白い石の深淵まで 作:風見茉優
白石さんが、西川さんと一緒にわたしの部屋を訪ねてきたところで、大きな変化は何もなかった。
結局次は白石さんの部屋に集まろうなんていうこともなく、適当に映画を見て終わり。ちょっとだけ仲良く成れたような気がするが、それだけだ。
わたしは卒業までそれでいいとも思っていた。
卒業してからも、もう二度と連絡が取れない方がずっといい。わたしは白石さんにとって、数年間たまたま同じ空間にいただけの存在で十分だ。
そんな考えは、自分を押さえつけようとするが故の嘘で。
本当は、もうすべてを滅茶苦茶にしてしまいたいと思っていた。
白石さんが男の人と遊んでいるのを見かける度に、わたしは包丁を持って乱入して、めためたに二人を刺し殺してから自分の両方の肺を刺して、白石さんを胸に抱きながら死ぬ妄想をした。愛情と憎悪が表裏一体で、簡単に破れる紙一重。まさか高校生で、こんな激烈な感情を持つようになるなんて思っていなかった。
恋愛感情と言うのは単純なものじゃなくて、時にはわたしを支え、時にはわたしを追い詰めて、滅茶苦茶だった。
「もうすぐ学年末試験ですね」
休日に白石さんを誘って、ちょっとだけ食事をすることになった。
もはやわたしは白石さんに対して恋心を隠さなくなったが、やはり、白石さんの対応に変化は現れない。現れて欲しいのに、安心していた。
そういうのを複雑な乙女心なんて言うけれど、そんな言葉で正当化もしたくなかった。もう、滅茶苦茶なんじゃないか。いっそのこと、白石さんの手ですべてを終わらせて欲しい。
拒絶されたい、罵倒されたい。今の社会の動きに惑わされず、あなたはおかしいのだと言って欲しい。おかしいのだから仕方がないと思いたい。二度と話しかけないでと追い払われたい。その手で頬をぶって欲しい。胸を叩いてほしい。腹部を蹴って欲しい。指を折られたい。徹底的にわたしという存在を詰って、嬲って、見下して、否定して、傷つけて、二度と立ち上がる事が出来ないまでに壊して欲しい。
どうか、愛してほしい。
「白石さん……」
「――――あ、えっと。良かったら、私の部屋に来ませんか?」
「ぇ?」
白石さんを見ると、僅かに警戒の色を感じた。別に私は洞察力に優れているわけじゃないし、人の顔を見てその内心を探るなんてことは最も不得手とすることだ。それでも、白石さんのことだけは分る。ずっと見ていたから。
わたしは、いい方向に行くとは思わないながらも、それでも何かが変わるのならばとその提案を受け入れた。
☆
学年末試験の内容が明らかになった平日。
本当は休日に遊ぶことがほとんどだったけれど、わたしが頼んで平日に遊びに行く事になった。
放課後にお風呂に入って、寝巻に着替えて白石さんの部屋を訪ねた。
寝巻のわたしを見ても、白石さんは特に疑問を持った様子も見せず部屋に上げる。白石さんの部屋は、芳香剤の甘い香りに、女子らしい部屋。女子らしい部屋という曖昧な表現は、そのままなのだ。白石さんの色があるのではなくて、ただ、男性の思う女子の部屋。勉強熱心なところがあると思わせるためか、小さな可愛らしい本棚。枕元に邪魔にならない小さなぬいぐるみ。ふかふかとしたラグに、白石さんはもこもこのスリッパを履いていた。青と白のパステルカラーが縞々になって、ゆめかわいい。
これらすべてを一言で表現できる。男受けだ。
わたしは非常に嫌いだった。
客観的に可愛いとは思うし、自分がやる分には抵抗がない。
ただ、白石さんが部屋をそういう風にしている目的が、気に入らないのだ。
「白石さん。今日、泊っても良いかな?」
「構いませんが、私は朝早いので……早く起きてもらいますね」
「うん。っていうか、わたしも早いでしょ」
白石さんと二人きりに成れるのだから、朝早く登校するのは当たり前だ。最近は吉田くんが鬱陶しいけれど。
