ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮) 作:暁刀魚
パッションリップの本質は被害者だ。
被害者の本質は孤独であること、誰にも理解されず、ただ一人虐げられること。
リップの場合、それに耐える強さも、図太さもあった。
鈍いだけ、とも誰かは彼女を罵るだろうがそれでも、リップは一人でも構わなかったのだ。
本来、リップは誰にも理解されないはずだった。
たとえどれだけ人が彼女に優しくしても、リップの手には爪がある。
どうしたって誰かを傷つけてしまうそれはリップにとって枷であり、象徴でもあった。
必ず誰かを咎めるのなら、それは即ち疵となる。
疵を恐れて人は彼女に近づかない、彼女の理解者は現れない。
それがリップの、生まれながらにして与えられた宿命だった。
誰かに救われて、誰かにその救いの意味を教えられて初めて、リップという存在は自身の疵を成長の証に変えられる。
――――はず、だったのだ。
つまり、リップとは自身の罪を認め、成長することで初めて、本当の意味で救われる存在なのだ。
被害者であることをやめない限り、彼女は誰にも救われない。
そんな存在であるはずのリップがもしも誰かに救われてしまったら。
誰かに理解されてしまったら。
それはもはやパッションリップという存在の根底を揺るがす一大事だ。
被害者とは、理解者を得た時点で被害者ではなくなる。
救われるのだ。
けれどもリップの場合、それは本来“行われるはずのない行為”である。
もっと言えば、行われてはいけない行為なのだ。
その禁忌に、触れる少女が一人いた。
――――沙条愛歌である。
沙条愛歌、狂気に満ちた、曰く渾名を“根源接続者”。
タブーを軽々と踏み越えてリップを救いに少女は現れた。
その救いにリップはただただ困惑する他はない。
頭を優しく撫でられて、そのたびに感情が大きくうごめく。
未だ露わにされていないパッションリップ最後のSG「神経過敏」。
それがリップにひたすら自身の困惑を告げる。
「――――あ、あの、あの。何を、……んぅ! してらっしゃるんです、か?」
「あら、怖がらなくてもいいのよ。大丈夫、私は貴方を救って上げる。貴方はそれに身を任せればいいの」
重ねられた手のひらは、なぜだか遠く、無機質で冷たい。
それは愛歌の手の温度ではなく、パッションリップの爪のせいであるのだが、リップにはそれが、ある意味隔絶された両者の隙間に感じられて仕方がない。
それほどに、己はこの少女を理解できない。
いざこうして自分が“救われる”という段階に至って初めて、パッションリップは“救いを求めていない”ことに気が付かされる。
そも、リップは何の救いも求める必要はないのだ。
ただ愛されたい、愛したい、それだけが彼女の中にはあるのであって、それは決して救いではない。
だから、自分の愛が、愛しいものに否定されるのならば、無理矢理にでもそれを手に入れる。
すべてを壊してぐちゃぐちゃにして、それこそが正しい愛の帰着だ。
「わ、私、は。その、センパイが素敵で、だから、その素敵なセンパイが、変わるのは、とっても嫌で、だから、変わろうとする、センパイを止めようと、していて」
――あぁ、自分は一体何を言っているのだろう。
こんなはずではなかったはずだ。
けれどももう、ここまで来てしまっては止まらない。
優しい人は、自分の言葉を優しく諭してくれるはずなのだ。
だけど、とか、でも、とか、愛に満ちた言葉を、それがわからないパッションリップに丁寧に授けてくれるはずなのだ。
――――無意識の中ではある。
だが、それでもパッションリップの中には、本来そうなるはず、そうなるべき、という感覚が生まれつつあった。
それは――それこそは人間が抱える最大の矛盾。
期待して、だというのに裏切られることを理解していて、むしろそれこそが人間の求めることそのものであって。
期待しながらも諦める、そんな二律背反を、パッションリップは意識の外に獲得しつつあったのだ。
