“鷹の目”ジュラキュール・ミホークに師匠がいたことは、実はあまり知られてはいない。
王下七武海に名を連ねる強豪だが、そんな彼はまるで大海原に突然「発生」したかの様な突然のデビューを果たしたのだ。
“海兵狩り”として数多の軍艦を沈め、王下七武海になった後でも会議に出席しなかったりとやりたい放題。いつも一人で行動し、船は棺桶船と呼ばれる酷く簡素なもの。
そんな彼は、まるで今までずっと一人で生き残ってきました。とでも言わんばかりの剣の腕でここまで上り詰めてきた。
そんな彼に剣を教えた女がいることは、センゴクすら知らないことだった。
ミホークにとって、師匠を一言で表すなら「お人好し」である。
暴漢に襲われ、殴られていた自分を何の見返りもなく助け、おまけに弟子に迎えた。貴重な食料を惜しみなく提供し、安全な寝床さえ作ってくれた。
ミホークは当初、弟子にしてくれと迫った時、ここで切り捨てられる覚悟をしていた。こちらには錆びたサーベル、しかも身の丈に合っていない粗末な作りのものしかなく、相手は一目で業物とわかる得物を腰に佩いている。
不興を買えば、あっという間に首と胴体が泣き分かれだ。
それでも、ミホークは暴漢を一撃でのしたあの一太刀に魅入られていた。
師匠は、黒髪黒目に黒外套の、闇から這い出てきた様な色をしていた。顔立ちは可愛らしい少女であるのに、どこか人間らしくない異質さがあった。
キツく握られた外套を翻すことなく、師匠は努めて冷静に、穏やかにミホークと話した。物心ついた時から一人だったミホークにとっては、どこかむず痒い。
しかし表情にはおくびも出さず、ミホークは師事を請うた。
あの刀をもう一度見せてほしい、自分にも教えてほしい、戦ってほしい。
幼いミホークはそんな希望を詰めに詰めて視線を送った。
根負けした師匠は、諦めた様な軽いため息と共にミホークを軽々と抱え、海に出た。
まるで魔法の様に海を滑る師匠。今でもあの原理はわからない。自分を抱えて海を進む師匠は、さもそれがグランドラインの常識であるかの様に単身海を渡った。
連れて来られた無人島は本当に小さな孤島で、海賊や海軍が補給にすら停まらない資源の少ない土地であった。
そこにどういう力か家屋を建てた師匠は、早速ミホークに木刀を渡し、力を試してきた。
結果から言うと、惨敗だ。打ち合いすら行わせない、いつの間にか首元に木刀が当たっていた。しかも、師匠は左腕しか使っていない。……手加減されて、これなのだ。
ミホークは師匠のいる頂への遠さと、その圧倒的なまでの強さに身慄いした。そして同時に、超えたいと思った。このひとを、倒したい。殺意とは違う熱意が、この時ミホークの心中にはっきりと灯ったのである。
最初の師匠の修行はシンプルで、素振りや走り込み、基礎的な筋トレという体の資本を作るものだった。師匠は毎日海に出る。そして魚や肉、果物といった食糧を持ち帰ってくる。今思えば、あれは他の島に買いに行っているのではなく海賊船から奪ったものだったのだろう。
やがて木刀を真剣に振り回す訓練となった。的に向かって木刀を打ちつけ、正しい型というのを学んでいく。途中から的が動くものに変わり、避けられなければ容赦なく的につけられた木の棒が腹や頭に打ち付けられた。
その頃には師事を請うてから数ヶ月が経っていて、師匠の細かい性格の部分がわかってきた。
まず、師匠は普通の食べ物ではなく燃料で動くが、食べることが嫌いなわけでは無い。むしろエレファントホンマグロが手に入った時は嬉々として刺身にしていた。
しかしその割には少食で、刺身も数枚食べた後はミホークが全て食べることになった。
あと、案外寝相が悪い。いつだったか、朝起きたらがっつりと抱き込まれ抱き枕の様にされていた時があった。押し付けられる身体は柔らかい少女のものなのに、漂う匂いは硝煙の匂いで、そのアンバランスさにどこかくらりと目眩を覚えた。
