あの時、俺は確かに過去と共鳴していた。
*
オハラに来てから数ヶ月。
ロビンとの距離感も掴めてきて、穏やかな日常を過ごしていた時だった。
今日も俺は、全知の樹で読書に勤しむ。数ヶ月ずっと勉強していれば、考古学の基礎的なこともじわじわわかるようになってきて、本を読むスピードも比例して早くなっていった。
今日の朝ごはんはトーストに目玉焼きを乗せた某ジブリ風。そこにベーコンとサラダを添えたものだった。トーストに目玉焼きを乗せるのはロビンにとって珍しいことだったのか、物珍しげに食べていたのが新鮮だった。
ロビンの警戒心もかなり薄れてきたと思う。食事を申し訳なさそうに食べることがなくなってきたし、睡眠もしっかり摂るようになってきた。
遠慮はまだ消えないけれど、それだけ彼女に刻まれたものが深いのだと考えると焦りは湧いてこなかった。
今日も俺はノートに知識を書き込んでいく。このノートももう殆ど書き込み終わり、次のノートを買わなくてはならない。
ロビンも博士号の勉強に精を出しているし、二人で自宅のダイニングで一緒に勉強する日もある。
積み重なっていく水中考古学の知識とは違い、オハラ救済計画は全くと言って良いほど計画が立っていなかった。
白ひげやワノ国を頼ろうかとも思ったが、無理に政府と戦わせるわけにはいかない。なにより、彼らに得がなかったから。
孤軍でなんとかしないといけない以上、綿密な計画及び説得は必要。今はそのための準備期間と割り切るのも良いかもしれない。
1時間の区切りを伝える鐘の音を聞きながら、一区切り、ペンを置いた。
集中力が切れた。というか、なんとなく胸騒ぎがする。
ジリジリと、体の端が焦げていくような……。
虫の知らせ、あるいは悪寒。
なんとなく島全体に見聞色を張り巡らせる。
瞬間、俺の見聞色に悲鳴の色が映った。艶のある黒曜石の高い声。
ロビンのものだった。
俺は弾かれたように、本もペンもそのままにして全知の樹を飛び出した。
ロビンは今日は外で本を読んでいたはず。
全力で見聞色を使い位置を特定する。
森の中、崖側、下はすぐ海。
嫌な予感がする。
途中で逃げるように走る子どもたちとすれ違った。
構わず走り続け、崖の下を見れば、ロビンの手が深く海の中に沈んでいくのが見えた。
「ロビン殿ッ!!」
俺は外套を脱ぎ海の中にダイブした。能力者が沈む速度は常人より早く、昼前とは言え海の中は暗い。
一気に青になった視界で、必死に黒を探した。深海に溶ける前の、冷たさを帯びつつも人類の歴史には欠かせない黒曜石を。
水面の煌めきを反射する髪束をようやく視界の端にとらえた。
俺はそのまま一気に潜水し、彼女の小さな手を掴む。勢いよく引き上げようとして、その身体が明らかに普通の子どもより重たく沈み込んでいくのがわかった。これが「海に嫌われている」ということか。
俺は力任せにその重力に逆らって、ロビンを引き上げる。抱え、水面へと水の塊を蹴っていく。
水面は眩しい。
既視感の塊を振り払い、俺はロビンを深海から酸素の楽園へ連れ戻す。
ロビンは気絶していた。落ちた崖の高さは俺数人分。
なんとかロビンを抱きかかえて海面に立つと、背嚢から秋茜を取り出す。
「久しぶりの使用方法がこれで悪いでありますが……」
俺は秋茜を鞘から抜かず、振り抜いた。その衝撃によって、俺は空を飛び、崖の上へと降り立つ。
ロビンを芝の上に寝かせ、顔を横に向ければ大量の水を吐いた。呼吸は問題ない。
頬を少し叩いて意識を確認すれば、数秒の沈黙ののち回復した。
「……あ……」
「ロビン殿、自分がわかるでありますか」
「あきつ丸……さん……」
「意識正常、よし」
俺は放っていた外套をロビンの身体に巻き付ける。今日の気候は暖かく海水浴日和だが、それでも寒気はあるだろう。海水を身体から逃すためにも、吸水性は悪いが乾いた外套はタオルがわりになる。
「……本……」
「本?」
「本、が……一緒に……」
「……絶対に起き上がらないこと」
俺はもう一回覚悟を決め、水中の中に飛び込んだ。
見聞色を使い海の中の異物を探す。波はまるで沈む本とダンスするかのようにクルクル揺蕩っている。
俺は艦娘で、肺活量も人外なので人よりも長く息は続く。しかし水の中でうまく動けないのは人間と同じだし、深く沈めば沈むほど視界も悪くなるし聴覚がどこかへ行ったような感覚に陥る。
数分、波と格闘して本を手に取れた時には、息はもうギリギリだった。
血液は燃料で、酸素を運ぶヘモグロビンも無いだろうに、なんで息を止めると苦しくなるんだろう。
俺は酸欠になりかけの頭でそんなことを考えていた。
沈む、という行為こそが、艦娘の生命を大きく揺さぶるのかもしれない。あるいは、俺には潜水艦の才能は無いのかも。そりゃそうか、揚陸艦だし、陸軍だし。
