ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮) 作:暁刀魚
38.無音の月見原
勢い任せに起き上がり、身体を包む毛布をはねのける。
ムーンセルの電脳空間は常に気温を一定に保ち、日がさすようなこともなければ、身体を凍えさせることもない。
セイバーが起床したのはまだ朝と呼ぶには早い時間。
この時間帯に行動するものはいないではないだろうが、間違いなくそれは少数派だ。
足元に残された毛布を隅に寄せ、セイバーは自身の足を外気に晒した。
少しだけ、肌寒い。
布団に潜るには良い気温だ。
外で活動するのに困る程でもない。
だが、何故か身体は寒さを覚えていた。
震え――どうしようもない体温の低下。
原因は簡単だ、精神的なものである。
普段のセイバーであれば、どちらかと言えば微睡みに身を任せるタイプだ。
起きてすぐに飛び跳ねるような人間ではない。
だから今日の起きがけはどうにもイレギュラーなのであった。
隣で愛歌が眠そうに目をこすっている。
こうして見ていると可愛らしい少女だが、しかし理性を宿すのに彼女は数秒も要さなかった。
「あら、どうしたのセイバー、深刻な顔をして」
「……いや、なんでもないぞ、マスターよ」
なぜだかセイバーの言葉は常と同じでありながら他人行儀だ。
動揺が隠せていないのだ。
原因は単純、夢を見ていたのだろう。
「――――奏者よ」
改めて、言い直すようにセイバーは愛歌に声をかける。
愛歌は立ち上がり、ネグリジェを通常の翠のドレスに取り替えながら――着替えは必要ない、電脳世界の服はデータだ――振り返る。
もう、そこには幼子の面影など存在してはいない。
「余の帝国は、――暴君としての余は、悪魔――“獣”と呼ばれた事がある。ある者達にとって、余は地獄の使者と同一なのだ」
「そうね、貴方は必要性はどうあれ多くの命を迫害したもの。当然よね」
「――だが、余の帝国は真実栄華であった。余は国を傾けたが、しかしそれは“傾けられるほど国が巨大であった”だけのこと」
見方はどうあれ、ローマ帝国は真実強大であった。
ふけば飛んでしまうような、小国の類では絶対にない。
故に、傾ぐことができたのだ。
それはつまり、そこには多くの営みがあり、多くの幸福も、そして不幸もあったということだ。
決して、悪魔に支配された地獄ではなかった。
「大火が国を覆い、しかしそれでも国は滅びなかった。“あそこ”は地獄ではない――災禍の最中であっただけなのだ」
それこそ愛歌のコードキャストと同様だ。
災害は、文明を滅ぼすことはできても人を滅ぼすことはできない。
故に、そこは人に対する地獄とはなりえない。
――――だが、
「……この世には、地獄も天国も存在しないと余は考えていた。だが、違うのだな」
少なくとも、“地獄”であればこの世に存在していた。
愛歌を見る。
愛歌は何も答えなかった。
ただただ、その言葉を聴いているだけだ。
「――あれこそが、本物の地獄。奏者は、“地獄の中から生まれてきた”のだな」
何もそれに反応はなく。
――ただ、セイバーの言葉を聴いているだけだったのだ。
◆
四回戦が終了し、ついに残された
ここまで来てしまえば、一般アバターを使う魔術師よりも、カスタムアバターを使う魔術師の比率が高くなる。
「これまで異様なほどカスタムアバター持ちとあたってきたけれど、もう当たらないほうが不自然ね」
などと、愛歌は冗談めかして言う。
どうでも良さげではあるが、それだけでなく、そう言い切れるだけの余裕が愛歌にはあるのだ。
端末からの連絡を受け、発表された対戦相手を確認に向かう。
誰もいない廊下には、愛歌の声はいやに響いた。
二つの足音がやがて聞こえなくなる。
掲示板に貼りだされた二つの名前。
「――あら」
沙条愛歌と――
――ユリウス・ベルキスク・ハーウェイ。
西欧財閥の暗殺者。
レオ・B・ハーウェイの兄。
「ここで当たるのね」
その言葉に、意外の感情は見られないが――どうにも、腑に落ちたような色が感じられた。
無論、想定内ではある。
因縁の無いではない相手。
ここで当たるのならば、それもまた因縁だろう。
「あの時の黒い小僧か。……紅い暗殺者とも言えるかも知れぬな」
思い返されるのは、三回戦での邂逅。
突如として引きこまれた先で、愛歌とセイバーは暗殺者に襲われた。
無論、それを回避することはできたが、わざわざ愛歌は自分から飛び込んだのである。
「出会いが無駄にならなくて良かったわね」
セイバーにそう答えながら、愛歌は後方へ振り返る。
気配があったのだ。
それはセイバーも気がついてはいたが、反応は鈍かった。
必要性を見出さなかったから。
「――――沙条愛歌」
名を呼ばれた。
呼んだ相手が誰であるかは語るまでもない。
ユリウス。
黒いコートの男は、今も陰気に愛歌を睨みつけている。
殺意は研ぎ澄まされていた。
“覚悟”という砥石で研がれたのである。
気配はひとつ――であればサーヴァントは?
