ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮)   作:暁刀魚

52 / 139
終:地獄

 結局、沙条愛歌が所属していたコミュニティの壊滅は、個人の犯行によるテロだと結論づけられた。

 とはいえ、そのコミュニティは財閥の影響こそ受けていたものの、財閥に所属していた訳ではない。

 目的は財閥に対するものではなく、もっと別の面にあったという推測がなされるのは必然だ。

 

 考えられるのは、そのコミュニティが犯人にとって重要な“何か”を所有していた場合。

 少なくとも、捜索した限りでは、“何か”が保管されていた形跡も、それを犯人が探していた形跡も見つからなかった。

 

 つまり、何かは世界にとって重要な“物”ではないということだ。

 コミュニティ自体も実に普遍的なもので、かの大災害前の秩序をほぼ完璧な形で有しているという点を覗けば、さしたる特徴もない。

 

 立地的にも、コミュニティ自体にも魅力がなく、しかし災害の対象となった理由は何か。

 考えられるのは、そのコミュニティに“人が集まる”という特性があったことだ。

 要するに優良な環境故に、周囲から人を呼び寄せていたわけだが――つまるところ、

 

 その何か、とは“人”である可能性が高い。

 

 勿論確証など何もない。

 だが、あまりにもおあつらえ向きに、犯人が目を向けるような“人”がいて。

 しかも、それ以外に理由が考えられないとすれば――それはもはや答えと同義であった。

 

 なんでもない場所に生まれ、それでもなお災厄の主に目をつけられるような存在。

 もはや、それが誰であるかは想像するまでもないだろう。

 自明の理。

 明白の事実であるのだから。

 

 

 ――沙条愛歌、彼女を目的としてそのテロは起こされたのだと、推察された。

 

 

 事件が起きたのは、一夜の内の出来事である。

 だが、その下準備は随分と昔から出来上がっていたようだ。

 どういうわけか――想像するまでもないことではあるが――コミュニティの中枢に取り行った下手人は、ある仕掛けをコミュニテイの人間に打ったのだ。

 

 それらはひとつの方法ではなく、例えば献血だとか、例えば診断だとか、あらゆる形で街の人間に少しずつアプローチをかけた。

 誰かに違和感を持たれることのないよう、長い時間をかけて、だ。

 多くの場合は、ある胡散臭い宗教の勧誘のように――ではあったようだが。

 

 それだけの手間をかけて行ったのは簡単。

 “時限爆弾”を人々の思考に植えつけたのだ。

 ある時、犯人の指令によってそれは起動され、人は植え付けられたオーダーをこなすだけの機械となる。

 

 ――手当たり次第に、目についたものを襲え。

 それも物理的な形ではない。

 

 言葉にするもおぞましい、“凌辱”という形でもって――

 

 

 ◆

 

 

 ――そのコミュニティにおいて、“相談会”と呼ばれる催しが推し進められ始めたのは何時の頃か。

 愛歌の記憶では、それはたしかコミュニティが壊滅する一年ほど前のことだったはずだ。

 

 貴方の悩みを救いましょう。

 などと、随分胡散臭くはあるのだが、この末法の時代、どれだけ平和なコミュニティにあっても、不安というものは尽きないものだ。

 それ故か、その“相談会”は爆発的にコミュニティ内で普及した。

 

 それをコミュニティを統率する側も、奨励はせずとも認可したため、後押しとなった。

 ――今にして見れば、その時にはコミュニティの統率者たちは、“アレ”に籠絡されていたのだろう。

 

 かくしてコミュニティ内ではおおよそ九割がその相談会を体験した。

 相談を受けたものの多くが、それまでの悩みを消失したかのような様子も、それに拍車をかけたことだろう。

 

 さながらそこは、現代に築かれた楽園であった。

 あらゆる悩みから開放され、あらゆる幸福に包まれる。

 

 苛立ちも、戸惑いも、迷いも何もかもが消失し、真の人の理想郷がそこにあった。

 

 とはいえ、それがまやかしの類であったことは考えるまでもないだろう。

 完成した楽園は、その中にあるのであれば幸福であっても、端から見れば異常そのものだ。

 

 西欧財閥の作り出す安定が、あくまで単なる秩序でしか無いということから見ても、それがわかる。

 秩序ある社会と比べて、“秩序すら蒸発した”世界では、もはやそれは、人の世界とは言えなくなる。

 

 それでも、沙条愛歌はそれを異常とは認識すれど、“どうでもよい”と考えていた。

 たとえこのコミュニティが崩壊しようと、愛歌にはどこでも活動できる才覚はあったために。

 また、愛歌はそのコミュニティに、何の愛着も持っては居なかったがために。

 