だから、愛歌へ求めるのは、きっと矛盾に満ちた、当たり前過ぎる答えであって。
決して、
「――――大丈夫、私が貴方を導いてあげる。変わった先も、変わらなくとも」
こんな、何もかもを肯定してしまう、魔性に満ちた言葉ではなかったはずだ。
ゆっくりと、リップは抱きすくめられる。
身体全てを羽交い締めにされるような感覚、自身の過敏な精神は、それに思い切り悲鳴を上げる。
歓喜では、なかった。
きっとそれは――――
「違い、ます。違います、センパイ。私は、私はそういうんじゃなくて……」
わからない。
パッションリップは、わからない。
――――沙条愛歌がわからない。
解らなくて、けれども言葉は口を滑り落ち、意味もなさずに消えていく。
何を口にすれば良いというのだ。
何をどうすれば、彼女はリップの言葉に応じてくれるのだ。
「大丈夫、大丈夫よ。落ち着いて、私は貴方を待っているのだから」
背中をとん、とん、と、愛歌はそっと叩いてくれる。
パッションリップを慮って、ただただ自分を受け入れている。
それに対してリップは、ポロポロと涙のように、言葉を零す他はない。
違う、違う、私が求めているのはそういうことではない。
否定して欲しい、憎んで欲しい、嫌って欲しい。
そうすれば、後は自分のやり方で愛歌を愛せる。
今もこんなにも、リップは愛歌を愛したいのに、愛歌がそれをさせてくれない。
だってリップを受け入れているから、誰からも嫌われなくてはならない、そんなパッションリップの特性が、全て否定されてしまっているから。
結局のところ、リップという存在はAIなのだ。
自分のあり方を守らなければその存在を許容できない。
愛歌は、リップが本当に必要とする物を与えてくれた。
温かい言葉を贈ってくれた。
確かな理解を与えてくれた。
それは、誰もがリップに与えたそしりとは別物で、リップが羨んでたまらなかった、穏やかな世界の象徴なのだ。
けれどもそれは、リップの本質を決して変えてはくれなかった。
自分はおかしい、それがリップにはわからない。
解らずとも、そのおかしさを正すことができれば、どれほど良かっただろう。
しかし、愛歌はそれを与えてはくれなかった。
与えようがなかったのだ。
優しさは、決して人を救いはしない。
何故ならば、そも人は自分自身でしか救われない存在なのだから。
助けられることはできるだろう、けれども救うのは己の力、勝手に自分で救われて、そこに誰かは存在しない。
――――そして、「優しさ」という行動は、感情は、行為は、誰かが誰かに与えなければ意味を成さない。
ここに矛盾は成立する。
かくして世界に平穏による救いは与えられない。
平和は世界の救いではない。
パッションリップという一個人に移ってもなお、それは全く同様であるのだ。
だから、どれほど彼女の言葉が自分を救おうとしていても、認められるものではない。
受容していいはずがない。
「――――あぁ、そっか」
ようやく、解った。
ここに、パッションリップの矛盾は成立した。
彼女はようやく、理解したのだ。
「……どうしたの? リップ」
愛歌は、何かを乞うように、リップに向けて声をかける。
それを、
リップは、
そっと、優しく、
「ありがとう、センパイ――愛歌さん。私はもう、救われています。だから、だから私を――――愛してください」
突き放す。
愛歌はそれに、仕方がないと嘆息するように微笑んで。
それは柔和な笑みではあったけれども、決してそれまでのものとは種類が違って。
ようやく、愛歌は身体を、パッションリップから離すのだった
「あら、そう。それなら仕方がないわね。――リップ、私は貴方を愛せないの、敵同士ですものね。辛い別れって、私は嫌いなの」
本当の本当に――大っ嫌い。
心の底から、嘘偽り無い本音を吐き捨てる。
それをリップは、理解し、納得することができた気がした。
なんともそれは不思議な心持ちがするのだ。
自分は今、何か感情を抱いている、それが何かはわからない。
