ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮) 作:暁刀魚
生徒会室は不思議な空間だ。
生徒会メンバーであれば誰もがここに集い、常であれば愛歌のバックアップとして詰めている。
しかし、時折――メンテナンス中など――は、静かな限られたメンバーでの憩いの場となる。
時には凛、ラニ、サクラ――たまに愛歌――が女子会をしている時もあれば、レオとユリウスが何やら事務仕事をしていることも在る。
――その組み合わせは、さほど珍しくはない。
「……騎士さま、そこの本、とってくれないかしら」
一人は沙条愛歌、朝早くに一人で起きだして、何気なく生徒会室に足を運んだ。
――期待した面子のうち、片方がいたのは僥倖か。
もう一人は、騎士王、アーサー・ペンドラゴン。
特にレオから命令が在ったという様子ではなく、時間を飽かせて、生徒会室でくつろいでいたようだった。
「これかい?」
「そう、それ――ありがとう」
本棚のそばにいた騎士王に頼み、持って来られた本。
どうやら80年代にはやった推理小説のようで、興味深げに騎士王はそれを眺める。
愛歌としては、特に意図して頼んだわけではなかった。
それだ、と同意はしたものの、ハッキリ言って何でも良かったのだ。
生徒会室の書庫《フォルダ》に興味があった。
――結論としては、古めかしい外観にそぐわない、なんとも古臭い書物であった。
これが更に下って古典の部類にはいらないのがまたそれらしい。
「どんな内容なんだい?」
「……そういえば、昔読んだことが在るわ。トリックが秀逸だって、綾香が言っていたけど」
――別に、さほど大したものではなかった。
もちろんそれを言えるのは愛歌だからなのだけれど。
「面白かった?」
「どうかしら――悪くはなかったと、思うのだけれど」
よく覚えていない。
何分、今より更に愛歌は幼かった。
はっきりいって、その頃の記憶は朧気だ。
あまりに意味のないことが、多すぎたからか。
「そうか……うん、それは確かに悪くない、悪くないね」
「何だか含みを感じるわ、騎士さま。憂う姿は見惚れてしまいそうだけれど、私に向けられるのは、何だか困るの」
そう言われて、ふむと騎士王は考える。
数歩、再び彼は本棚へと足を運び――それからゆっくりと振り返る。
何やら少しだけその面持ちは、いつもと違った。
何が違うと言われても、はっきり愛歌にはわからないけれど。
「……私はね」
――ただ、その声音は常の優しげなものではない。
どこか――黒鉄のような鋭さを感じた。
「君のことが――気になっていたんだ」
凍てつくような冷たさはどこにもなく、彼らしい太陽のような暖かさはそのままで。
けれども、少しだけ、その物言いは直接的だ。
「ふとしたことで意識を惹かれた。君のことを知りたいと思った。どんな人なのだろうと、知りたくなった」
「え――――」
愛歌は、呆けたようにそれを聞いた。
どう答えればよいのだろう。
知らない――こんなこと、愛歌は知らない。
赤面、するべきなのだろうか。
気恥ずかしさは、十分にある。
けれども――
「――君は私を好いていると言った。ただ、その後に君はこうも言った。無垢な乙女なら、花を愛でるのは当然なのだと」
――それは、少女と呼べる幼さの残る年齢の女の子にとっては、きっと当然の感覚なのだ。
「不思議なことに。私もそうだ。君のように不思議な存在は、“知りたい”という欲求を抱かせる。それが単なる知識欲であるはずなのに、まるで私達は相思相愛だ」
「えっと……」
反応に困る。
がっかりしている、というわけではない。
別に愛歌は“騎士王のことなど好きでも何でもない”のだから。
彼は自分を守ってくれない、自分は彼のモノには決してなれない。
――両者の間にはどうしようもない壁があり、だから愛歌は“浸れない”。
加えて言えば、愛歌は確かに騎士王にあこがれている。
少女として当然だから――それは、一体どこから生まれる感覚だ?
