ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮) 作:暁刀魚
ランルーくん、狂気に満ちたおかしなピエロ。
その様子は、確かに滑稽ではあるけれど、それを笑うには、いささか押し寄せる虚しさが大きすぎる。
憐れに思う者もいるだろう。
彼女の在り方を否定する者もいるだろう。
ただ言えることは、多くの場合彼女を本質的に理解することはできないということだ。
愛歌とてそうだ。
ランルーくんには“深淵”がある。
そこにあるものが、何であるかはよくわからない。
知る必要がなかったから、自分が知ろうとはしなかったから。
何にせよ、ランルーくんに向けられる感情の多くは、的の外れた碌でもないもの。
そうでないなら、それはもっと単純な、嫌悪に近いものだろう。
なにせ彼女は狂っているから。
もしも理解している者が入るとすれば、それは彼女の元サーヴァントである紅いランサーか、カルナくらいなものだろう。
そしてそれ以外に例外があるとすれば――
――それは、彼女を近くで見続けた、ジナコ以外にありえない。
ジナコはもともと敏い人間だ。
感情に敏感、人の視線に敏感だ。
なにせ臆病だから、当然といえば当然か。
そんな人間が、四六時中隣の狂人を観察していれば、見えてくるものは、見えてきてしまう。
ランサーのように正確に把握しているわけでも、カルナのように超然としているわけでもなく。
ぼんやりと、その輪郭だけを掴んでしまう。
そうして浮かぶ感情はなにか――――憐憫? 同情? 否、そうではない。
もっと単純で、けれども決定的に“哀れみ”とは違う普通の感情。
――共感、だ。
「あ、あた、アタシは、アタシは、アタシハアタシハアタシハ――別に、誰かにほんとに死んで欲しいってわけじゃなくて、っていうかそもそも、これはそういうもんじゃないし。……ねぇ!」
――ジナコ・カリギリは狼狽の元に叫ぶ。
もはや、そこに具体的な言葉など無い、意識できない、思考が回らない。
ただ確かなことは、ジナコが用意したのは“絶対に越えられない”死の壁だ。
どうしようもなく立ちはだかる障害。
それは、愛歌ですら“迂回する”という選択肢しかできなかった。
当然なのだ、人間なら、死を前にしてするべきことは延命で、けれどもそうした上で、“どうにもならない”ことが当然なのだ。
望んでいたことは死ではない。
死を当然と認めさせること、自分の考えを相手に押し付けること。
けっして、こんなことのためにジナコはこの壁を用意した訳じゃない。
「……ナンダイ?」
「解るでしょ? 解るに決まってるでしょ! どうしてこんなことしたのさ、誰も望んでない、必要としてない、だから、アンタがここに来る意味もない!」
「ソウカナ」
とぼけたように、仮面の道化は首をかしげる。
ことん、と仮面が揺れる音――音のした首元に、黒のノイズが奔る。
身体の一部が、それに呑まれ、消滅を始めていた。
「ジナコチャンハ、友達ガ欲シカッタンデショウ? ランルークンハ、友達ニハナレナイカモシレナイケド……一緒ニイル事ハデキルヨ?」
「違う! そうじゃない、そうじゃないんだよぉ。アタシは確かにひとりぼっちで、誰かがそばにいて欲しいけど、アタシが欲しいのは、アタシのために死んでくれる人じゃない!」
泣きそうになりながら、顔をグチャグチャにしながら、それを押し隠して、ジナコはつぶやく。
声を潜めて、何かに贖罪を求めるように。
「そんな友達、アタシには勿体無さ過ぎる。だって、アタシにそんな価値はない。アタシはただ……アタシの嘘に笑ってくれて、アタシのことを忘れないでくれて、アタシよりも後に死んでくれる――その程度の友達で良かったんだ」
慮ってくれる必要はない。
尽くしてくれる必要もない。
ジナコのことよりも、自分のことを優先してくれていい。
ただ、視界の端に自分がいれば、声をかけてくれる程度の、そんな気のおけない、どうでもいい友達が欲しかったのだ。
