ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮) 作:暁刀魚
パッションリップには、いくつかの選択肢があったはずだ。
爪を使った突撃は、確かに直線的で正道な選択だ。
けれども、やりようによっては別の方法でも構わなかったはずで、故にリップは敢えてそれを選んだ、ということになる。
とはいえ、それは日常においても同じことで、たいていの物事には選択肢が存在する。
けれどもその中から、人は一番“当たり前だ”という選択を、無意識のうちに選び続けているわけだ。
だから、選んだ。
それにリップは疑いを持たなかったし、そもそも考えている時間もなかった。
だけれど、後々考えなおしてみると、自分はそうすることで、何かを望んでいたのだと、そう思うのだ。
思ってみればそう。
何もおかしなことはない、自分は元からそういう存在だったのだ。
誰かに自分の理想を押し付けて、けれどもその理想は誰にも理解されなくて。
そんな事、最初からわかっているはずなのに、凝りもせずに夢を見る。
あぁそうだ。
自分は否定されたかったのだ。
誰かのものになるために、誰かに捨てられなくてはならなかった。
否、そんな人間らしいことじゃない。
だって、自分は元はAIなのだ。
機械に人間らしさなんていらなかったのだ。
だから――リップはただ、ルーチンをこなしていただけにすぎない。
それでも知ってしまった。
自分がルーチンにとらわれていると。
そのルーチンから外れてしまった時点で、自分は困惑するしか無いのだと。
これは、きっとその象徴なのだ。
リップの両手に宿った剣、彼女を守るための爪。
パッションリップ自身はそれを認識できないが、少なくとも、それこそがリップの半身だった。
自分を形作る殻だったのだ。
それを破りたいと思った。
何も不思議なことではない。
人は常に変わっていく生き物で、自分も同じように変わりたいと思った。
だから、選んだ。
変わるために、変わってしまうために。
沙条愛歌は、パッションリップに悩むということを教えてくれた。
考えるということを知らしめてくれた。
それはリップにとってあまりに尊いことであり、絶対に忘れられないことになる。
明日を更なる変化に変えるため、リップは剣を愛歌に捧げる。
この剣は、彼女に否定されるための剣。
リップはかつての自分の象徴でもって、愛歌に挑んだ。
もしもそのリップが愛歌に敗北してしまうのなら――――もう、そんな自分は必要ない。
だから、だから、――――だから。
◆
ゆっくりと、時間は戦いの終わりを告げる。
そこに在るのは永遠のような体感でもなく、気がつけば終幕を迎えた劇場のようでもなく。
ただ、滑り落ちるボールのように、滞ることなく、辿り着いた。
――息を呑む音がする。
セイバーだ。
この状況において、戦局を固唾を呑んで見守れる存在は、一人しかいない。
そんな彼女は、ゆっくりとこの空間の崩落が和らいでいくのを感じた。
当然だ、本調子ではないリップの破壊では、ここをズタズタにできたとしても、破壊し尽くすことは不可能である。
それを見越した上でのリップの奇策だったわけで、これは即ち、当然の帰結。
当然の帰結というならば、それもまた、行き着いた先の、当たり前の答えであった。
戦場のほぼ中央、向かい合う二人の少女。
一人はパッションリップ、どこかはかなげで、優しげな笑みで、真正面の愛しい彼女に笑いかける。
もう一人は沙条愛歌、少しだけ困ったようにしながら、そのリップの眼を、受け止めていた。
そして、
――――そして、
――――――――そして、
崩れ去る、沙条愛歌が。
――――沙条愛歌の、右腕が。
パッションリップの爪を受け止めた手が、その形を保てずに。
「……最初から」
しかし、その代償か――崩壊の結果か。
「最初から、こうなるって、解ってたんですか?」
「さぁ、どうかしら」
はぁ、とリップは嘆息。
お手上げだとばかりに、本当に――本当にこの人は、わからない。
「ただまぁ――」
