白い石の深淵まで 作:風見茉優
高校に入って、完全に環境は変わった。
同じ中学校だった生徒は一人もいないし、そもそも初めての一人暮らしだ。
男子生徒も女子生徒も整った顔立ちの人が多くて、ひょっとして顔採用があるのかしらと小首をかしげてしまったが、そうではないことは比較的早くに知れた。
Aクラスは総じてレベルが高い。坂柳さんを筆頭に、誰と話していても知性の高さを感じさせてくれるのだ。多少粗暴な男子生徒もいるけれど、最低限の品はあってそれほど苦はない。
逆に、CクラスやDクラスはどうにも乱暴な感じの生徒が多くて苦手だ。
四月が終わり、Aクラスには優秀な生徒が、Dクラスには不良品と呼ばれる生徒が集められていることを知る。ちゃんと勉強していて良かった。
普通の学校とは違う特別な試験の数々。下位クラスは、Aクラスの座を求めて、必死に食らいついてくる。好きな進学、就職が叶う特権はAクラスで卒業する必要があるからだ。
結果として、一年生が終わるころまで、坂柳さんの率いるAクラスは、Aクラスのままであった。
二年生になってしばらくたって、わたしには初めて友達が出来た。
隣の席になったと言うだけのきっかけで、白石飛鳥さんと話すようになったのだ。
「勉強には自信があったんだけれどね。あの結果にはちょっと自信を無くしてしまいそうだよ」
「自信を無くす必要はないと思いますよ。風見さんは、高得点でしたから」
友達と呼んでいいのかは分からないが、少なくとも授業の始まる前に少し喋る。
白石さんの方から話題を出してくることは稀で、いつもわたしが一方的に話していた。一方的にと言っても、白石さんは的確な相槌、こちらが欲しい甘い言葉、ちょっと面倒なノリにも意外と応じられて、魔性の女という言葉が浮かぶ。
もしも会話に料金が発生したとしても、わたしは、払ってしまいそう。きっとそれは他の皆もそうなんじゃないかと思う。
白石さんが、男の子と遊んでいると言うのは噂で聞く。
遊ぶと言うのは高校生らしく無い――あるいは高校生らしい方の意味で。
もう数十年時代が前だったならば、きっと酒盛りをしながら白石さんの噂を話すところから文学が始まる。
この学校でお酒を手に入れるなんて事が出来るとは思えないけれど。
「くしゅん!」
「? 神室さん、花粉症ですか?」
「別に……」
ちらりと振り返ると、神室さんと坂柳さんが仲良く話していた。
「花粉……白石さんは、花粉症とか大丈夫なの?」
こうやって、ちょっとした話題を拾ってなんとか話す。去年一年間まともに友達が出来なかったわたしなのだ。会話が得意とは間違っても言えないよね。
「とくに感じたことはありませんが、服をはたいたり、ニュースを確認したり、気をつけていますね」
服にも花粉が付着するので、お家に入る前にはたいた方がいいらしい。
服と言えば、前の休日で白石さんを見かけた時のことを思い出した。
「服と言えば……話変わっちゃうけれど、白石さんのお洋服可愛いよね。どこで買ったの? わたしは、あまりセンスがないから」
「良かったら、今度のお休みに一緒に買い物に行きませんか?」
「い、いいの?」
思ってもみない誘いに、わたしは思わず大きな声を出してしまった。
「はい。お店の紹介くらいなら、いくらでも」
「お願いします」
思わず変な笑い声が出て来そうになるのを抑えて、でも抑えきれない。トイレ、トイレに行かなきゃ。
ちょっとごめんなさいと断りを入れて、教室を出る。
ちょうど登校してきた森下さんとぶつかってしまう。森下さんが何か文句を言うよりも先に。
「あら、ごめんあそばせ。ふへへへ」
「……気でも違えましたか? 風見茉優」
☆
あの後、ちゃんと次の土曜日の十時に寮の前で待ち合わせをして。
服はなるべくダサいものにした。ダサい……と言うとちょっと語弊があったかも。
デニムは裾が長く、それをまくり上げてピンでとめている。シャツもまた丈の長い、無地の白いもの。髪を後ろで束ねて、メイクも薄く。
とにかくボーイッシュコーデにした。
似合う人がすれば、かっこかわいい感じに仕上がる。