それがなんであれ、きっと愛歌の中だけで、這い出てきた感覚ではないのだ、これは。
「混乱させてしまったかな。――私たちは赤の他人だ。主従でもなければ、憎みあう感情も持ち得ない。――だから気になる。単なる近くにある隣人として、君に興味を持ってしまうようだ」
「それは――――素晴らしい、ことなのかしら」
ふと、そのことが気になった。
自分の中に判断基準はない、だって何の興味も持っていないから。
それもそうだろう、愛歌にとって“人付き合い”なんて、そもそも考える必要もないことだったのだから。
「さぁ、どうだろう。お題目を掲げてしまえば、世の中のことは大半が善良なことに分類されてしまう。だから、何事にも善と悪は語りきれないものなんだ」
「つまり……どちらでも構わない、と?」
「“悪くなければ”それでいい。君らしい言葉でいうなら、そうなるかな」
――ふむ、と思わず愛歌は考えてしまった。
訪れたのは、驚きと、納得。
ぴたりと――心情を当てられてしまった。
確かに、そういうのは何というか、悪くない。
互いに感情を向け合って、それがマイナスに偏っていないのであれば、つまりそういうことだ。
それを――理解されていた。
まさか、セイバーでも、綾香でもなく――騎士王に。
どうにも、意外な感覚を覚えてしまう。
「……うん、そういうことなら重畳だ」
満足気に、騎士王は言う。
なぜだか……先ほどの、当然と呼べる気恥ずかしさよりも、それはさらに恥ずかしい。
今度こそ、愛歌は自然と頬を赤らめてしまうのだった。
「――君のことを、君から、そして他の誰かから聞いて、少しずつわかってきたことがある。凛やレオ――ユリウスからも話を聞いたかな」
カツン、と騎士王の足音が響く。
静かな教室――彼と愛歌だけがその世界を支配している。
「桜からも話を聞かせてもらった。彼女もどうやら君のことが気になっているらしい。そして――気がついたんだ」
それはなぜだか――愛歌の胸元へ手をのばそうというようで。
――否、騎士王はそんなことはしない。
もっと奥――彼が気になっている、愛歌の奥底を、彼は覗こうとしているのだ。
――それは、白。
全てを塗り潰すだけの、潔癖な純白。
ただそこに、
「――――――――君は、沙条綾香――君の姉のことを、模倣しているのだ、と」
――ほんの小さな、黒一点。
ありえるはずのない物だった。
なぜなら、どうあっても愛歌の白に、色をぬれるはずはない。
愛歌はキャンパスではなく、消しゴムなのだから。
だのにその黒は、ただそこに浮かび上がるだけでなく、周囲に染み渡ろうとしていた。
それが滲んでうすぼやけた黒になり――それこそが、つまり、
沙条綾香の存在、というわけだ。
「…………」
「君の趣味も、余暇の過ごし方も、君が姉から学んだものだ。……模倣、というのは少し言葉が悪かったかな。君からはかつて君が憧れてきた人の影響が、多分に感じられるんだ」
驚いた。
――あぁ、本当に、驚いた。
よもや、騎士王にそれを指摘されるとは思わなかった。
これが凛ならば、まだそれなりに納得できただろう。
その程度には、彼女とは付き合いがあるはずなのだから。
けれども、騎士王ともなると、意外と言わざるをえないだろう。
彼とはさほど会話を交わしては居ない。
月に来て――恐らくは三番目か四番目、愛歌と騎士王の交流は、それなり、と言わざるをえない。
ただ、言ってしまえばそれだけだ。
そんなことか――とは言わない、確かにそれは愛歌の深淵だ。
それでも自分の心の中にあるものくらい、愛歌は自覚している。
なにせ過去にも一度、それを指摘されたことが在るのだから。
「……私はね、騎士さま。多分、人と係ることって、そんなに好きじゃないの。だから、あまり他人に詮索されたくもないのだと思うわ」
「それは……」
沈黙する。
騎士王はその場に立ち止まって、愛歌のことを見ていた。
愛歌は手にとった本をパタンと閉じて、立ち上がる。
それまだ半分ほど後ろに向けていた椅子を元に戻して、今度は愛歌から、騎士王のほうへと近づいた。