愛歌の右手は崩れ落ちる。
だが、それと引き換えに、
――――パッションリップの崩壊は、もはや腕だけでなく、全身に到達していた。
「この方が、きっと、らしいんじゃないかって、ね?」
言葉にしながら、愛歌がその場から掻き消える。
――セイバーのすぐそばへ出現。
その時にはもう崩壊したはずの右手は、元の状態に戻っていた。
「――そういえば、奏者は転移の際に、一度肉体を消去して、更に作りなおすという方法を取るのだったな」
「現実ならね。霊子ネットワークの中ならそれは不必要な手順だから、必要な時以外は挟まないわ」
――たとえ挟んだとしても、転移に一秒の遅れもありはしないのだが。
そこはそれ、効率を求めるタチの愛歌からしてみれば、面倒なことは面倒なのだ。
「なのに、わざわざあんな手のかかる方法で腕を復元した……奏者よ、一体何を仕込んだのだ?」
「何って、リップの攻撃で生じる衝撃を全部請け負ってもらったのだけど」
――だろうな、と嘆息する。
それに、反応を見せるのはもう一人。
パッションリップだ。
「……あは。何で気が付かなかったんだろう。考えてみれば、わかりそうなものなのに、おかしいですね」
その時は腕が再生したという事実にだけ眼が向いていた。
……きっと、言われなければそれが原因だと最後まで気がつくことはなかっただろう。
単純だからこそ、気がつかない。
――この戦いの結末は、そんな当たり前のような、そうでもないような、そんな不可思議が、記したものであったのだ。
――そして、
ゆっくりとリップの世界の崩壊は、再び緩やかではあるが、始まってゆく。
しかし、今度は少しだけ趣が違う。
先ほどのそれはただ破壊により何かが粉々に砕けていくようだった。
だがこれは、元より“あるべきでなかったもの”があるべき姿へ還るような。
強いて言えば、“融ける”ような感覚だ。
即ち、――リップの敗北により、愛歌たちは本来のネットワークへ帰ろうとしている。
とすれば、意識すべきは目の前の少女だ。
「……奏者よ、こうしてアルターエゴは打倒した。……であれば、この娘はどうなる? これまでとは勝手が違うぞ」
コレまでであれば、倒した相手はそのまま仲間として組み込まれていた。
それは愛歌と彼女たちが立場を同じとする間柄であったからだ。
つまり、月の表のマスター達。
そうでない場合は、どうか。
アルターエゴである彼女は、その本質からして敵である少女は、今後どうなる?
その問に、答えたのは以外にも、愛歌ではなかった。
「私は……このまま、探さなくちゃ、行けないものを、探そうと思います。私は、いろんなことを、しちゃったから」
「そう。それなら無理をしてはダメよ、貴方はもう無茶はできないのだから」
リップの答えに、愛歌はふとそう返した。
相も変わらずといった言い方ではあるが、噛み砕いてしまえばつまるところ――
「まて、パッションリップを見逃すのか!? 相手はアルターエゴだ。これまでの相手とは本当にわけが違う。見逃していい相手ではないのだぞ!」
当然、セイバーは愛歌に対してそう呼びかける。
正気の沙汰ではない。
確かに愛歌は狂気をにじませる少女ではあるが、合理的な判断こそが彼女の在り方であったはずだ。
少なくとも、基本的には。
「だって、この娘にはもう戦うだけの力はない。ここまで傷めつけてしまったもの、無茶をすればそのまま消滅よ。怖いのはBBに見つかることだけど、それもあまり問題はないわ」
――BBにリップの生存がバレたとしよう。
そうなった場合、リップはBBに改造され、再び愛歌たちの前に立ちはだかるだろう。
けれども、それに大した支障はない。
リップはハイ・サーヴァント――神霊クラスを取り込んだ特別製だ。
たとえ改造したとしても、その部分はほとんど愛歌に潰されている。
そして、同じものをもう一度作る、ということが出来るかといえば難しいはずだ。
新たに造られたリップは、おそらく今ほどの脅威にはならないはずなのである。
再生怪人なら、そのまま普通に何とかしてしまいましょう?