でも、わたしは背が高くない。顔立ちも女性的で、幸薄そうと言われる。
要は、似合わない服装にした。
そんな格好で白石さんとのデートに臨むのは抵抗があったが、白石さんにお洋服を選んでもらいたいと思った。
「お待たせしました。おはようございます」
と、しばらくぼんやりしていたらすぐに白石さんはやってきた。
清純そうなチェックのワンピース。
魅力的だと思う。
白石さんは金色の髪を風になびかせて、それを自然な動作で耳にかける。
わたしを見てにこりと微笑んだ。
白石さんの泣きぼくろに目が行く。わたしには分からない感覚だけれど、男受けするらしい。男の人だって、ただ泣きぼくろがあるだけで評価を変えるわけじゃないだろうし、きっとそういう表現が先なんだと思う。
それなら、白石さんの噂は、所詮噂のような気がして来た。
「随分と格好いいですね」
「うーん。でも、自分でもわたしに似合わない気がしていてね」
「そんなことないと思いますが……でも、そうですね。もっと大人びた、女性らしい服も似合うかもしれませんね」
中学生の頃から、実際の年齢よりも上に思われてきた。
顔立ちが大人だとか、老けているとか、身長が特別高いとかではなくて、周りの人の言うところには雰囲気が原因らしい。
どこまで信じていい物やら「旦那を戦争で亡くした若い女」とか「普通に未亡人」とか、誉め言葉か貶し言葉か分からないことを言われたものだ。
「今の白石さんの服とかも、すごくかわいいよね」
「ありがとうございます」
わたしの言葉に柔らかな笑みを浮かべて、さり気なくわたしに服を見せつけるように裾を摘まんだ。
「では、行きましょうか」
休日のケヤキモールはそこそこ人が多くて、邪魔にならないように白石さんとの距離も近くなる。
白石さんがよく使うというお店は、ケヤキモール内のお店なのだから当たり前だが、利用したことがあるお店だった。
「風見さんはあまりケヤキモールのお店には来ないのですか?」
「そう、だね。特に身体に変化もなかったから、中学の時からの服を使っているよ」
とっさに嘘をついてしまう。
どこで買ったのと尋ねたのがきっかけで、このデートが成立している以上、行ったことがあるお店に案内してしまって気にしてしまったら申し訳ないと思った……それ以上に下心があるが故に、つい嘘をついてしまったのが大きいけれど。
白石さんはそんなわたしを探るような視線で眺めていたが、すぐに微笑みを取り戻して、近くにあった洋服を指差した。
白石さんが今着ている服とよく似た、ワンピース。色合いやデザインに違いはあれど、ぱっと見お揃いにも思われるであろう。
「これ。似合うと思いますよ」
「うーん。じゃあ、買おうか」
「え? 試着しなくて大丈夫ですか?」
「あぁ……そうだね。じゃあ、試着してからそのまま買っちゃおう」
白石さんが似合うと思うと言ってくれた時点で、この服を買うのは決まっている。
ただ、頭が熱くなって何も考えずに買うという今の行動を、気持ち悪いと思われないかと急に不安になって。
白石さんの方を見ると、くすくすと笑っていた。かわいらしく、楽し気に。可愛い動物を見るみたいに。こちらも幸福にしてくれるような、優しい笑みだった。
「良かったら、このあとご飯も食べようよ」
「ええ。良ければ、良いお店を案内してください」
☆
そんなことがあってから、偶にではあるが、白石さんと遊びに行く事も増えた。
白石さん繋がりで、西川亮子さんとも話すようになったが、正直苦手なタイプの人だ。なによりわたしにとって嫌なのは二つ。
一つに、西川さんが白石さんと仲がいいこと。白石さんが、「亮子さん」と名前で呼ぶのを聞くたびに、自分の耳を切り落としてしまいたくなる。
二つに、西川さんは、わたしが白石さんを好いていることに気が付いていそうなことだ。
好きと言うのは、もちろん友達としてではなくて、一人の女性として好きである。大げさに言えば愛している。
白石さんに触れて欲しいし、わたしを見て欲しい。わたしを傷つけて欲しいし、わたしを感じさせて欲しい。そんな欲望に、西川さんは気が付いている。