暖かくはない、冷たくもない。
どちらであっていいはずがない。
それは言葉に出来ない、確かな感情。
――名付けることはできないのだ。
人は常にこれを抱えて生きている、今はマダパッションリップは知らないけれど、それこそ感情を動かすための機関。
即ち、――“心”なのである。
そしてリップは、そんな心の赴くままに、ただひたすらに言葉を紡ぐ。
「――――愛歌さん」
もう一度、彼女のことを名前で呼んだ。
それは、きっと決別に近いものなのだろう。
自分の中にある起源から、パッションリップという存在の楔から、抜け出すための魔法の言葉。
「愛歌、さん。愛歌さん――――愛歌さん」
三度、重ねてその名を呼んでみた。
「なぁに?」
愛歌はそれにためらうこと無く答える。
「よくも、私を愛せないだなんて。酷いです…………とっても、とっても、酷いです」
リップはそれに返すべく、言葉を連ねる。
「だから……覚悟、してください。私は、貴方の壁になります。だって、そうでもないと、これを本当にできそうにないから、好きだったことを、もっと肯定できないから」
うん、そうだ。
それがあまりに、しっくり来る。
パッションリップは今を持って未完成。
するべきこと、しなくてはならないことが山のようにある。
それを、愛歌にぶつけるべきなのだ。
愛歌にどんな意図があったにしろ、パッションリップにあまりにも強引な手腕で、心というものを愛歌は与えた。
だとすれば、その心の感性は、愛歌によって磨かれなくてはならない。
――そう思うと同時、リップの胸のあたりに、光が漏れる。
SGだ。
これまで愛歌はその存在を、その名を確定させながらも、手にすることはしなかった。
これでようやく、そのSGが埋まる。
三つ目の壁が破られると同時――――パッションリップの障壁が、誕生することになる。
それが決戦の合図。
三度目の、乙女の最中への突入する時間だ――――!
◆
愛歌は、セイバーの想像すらしなかった手段でパッションリップの心を一つの形に練り上げた。
アルターエゴは、その本質はあくまでAIだ。
それ故に、一つの役割から抜けだせず、求めているハズのものを絶対に得られない。
それを愛歌は強引に与えることで破綻を起こさせた。
矛盾を発生させたのだ。
本来であればどうあっても与えられるはずのないもの。
リップが異形であるかぎり、人がそれを恐れる存在であるかぎり。
――愛歌はその例外だったのだ。
人らしからぬ感性を持ち、人らしからぬ行動を取れる。
故に、これは成立した。
愛歌にしかできないこと、愛歌だからできたこと。
(――とはいえ、悪いことではないだろう。奏者のソレは、奏者の中に“何の変化”もなければ、起こりえなかったはずのことだろう)
奏者が“それ”に近づいていなければ。
単なる神の如き、災害のような存在であれば、きっと愛歌はリップを救わなかった。
だから、良いことなのだとセイバーは結論付ける。
とはいえ周囲にそれは難しいようで、通信機越しに、桜の“ありえない”というつぶやきが聞こえてくるわけではあるが。
ともあれ、そもパッションリップにはまだ幾つかの問題がある。
彼女は多くの罪を抱えている。
あの存在は、被害者の化身であると同時に、何かを傷つけなければ存在できない“エゴ”である。
故に、アレだけでその罪が赦されるなどありえない。
自分の意思で、他人を傷つけたという事実がある以上、もう少しだけ、パッションリップには前を向いてもらう必要がある。
「――――奏者よ、一度拠点に戻ろうぞ」
作り上げられたリップの障壁を感慨深げに眺める愛歌に声をかける。
言葉はなかった、解っていると言わんばかりのえみとともに振り返り、セイバーの横を通り過ぎたのだ。
ついてこいと、愛歌はそう言っている。
――それ以上はセイバーからはその意志を、読み取れそうになかった。
さて、パッションリップに対するのは、愛歌の仕事、そしてセイバーの仕事である。
通常通り、壁はコレまでどおりに出現した。
決戦の時は、近いのである――――