考えるまでもない、あのサーヴァントはアサシンだ。
おそらく、現在アサシンは気配を遮断しているのだろう。
愛歌はユリウスの真横の空白に、存在するはずのない“個体”を見て取る。
どうやら、一人でのこのこ現れたというわけではないようだ。
「ごきげんよう、暗殺者さん。今日のお仕事はお休みかしら」
「――生憎と、貴様に対して暗殺などという無駄極まることはしない。コレでも俺は、それなりに効率主義だ」
あらそう、とユリウスの言葉に愛歌は答える。
まったく意外そうでもなく。
「……覚悟しろ、とは言わん。俺は俺のやり方で、貴様に引導を渡すだけだ」
「あら、それは良いことね」
言いながら、愛歌はユリウスに背を向ける。
コレ以上の会話は、両者の間には不要だろう。
「――次にあうときは、アリーナかしらね」
「どうだろうな」
チラリと視線だけを向けて、それ以上は問いかけない。
――――人の消えた月見原学園。
ただ、愛歌の足音だけがその場に響いた。
ユリウスは、ただ視線でそれを追うだけ。
その瞳はひどく淀んでいる。
闇を見てきた者の目だ。
そこにあるのは、絶望でも、失望でもない。
傍観と呼ぶのに近い感情。
ただ、決定的に――死を受諾するほどではないそれは、傍観と呼ぶには程遠い。
感情は覗けない。
思考もまた、垣間見えない。
隣に立つ暗殺者のサーヴァントは何を思うだろう。
それすらも、愛歌にとってはどうでもいいことで――
かくして天災の少女と、黒衣の処刑人は、言葉短に、互いへ向けて戦線を布告するのであった。
◆
「――ついに、西欧財閥の一角と相まみえることになった、か。ようやくとも言えるし、当然とも言えるわね」
保健室にて、話を聞いた凛はそうまとめた。
対戦相手の発表を終えて、それを会話の種に愛歌は遠坂凛の元を訪れていた。
見舞いというわけではない。
すでに凛は完全に復調しているし、彼女が保健室にいるのは、そこを根城としているからだ。
参加者ではなくなり、さりとて単なる機能でしかないAIと違い、凛には体を休める場所が必要だった。
そこであてがわれたのが保健室だ。
今では、ベッドの一つを完全に占領し、さながら魔術師の工房じみたものを作り上げている。
さすがはレジスタンスの環境構築能力か。
「ユリウスは魔術師としても優秀であるだけじゃなく、
「――現実でも、電脳でも優秀、か。規模は小さいが奏者のようだな」
「少なからず、天才っていうのはそういうものよ。まぁ、あいつの場合問題はマスターじゃなくてサーヴァントの方なんだけどね」
万能の天才――言ってしまえば凛もそうではある。
少なくとも、現実を戦場にする者達の足手まといにならない程度のことなら、簡単にこなして見せるだろう。
とはいえ、それはあくまで人間という部類においてだ。
愛歌のように英霊の域にすらたどり着くことができる才の持ち主ならばともかく。
「わたしのランサーも、レオの騎士王も大概反則級だけど、あの
「……一体どこからそんな話を拾ってくるの?」
「知らないわよ、適当に情報をサルベージしてるだけなんだから。多分ユリウスの対戦相手だとは思うんだけど」
愛歌の問に、凛は肩をすくめて見せた。
――凛の周囲には大量の本がうず高く積まれている。
これは凛が参加者としては脱落してなお、情報を収集しているがためのもの。
思わぬ不運か幸運か――愛歌に救われたというのは、間違いなく幸運であろうが――参加者ではなくなったものの、自分のやるべきこと、やらなければならないことを、止めるつもりはない。