 ――とはいえ、もしも愛歌がそれを解決しようとしていても、解決できていたかは、怪しいところだが。

 

 

 それほどまでに、この天国(じごく)を創りだした悪魔は、ろくでもない存在だった。

 

 

 そして、そんなさなかに合って、愛歌の姉、沙条綾香は、相談会に足を運ばなかった一割。

 ――現状に言いようもない焦燥感を抱えていた者の、数少ない一人であった。

 

 

 かくしてそれは、今より二年前、ある一夜にして、地獄と変わる。

 

 

 ◆

 

 

 その日は、随分と蒸し暑い一日であった。

 朝からどこかぼんやりとした蜃気楼が街を覆い、人の姿は間近であっても、不確かなものとなってしまうほど。

 街そのものが、異界に取り込まれたかのようであった。

 

 行き交うものに生気はない。

 ただ、どこか呆けたような顔は、常に薄ら寒い笑みを浮かべていた。

 実に幸福そうな破顔ではあったが、道行く者すべてが、“同じ表情”をしていては、薄気味悪いと思わざるをえないだろう。

 

 それは、一年ほど前からこの街で見られた光景であった。

 話しかければ、そのものは実に嬉しそうに反応を示す。

 そこに正気は確かに見られはするのだが、ゆえにこそ、一人でいるときにぼんやりとした態度でいるのは、どうにも異常に思われた。

 

 それは単なる幸福であっただろうか。

 ――否である。

 単なる日常の幸福であればよかっただろう。

 誰もが感じうる、幸運の一つであればよかっただろう。

 

 それがなかった。

 そうではなかった。

 そうなれなかった。

 

 どこまでも歪で、どこまでも不可思議な“人の身に余る幸福”は、彼らの意識を夢の最中へと誘ったのだ。

 夢は人を至福にもしよう。

 だが、人は夢に対して不安を抱くものだ。

 漠然とした不安――それは現実感と呼ばれるもの。

 

 それが失われた時、そこに人が現実を生きるという感覚は消え去ってしまう。

 

 人は、現世からそうではない世界へと、位相を変えるのだ。

 

 それは決して、幸福と呼べることではなかっただろう。

 

 やがて陽が落ちて、空を鮮やかな紅が覆った。

 神の空を思わせる黄昏の暮れ方。

 

 それが過ぎ去ったかと思えば――悠久にも思える天の国は、

 

 

 ――すべてを地獄へと、変じさせた。

 

 

 はて、終末とは何であろう。

 世界の終わりとは、地獄とは一体何処にあろう。

 

 決まっている、そんなものこの世のどこにもありはしない。

 

 かつて大陸を覆った最悪の病魔も、

 世界すべてを巻き込んだ戦乱も、

 

 それらは、この世界、“人の世”で起きたことだ。

 

 どれもが地獄のようだと形容されようと、それを引き起こしたのは紛れも無く人間であり。

 それによって、人は最悪を体験した。

 

 ――――だが、それで人が滅びはしなかった。

 

 故にこそ、人は地獄を作れない。

 どれだけ最悪の状況にあろうとも、それは人が作り出せるだけの最悪だ。

 人が感じられるだけの最悪だ。

 

 もしも、その箍が外れたとするのなら、それはきっと、本物の地獄と呼ぶべきものなのだろう。

 

 ――夜が幕を開ける。

 陽の温もりは掻き消えて、その日はイヤになるほど肌寒い日であった。

 

 異変はすべてが一斉に起きたわけではなかった。

 相談会を受けたタイミングが故だろう、最初に変化を見せたのはむしろ少数であった。

 

 それが気がつけばすべてを――街全体を飲み込んだ。

 それまでに、一時間も時は要さなかっただろう。

 

 

 ――一時間で、天国とされた世界は、この世の終焉へと誘われていった。

 

 

 そこにあったのは液体であった。

 なんということのない、中流家庭の民家の一室。

 ――一人の男と、一人の女が組み合ったまま倒れこんでいる。

 

 女はすでに死んでいた。

 体中からあらゆる体液を垂れ流し、――何よりも鮮やかだったのは真紅の鮮血であった。

 顔は幸福に満ちた絶頂と、恐怖に歪んだ苦痛が同時に浮かんでいた。

 ――顔の半分は狂気に満ちて、顔の半分は絶句に満ちていた。

 

 ふと、静寂に満ちた室内で、おかしな音がする。

 

 哄笑だ。

 男の笑いが、やがて室内を満たす。

 しかしそれを“笑み”と呼ぶにはあまりにその顔は醜悪だ。

 