「でもね――騎士さまなら、話は別。何でかしらって不思議だったのだけれど……そうね、ようやく解ったわ」
両者の間は数歩ほど、間に一人くらいの、隙間があった。
「――相性が良いのね、きっと」
「私と、君がかい?」
「それなら、ムーンセルはあなたを召喚しているはずよ。……果たして、それなら一体どれほど良かったことかしら」
セイバー――あの暴君が嫌いというわけではない、のだと思う。
不本意だが、信頼している。
そう、頭にそんな言葉がつくのだ、沙条愛歌と赤きセイバーは。
今の両者の関係は、良好では在るが、少し特殊だ。
それが騎士王ならば――と、考え無くはない。
だから、違うのだと愛歌は首を横に振る。
「あなたと――綾香が、よ。凸凹っていうの? あの娘、素直じゃないからきっと上手く嵌るはずよ」
「あぁ…………」
合点が言ったという様子で、騎士王は納得する。
確かに、それはそうだろう。
愛歌の中に明けられた小さな風穴。
――綾香という黒点に、最も近いのが、きっとこの騎士王なのだ。
そう、そういうことだ。
愛歌は綾香を模倣している。
その生き方を、趣味を、在り方を。
つまり、そう。
――――愛歌は、綾香という存在をとっかかりにしている。
綾香を基準に、他人というものを量っているのだ。
――ひらりと、一枚の花びらが舞い、落ちたような、そんな気がした。
「何だか、胸のつかえが下りたよう。不思議な気分ね、スッキリしたわ」
「確か……喉に刺さった骨が取れるというのだったか、うん、一瞬の精神の乱れは、ここぞという時にこそ仇となる。常から気をつけておくべきだね」
何だか、騎士王らしい言葉だ。
それが少しだけおかしくて、笑ってしまう。
対する騎士王は、その表情は意外だったのか、困ったように頬を描く。
「私ね、思ったの。あなたのように、私にとって好ましい人と会話することは、決して悪いことではないわ。だって、否定することがなにもないのだもの」
――そもそも、愛歌の人と会話するということの根底には、“綾香”という基準がある。
愛歌から見た綾香は、どこか気むずかしくて、一人勝ちだ。
そういう意味では、似たもの姉妹と呼べるのかもしれない。
綾香は“できなくて”、愛歌は“必要がなかった”。
その差は、あまりに大きなものではあるけれど。
ともあれ、そんな綾香にとって、誰かとコミュニケーションを取ることは、マイナスなことに捉えられたはずだ。
とすれば――である。
その価値基準を真似る愛歌にとって、“悪くない”というのは他人に対する感情の基本であった。
「否定する理由が無いから、悪くない。けれど、何時その感情が揺らぐから、それ以上のことは何も言えない。そうでしょう?」
そしてそれは、愛歌にとっても、ある種合理的に思えたから――愛歌の感性に合致したことも、大きな要因と言える。
「そうだね。君はそういう娘だ。けれども思うに、もっと素直にそれ以上の感情を、その時の気分で選んでしまっていいと思うのだけどね」
「えぇ、……私も、そう思ったの。考えても見れば、窮屈じゃない? マイナスな感情は身体に毒よ、だからそうでないように、プラスマイナスゼロのエリアは、それなりに広くしてきたつもり」
――だから、何事も悪くはないのだと。
かつてはそうだったのだと。
「でもなぜかしら。コレほどまでに好ましいのなら、素直に“良い”としてしまうのも、一興ではないかしらって」
今は、すんなりと思うことができた。
「それは……心境の変化かい? それとも、常から?」
「変化ではないかしら……よくわからないわ」
よくわからないから、どうすればいいのかも、結論が付けられない。
――けれども、だ。
これでよいではないか、素直に思った。
――――だってこんなにも、自分はこの感覚を好ましいと思っているのだから。
静寂を纏った生徒会室。
ふたりきりで、愛歌は優しげな面持ちの騎士王を見上げ、そう思う。
ただそれは、どこか緩やかな、一枚の絵画のように時間から切り離された空間でのことだった。