でも、いっそのこと吉田くんと付き合ってくれたらいいのにとも思う。
白石さんとテレビを見て、夕食を食べて、白石さんがお風呂に入っている間にベッドに転がった。シーツに顔を埋めて、布団を撫で、それから枕を嗅いだ。白石さんのにおいを探るのではない。それ以外の何か。
わたしが男のにおいを知らないから、どうしようもない。歯ブラシは一本だけだったし、お揃いのマグカップがあるわけでもない。恋人がいるわけではないのだ。
でも、もしかしたらと思うだけで存在しない臭いが部屋に沁みついているような気がした。水泳の後の独特のにおい。体育の後、横を通り過ぎた男子生徒から襲い掛かってきた酸味のある悪臭。それ以上の、もっと、不愉快で下品なにおい。
「ふぅ……」
深呼吸をすると、やっぱり甘くていい香りだった。でも、それは何かを覆い隠すものだと思った。
☆
お風呂から出た白石さんとまたしばらくテレビを見て、わたしは白石さんと一緒にベッドに入った。
さり気なく身を寄せて、白石さんは嫌がらなかった。
腕を回して、身体を摺り寄せても白石さんは嫌がらなかった。
「ねぇ、白石さん」
耳元で囁くように言うと、初めて白石さんの身体がびくりと跳ねた。その事にどうしようもなく興奮して、白石さんの身体を撫ぜる。
首の、胸鎖乳突筋をたどり、鎖骨のくぼみを中指で擦る。
「飛鳥って、呼んでいい? いま、今日、この時だけ」
「はい……いいですよ」
「わたしのことを名前で呼んで」
「茉優さん」
「うん」
わたしは風だ。石は動かせない。
わたしは繭だ。鳥には勝てない。
「わたしは、飛鳥に滅茶苦茶にされたい。もう一生、立ち直れないくらいに傷を負わせてほしい」
わたしの生涯を滅茶苦茶にして、肉体ではなく魂に、傷をつけて欲しかった。
けれど、飛鳥がそれを望んでいないのは確かで、わたしは、ただ、もう、何もしない以外に方法はない。
だから、これが最初で最後。
飛鳥は、わたしの手を取って、顔をじっと見て来た。いつも通りのように見えても、同情とか、僅かな高揚とか、飛鳥も普通じゃない。
「はじめて、ですから」
首に回されて、キスをされた。
あっけにとられている間に、二度三度と続けられて、初めてじゃないんだと分からされた。
☆
試験が終わって、わたしたちのAクラスは、Cに落ちた。それに、もう上がる可能性はないだろう。勉強しておいてよかったと安心するわたしは、自分勝手だ。
Aクラスの生徒には、希望する大学、就職先を自力でつかみ取れる人が多い。もちろん、Aクラス特権があって損ということは無いけれど、勝てない戦いにリソースを裂くことが馬鹿らしいことが理解できる程度にはみんな賢い。
それでも、何とかAクラスで勝とうとするのは、友情があるからだと思う。
わたしにはそれがない。ただ、白石さんだけを見ていたから。
書店に行くと、いつか手に取った本がやっぱり置かれていた。
「その本、買わないのですか?」
振り返ると椎名さんがいて、ニコニコとほほ笑んでいた。
「もう、必要なくなったんです」
「必要なくなった……?」
「失恋した時に、どうして髪を切るのか、椎名さんは分りますか?」
椎名さんは、一瞬だけ自らの長い髪に意識を向けた様子だった。もしかしたら、椎名さんも好きな人がいるのかもしれない。
「気持ちを切り替えるためでしょうか?」
「まあそれもあるけれど、そんな前向きな理由じゃないとわたしは思うんです。もっと単純で、そのまんま。後ろ髪をひかれないようにするため。わたしにとってこの本が、後ろ髪でね」
三年生になって、やっぱりCクラスの教室に入るのに抵抗があった。
いろんな意味で。
「おはようございます。風見さん」
いつも通りに微笑む彼女に、わたしもなるべくいつも通りを心がけて。
「おはようございます。白石さん」
また、白石さんの詳細が分かったらなにか書きたいです。