キッドはこの船旅の中、何度か血管が切れかかっていた。
ギャングに囚われ、牢に繋がれていた自分たちを救った存在、あきつ丸による行動のためである。
“鷹の目”ミホークと共に嵐のような強さでギャングを制圧、壊滅させた彼女は、全身に黒を纏った黒鉄のような女性だった。
黙って立っているだけなら、淑やかで凛々しい美少女なのだが、動き始めると変な口調に少し抜けた思考と、なかなかにポンコツな部分がある。
いや、強さや、天竜人も恐れない自身の理念に従うところは、正しく凛々しいだろう。
けれど、この船旅で何日と場所を共有した生活を送っているキッドは、なにかと「被害」を被っていた。
例えば、島に停まり、各種補給をして倉庫内の整理を行っている時。
あきつ丸は小柄だが、まだ幼いキッドよりは身長がある。
そんな彼女が、棚に物を詰め込む作業をしているキッドと同じ棚、少し上の列に物を積む時。
ポフン。
と、乗るのだ。
何がって、彼女の詰襟に隠された豊満な
わざと乗っかっらせているのかと叫びたいくらいには、重さや柔らかさをしっかり感じられる位置にキッドの頭があるのである。
割と重かったので、これを常に胸に下げてるのは肩が凝りそうだと明後日の方向に思考を逸らして耐えた。
自分の胸が下のキッドの頭に乗せられていても、あきつ丸本人は特に気にした様子もなく作業を続ける。
そのせいで、動作によって乗っているものが揺れ、よりしっかりその感触を理解してしまう。
もにゅ、とも取れる音が何度も頭上で聴こえども、キッドはその場から離れることができなかった。動くと死ぬとさえ思った。
この状態になってから、キッド側の作業は硬直しているというのに。
例えば、食事の調理。
人の体は弱り過ぎるとそう簡単には回復しない。
動ける者が多少出てきても、無理に体力を削ってまた動けなくなっては意味が無いと、安静を促している者が多い。
キッドはかなり早く回復……というか傷が治ったが、自前の回復力には自信があったので当然のことだった。
そうして、キッドも調理手伝いとして調理室に入ることがたまにある。本格的な料理はできないが、食材を切ったり程度はできるので。とにかく量が必要なこの船の食事はサラダでも結構な労力がいる。
料理ができてある程度動く許可を貰った乗員に細かい作業を任せつつ、あきつ丸も何かと調理室にいた。手際が良いので、料理自体下手ではないのだろう。
メニューも彼女が決めることが多いため、調理室にいれば彼女と会う確率は上がる。
そうして、朝昼晩の食事を用意している時である。
「んー……キッド殿、味見」
と、あきつ丸にスプーンを差し出される時がある。
何度も自分で味見していると、正解がわからなくなってくるから、他人の意見が欲しいらしい。
が、キッドにとってはそのスプーンはあきつ丸がさっきまで何度も味見に使っていたものだし、キッドの手が塞がっているからかあきつ丸の手からスプーンが渡されることもない。
つまり、「はい、アーン♡」の状態になっている事に彼女は気がついているのか。たぶん否。
キッドとてそれに何も感じず食いつくことはできないのだが、いつまでも食べないでいると「嫌いだったでありますか?」と彼女の眉が下がるので食べるしかない。
ぶっちゃけ、味はよくわからない。いつもテキトーな返事をしている。
がしかし、彼女の主導の下作られた食事はちゃんと美味いのだ。
例えば、休憩室で簡単なボードゲームをやっている時。
船旅は長く、特定の行き場を決めていないキッドとキラーは特に長い航海を覚悟している。
元々二週間を超える船旅に慣れていない者もいるので、周囲に海しかない中気を紛らわせるものは必須だった。
とはいえ、派手な遊びが船の上でできるはずもないので、この船での娯楽は簡単なボードゲームやカードゲームの類になる。
船の見張りをミホークが担当している日は、あきつ丸も遊びに来ることがままあった。
リバーシやバックギャモン、チェスなんかが卓上に並べられている休憩室は、何かと人で賑わっている。
しかし、乗員の多くはあきつ丸に感謝しつつも、恩が大きすぎて簡単には近づけない存在らしい。キッドにはよくわからないが、あきつ丸が席に座っても、観客になる人は多いが対戦席に座る者は案外少ない。