――そんな友達とのやりとりが、永遠に続けば良かったのだ。
「……ひとりぼっち、ね」
――障壁の向こうで、そんなことをつぶやく少女が一人。
愛歌は、泣き崩れるジナコに対し、興味を失っているようだった。
今はただ、事の行く末を見守っている。
「――ジナコチャンハ、価値ノナイ子ジャナイヨ? 色ンナモノヲ持ッテイル」
「それは……それは、アタシのものじゃないんだよ。アタシが誰かから貰ったものだ。知ってるでしょ? アタシは消費することしかできない。何の価値もない、肉の塊なんだ」
「――チガウ」
「何が違うの? アタシは、もう失うしか無い、少しずつ自分をすり減らしていくしか無いんだ! だったらそんなの、意味が無いのと同じじゃないか!」
「――――チガウ」
ジナコはただ喚き、泣き叫ぶ。
黒に呑まれゆくランルーくんに縋り付き、行かないでくれと呼びかける。
しかしそれに、ランルーくんは応え続けた、それはちがう。
ジナコ・カリギリは、決して無価値な人間ではない、と。
本来、それはジナコが最も嫌う謳い文句だ。
優秀な人間が、手を差し伸べることもなく無責任に言い放つ。
とはいえ、それは本来語る側の態度が問題なのだ
もしもそれが――自分以上に不幸を背負わされた誰かが、それでも自分に語ってくれることならば。
耳を傾けないわけには――行かないではないか。
「…………」
唇を噛み締めて、ジナコはいよいよ肩を落とした。
コレ以上は時間の無駄だ、――ランルーくんは、人の話を聞くような相手ではない。
そんなこと、最初からわかりきったことではないか。
だから、解らないけれど、納得もできるはずないけれど、それでも、覚悟を決める他はない。
もう、賽は投げられてしまったのだから。
――それは、ジナコが始めて、自分から何かを選択した瞬間だった。
十五年、とまり続けたジナコの時が、その時少しだけ、秒針を歪めた。
「……ランルーくん、さん。教えて欲しいッス」
ランルーくんのことは、きっとジナコが一番よく知っている。
この月の裏側にやってきて、ほとんどの時間をジナコはランルーくんと過ごしているのだ。
――故に、理解できた気になっていた。
この人は狂っているけれど、本当は優しい人なのだと。
ただ、歯車が壊れてしまっただけなのだと。
だから、迷わず死を選べてしまう彼女が、その一点だけが理解できない。
「何で、こっちに来たッスか、死ぬっていうのは嘘じゃないッス。……アンタなら、それは当然解ってたはずだ」
「買イ被リ過ギジャナイカナ」
「――教えて、ランルーくんは、何でこんなところまで、来てくれたの」
「君ハ――一人ジャナイカラサ」
ジナコは、複雑そうに眉をひそめる。
嬉しさはない、けれども怒りはない――その感情に、名前はない。
憤り――と呼ぶのが、ぎりぎり近いのかもしれないが。
「そんなことのために……ランルーくんさんはここに来たッスか? おかしいよ、そんなの。何にも報われないじゃないか」
「――――報イハネ、モウ十分受ケ取ッタンダ」
「……どういう、こと?」
デリートに呑まれた仮面をもどかしそうにはめ直しながら、ランルーくんは、ぽつりと語り始める。
「欲シイモノハ手ニハイラナカッタ。手ニハイッタモノハスリヌケテイッタ。オイシイモノハ、オイシイトシカ知ラナインダ」
それはジナコも、そして愛歌も知っている。
ランルーくんは愛したものしか食べられない――そしてその愛したものを、愛する前に、失ってしまった。
大切な我が子も、大切な家族も、全て。
だから狂った。
彼女のそれはジナコのそれの比ではない。
ランルーくんには、“何も残されてはいなかった”のだから。
生きることを諦めるなんていう、逃避すら彼女には許されなかったのだから。
「だったら――」
だから、それを知っているから、ジナコは必死に呼びかける。
やめてくれ、こんなことはやめてくれ。
こんなことをされても、自分はなにも返せないのだから――――!