 さながら、笑うという人間的動作を忘れてなお、それを求めるかのような。

 

 畜生共のそれにすら届かない――もはや単なる雑音であった。

 

 男の口から、血液と、唾液と、それからもはや口にすることすら憚られる体液がこぼれ出す。

 それを“抑える”機能すら、男からは失われていたのだ。

 

 やがて男は、食らいつく――どこか、女の身体にだ。

 

 獰猛に顔を歪め、獣が如き疾さで女の耳に喰らいつき、それを一息に“食いちぎる”。

 咀嚼の音が、大げさに開け広げられた口元から響く。

 

 下劣にも過ぎるその音がやがて途絶え、男は顔を天井へと振り上げ、再び笑いにすらなっていない絶叫の後――

 

 

 ふと、糸が切れた操り人形のように、その場に倒れこんだ。

 

 

 男の身体から漏れた体液がやがて室内を満たし――男の両の手は、何かに“噛みちぎられていた”――女の水分が室内を水浸しにして――

 

 ――それは、室内の外にすら漏れだした。

 

 あらゆる汚物が綯い交ぜにされた匂いが、民家の中だけではない、街中至る所に広がった。

 

 街の一角にて狂ったように絡み合っていた数人の男女が、周囲に漂った汚物を、求めるように身体を向ける。

 

 ――その発信源が自分であることに気がついた男が一人、幸せそうに笑んで、自分の体に噛み付き、捕食していた。

 すでに両の目を失っていた女は、その匂いへと足を向け、数歩歩いた後――ぷつりとその場で事切れた。

 

 ――人が人を捕食していた。

 

 ――人が自身をバラバラにしていた。

 

 ――誰もが自身の衣服すらも引きちぎり、快楽のままにすべてを融かそうとしていた。

 

 それがさも当然であるかのように、人間を喪ったあらゆる者達は、ただ狂った。

 ――狂い、笑い、そして死んだ。

 

 

 街は、もはや異常を通り越していた。

 

 

 ただすべてに置いて共通していたのは、その場に正気といえる者は消滅しつつあったこと。

 ――よしんば正気であったとしても、精神を犯されるには、あまりに十分過ぎる環境がそこにはあった。

 

 そこに、“人”の余地はなかった。

 人が生き残る世界は、――災禍と呼べる要素は、もはや取り払われていたのであった。

 

 その“箍”は、すでに失われていたのである。

 

 

 ――それは、沙条愛歌においても同様であった。

 

 

 愛歌自身が正気を喪ったのではない。

 愛歌の父親――このコミュニティを統率する立場にあったものが、愛歌に襲いかかったのだ。

 

 それでも、愛歌は実によく逃げた。

 ただ、そんな愛歌を、愛歌よりも狡猾な何かが、周到に追い詰めて見せたのだ。

 

 やがて愛歌が逃げ込んだのはすでに亡くなった愛歌の母が遺したガーデン。

 追いかけてくるものは、もはや自身の父親ただ一人。

 他の者達は、愛歌によって振り払われ、意識を互いに向け合って――貪りあった。

 

 死体がいくつも重なりあって――動くものは、二つしかない。

 ただ、その動く一つを振り払う手段が愛歌にはなかった。

 身体を大の大人に押さえつけられてしまえば、十才程度の少女では、抗うことは不可能なのだ。

 

 ――――この頃の愛歌は、まだ魔術というものを実際に使用したことはなかった。

 家に放置された旧時代の魔術の資料を読みあさったことはあるものの、ただ知識があるだけだ。

 この時において、未だ沙条愛歌は、その才覚はどうあれ、単なる少女に過ぎなかったのだ。

 

 ――それを、この時ばかりは後悔するのであるが。

 

 自身の服を開けようと迫る父親に抵抗しながら、それでも愛歌は考えた。

 ここで諦めることができるほど、彼女は弱くはなかったのだ。

 

 それでも、あらゆる選択肢が不可能という言葉を告げる。

 たとえ天才愛歌であっても、ここまで追い詰められてしまえば、もはや万策は尽き果てる。

 

 

 ――諦めてしまえば、愛歌の心は早かった。

 

 

 ――あ、と口から声が漏れて、それは驚くほど、か細い声で。

 

 気がつけば、その視線は――――

 

 

 ――――父親の後ろに立つ、沙条綾香に釘付けになっていた。

 

 

「自分の娘に、何、やってるのっっ!」

 

 

 盛大に、鈍い音がして――愛歌の父親は、どさりと倒れこむ。

 手にはスコップ――おそらくは、ガーデニング用のもの――沙条綾香は、肩を震わせ自身の父を睨みつけた。

 それから、愛歌に駆け寄ると、手早く乱れた服を直す。

 

