あきつ丸がワノ国を出て行った。
今日のワノ国は全体的にしんみりとしている。数日前の祭りが嘘のように、皆彼女との別れを惜しんでいた。
赤鞘は侍のくせに大泣きするし、トキも気丈にしているが背中がどこか儚い。
おでんとて、何も感じていないわけではなかった。
最初は、ただ暴漢から襲われていたのを見過ごせずに助けただけだった。
そこからだんだんと腐れ縁のようになっていき、彼女の剣の腕(あれで剣士ではないのは嘘だと思う)に惚れ込み、何度も手合わせする仲になった。
ため息を吐きながらも、自分の持ってくる問題ごとに対応してくれる姿は優しかった。
たまに放置されたが。
そこから都を追放され、ワノ国漫遊の旅が始まる。
最初はおでんを煮ては食っていたが、彼女は一週間で「飽きた」と自分で食事を作り始めた。シンプルに野菜と肉を炒めたものもあれば、炒飯という知らない料理を出されたこともある。彼女は外から来ただけあって、ワノ国では見ない珍しい料理を出してくれた。
おでんはそれを食いながら、世界には色んな料理があるんだなぁと感心するなどしていた。
あきつ丸曰く難しいものは作れないそうだが、おでんにとっては二週間一切違うレパートリーのものを出してくれただけすごいと思う。自分なら全ておでんにしていた。
錦えもんと傳ジローは、いつのまにか彼女のことを「姫様」と呼んでいた。
本人は嫌がっていたが、おでんもなんだか内縁の妻の様な扱いをされていて嫌だった。
あきつ丸と自分にあるのは単純な友情であって、あきつ丸に対して男の欲だとか、そういう色っぽいことは一切求めていなかった。
昔こそ都じゅうの美女を集めてハーレムを作っていたが、何故かあきつ丸は全く琴線に触れなかったのである。
綺麗な顔をしているとは思う。しかしそれはあくまでも、刀とか、立派な船を見た時の感覚であって、性的な感性ではなかった。
今思うとそれは大正解だったわけだが。
旅の中で、一日一回、あきつ丸とは手合わせをしていた。大抵はおでんから迫っていたが、じきにあきつ丸も慣れたのか、おでんが忘れていると声をかけてくる様になっていた。
あきつ丸は妖刀「秋茜」を上手く使う。
一度持たせてもらったことがあるのだが、何故か木の葉の一つも切れなかった。本人曰く「やる気がない」そうな。
随分と気分屋で落差の激しい刀を使っているのだな、と改めてあきつ丸の凄さを知ったが、同じく閻魔を使ってみたあきつ丸から「本当に人間か?」と聞かれた時は笑ってしまった。
閻魔は確かに持ち主の覇気を勝手に吸い取るが、吸い取った分は働く真面目な刀だ。こんな、持ち主がちょっと変わっただけで枯葉も切れなくなるような厄介な性質を持った刀を使いこなしている、あきつ丸のほうがよっぽど珍しいと思う。
あれで手合わせの時は刃こぼれをヒヤヒヤさせる程に威力のある技を打ち込んでくるのだから、刀共々よく分からんやつだと首を傾げた。
普段はあまり好戦的ではないのに、いざ戦うとなると目つきが変わるのだ。
オンオフがはっきりしているというか、どこか別人のような空気を感じる。
仲間が増えていくにつれ、あきつ丸の「姫様」という認識はより濃くなっていった。
本人はもう呼び名を直すことを諦め、渋々と返事をしている。
それがあまりにも嫌そうで、まぁ確かにおれも「旦那様」とか呼ばれたら同じ顔になるだろうなと不憫に思った。
姫様と呼ばれることで守られるような立場と認識されるのも嫌なのだろう。
あきつ丸は下手な侍よりよっぽど腕がいいし、単独で旅ができる強さを持っている。
外の世界でも一人海を渡っていたそうだから、見聞も広いだろう。
白吉っちゃんの船に乗ってからは、仲間たちにたびたびワノ国漫遊の旅の話をしていた。
巨大な獣を退治した話とか、墓場の噂話を明かした話なんかはウケが良かった。
あきつ丸は白吉っちゃんの船でも上手くやっていたようで、魚を一気に20も獲った話とか、船の声が聞けるという話をされた。
種族的に船に近いという話を聞いた時、あいつからいつも磯風の匂いがするのはそれか! と合点がいった。
ということは、自分は船である彼女をワノ国という陸に縛り付けてしまったのだと後から気づき、少し申し訳なく思った。