「――ソレデモ、イインダ。ソレデモイイ。ダッテランルークンガドレダケバッドデモ……ジナコチャンニハ何ノ関係モナインダカラ」
――優しげな瞳で、頭を振った。
大丈夫なのだと、手を伸ばした。
既に崩れゆくその手には、もう――ランルーくんの“影”すら見えない。
「ランルークンハ愛セナカッタ。誰モ……愛セナカッタ。ソレデイイジャナイカ。ランルークンハソコマデサ」
涙に視界がゆがむジナコであれば、尚更だ。
「解かんない……解かんないよう、どうしてそう簡単に諦めちゃうの? 死ぬことは怖いことだよ……生きることは、諦められない、ことだよぅ……」
「――――ソレモ、チガウ」
――え? とジナコは驚いたようにランルーくんを見上げた。
長身のランルーくんは、ただ、ただそれを見下ろしている。
「ランルークンハ諦メテナイ。タダコウ思ッチャウンダ」
そして、それを――ジナコに告げる。
「ソレモマタ、イイノカナッテ」
ジナコを救うことも、善いことだ。
だから、そうしたいからそうしたのだと――ランルーくんは語る。
そこに、見返りなど何もない。
単なる善行だ、わざわざ感謝されるほどのことでもない。
――救われる方に、価値なんてひとつも求めていない。
それはそう、光り輝く人間の、鬱陶しくて押し付けがましい、救いの手と同じではないか。
「ランルークンハ、ランルークンダケレド、手ヲ伸バシタカッタンダ。ジナコチャンハ、マダマダ前ニ進メルンダカラ――ホラ」
差し出された黒にまみれたノイズの手。
もう、掴むことすらできないかもしれない。
そもジナコという人間であれば、本来絶対に掴まないはずの手だ。
それを――
「――――ぁ」
ジナコは、本当に思わず、と言った様子で、握っていた。
光が漏れる。
淡く、青い――静かな光だ。
愛歌が取り出すSGの光――掴んだ、外からでもそれは解った。
少し経って、ジナコはそれに気がついた。
――ランルーくんのそれは、聞こえがいいお題目と同じなのだと。
けれども、ランルーくんであれば話は別だ。
余計なおせっかいと、彼女のそれは決定的に違う。
なぜなら――
「ハイコレ」
ランルーくんは振り返り、愛歌に向けて手の中のSGを差し出した。
それが役目だと言わんばかりに、愛歌は首を傾げる。
「――何故、こんなことをしたの?」
その理由は解っている、流石の愛歌でも、この程度の答えは簡単に出せる。
それでも口にせざるを得なかった。
聞かなくてはならないからだ。
――誰が? 決まっている。
今、ランルーくんの手を握った状態で、完全に思考を停止しているジナコが、だ。
そしてランルーくんは、愛歌が促さなければ、それを教えてはくれないだろう。
故に、聞いた。
対するピエロは、心底おかしげに、まるでそれを茶化して見せるかのように――
どこか恥ずかしそうに、つぶやいた。
「――――――――愛、カナ」
そう答えて、かくして道化は、――無償の愛を注ぐことの許された、母のような女は、永遠に、
――この世界から、姿を消した。
――ジナコ・カリギリ第三のSG、「しののろい」。
それが手に入ったことで、ジナコと愛歌の間を仕切っていた壁も消滅する。
あとに残るのは、愛歌とセイバー、霊体化したままのカルナ。
そして――掴んでいた手を失って、崩れ去るジナコのみ。
この世から、ランルーくんが消えたことを自覚して、ジナコは――――
「ぁ」
ゆっくりと、
「ぁぁ」
正常な心を――
「ぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!」
崩壊させる。
そして溶けるように、その姿は砂と化して、消えてゆく。
否、正確には、儚く崩れる城のように、砂上の楼閣は――崩れ落ちた。