 やっちゃった、やっちゃった――そんな声が、口元から漏れていた。

 

「……何を、しているの?」

 

 愛歌は、そんな事を、思わず自分の姉に問いかける。

 

「何って、当然のことでしょ! 流石に妹が襲われてたら助けなきゃダメじゃない? っていうか、一体どういうことなの? ねぇ愛歌、何かわかる?」

 

 愛歌は答えない。

 何も知らないということもあるし、何より愛歌は、状況に激しく混乱していたのだ。

 父に追われたことではない――綾香に助けられたことにだ。

 

 妹を助けるのは当然だ。

 言っていることはわかる――だが、そも、助けるという行為自体が、愛歌にとっては驚愕であった。

 

 たとえ妹であっても、その妹は沙条愛歌――怪物と呼ばれた者なのだ。

 それを身近で、最もよく理解しているはずの綾香が、何故この状況で、愛歌を助けようというのか。

 

「――――なんで、助けたの?」

 

「なんでって、そんなの当然のことでしょ? そんなことよりも――」

 

 本当になんでもないように、漏れでた愛歌の言葉を、綾香は流した。

 愛歌の疑問に満ちた視線を気にもとめず――もしくは全く気が付かず――綾香は続ける。

 

「早くここから逃げなくちゃ。……まだ走れるよね?」

 

 愛歌は、こくりと頷く。

 それからもう一度言葉を紡ごうとして、

 

「あぁでも、お父さんはどうしよう。このままっていうわけにも――」

 

 綾香はそれを遮るようにぶつぶつと呟き――――

 

 

「――――その必要はございませんわ。その者は、もはや人ではないのですから」

 

 

 そんな声がしたかと思えば。

 

 

 沙条綾香の胸元に、人の手が、生えていた。

 

 

 ◆

 

 

 ――――死者は蘇らない。

 

 

 ――――なくしたものはもどらない。

 

 

 ――――いかな奇跡と言えど、

 

 

 ――――変革できるものは今を生きるものに限られる。

 

 

 ◆

 

 

 かつて、何年も前――“二年まえのことだ”――未だ記憶の中にこびりつくもの。

 

 たくさんの死体。

 折り重なるように連なって。

 断頭台を眺めるようにかためられ。

 ただ、それは群衆のように、その場に打ち捨てられていた。

 

 血まみれの家族。

 彼は悲鳴を轟かせた。

 ――“彼は、沙条綾香によって愛歌の胸元から振り払われた。”

 彼女は不思議そうに後ろを振り返り、困ったように顔を曇らせた。

 “綾香は、愛歌の言葉に、曖昧に苦笑して見せた。”

 

 血まみれの自分。

 その血は、きっと自分のものではなく。

 

 

 ――誰かが背後から貫かれ、誰かがそれをした。

 

 

 ――そして、自分はただそれを見ていた。

 そこに在る感情は、いまでもはっきりと理解している。

 “無力”。

 わたしの中にあった、あらゆる力がその原初を失い、散っていった。

 それで、ナニカが変わるなんてことはあるはずもなく。

 

 その光景だけが、わたしの“そこ”にこびりついた。

 “あぁそうだ、この時だ。この時に、沙条愛歌はこの世に生まれた。”

 “人としての、色を得た。”

 

 もはやその出自すら忘れた――

 “もはや決定的となった、綾香の死。”

 

 わたしの覚えている、最初の記憶。

 

 

 記憶の中で、自分の姉は、沙条綾香はぽつりとつぶやく。

 

 

「なんで貴方を守るのかって……それは、姉は、妹を守るもの、だから」

 

 

 困ったような笑みは、やがて精一杯の強がりに満ちた笑みに変わって――

 

 

「――――わたしは貴方のお姉ちゃんなんだもの、妹は守らなくちゃ」

 

 

 それが、愛歌の覚えている、沙条綾香の最後の言葉だった。




 ――これにてEXTRAの物語は一旦オシマイ。
 CCC、例外処理へと舞台は移ります。
 この作品の場合、例外の中こそが本番といえるでしょうか。

 そういうわけでして、次回からCCC編ですが、少しの間だけ更新はお休みしようかと思います。
 最短で三日、その間に書き溜めがラニ編まで終わらなかったら六日で再開とします。

 いろいろとご報告することはありますが、何よりまずはここまで本作をお読みいただきありがとうございました。
 詳しくは活動報告にてお知らせする予定なので、しばらくお待ちいただければと思います。

 それでは、コレより先は、沙条愛歌の物語は深遠へ。
 彼女の本性を、少しずつ紐解いていくこととしましょうか。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。