オロチとカイドウの企みを泣きながら話す彼女をみた時、あああきつ丸も泣くんだなと冷静な頭の部分がやけに驚いていた。
彼女はいつもどこか無機物のような雰囲気を纏っていて、生理的な現象とか、感情に体が振り回されるようなものとは縁遠いと思っていたのだ。
あきつ丸が見聞色で観た未来は悲惨凄惨だった。
ワノ国がそんな地獄に変わるなんて思っていなかった。
だが、あのあきつ丸が泣きながら言うんなら、信じようと思ったのだ。
そうして、数年の旅を経て、ワノ国に戻り、そしてカイドウを討った。
首を切り離してもしばらく暴れていたのには驚いたが、白吉っちゃんの協力もあり無事に討伐することができた。
しかし海上で倒れているあきつ丸を見つけた時は、息どころか心臓も止まったと思う。
カイドウを斃せても、お前が死んじゃなんの意味も無いじゃないか。
最大の功労者のお前が、こんな、何もない波の上で死ぬなんて、そんな。
ワノ国じゅうの医者を呼んだ。あきつ丸を治せるならどんな高額だって払う気でいた。
しかし医者から返ってくるのは、無情な「生物と身体の仕組みが違う」という匙を投げる言葉だった。
血液は燃料、肌に点滴は刺さらず、そもそも何を栄養にし得るのかがわからない。
目を覚さないあきつ丸に、城は通夜のような雰囲気を纏っていた。
自分はその時世界を恨んでいた。
何故彼女をこんな目に遭わせた。こんな身体にした。未来を見せた。
神がいるなら叩き斬りたい気分で山を走った。
だから、目を覚ました時はトキと抱き合って喜んだ。
あきつ丸がこのまま死んでいたら、自分はどうなっていたかわからなかった。修羅の如く、暴れ回る何かになっていたかもしれない。
あきつ丸の言う「次の閻魔の持ち主」を待ち続ける地蔵になっていたかもしれない。
目を覚ました事実が、ただ嬉しかった。
そんなあきつ丸もワノ国を出ていってしまった。やはりこの狭い海のワノ国は彼女が生きるには酷だったのだ。
自分に大名の名が戻り、城であきつ丸が使っていた部屋は自分の部屋になった。あきつ丸の痕跡は綺麗さっぱり無くなっていた。
筈だった。
文机の上に、知らない漆の箱が置かれていた。蓋には蜻蛉を模した紋がある。
あきつ丸はいつだったか、蜻蛉が自分の名前の元のひとつだと言っていた。
これはあきつ丸の物だと確信できた。
恐る恐るそれを開ければ、中には大量の手紙が入っていた。
ひらがなに下手な漢字混じりで書かれたそれは、町の子どもたちの自分に向けた手紙だった。
自分がまだ海に出ていた頃、書かれた物だろう。
内容は「いつか家臣にしてくれ」だとか「立派な花魁になる」だとか、微笑ましいものだった。
たしかあきつ丸が九里に寺子屋を作ったのだったか。それの一環で書かれた物なのだろう。
おでんは面映い気持ちで順番に手紙を開いていく。拙い漢字は本人たちなりに頑張って練習したのだろう。中には画数が多い大人でも苦戦するものもあって驚いた。
ふと、その中に子どもとは思えない達筆の手紙が混じっていることに気づいた。
まさか、と開けば、それはやはりあきつ丸からのもので。
最初は当たり障りのない天気の話だとかが書かれていたが、それは上からバッテンで消されていた。
改めて書き始められた内容は、おでんとの出会いから今までを振り返りつつ、これからの大名生活を激励する祝福の言葉だった。
「いつの間に、書いてたんだよ、これ……」
カイドウを倒した後、あきつ丸は眠っていたり祭りに連れて行かれていたりと忙しくしていた。
それなのに、まるでそんなこと感じさせない穏やかな筆跡で書かれたそれに、おでんは半紙に雫が溢れていることを自覚していた。
墨が、滲む。
「『賭場に入り浸るな』とか『酒を飲みすぎるな』とか、小言が多いんだよ……」
墨がどんどん滲んでいく。
最後は、自分がよく言うあの言葉で締められていた。
煮えてなんぼの、おでんに候。でありますよ。
「……っ……っ!!」
今だけは、その言葉を強く叫べなかったのは、墓まで持っていく秘密なのだ。
これにて、ワノ国防衛戦編、終了となります。
まだまだあきつ丸の旅は続きますが、一先ず一区切り。
ご愛読ありがとうございます。