なので、数少ないあきつ丸に素で話しかけられるキッドは対戦相手になることもあった。正直、こういった頭を使うボードゲームが得意なのはキラーの方だが、キラーは愛想が良いので子どもの相手をしていることが多い。
程々に手加減しつつ、子どもなりに勝ったり負けたりを楽しませる「子どもの対応」が上手いのだ、アイツは。
自分は手加減が下手で泣かれることが多いので、相棒に怒られてから対応は任せてある。
そうして、あきつ丸との対戦席に着くと、彼女はパッと顔を明るくして、「今日は何で遊びましょう」といそいそとゲームを準備し始める。
ところで、先ほどあきつ丸は小柄だと言った。キッドよりは大きいとはいえ、女性でも180センチを超えることが多いこの世界において、あきつ丸ほどの身長はけっこう低い方である。
そして、さまざまな人種が混ざるこの船において、大柄な魚人なんかもいるために、家具類は大きなものが用意されている。
小さいサイズはキラーよりも幼い子だったり、床にしっかり足がつかないと貧血等で不調を起こす人を優先している。
そのため、あきつ丸とキラーが座る席は大体サイズが大きい。
サイズが大きいとどうなるか。天板に乗るのである。胸が。明らかに持ち上げられているシワを服に作って。
そしてキッドは「乗せられる側」の感触を知ってしまっているので、目に毒なだけでなくあの感覚を思い出して余計に居た堪れなくなる。
乗せられている時と違ってしっかりと存在を視認できるのも大きい。
しかも、胸を挟んで両手を顎に当てて長考したり、ちょうど良い高さなのか胸上に手を預けることもあるので、余計に気が散る。
「知恵熱でありますか?」
と赤い額を撫でてくる姿に、キッドはリバーシで勝てていない現実を全てこのせいにしている。
例えば、船に海賊船が近づいてきた時。
基本的に船の護衛はあきつ丸かミホークで行われている。
キッドとキラーも手伝おうと挙手したが、まだ幼いのと、二人の戦闘法では海賊船と船を接触させないと相手取ることが難しいという真っ当な理由で断られた。
剣士が遠距離戦もできる時点で何かがおかしい気がしたが、手元の十字架短剣でガレオン船を両断するミホーク、海に
戦闘時、あきつ丸は腰の刀を使うことが多いが、敵船が複数だったり既に砲撃を準備している場合、背中に「艤装」というものを召喚して戦う。
巻物に、ランプのような変な灯りを掲げ、鉄でできた何かを背負うと、見たこともない機械を飛ばしたりして敵船を撃滅していくのだ。
能力者かと思ったが、違うらしい。
海に立って、滑るように移動しながら戦うあきつ丸は、普段の馬鹿みたいな鈍さと反対に敵の全てを見逃さない。
重低音の虫の羽音のような、独特の音を飛ばした機械が鳴らす中、撃ち出された砲撃が水飛沫と共に遠くの船を沈めていく。
海風に、黒い外套と髪がたなびく。
キッドにとって、一番自分を悩ませているのはこれだった。
身体の接触や、間接キスなんてことを経験しながらも、キッドがいっとう目を奪われ、心臓を急かすのはこの戦う姿だ。
ぼんやりと何を考えているかわからない瞳を鋭くし、夜の冷たさのような空気を纏って容赦無く弾幕を張っていく。
刀の鈍色がそのまま殺意となって放たれる斬撃が、海と太陽の光を反射して蒼く染まる光景。
戦いが終わり、いつもの呑気な表情に戻るまでの一瞬の刺々しさ。頭に砲塔を向けられていると錯覚する威圧感。
そういったものに、キッドは知らずのうちに口角を上げてしまっているのである。
心の臓は早鐘を打ち、ビリリと左腕が磁力を纏ってしまう。
引っ付けて、腕の中に付着仕留めて、あのプレッシャーを間近で感じたいと思ってしまうのは、戦闘狂の血かはたまた別のものか。
けれど、今の自分では彼女は鉄塊の山のように高く重い壁であり、せいぜいがお情けでその冷たさを感じるだけ。
「……強くなりてェな」
そう溢した時、隣にいたキラーが「熱烈だなぁ」と揶揄うように笑った。
「いつも髪と同じくらいに顔を真っ赤にしてるくせに」
「うっせ!! うっせ!!」
ともかく、早く仲間を集めて旗揚げせねば。
この磁力が届かない先の先に、彼女が行ってしまう前に。
系統としてはミホークに近い感情。