その後きっちり謝られたが、人に抱きしめられると言う経験がほぼ無かったミホークにとって、不思議と不快ではなく、むしろ穏やかな気分で朝を迎えられた。
修行を始めて一年経った頃、真剣を与えられた。無銘の、業物でも無いただの刀だったが、ついに真剣を握ることが許されて心が躍った。
師匠はミホークに真剣と水の入った皮袋を持たせると、森の中に適当に放った。最低でも5体獣を狩ってこい。という一言付きで。
森の中にいる獣はまさしく猛獣と呼ぶにふさわしく、何度も苦戦を強いられたが、一晩でクリアして家に戻ってきた。
流石にそこまで早く戻ってくるとは思ってなかったのか、獣の死体を引きずって帰ってきたミホークの姿を見て、師匠は珍しく目を丸くして驚いていた。
その新鮮な顔に、ミホークはどこか面白さを感じ、笑う。穏やかな師弟生活だった。
ある時、ふと聞いたことがあった。「なぜ自分を弟子に迎えてくれたのか」。
勿論こちらとしては弟子にしてくれるまで梃子でも動かないつもりだったのだが、あっさりと師弟関係を飲んだ師匠の真意が聞きたかったのだ。
答えはシンプルで「伸び代があるから」だそうな。
師匠はミホークの剣の才を誰よりも早く見抜いていた。一年と少しで大人顔負けの剣術を操れる様になり、森の猛獣など敵にもならず、ミホークはどんどん剣士としての腕前を磨いていた。
しかし、未だに師匠には勝てない。
「剣の重さに振り回されない! 体幹トレーニングが甘いであります!」
「大ぶりな攻撃ばかりに頼らない! 素振り100回追加!」
「小手先の技はまともに剣を振れるようになってから身につけるであります」
師匠は海から帰ってくると、日が暮れるまでひたすらミホークと斬り合った。午前中はひたすら筋トレ、走り込み、素振りといった基礎鍛錬。午後からは師匠と手合わせを何十回と行う。
朝、昼、夜の食事はしっかりと。たとえ吐くほど体力を消耗させられていても残すことは許されない。
睡眠はきっちり8時間。夜更かしして鍛錬しても身につかないというのは師匠の持論だった。
そうして、ミホークが8歳になる頃。
初めて、攻撃が師匠に当たった。
頬をほんの少し掠めただけだったが、そこから流れる血は確かに己が師匠に一太刀浴びせた証拠。
今まで掴めもしなかった師匠の断片に、ようやく手が届いた感覚があった。
今までの修行で、峰打ちだから死なないとはいえ致命傷レベルの部位を攻撃されていた身としては、ほんの少しかすり傷を負わせただけだと言うのに、らしくなく切先がブレるほど嬉しかった。
師匠は笑う。「ようやくここまで上がってきたか」とでも言うように。その瞳にはミホークへの期待とプレッシャーが爛々と輝いている。
「師匠」
ミホークは、歓喜に呑まれた頭で──しかし表情には一切出さず──己の覚悟を伝えた。
「いつか、必ず貴女を斃す」
師匠は、ニヤリと笑ってミホークの頭を撫でた。
「追い抜かれる用意をしておくでありますよ」
その言葉とは裏腹に、秋茜から感じる殺意は好戦的で……分厚い鉄板を前にしたかのような圧がミホークにのしかかる。
越えられないかもしれない。でもきっと越えてみせる。
ミホークの脳裏に焼き付いた、あの一太刀を向けられるために。
おれが師匠を越えたら、今度はおれが師匠に剣を教えるのだ。そして師匠がおれを越えたら、またおれが師匠に教えを請おう。そうやってお互いを高め合って、誰にも届かない世界に行くのだ。
剣の道と、師匠さえいれば、この世はきっと退屈しない。
幼いながらに、当時のミホークはそんなことを考えていた。
そして大人となり、鷹の目として恐れられるようになった今も、そう思っている。
それにしても、師匠と別れた後のなんと退屈なことか!!
あきつ丸(仮):やっぱミホークだから成長速度えぐ〜教えるのキツ〜と思っている。
ミホーク:師匠の剣に脳を焼かれている。