまったこと。
彼らにとっての悪は間違いなく財閥だった。
なにせ、必要もない略奪の末、彼らの故郷を焼き払ったのだから。
だが、結果として彼らはテロを手段とした。
生きるためならば、そのまま隠れて住むこともできただろうに。
直接矢面に立たずとも、財閥の足を引っ張る手段は幾らでもあっただろうに。
手段としては最悪の方法をとった彼らは、結果として悪になった。
男の結論はこうだ。
彼らの正義は歪んでいる。
既に人を殺めることで何かを得るという手段を得た時点で。
――もう、終わってしまっている。
だが、だからこそ悩むのだ。
歪んでいるが故に、彼らの中で正義は絶対のものになっている。
それ自体を否定することが男にはできず、だからこそこうして直接排除する以外の方法を思いつかない。
無論、そう命じられたというのもあるが、結局は男自身がそれを望んだことだ。
だからこそ、悩む。
いったい何が間違っているのか。
どうすればよいのか。
出るはずのない答えを、男は求め、求め、けれどもやはり結論とはならず。
今日もまた、それを繰り返しているのだ。
それは、どれだけ特殊であろうと男の日常であった。
他のあらゆる人々がそうであるように、その日はその日のまま訪れる。
あるがままに振る舞って、そのまま変わらず、自分達の立場を否応なく自覚させるのだ。
だが、今日は違った。
否――これからは、違った。
男の悩みも、世界の歪みも。
何もかもが正しく狂ったまま、正されることもなく、魔人の快楽に浸される――
かくして、世界は――ここにその終わりを告げるのだった。
◆
女は、沙条愛歌の全てを奪うことにした。
それが当然の権利だったから、女はそう心の底から確信していたから。
どれほどその思いが罪深ろうと、今それを指摘できるものはこの世にいない。
女は神となったのだ。
故に、もはや彼女に逆らえるものなど在るはずもなく。
故に、それは誰にも咎められることなく、実行された。
まず、世界の人々が溶けていく。
あらゆる知性体のなかから、人間だけを女は貪った。
そうする必要があったのだ。
女の基準は“人だから”ではない。
そもそもそれは、女の基準ではなかった。
沙条愛歌を起点として、女は全てを喰らい尽くすのだ。
何故か、それこそが、愛歌そのものを喰らうことにイコールとなるから。
女は愛歌の“人という存在”を基準とし、それにより全てを快楽にそめあげた。
正確には“人”ではなく――
――“沙条綾香”を起点としていたのだが。
それでも何も問題はない。
愛歌の中で、人間という存在の原点は綾香だ。
あらゆる人間が、愛歌にとって綾香よりも、遠い人間である。
それら全てを溶かしてしまえば、あとに残るものはない。
世界で最も手を伸ばした存在を――そして、その先にいたもの全てを、女は溶かして消し尽くす。
そうしなければ気がすまなかったから。
そうすることで――愛歌を堕落させた者達へ、正義の鉄槌を下す必要があったから。
かくして人々は消え去った。
――女の、余りにも無残なエゴでもって、その存在を、許されることもなく。
◆
ここに女は、あらゆる人間の、情も欲も、悩みも後悔も無に返し、自身の愛に取り込んだ。
これぞ愛情。
これぞ結末。
キアラは手に入れたのだ。
歪みも、願いも、そして思いも。
世界は終わった。
間違いなく、疑いようもなく。
殺生院キアラの手によって。
女は、その証を確かに得たのだ。
「――――最っ高!!」
女は叫ぶ。
キアラは自身の欲望に彩られた地球を見下ろしていた。
暗がりの空間は、すなわち宇宙そのものだ。
闇に満ちたソラですら、キアラを憚るには余りに足りない。
そこもまた、キアラの手中に収まっているのだ。
「あぁ、これぞ至福、これぞ幸福。これほどまでの感動を、私は覚えたことがございませんわ! つまらない演劇も、つまらない童話も、これに勝る快楽とはなりえない!」
「……そういったものは、悦楽を求める対象ではないのだがな」
隣に立つはアンデルセン。
彼もまた、キアラの手の中の一つとして、そこにいる。
未だ彼がキアラの愛欲に取り込まれていないのは、キアラにとってそれそのものがどうでも良いことだからか。
「ふふ、今更そんなことはどうでも良いではございませんか。語るにしても、嗤うにしても、今は何もかもが私の思うがままなのですから」
――たしかにそれはその通り。
今のキアラは世界そのものだ。
神とも言える、悪魔とも言える。
だからこそ、キアラが黒といえば、それがどれだけ白であろうと、まったくもって黒なのだ。
故に何の問題もない。
アンデルセンとて、それを否定するつもりもない。
「しかし――」
とはいえ、彼の常のような呆れ顔は今も変わらず。
そしてそれは、キアラ自身も自覚していないわけがないのであった。
「……行けませんわね。つまみ食いのつもりでしたのに」
ペロリと、まるで子どものように舌を出す。
それは間違いなく、その事実を単なる些事だと物語っている。
うっかりうっかりと、他人ごとのように。
「――少し味見をするつもりが、ついつい地球一つを平らげてしまいましたわ。私、実は腹ペコキャラだったのですね」
そう、何の感慨もなく言い切った。
なにせ事実それは些事なのだ。
どうでもよい数とは言わない。
事実五十億を越える快楽はキアラを無限の絶頂へ誘った。
けれども、全体からしてみれば、それは対して多くはない数なのだ。