ちょっとやそっとでは、自分の信念を崩さないのが遠坂凛だ。
そして、凛の語ることは、彼女が情報収集にもとより熱心であったことも語っている。
自身のサーヴァントの真名すら探ろうとはしなかった愛歌とは大きな違いだ。
探らずとも判ずることができた、ということでもあるのだが。
「レオの騎士王を“どうしようもないほど強い”と言うのなら、あのアサシンは“わけがわからないほど強い”って感じかしら」
「……随分と解りにくいニュアンスだな」
「ゲームで反則をしないのに反則なくらい強いのが騎士さまで、反則をした上で強いのがアサシンよ」
――何故か、凛のたとえよりも愛歌のたとえの方がわかりやすい。
まぁ、凛の台詞を愛歌が言葉にしただけではあるのだが。
「もともとユリウスからして反則野郎だしね。まぁ、真っ当な戦いは望めないはずよ」
――放課後の殺人鬼。
予選において流れていた噂の一つ。
その犯人がユリウスであった。
三回戦開始前においても、似たようなことを行っていたし、何より。
「わたしが貴方の対戦を覗き見たきっかけが、彼ですものね」
へぇ、と凛は納得する。
愛歌は偶然あの場に居合わせたのだ。
まったくもって望外の幸運。
「あーっと……なんていうか、私が言える立場じゃないとは思うのだけど――」
それを意識した以上、凛はそれを口にせずにはいられない。
「どうか、負けないで。これは完全に単なる損得の話なんだけど、貴方には負けて欲しくないの」
“救われた”という幸運。
それが、レオ・B・ハーウェイと、西欧財閥を打倒しうる人材であるのなら、なおさらだ。
「できる助力なら何だってする。貴方にたいして何か助けになれるとは思わないけど、それでも――」
一拍、凛は置いて、愛歌の瞳を見た。
澄んだ瞳だ。
汚れなど何もない、迷いなど在るわけがない。
ただまっすぐ凛を見返して、愛歌は少しだけ笑っている。
「――――私は、あなたの味方のつもりだから」
やがて、保健室に沈黙が満ちた。
声を発する者が居なければ、この場にもはや喧騒などありえない。
――終焉へと向かう聖杯戦争。
月見原は、黄昏へと加速している。
「……わたしは、貴方にお礼を言うつもりでここへ来たのよね」
え? と凛は驚愕を覚える。
愛歌から感謝されることなど何一つ無い。
そんなこと、凛は――誰であっても、できはしないはずなのだ。
「――ありがとう、貴方のおかげで、ようやく“思い出せた”わ」
しかし、それは愛歌の言葉で納得へと変わる。
愛歌は自身の記憶をすり替えられていた、何者かによって。
ようやくそれを、凛の知識によって是正できたのだ。
けれど、
「それは……セイバーに言うべきことじゃない?」
「――セイバーにも、勿論感謝はしているわ。でも、セイバーに対しては感謝以上の礼を上げるつもり。でも貴方には、こうしてお礼をいうことしかできないの」
なんでかしら、と愛歌は不思議そうに首を傾げた。
――あぁ、そうだ。
これが遠坂凛の知っている沙条愛歌だ。
何もかもを見通しているようで、肝心なことは、何一つ知らない真っ白な少女。
体現された純真無垢。
くすくす、と可笑しそうに凛は笑う。
「……なんで笑うのかしら?」
何気ない声には、どこか不満そうなニュアンスが見えていて――
「いえ、当然よ。感謝しかできないのは、それが当然」
だってそうでしょう?
そう、首を傾げて言葉を紡ぐ。
「――――私と貴方は、友達なんですもの」
そんな言葉に、愛歌は不思議そうに思案気な表情を浮かべるのだった。