愛歌は軽く笑って、そう言い切った。
「まったく……奏者がそういうのならば、それで良いだろう。これ以上無粋なことは言わんさ。……ほれ、その娘は奏者に惚れておるのだぞ? 何か一言声をかけてやるべきだ」
困ったような笑みは、決して諦めだとか、そういうものではないのに、柔らかいもので。
愛歌はそれがよく解らなかったけれども構わないだろうと、リップに近づいていく。
「……あの、ずっと疑問だったん、ですけど」
そこに、リップはこれまで、愛歌に抱き続けた違和感を口にする。
「どうしてあの時、私を受け入れて、来れたんですか?」
――思っても見なかったから、困惑してしまった。
そんな風に、リップはけれどどこか嬉しそうに口にする。
受け入れてくれたからではない、彼女が受け入れたからこその今が、リップにとってはどうしようもなくうれしくてたまらない。
あぁ、まったくもって、リップには不相応なほどの、幸せだ。
「そうね。……放っておけなかったから、かしら」
それ以上はない、と愛歌は、肩をすくめる。
けれども、本人も解っているだろう、それでは答えは不十分。
続けざまに、リップは問う。
「でも、放っておけないなら、尚更おかしいです。愛歌さんは、私をただ受け入れてくれました。普通なら、こうするべき、とか、ああするべき、って。そういう“当たり前のこと”を口にするんじゃないですか?」
よしんば受け入れたとして、全てを赦すことはできないだろう。
パッションリップは怪物で、故に多くの罪を持っている。
自分であまたの疵を誰かに与えてきた。
それは、絶対に赦されないことなのだ。
だからそれを、受け入れた者は咎めるだろう。
けれどもそうしていれば――きっとリップはこう思ったはずだ。
この人も、自分を虐める人達と、本質的には変わらないのだ、と。
「それって――」
――けれども、愛歌は心底不思議そうな顔をしていた。
それこそわけがわからないと言うような視線で、
「…………そんなに、必要なことなの?」
当然の疑問と言わんばかりに口にする。
「……え?」
この人は、一体何を言っているのだ?
否、それは解る、わからないはずがない。
けれど、それをもしも“普通に”解釈するのなら、つまり――
「あぁ……そっか、そうなんだ」
――たどり着いてしまう。
どうしようもない答えに。
沙条愛歌が有する、“どうしようもない本人の歪”に。
それを、
ちらりと目を向ける。
視線の先には、こちらを無感情の瞳で眺めるセイバー、それは自分たちを、観察しているようにも見えた。
――それを、あのサーヴァントは理解しているのだろうか。
沙条愛歌は歪んでいる。
狂っているのではない、歪んでいるのだ。
狂気ならばそれは構わないだろう、それは愛歌のアイデンティティだ。
しかし、歪みが彼女の中にあるのなら、それは――
あぁ、でもダメだ。
自分ではそれを正せない。
だって、だって自分では、パッションリップではあまりにも――――
「……センパイ」
改めて、彼女に呼びかける。
「なぁに? どうしたの、急に」
「…………センパイは、これからどうやって、前に進んでいきたいと思いますか?」
足を止めていた自分を思い返して――それを救ってくれた愛歌の姿を思い返して。
「進みたいか、だなんて変な話ね。人は前に進んでいる生き物よ。止まりもしないし、下がりもしない。振り返ることなら、あるでしょうけど」
「そうですか」
――――ゆっくりと、足元を見る。
崩壊は、既に全体の九割を覆おうとしている。
もう、時間はあまり残されていない。
きっとここを出れば、二度とリップと愛歌は出会わないだろう。
そんな予感がして、リップは最後に、愛歌へ向けて声をかける。
「なら――」
その声は、気弱な彼女からすれば――それも、ここ最近は改善されてはいるけれど――あまりに力強い、言葉であった。
「……迷わないで。センパイの進む道は、絶対に迷ってなんか、いないから」
その言葉の意味を、愛歌が問う暇はなく。
――――消え行く視界。
三人目の
BBのアルターエゴ、被害者の化身パッションリップ。
小さな恋を心に秘めて、新たな想いを紬に刃を振るった。
そんな少女との、あまりにも短い愛の物語は、ここに終結する。