時間すらも、空間すらも超越する、今の殺生院キアラならば。
「あぁ、それにしても。次は一体どのような快楽を得ましょう。ただ何も考えず、というのは少し満腹ですわね」
食あたりしてしまうかもしれません。
朗らかな笑顔で、冗談めかしてそういった。
実際そのとおりなのだが、それはともかく。
「であれば、次は質を求めるといたしましょうか――さかのぼって、レオさんや凛さんを誘うというのも良いかもしれません。あぁ、あの狂人を、強引に快楽漬けというのも捨てがたい」
――言葉は、湯水のごとく漏れだした。
あまりにも取りうる選択肢が多かったのだ。
なんでもできる、これからは、キアラが思うがままに、全てをむさぼることができるのだから。
「過去の再現というのも良いでしょう。――愛歌さんを、正しい形で味わうのは、どれほど至高なことでしょう」
まず、最初に思い浮かんで、優先度が高いのはそれだろう。
かつて取りこぼしてしまったもの。
――穢されたものを、正しい形でとりこぼすのだ。
見下ろせば、手に掻き抱いた少女の姿。
沙条愛歌は生気なく今もそこにいる。
柔らかな感触だが、今の愛歌に、キアラは何の感慨も浮かばなかった。
「ふむ、他にはそうですわね――国一つ、いえ、文明一つを躯のみで傾ける。――傾国の美女とは、果たしてどのような味がするのでしょう」
次に思い浮かんだのは、過去に遡るという手段であった。
つまり、歴史の中に快楽を得る。
キアラの場合、最も最初に浮かんだのが、それだった。
傾国の女。
キアラ自身、そのような振る舞いは幾らでもしてきたが、結果として傾いた国はそう存在しない。
それほどまでに現代というのは、個人が世界をどうこうしようのない場所なのだ。
どれだけ快楽を得ようと、再現なくその根本は湧いてくる。
それこそ神にでもならなければ、どうしたって世界は喰えない。
だが、かつての世界なら。
小さな世界が幾つも点在していたころの時代なら。
――キアラとて、その一つをまるごと躯だけで貪り食うことができるだろう。
「酒池肉林、よい響きの言葉だと思いません?」
そう、アンデルセンへとふってみる
とうの彼は、呆れ顔で毒を吐く、いつもの様子を崩さないが。
「ふん、駄肉が駄肉を貪って、豚になりたいのなら好きにしろ」
「まったく、貴方は情緒というものが解りませんわね。人をやめてまでそんなどうでもいいことにかまける。――実にふざけていると思いません?」
とはいえ、キアラにとって、世界を傾けることすら、どうでもいいことである。
紂王がどうしたというのだ。
それを惑わせたからといってなんだというのだ。
その程度のことしかできないのだから、キアラは傾国などという冠を、嘲笑う他にない。
ともあれ、そういった愉悦も時には必要だろう。
キアラには――神となった彼女には、無限の時間が与えられているのだから。
できることは山とある。
それをこなし切るのに、果たしてどれほどの時間がかかることか。
快楽のためには、ここで呆けている手間も惜しいのである。
それにしても――と、キアラは改めて自身の相棒を覗き見る。
この男はおかしな男だ。
これほどの狂気を目の前にして、今も変わらぬ態度で接している。
キアラ自身、心底彼をどうでもいいとは思うのだが、まだ切り捨てる必要はないだろうと、そう考えている。
――それ自体が異常であるとは、彼女は気付いていないのだが。
「……そろそろ頃合いか」
――とうのアンデルセンが、ふとそんなことをつぶやいた。
「何を言っているのです?」
聞き捨てならない、とは言うまいが――理解できない。
一体何だというのだ?
よもや、悪なる魔神、殺生院キアラを討つべく、別の惑星の正義の味方が駆けつけたとでも?
それはそれで面白そうな話だが、ともかく。
「何だ、気がついていないのか。……まぁ、喋っていないのだから当然か」
「――どういうことです」
しかし、そんな冗談のような思考を嘲笑うように、至って真面目な口ぶりでアンデルセンは言う。
「何も終わっていないぞ」
余りに花咲里げなく、男はそう言い切った。
理解できない。
――何を、
再び口にしようとして。
「――お前には、まだ決着をつけなくてはならない相手がいる」
そう、アンデルセンは遮った。
「お前、その娘の感性を“人の定義”としただろう。むさぼるための快楽の起点として、そいつをお前は求めたわけだ」
当然だな、とアンデルセンは言う。
なにせ愛歌こそ、この戦いにキアラが求めた原点なのだから。
それを食い物にしなければ、キアラの願いは完遂されない。
だからこそ、
「――だからこそ、お前は見誤ったのだ、バカめ」
言葉の直後、
それは、
高らかに、
謡いあげられる。
「――――――――我が才を見よ」
そんな、ありえない。
キアラの瞳は、大きく見開かれる。
――一本の薔薇が、夜天の宇宙に舞い落ちる。
「万雷の喝采を聞け――」
それは、そう。
声、高慢にして、絶対である少女の声だ。
「インペリウムの、誉れをここに――――っ!」
かくして、
「咲き誇る花のごとく…………開け、黄金の劇場よ!」
それは、暗き世界に照らされる。
「
万感の思いを込めて――
「――――
キアラの手元を、駆け抜ける。
――そこに劇場は出現した。
さながら星の超新星、そこには。
「待たせたな、――奏者よ」
手元にうなだれる沙条愛歌を収めた――神話礼装を身にまとう、紅きセイバーの姿があった。