水面から脱出し、もう一度崖上に戻ってきた俺は、「これ?」とロビンに聞いた。肯定。よし。
俺はコートに包んだままのロビンを抱きかかえると、取り敢えず全知の樹に向かった。
図書館の中にずぶ濡れで入るというのは憚られたが、あの学者たち以外ロビンをまともに助けてはくれないだろう。
ずぶ濡れで、ロビンを抱えて帰ってきた俺に学者たちは騒然となった。
彼女を温めて欲しいこと、海に落ちたこと、本も濡れてしまったことを端的に伝える。
学者はロビンの元へ毛布と白湯を持ってくると叫んだ。
その言葉を聞いて、どっと俺の身体を「なにか」が襲ってきた。
その「なにか」に導かれるままに、俺は図書館の床に倒れ込む。なぜだかわからないが、冷たい海水の匂いだけは最後まで感じていた。
暗転。
「…………」
ゴポ、と空気の塊を吐いた。大量の生きるために必要な酸素を無駄にした気がしたが、何故だか苦しくない。
俺は暗闇の中にいたが、身体に何かがまとわりつく感覚や、息が泡となって逃げていくのにここが海の中なのだとわかった。
目を開けても痛むことはないし、息ができていないはずなのに息ができている。こんなにも暗い海なのだから、時間帯は夜なのか、それとも光すら届かない深海なのか。深海なのだとしたら、自分は何故握りつぶされた空き缶のようになっていないのだろうとモヤのかかった頭で考える。
ロビンはどうなっただろう、と外套を探して、自分がライトを持っていることに気づいた。業務用みたいなデカい懐中電灯だ。
明かりがあるに越したことはない。俺は何故か使い方を知っていたその懐中電灯のスイッチを入れる。
「あ」
ライトの先はすぐに途切れた。
いや、暗闇の中に途切れてしまったのではない。目の前に大きな、それはもう大きななにかがあったのである。
暗すぎて色はわからないが、材質は硬そうだ。一目では全貌がわからないほどデカくて、このライトで全てを照らすのは諦める。
藻や海藻に包まれていて、ここに沈んできてから時間が経っているのだと理解できた。
そういえば、沈んだ遺跡やら艦船を調査するのも水中考古学の一環だったなぁ。この世界ではまだ深海に耐えうるスーツや呼吸器が無いから、大変そうだ。魚人だったら簡単に調査できるのだろうか。
危機感もなくそんなことを考える。
なんとなくこの塊がなんなのか理解したくて、俺は泳ぎ始めた。横に泳ぐとすごい距離になりそうだったから、上に向かって泳いだ。抵抗はほとんどなかった。
「あ」
また声が漏れた。
ライトの先には対空砲と思われる機銃や、飛行甲板らしき平らな甲板があった。
そうして、ようやく気づく。
「
そう、沈んでいたのはあきつ丸だった。
第二次世界大戦で作戦中に潜水艦の雷撃で沈没した、艦船のあきつ丸だ。何故だか確信できた。
あきつ丸と理解すると、なんだかその姿が一気に悲しいものに思えてくる。
戦争中に敵の手によって乗員ごと沈められた鉄の塊。俺のベースになった揚陸艦。
深海の中で今はただ眠っているようだった。
「なんでこんな場所にいるんだろ。夢?」
明晰夢だろうか。ワンピースの世界に本物のあきつ丸が沈んでいるはずないんだから、ここは日本か、夢の中か。多分後者だ。
「俺、まだ死んでないはずなんだけどな」
何故だか今は艦娘のあきつ丸の喋り方をする気にはなれなかった。なんだか、「飲まれてしまう」気がした。
ここに来たということは俺は沈んだのか?
いやでも、ロビンを全知の樹に送ってから特に外傷もないし、低体温というわけでもなかった。
なんだか、何かに呼ばれているような気がして意識が暗転したんだったか?
「お前が、俺を呼んだのか?」
あきつ丸は何も言わない。ただ、沈んでいる。
命の気配は、一つもない。
当然だ。こんな海底で人間が生きているはずないのだから。
でも、魚くらい居そうなものだけどな。隠れ場所にはなるだろうに。
あきつ丸と俺の二人きりの空間。ゴポゴポと俺の泡の音だけが響いている。
「……俺はさ、まだそこに行くつもりはないよ」
あきつ丸は沈んでいる。
「俺なりにさ、あの世界で上手くやって、満足したら、そっち行くわ」
あきつ丸は沈んでいる。
「さっき、紛らわしいことしてごめんな。俺はまだ、沈むつもりはなかったんだ」
なんとなく、あきつ丸は俺を歓迎したんだと思った。艦娘として沈んだ「あきつ丸」を自分と同じ場所に呼んだのだと思った。
俺の勝手な推測だけれど。
「お前も、人間の俺もさ、もう死んでるんだけど、『艦娘のあきつ丸』はまだ生きてるから」
まだここは俺の居場所ではない。
そう伝えると、懐中電灯の明かりがバチリと切れた。
同時に意識も途切れる。
暗転。
なんだろ、俺は案外歓迎されていたのかもしれない。
沈んだ過去の英雄に。
目が覚めた先は、いつもの木製の天井が視界にあった。
呼吸をしても、もう泡は出なかった。