じっと目を細めてわたしを観察して、いつも通りに笑う。そのくせ目の奥で、気が付いているよと語りかけてくる。
「無人島試験、結構大変だったね」
「うん」
「風見さんは一人で大丈夫だったの? 運動苦手じゃなかったっけ?」
「苦手だけれど、体力には自信があったから」
「飛鳥と組みたかったんじゃないの?」
今日も話しかけて来たかと思うと、結局これだ。
きっと、やさしさのつもりなんだろう。けれど、わたしはそんなことを望んではいない。わたしがどれだけ白石さんを渇望していたとしても、白石さんにとってわたしはそういう対象ではない。
白石さんの噂はさらに加速している。
どうやら本当らしいことに、わたしも上級生と一緒に自分の部屋に入っていくところを見たことがある。
いっそのこと耳を澄ませ、白石さんの嬌声を聞いてみたいと考えて、結局やらなかった。
季節は廻り、秋になる。
肌寒くなって、より一層白石さんと近づきたいと思うようになった。
きっともうわたしが向けている感情を、白石さんは気が付いていると思う。そのうえで普段通りに接してくれているのは優しさなのか、残酷なのか、わたしにはその両方に感じられた。その両方であってほしかった。間違っても関心がないのではなくて、そのどちらかでなければならなかった。
「ねぇ、西川さんはさ、白石さんの部屋に行ったことある?」
「もちろんあるよ?」
「だよね」
「……行きたいの?」
「うん。当然じゃない?」
「だよねぇ……」
面白いもので、白石さんと話すよりも、苦手なはずの西川さんとばかり話している。
恋愛漫画とかにある、相談していた相手と恋仲になると言うのはこういう現象なのかもしれない。共通した秘密と、お互いに本音で話せる間柄だから。
決して西川さんに恋愛相談しているわけではないし、一応暗黙の了解として、彼女はわたしが白石さんに好意を持っていることを「知らない」のだ。西川さんの性格は苦手であるが、そういうところは愛せた。
昨年度のバレンタインの時に、告白してきた男子を結果として言いふらした点から、正直言って軽蔑していただけに、この対応は意外でもあった。
男女の差か、もしくは――
「いいよ。じゃあさ、今度まずは、風見さんの部屋に飛鳥と一緒に遊びに行ってみようか」
「……それで」
「それで、次は飛鳥の部屋でって流れにすればいいんだよ」
「はぁ……? そんなに単純にいくの?」
「そこは風見さんの頑張り次第じゃない? そこまで面倒は見られないからね」
西川さんの狙いはよく分からないが、手伝ってくれると言うのならばそれに甘えてしまおう。
☆
その日からわたしは慌てて準備を進めた。
いくつか家具を新調して、なるべくかわいいと思ってもらえるように、ぬいぐるみなんかも並べてみた。
本棚の、少年漫画類は処分して少女漫画に変えて。隙間が出来たから書店にも向かった。
気の迷いで、女性同士の恋愛小説をこれ見よがしに並べてみようかとしばらく本屋で悩んでいた。
「……あの」
突然声を掛けられて、振り返ると、見たことのある生徒。確か、龍園翔のクラスの椎名ひよりだ。ああ、言われてみれば読書家というイメージがある。
本屋でばったり出くわすには、これ以上ない相手だと思った。
ただ、私は手に取っていた本が本なだけに、慌てて弁明して。
「あの、ただ手に取っていただけなんで」
「そうなんですか?」
「ええ……」
「…………」
椎名さんと話したのは初めてのことだけれど、龍園翔のクラスには似つかわしくないような印象。優しそうだし、そもそものんびりとした雰囲気で。
そんな事を思っても、まさか今日初めて話した人に「クラスで辛いこととかない?」なんて聞かれても迷惑だろう。
お節介を焼くにはまだ若い。
「あの、じゃあ、これで」
「はい。お邪魔してすみません」
白石さんが、本当はどういう人物か分からないですけれど、分からないうちにしか書けないこともあるなと書きました。
いちおう、本当に遊んでいる想定です。
後半は明日。